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by ruhiginoue

北斗の拳とブラック企業と居酒屋

 今でもまだ人気があり映画化もされている80年代の漫画『北斗の拳』の面白さは、もちろん、まず活劇として迫力があり、さらに残酷描写も含めた派手な暴力場面にもあるが、それを支えているのが、ヤラレ役の小悪党どもの性格と行動だ。
 これを描いている漫画家が言うには、よく見かけるような憎たらしい奴らを漫画の中で死刑にするそうだ。だから『北斗の拳』は、クライマックスだと主人公が大物の敵役たちを相手に死闘を演ずるが、それまでのイントロでは、小悪党どもが小物ゆえの嫌らしさをむき出しにしながら、善良な人たちに暴力をふるい、これに激怒した主人公が必殺拳によって小悪党どもを血祭りにあげるので痛快だ。
 例えば、米を作ろうとする老人の話だ。荒廃した未来の大地で、希少な種籾を苦労して集め、収穫できたらみんなに食べさせようとするのだが、その種籾を無法者が奪おうとする。しかし量が少なくて腹一杯にはならないのだから、奪って食べてもほとんど意味がない。植えて育てて収穫できたら貴方にも食べさせる。こう老人が言って説得しようとしたら、無法者は、それを聞いてますますその種籾が食べたくなったと言い嫌らしく笑い、老人を殺害する。そこへやってきた主人公の怒りが爆発する、というわけだ。
 この悪党は、小物だから発想が貧困で合理性を欠き、それで嫌らしさをまとった残酷さを発揮する。自分がほとんど得をしないのに他人を迫害し、それがいずれは自分の損につながるのだが、そこまで考えず、他人に意地悪をすることで自分だけ得する錯覚によって悦に入る。
 このような小悪党は現実に身近にいて、それがただ嫌われているだけならまだいいが、しばしば漫画に描かれるのと同様に、いちおうの力を持っていたりするから、困ったことになる。その最たるのがいわゆるブラック企業の経営者だろう。
 もともと悪徳経営者というのはいるもので、大きくなった企業はよく悪どいことをしているものだし、ケチとかセコい経営者も珍しくない。ところがブラック企業というのは、ただ悪徳というのではない。利益とはあまり関係が無いと思われる部分にまで、従業員に対して意地悪にしかなっていないことをして、そうまでしても経営者がさほど得をしてはいない。
 そして、そういう企業の商品が売れるのは、ただ安いからというだけでなく、その客になれば自分も従業員をいじめている側になったという倒錯した快感を得られるからだ。飲食店でこき使われている店員に、横柄な態度をとって悦に入る客は、その最たるものだろう。
 だから、大学生のとき、居酒屋なんかに行くのは止めようと同級生たちに提案し、店に行かず飲食物をまとめて購入して、誰かの自宅に集まって宴会や打ち上げ会をすることにした。
 そうすれば、まず安上がりであるし、精神衛生上も良い。自分が安い時給でバイトして稼いだ金を、同世代の学生などがやはり安い時給でバイトしている店に払い、客をカモにするよりむしろ労働力となる若者からピンハネすることで経営者が儲ける、という図式にはめ込まれるなんて、馬鹿げているのだから。
 しかし、その図式をどうしても理解できない者もいた。ただ、安い店に行けばあまり金もかからないとしか考えられないのだ。そのうえ、大忙しの従業員に早く持ってこいと威張って命令するのが楽しい、という嫌な人もいた。
 そういう人とは付合うのをやめたほうがいい。社会にとっても自分にとっても、経済的かつ精神的に悪すぎる。
 その『北斗の拳』のエピソード結末では、主人公が殺された老人の墓を作ってやったうえ種籾を供えるように撒く。そんなことしたら種籾の無駄だが、しかし老人の意思を継いで栽培しても、実れば実ったで奪い合いなど争いのもとだ、という主人公の諦観なのだろう。
 


by ruhiginoue | 2013-06-10 00:51 | 経済