TPPと『火垂るの墓』
2013年 03月 16日
今はTPPが問題になっているが、その前には80年代に農産物輸入自由化の問題で、やはり自民党は農業経営者から猛反発を受けており、抗議する農家のトラクター大軍団による東京都心大規模デモが行われたというのに、新聞とテレビが黙殺し、背後にアメリカの圧力があったのだろうと言われていた。
この80年代、すでに「食料安保」の視点から、自国の農業を守るべきという主張がされていて、これは昨年の衆議院選で当選した自民党の議員にも、選挙中に主張していた人たちがいる。
そして、野坂昭如も同様の論陣を張っていて、代表作『火垂るの墓』の基になった自分の戦争体験を語った。衰弱した妹が咀嚼できないので、噛んで含めようとしたのだが、自分が空腹なので無意識に飲み込んでしまい、なかなか妹に食べさせられなかったという悲しい思いでを話したうえ、自分にゆとりがないと肉親に対してすらこうなのだから、外国に食べ物を依存したらどうなるか、と危惧を表明したのだった。
ところが、これに戦争体験から反発した人もいた。日本の農家だって信用できないから、外国から輸入したほうがまだマシではないかと言う。食糧難で優位に立ったのをいいことにして、僅かな食料と交換に、着物をはじめ何から何まで取り上げて横暴の限りを尽くしたのが農家だという。
これは『火垂るの墓』にも描かれている。飢える主人公の少年が母親の着物を持って行ったら、こんな安物では駄目だと農家のおばさんに罵倒され追い返されたり、畑の作物をくすねて見つかり警察に突き出されたり。そのさい警官が「しかし、これだけ殴れは気が済んだだろう」と言う。少年は傷だらけだった。ちょっとの作物に、すごい暴力をふるっていたわけで、だから農家のおじさんは一瞬バツ悪そうにしたが「しかし窃盗に変わりはないでしょう」と言う。
だから警官が「では未成年者に対する暴行にも変わりはない」と言ってサーベルをちらつかせたので、農家のおじさんはあきらめ、少年は助かる。警官が「おい、こら」と威張って言う権力の象徴であるサーベルで、戦争の被害者である少年を、農民の暴虐から助けるという皮肉な場面である。
こうした戦時中の農民の横柄さについては、『ナニワ金融道』の巻頭言で作者の青木雄二も自らの体験として語っていた。食糧難に付け込み威張って着物などを取り上げていたということだった。
ただ、『火垂るの墓』は神戸の話だし、青木雄二は大阪に住んでいたが生まれは京都で育ちは岡山と言っていた。だから、日本の農家全体ではなく、その地域の体質ではないかとも考えられる。この地域は、人情味が無い、ケチだ、自分のことしか考えていない、などなど色々と言われることが多い。
これに対し、東北の農家では、こんな話はあまり聞かない。親戚など東北の知人に話を訊いても、野坂昭如や青木雄二の話は信じられないと驚く。戦争の混乱により食料を求めて来た人がいると、できるだけ食料を分けようとし、検問で没収されないように隠し持つあの手この手を指南までしたと言う話ばかりだし、東京から東北へ米を求めに行った体験談では、少なくとも野坂昭如や青木雄二が語った体験ほどひどい対応を農家にされたという話は聞かない。
どうであれ、同じ日本でも地域による違いがあることだけは間違いないはずだから、そこへ外国と交渉するとなると、問題はもっと複雑で大変なはずだ。それにしては、総理の対応が軽々しすぎで、実に危なそうである。
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この80年代、すでに「食料安保」の視点から、自国の農業を守るべきという主張がされていて、これは昨年の衆議院選で当選した自民党の議員にも、選挙中に主張していた人たちがいる。
そして、野坂昭如も同様の論陣を張っていて、代表作『火垂るの墓』の基になった自分の戦争体験を語った。衰弱した妹が咀嚼できないので、噛んで含めようとしたのだが、自分が空腹なので無意識に飲み込んでしまい、なかなか妹に食べさせられなかったという悲しい思いでを話したうえ、自分にゆとりがないと肉親に対してすらこうなのだから、外国に食べ物を依存したらどうなるか、と危惧を表明したのだった。
ところが、これに戦争体験から反発した人もいた。日本の農家だって信用できないから、外国から輸入したほうがまだマシではないかと言う。食糧難で優位に立ったのをいいことにして、僅かな食料と交換に、着物をはじめ何から何まで取り上げて横暴の限りを尽くしたのが農家だという。
これは『火垂るの墓』にも描かれている。飢える主人公の少年が母親の着物を持って行ったら、こんな安物では駄目だと農家のおばさんに罵倒され追い返されたり、畑の作物をくすねて見つかり警察に突き出されたり。そのさい警官が「しかし、これだけ殴れは気が済んだだろう」と言う。少年は傷だらけだった。ちょっとの作物に、すごい暴力をふるっていたわけで、だから農家のおじさんは一瞬バツ悪そうにしたが「しかし窃盗に変わりはないでしょう」と言う。
だから警官が「では未成年者に対する暴行にも変わりはない」と言ってサーベルをちらつかせたので、農家のおじさんはあきらめ、少年は助かる。警官が「おい、こら」と威張って言う権力の象徴であるサーベルで、戦争の被害者である少年を、農民の暴虐から助けるという皮肉な場面である。
こうした戦時中の農民の横柄さについては、『ナニワ金融道』の巻頭言で作者の青木雄二も自らの体験として語っていた。食糧難に付け込み威張って着物などを取り上げていたということだった。
ただ、『火垂るの墓』は神戸の話だし、青木雄二は大阪に住んでいたが生まれは京都で育ちは岡山と言っていた。だから、日本の農家全体ではなく、その地域の体質ではないかとも考えられる。この地域は、人情味が無い、ケチだ、自分のことしか考えていない、などなど色々と言われることが多い。
これに対し、東北の農家では、こんな話はあまり聞かない。親戚など東北の知人に話を訊いても、野坂昭如や青木雄二の話は信じられないと驚く。戦争の混乱により食料を求めて来た人がいると、できるだけ食料を分けようとし、検問で没収されないように隠し持つあの手この手を指南までしたと言う話ばかりだし、東京から東北へ米を求めに行った体験談では、少なくとも野坂昭如や青木雄二が語った体験ほどひどい対応を農家にされたという話は聞かない。
どうであれ、同じ日本でも地域による違いがあることだけは間違いないはずだから、そこへ外国と交渉するとなると、問題はもっと複雑で大変なはずだ。それにしては、総理の対応が軽々しすぎで、実に危なそうである。
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by ruhiginoue
| 2013-03-16 14:52
| 文学