橋下を擁護する上杉隆のピンボケぶり
2012年 06月 19日
5月8日、大阪市庁に登庁した橋下徹市長に対して行なわれた「囲み取材」での、橋下氏とMBS(毎日放送)の女性記者との“バトル”について。
上杉隆という「ジャーナリスト」が「SAPOI」6月27日号誌上でMBS批判をしている。
MBSの記者は、3月に行なわれた大阪府の府立学校の卒業式における君が代の起立斉唱命令について質問したのだが、記者が基本的な事実関係について理解していないと感じた橋下氏は、「起立斉唱命令は誰が誰に出したのか」と逆質問した。
「質問するのはこちらだ」と言って記者はなかなか答えようとしないが、橋下氏が繰り返し答えを求めると、ようやく「(命令の主体は)教育長」などと答えた。だが、記者の答えはいずれも間違いだった(正しくは「教育委員会が」、「全教員に」)。
この他にも、記者が、教育行政における教育委員会と首長の権限分配などについて理解していないと受け取れる質問を繰り返したため、橋下氏は「勉強不足だ」「取材をする側として失礼だ」「とんちんかんな質問だ」などと強い口調で反論した。
後述するように、この記者会見の動画はネット上にアップされており、それを見た一般人からは「橋下の完全勝利」「大手メディア記者の敗北」といった快哉を叫ぶ書き込みが相次いだ。その後、MBSはこの会見をどのように報じたか。
この3日後、MBSの夕方の報道番組「VOICE」の中で15分程度、君が代の起立斉唱問題が批判的に取り上げられた。そこで使われた会見の映像は、橋下氏から批判された記者の質問や記者を批判する橋下氏の言葉が全てカットされ、起立斉唱問題についての橋下氏の強い口調の発言だけがつなぎ合わされていた。
仮に視聴者が番組だけを見たならば、橋下氏がいかにもエキセントリックな人物であり、自らの権限で強権的に起立斉唱を行なわせたという印象を持ったとしてもおかしくない作り方だった。質問した記者の「勉強不足」は隠されている。
いっぽう、週刊ポスト2012年6月15日号には、こんな指摘が掲載された。
MBSの女性記者が橋下市長に舌鋒鋭く詰め寄られた5月8日の囲み会見だ。「君が代の国歌斉唱」に端を発する口論は、「勉強してから来い」と記者が罵倒される騒ぎになった。大阪市政の動きをウォッチし続け、『橋下徹 改革者か壊し屋か』の著書もあるジャーナリストの吉富有治氏はこう語る。
「ネットでは『橋下さん、その通りだ』『よく言った』との声が多かったんですが、おかしいなって思う場面がたくさんあるんです。例えば記者に『私の質問に答えられないようならこの会見に来るな』と言っている。政治家の説明責任と、記者が読者に対してする説明責任は次元が異なる問題でしょう。橋下さんは論点をすり替えるのが巧い」
口論を公開した動画アクセス数が200万回を超え、記者が所属するMBSへのクレームが殺到したという。
こうした丁々発止は珍しくはなく、実名で記者の名前がツイートされ、罵られることさえある。その度に記者には「反論できなかった」「勉強不足だ」――といった声がぶつけられる。
番記者を擁護するつもりはないが、橋下市長は役所を代弁して意見を述べることができる立場である。一方、記者たちが会社代表として持論を披露することはできないのもたしかだ。
番記者の一人がいう。
「それが記者の弱みだとわかっていて、そこに付けこむのが橋下流。質問には相当神経を使わなくてはいけない。例えば『これから○○さんと会うようですが、何を話す予定ですか』には、『これから話をするんだし相手に失礼じゃないか』と。『皆さん、あの記者にもっと考えて質問するよう教えてあげて』と橋下市長が皮肉った記者がネットで名指しされ、恥を晒されてしまう。記者が発言を躊躇するのも無理はない」
記者クラブでは、いつのまにか厳しい質問を浴びせる機会は減少。橋下市長中心にメディアが回るようになっているという。
どちらも、小学館が発行している雑誌だが、正反対である。
上杉隆という記者は、報道の構造的問題について発言しているとして一部で注目されているが、それを言いたいために、すでに一般的に知られているよくある問題を、橋下対番記者の一件に当てはめたようだ。
しかし、吉富有治が指摘するように、橋下は明らかに質問をはぐらかすため問題をすり替えており、しかも報道が権力に弱い点につけ込んでいる。
