パクリの大御所すぎやまこういち醜い言質
2012年 09月 26日
任天堂が、業績の「V字回復」へ『ドラクエX』に期待しているが、厳しいのではないかという指摘もある。
この報道と、その音楽担当者の醜い発言の数々とが重なって感じられる。『ドラクエ』の音楽担当すぎやまこういちネトウヨ発言は実にひどいものだ。
あるいは、芸術家の中には進歩的とか反権力の姿勢をとる人がいて、これには信念の人とカッコつけの人とがいるが、それに反対してみせることで目立とうとする芸術家もいる。
そうした音楽家としては黛敏郎がいたが、彼の右翼ぶりっ子はネタとしてなら有効だった。前衛的な作風で注目されたが行き詰まり、三島由紀夫に接近しながらオペラ『金閣寺』や『涅槃交響曲』など、仏教だのナショナリズムだのと言い出した。
つまり、黛敏郎は政治発言と作品とを関連づけて自己演出していたわけだ。
だが、すぎやまこういちは違った。もともとが個性とか才能とかいうより要領の良さで渡って来た音楽家だ。政治力もある。だから自分より才能で勝る後輩を何人も弟子にしていた。
そして作品がパクリだと指摘されることもあった。その最たるものが『ドラクエ』だった。また、政治発言も受け売りで、にわか仕込みの薄っぺらさである。彼の曲は多くが「何処かで聴いたことがある」「これはあの作品の真似だ」といわれるが、政治的発言も同じ。それ以上というべきかもしれない。
そんな彼は、常に時勢に合わせて音楽を作っており、その受け狙いに特化しすぎが創作といえるのか疑問になるほどだった。
それは、こういう経緯だった。
彼が『学生街の喫茶店』を作った時代は、題名のとおり学生街に喫茶店があり、そこで歌詞のようにお茶を飲みながら若者たちが語らった。
それが変わって、若者たちは友達と一緒に喫茶店に入っても語り合うのではなく下を向いてゲームする時代となり、すると、よくアニメに音楽をつけていた彼も『ドラクエ』でゲームへと向かう。
さらに変わってインターネットの時代になると、若い人や若かった人が「ヒキオタ」(引きこもりオタク)や「厨房」となり、年配になってから「ネトウヨ」として完成するが、この情勢を見て彼は自ら進んで熱心な「2ちゃんねらー」となり、これを公言してウヨ発言を受け売りしはじめる。
これだから、すぎやまこういち政治発言はいつも「ドラクエの音楽家が従軍慰安婦を否定」などの形で報じられている。発言の中身が注目されたのではないからだ。それでも、この御大というか御老体としては、目立てば良いのだろう。
そして、一般的な盗作とか剽窃とかいう意味の「パクリ」と違い、すぎやまこういち式は商売と割り切り時勢と同化してしまうことに特徴があり、自らの作風を持たない。
これだから、彼の最も優秀な弟子は筒美京平なのだ。
この延長で、彼は相変わらず時流に乗り、そのまま醜い風潮にも普通に迎合するから、必然的に今はネトウヨとなっているのだ。実に解りやすい。

この報道と、その音楽担当者の醜い発言の数々とが重なって感じられる。『ドラクエ』の音楽担当すぎやまこういちネトウヨ発言は実にひどいものだ。
いま彼は81歳だそうだが、才能が枯渇したため政治的発言をする人は、よくいるものだ。それは大体が権力にすりより、弱いもの虐めをするのが相場だ。才能の枯渇は元気が無くなったためだから、権力にすりより弱いもの虐めしたがるのも、同じ原因だろう。
また、すぎやまこういちは『ドラクエ』の音楽を、内容の相似からワーグナーの『ニーベルングの指輪』を意識したと語っているが、『指輪』の劇中では大神ヴォータンが自分について「歳をとって体力が衰えたら、その代わりとして権力が欲しくなった」と唄っている。あるいは、芸術家の中には進歩的とか反権力の姿勢をとる人がいて、これには信念の人とカッコつけの人とがいるが、それに反対してみせることで目立とうとする芸術家もいる。
そうした音楽家としては黛敏郎がいたが、彼の右翼ぶりっ子はネタとしてなら有効だった。前衛的な作風で注目されたが行き詰まり、三島由紀夫に接近しながらオペラ『金閣寺』や『涅槃交響曲』など、仏教だのナショナリズムだのと言い出した。
つまり、黛敏郎は政治発言と作品とを関連づけて自己演出していたわけだ。
だが、すぎやまこういちは違った。もともとが個性とか才能とかいうより要領の良さで渡って来た音楽家だ。政治力もある。だから自分より才能で勝る後輩を何人も弟子にしていた。
そして作品がパクリだと指摘されることもあった。その最たるものが『ドラクエ』だった。また、政治発言も受け売りで、にわか仕込みの薄っぺらさである。彼の曲は多くが「何処かで聴いたことがある」「これはあの作品の真似だ」といわれるが、政治的発言も同じ。それ以上というべきかもしれない。
そんな彼は、常に時勢に合わせて音楽を作っており、その受け狙いに特化しすぎが創作といえるのか疑問になるほどだった。
それは、こういう経緯だった。
彼が『学生街の喫茶店』を作った時代は、題名のとおり学生街に喫茶店があり、そこで歌詞のようにお茶を飲みながら若者たちが語らった。
それが変わって、若者たちは友達と一緒に喫茶店に入っても語り合うのではなく下を向いてゲームする時代となり、すると、よくアニメに音楽をつけていた彼も『ドラクエ』でゲームへと向かう。
さらに変わってインターネットの時代になると、若い人や若かった人が「ヒキオタ」(引きこもりオタク)や「厨房」となり、年配になってから「ネトウヨ」として完成するが、この情勢を見て彼は自ら進んで熱心な「2ちゃんねらー」となり、これを公言してウヨ発言を受け売りしはじめる。
これだから、すぎやまこういち政治発言はいつも「ドラクエの音楽家が従軍慰安婦を否定」などの形で報じられている。発言の中身が注目されたのではないからだ。それでも、この御大というか御老体としては、目立てば良いのだろう。
そして、一般的な盗作とか剽窃とかいう意味の「パクリ」と違い、すぎやまこういち式は商売と割り切り時勢と同化してしまうことに特徴があり、自らの作風を持たない。
これだから、彼の最も優秀な弟子は筒美京平なのだ。
この延長で、彼は相変わらず時流に乗り、そのまま醜い風潮にも普通に迎合するから、必然的に今はネトウヨとなっているのだ。実に解りやすい。

by ruhiginoue
| 2012-09-26 12:31
| 音楽





