三毛猫ホームズ
2012年 07月 15日
『図書』(岩波)掲載の赤川次郎さんの話の続き。
赤川さんは、原発事故にも言及している。
「野田政権の誕生は、『政権交代』の意味が完全に失われるのと同義語になった。
経済界が菅首相を何が何でも政権から引きずり下ろすと決めたのは、菅さんが浜岡原発を停止させたときだろう。
大事故を起こした福島第一原発が停まるのは仕方ない。しかし、まだ事故を起こしたわけでもない浜岡原発を停めるとはどういうことだ。
―その瞬間から、新聞、TVの大手マスコミを総動員しての「菅おろし」がスタートした。
赤川さんは、原発事故にも言及している。
「野田政権の誕生は、『政権交代』の意味が完全に失われるのと同義語になった。
経済界が菅首相を何が何でも政権から引きずり下ろすと決めたのは、菅さんが浜岡原発を停止させたときだろう。
大事故を起こした福島第一原発が停まるのは仕方ない。しかし、まだ事故を起こしたわけでもない浜岡原発を停めるとはどういうことだ。
―その瞬間から、新聞、TVの大手マスコミを総動員しての「菅おろし」がスタートした。
結果、仮設住宅がなかなかできないのも、がれきの処理が進まないのも、福島の事故が収束しないのも、すべて「菅のせい」だと言わんばかりの記事、報道が続出した。
菅さんが東京電力の幹部を怒鳴りつけたという、しごく当然のことさえ、一国の指導者の資質に欠けると批判した。では、事故を前にただ呆然自失している東電や安全保安院の連中にすべてを任せて黙っているのが、首相としてふさわしい行動だったというのか?
ともあれ、経済界の意を体して首相になった野田さんは、最初の国会質疑で、訊かれてもいないことまで答弁した(官僚の作文をそのまま読んだ)ほどいい加減だったのに、今、消費税増税には「政治生命をかける」ほど熱心である。
俳優の山本太郎さんが「役者生命をかけて」、原発反対を訴えているのと比べ、その「生命」の軽さはどうだろう。
今も放射性物質を出し続け、原子炉に近づくこともできず、4号機の危険が指摘されているというのに、早々と『事故の収束宣言』を出したとき、世界は唖然としたのではないか。私は、平然とこういう発言をする首相を持ったことに赤面した。」
そして、小説の人気シリーズの基になった、昔飼っていた三毛猫を思い出したことについて。
「福島では、原発事故からの避難に、ペットを連れて行けず、置いて来ざるを得なかった人が大勢いた。その胸中はどうだったろう。人の命こそ第一であっても、共に生き、苦労を慰めてくれたペットは、飼い主にとって、家族そのものである。
TVの福島のドキュメンタリーで、ほんのわずかな時間、帰宅を許された夫婦が、残してきた犬にエサをやり、鎖がすぐ外れるようにして再び離れる場面があった。車が走り出すと、犬は鎖を振り切って必死で車を追いかけてくる。しかし、車を停めるわけにはいかないのだ。
犬には放射能も原発も理解できない。なぜ主人が自分を捨てて行くのか、わからない。
いつまでも車を追い続ける犬の映像に、涙が出た。人間は何と残酷なことをしたのだろう。
東京電力の幹部や、再稼動を言い立てる人々は、こんな場面にも何も感じないのだろうか。」
何も感じない人はいる。他人の不幸を嘲笑するような心を病んだ人もいるが、それとは違い、不感症である。
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菅さんが東京電力の幹部を怒鳴りつけたという、しごく当然のことさえ、一国の指導者の資質に欠けると批判した。では、事故を前にただ呆然自失している東電や安全保安院の連中にすべてを任せて黙っているのが、首相としてふさわしい行動だったというのか?
ともあれ、経済界の意を体して首相になった野田さんは、最初の国会質疑で、訊かれてもいないことまで答弁した(官僚の作文をそのまま読んだ)ほどいい加減だったのに、今、消費税増税には「政治生命をかける」ほど熱心である。
俳優の山本太郎さんが「役者生命をかけて」、原発反対を訴えているのと比べ、その「生命」の軽さはどうだろう。
今も放射性物質を出し続け、原子炉に近づくこともできず、4号機の危険が指摘されているというのに、早々と『事故の収束宣言』を出したとき、世界は唖然としたのではないか。私は、平然とこういう発言をする首相を持ったことに赤面した。」
そして、小説の人気シリーズの基になった、昔飼っていた三毛猫を思い出したことについて。
「福島では、原発事故からの避難に、ペットを連れて行けず、置いて来ざるを得なかった人が大勢いた。その胸中はどうだったろう。人の命こそ第一であっても、共に生き、苦労を慰めてくれたペットは、飼い主にとって、家族そのものである。
TVの福島のドキュメンタリーで、ほんのわずかな時間、帰宅を許された夫婦が、残してきた犬にエサをやり、鎖がすぐ外れるようにして再び離れる場面があった。車が走り出すと、犬は鎖を振り切って必死で車を追いかけてくる。しかし、車を停めるわけにはいかないのだ。
犬には放射能も原発も理解できない。なぜ主人が自分を捨てて行くのか、わからない。
いつまでも車を追い続ける犬の映像に、涙が出た。人間は何と残酷なことをしたのだろう。
東京電力の幹部や、再稼動を言い立てる人々は、こんな場面にも何も感じないのだろうか。」
何も感じない人はいる。他人の不幸を嘲笑するような心を病んだ人もいるが、それとは違い、不感症である。
by ruhiginoue
| 2012-07-15 17:06
| 文学