また、テレビが都合よく編集することで問題がよく起きていることは確かだが、この件では当てはまらない。質疑応答の趣旨を歪めたのなら別だが、この件でテレビ側が都合の悪い部分を放送しなかったとしても、それはそもそも橋下がはぐらかしたためのことであり、橋下が感情的な対応をした場面だけ放送されたのも、質問に答えられないのを誤魔化したことで言い争いとなったのだから、橋下自らが原因を作っただけのことである。
それを無視する上杉の記事は、さらに報道を萎縮させ、権力の監視という使命を果たせないように仕向けており、普段自らが主張していることに逆効果となっている。
もっとも、すでにこの上杉という人は食わせ物であることは周知の通りで、日本の報道のあり方を批判しながら、そこで引用するのは外国の報道でもとくにタチが悪いAPとかAFPが出所の御用報道で、そんなのを無批判で鵜呑みして受け売りコメントしていたりするお粗末である。
ただ、吉富有治が「番記者を擁護するつもりはない」というように、このときの記者も対処を間違えた。答えに窮するとはぐらかす逆質問をして「勉強不足」というのは、政治家に限らず実力以上に偉そうにしなければならない立場の者の常套手段なのだから、記者は橋下に対し、誤魔化すなと頑張り続けて一歩も引くべきでなかった。
このとき記者は、命令に従うというのはどの程度のことになるのか、という質問をしており、これに対して命令はどこから出るのかと質問し返した橋下は、同じ命令でも出所により強制力の厳密性が異なるわけではないのだから、明らかにはぐらかしている。
これは、医学を題材にした小説で知られる元医師の作家ロビン=クックも書いている。医学の専門知識で教授が学生に逆質問や無関係質問をしてきても、そんなのは建設的な質疑応答ではなく、相手を貶めて自分を持ち上げようというものだから、むざむざ相手の話に乗せられないよう、答えてはならない。
これはハーバード大医学部など優等生の間では、常識らしい。ところが日本では生意気だということにされる。日本でも常識にしたほうがいいだろう。
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上杉隆という「ジャーナリスト」が「SAPOI」6月27日号誌上でMBS批判をしている。
MBSの記者は、3月に行なわれた大阪府の府立学校の卒業式における君が代の起立斉唱命令について質問したのだが、記者が基本的な事実関係について理解していないと感じた橋下氏は、「起立斉唱命令は誰が誰に出したのか」と逆質問した。
「質問するのはこちらだ」と言って記者はなかなか答えようとしないが、橋下氏が繰り返し答えを求めると、ようやく「(命令の主体は)教育長」などと答えた。だが、記者の答えはいずれも間違いだった(正しくは「教育委員会が」、「全教員に」)。
この他にも、記者が、教育行政における教育委員会と首長の権限分配などについて理解していないと受け取れる質問を繰り返したため、橋下氏は「勉強不足だ」「取材をする側として失礼だ」「とんちんかんな質問だ」などと強い口調で反論した。
後述するように、この記者会見の動画はネット上にアップされており、それを見た一般人からは「橋下の完全勝利」「大手メディア記者の敗北」といった快哉を叫ぶ書き込みが相次いだ。その後、MBSはこの会見をどのように報じたか。
この3日後、MBSの夕方の報道番組「VOICE」の中で15分程度、君が代の起立斉唱問題が批判的に取り上げられた。そこで使われた会見の映像は、橋下氏から批判された記者の質問や記者を批判する橋下氏の言葉が全てカットされ、起立斉唱問題についての橋下氏の強い口調の発言だけがつなぎ合わされていた。
仮に視聴者が番組だけを見たならば、橋下氏がいかにもエキセントリックな人物であり、自らの権限で強権的に起立斉唱を行なわせたという印象を持ったとしてもおかしくない作り方だった。質問した記者の「勉強不足」は隠されている。
いっぽう、週刊ポスト2012年6月15日号には、こんな指摘が掲載された。
MBSの女性記者が橋下市長に舌鋒鋭く詰め寄られた5月8日の囲み会見だ。「君が代の国歌斉唱」に端を発する口論は、「勉強してから来い」と記者が罵倒される騒ぎになった。大阪市政の動きをウォッチし続け、『橋下徹 改革者か壊し屋か』の著書もあるジャーナリストの吉富有治氏はこう語る。
