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井上靜に関するblog(網誌)です。下記の著書を読んでもらえたら嬉しく存じます。


by ruhiginoue

自分のことを社会のせいにするにも二種類ある

 このところ、思うことあって過去に読んだ本を再読している。その本は主に、かつて参考書としていた本が中心で、大学で先生だった人の著書だ。
 そのさい、考えているうちの一つが、自分のことを社会のせいにするのは、いかがものかという問題だ。すべてを個人の責任に帰すことはできないが、なにもかも世の中が悪いというのも醜いことだ。
 それについて、現代社会の教科書などで知られる教育学者竹内常一氏の著書を再読していたら、忘れていたことを思い出した。すでに同氏は指摘していた。自分個人のことでも、それについて社会に原因を求めたり、自分と社会との関係を考えることは、知性のあることだ。
 しかし、その知性には「勇気ある知性」と「臆病な知性」の二種類がある。自分を疎外してきたものについて、具体的な現実に則して追及するのは「勇気ある知性」であり、すべてを抽象的なシステムのせいにして、自分より弱い者に危害を加えることを合理化しようとするのは「臆病な知性」である。
 この点、学校や職場での弱い者イジメとか、神戸児童殺害事件とか、秋葉原で刃物を振り回した事件などは、臆病な知性のなせるものだ。だから、そうした抽象的で具体性のない社会との向き合い方をして、それを口実にして破壊的になるのは、仕事などで不遇だったからと無関係な人を殺傷する落ちこぼれだけではなく、オウム真理教事件のように、高学歴でエリートコースを進んできた者たちも同様なのだ。
 そうして考えてみると、片山さつきとか丸川珠代とか、東大を出て良い所に就職したことを誇りながら、それにしてはあまり幸せそうではなく、無理してセレブを気取りながら、社会の中で自分より下位にありそうな人たちを見下したり迫害したりして悦に入っている者たちの言動も、同様の図式を当てはめれば納得できる。
  
 これだから、何年も経過してから再読するべきと思う本が、少数だが、あるのだ。そう感じた本は、読み終わっても捨てずに取っておくものだ。そう感じる本は、読んだうちの何十分の一ではあるが。
 
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by ruhiginoue | 2013-07-04 19:27 | 社会