「ネットでは『橋下さん、その通りだ』『よく言った』との声が多かったんですが、おかしいなって思う場面がたくさんあるんです。例えば記者に『私の質問に答えられないようならこの会見に来るな』と言っている。政治家の説明責任と、記者が読者に対してする説明責任は次元が異なる問題でしょう。橋下さんは論点をすり替えるのが巧い」
口論を公開した動画アクセス数が200万回を超え、記者が所属するMBSへのクレームが殺到したという。
こうした丁々発止は珍しくはなく、実名で記者の名前がツイートされ、罵られることさえある。その度に記者には「反論できなかった」「勉強不足だ」――といった声がぶつけられる。
番記者を擁護するつもりはないが、橋下市長は役所を代弁して意見を述べることができる立場である。一方、記者たちが会社代表として持論を披露することはできないのもたしかだ。
番記者の一人がいう。
「それが記者の弱みだとわかっていて、そこに付けこむのが橋下流。質問には相当神経を使わなくてはいけない。例えば『これから○○さんと会うようですが、何を話す予定ですか』には、『これから話をするんだし相手に失礼じゃないか』と。『皆さん、あの記者にもっと考えて質問するよう教えてあげて』と橋下市長が皮肉った記者がネットで名指しされ、恥を晒されてしまう。記者が発言を躊躇するのも無理はない」
記者クラブでは、いつのまにか厳しい質問を浴びせる機会は減少。橋下市長中心にメディアが回るようになっているという。
どちらも、小学館が発行している雑誌だが、正反対である。
上杉隆という記者は、報道の構造的問題について発言しているとして一部で注目されているが、それを言いたいために、すでに一般的に知られているよくある問題を、橋下対番記者の一件に当てはめたようだ。
しかし、吉富有治が指摘するように、橋下は明らかに質問をはぐらかすため問題をすり替えており、しかも報道が権力に弱い点につけ込んでいる。
また、テレビが都合よく編集することで問題がよく起きていることは確かだが、この件では当てはまらない。質疑応答の趣旨を歪めたのなら別だが、この件でテレビ側が都合の悪い部分を放送しなかったとしても、それはそもそも橋下がはぐらかしたためのことであり、橋下が感情的な対応をした場面だけ放送されたのも、質問に答えられないのを誤魔化したことで言い争いとなったのだから、橋下自らが原因を作っただけのことである。
それを無視する上杉の記事は、さらに報道を萎縮させ、権力の監視という使命を果たせないように仕向けており、普段自らが主張していることに逆効果となっている。
もっとも、すでにこの上杉という人は食わせ物であることは周知の通りで、日本の報道のあり方を批判しながら、そこで引用するのは外国の報道でもとくにタチが悪いAPとかAFPが出所の御用報道で、そんなのを無批判で鵜呑みして受け売りコメントしていたりするお粗末である。
ただ、吉富有治が「番記者を擁護するつもりはない」というように、このときの記者も対処を間違えた。答えに窮するとはぐらかす逆質問をして「勉強不足」というのは、政治家に限らず実力以上に偉そうにしなければならない立場の者の常套手段なのだから、記者は橋下に対し、誤魔化すなと頑張り続けて一歩も引くべきでなかった。
このとき記者は、命令に従うというのはどの程度のことになるのか、という質問をしており、これに対して命令はどこから出るのかと質問し返した橋下は、同じ命令でも出所により強制力の厳密性が異なるわけではないのだから、明らかにはぐらかしている。
これは、医学を題材にした小説で知られる元医師の作家ロビン=クックも書いている。医学の専門知識で教授が学生に逆質問や無関係質問をしてきても、そんなのは建設的な質疑応答ではなく、相手を貶めて自分を持ち上げようというものだから、むざむざ相手の話に乗せられないよう、答えてはならない。
これはハーバード大医学部など優等生の間では、常識らしい。ところが日本では生意気だということにされる。日本でも常識にしたほうがいいだろう。
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by ruhiginoue
| 2012-06-19 12:58
| 政治