婚外子相続差別に最高裁が違憲判断
2013年 09月 06日
婚外子相続差別に、最高裁は違憲との判断を示した。
この判決文を読むと、かなり回りくどく、過去の経緯と整合性を持たせるのに腐心している。
つまり判決の理由は、家族の形態も多様化したというものだが、なんと80年代まで、自民党は法務大臣までが「戦後、憲法が家制度を否定したから良くない」と公言していた。封建制度を肯定する老人が国会にいたのだから、法改正がなくて当然であり、だから司法は、法と時代遅れの発想とを、なんとかしてつじつま合わせをしようと屁理屈をこねていた。
どうしてこんなことになってしまったかというと、司法の場では指摘できない事情があったからだ。これは周知のことであり常識なのだが、しかし歴史や社会学に属する話なので、踏み込めなかったのだ。
そもそも、日本独特の「家制度」は、家族とか家庭ではなく経営体だった。子供は跡目を継ぐ主体ではなく、制度を媒介させる客体だったし、家長に跡継ぎを作らせるために「産み道具」があてがわれ、それが「女家」つまり「嫁」だった。
それで柳沢厚労相が、「女性は子供を生む機械」と発言したのだ。出生率を上昇させるためにはどうしたらいいかの、あくまで喩えだと擁護する者がいたけれど、この擁護にまったく説得力が無かったのは、日本の歴史的実態が存在し、今もその影響があるからだ。
そして、橋下市長の慰安婦と風俗の発言に反映しているとおり、女性はその身体を道具として活用するものだという発想がある。もともと日本は伝統的に女性の地位は高かったが、武家社会の成立によって、女性の社会的地位は劇的に低下した。これは戦闘集団としての体力の差異だけが原因ではなく、武家社会が「おイエ社会」を形成したことによって、家庭と家族は経営体の組織とその構成員と化したため、女性は、その構成員の再生産を担えることが最大の特徴であるため「生み道具」とされたのだった。
そうしたお武家様の力が強まったため、それに合わせざるを得なくなる者が出た。その最たるは天照大神を称えているはずの皇族であったし、逆に被差別地域出身の橋下市長は、下層から成り上がろうとして迎合をしたのであった。
そのなかで、婚外子はあくまで「スペア」として存在した。だから相続は半分。これを過去に最高裁が、法律婚を重視する視点からのものだとしたけれど、それを子供を差別することで解決してよいのか、そもそも解決できるのか、という問題なのだから、過去の司法判断は論題から逃げるためのスリカエであった。
そんな過去と今の現状とをすり合わせたので、最高裁は画期的かつ回りくどく変な判断を強いられたのだ。
1日1クリック投票をお願いします
この判決文を読むと、かなり回りくどく、過去の経緯と整合性を持たせるのに腐心している。
つまり判決の理由は、家族の形態も多様化したというものだが、なんと80年代まで、自民党は法務大臣までが「戦後、憲法が家制度を否定したから良くない」と公言していた。封建制度を肯定する老人が国会にいたのだから、法改正がなくて当然であり、だから司法は、法と時代遅れの発想とを、なんとかしてつじつま合わせをしようと屁理屈をこねていた。
どうしてこんなことになってしまったかというと、司法の場では指摘できない事情があったからだ。これは周知のことであり常識なのだが、しかし歴史や社会学に属する話なので、踏み込めなかったのだ。
そもそも、日本独特の「家制度」は、家族とか家庭ではなく経営体だった。子供は跡目を継ぐ主体ではなく、制度を媒介させる客体だったし、家長に跡継ぎを作らせるために「産み道具」があてがわれ、それが「女家」つまり「嫁」だった。
それで柳沢厚労相が、「女性は子供を生む機械」と発言したのだ。出生率を上昇させるためにはどうしたらいいかの、あくまで喩えだと擁護する者がいたけれど、この擁護にまったく説得力が無かったのは、日本の歴史的実態が存在し、今もその影響があるからだ。
そして、橋下市長の慰安婦と風俗の発言に反映しているとおり、女性はその身体を道具として活用するものだという発想がある。もともと日本は伝統的に女性の地位は高かったが、武家社会の成立によって、女性の社会的地位は劇的に低下した。これは戦闘集団としての体力の差異だけが原因ではなく、武家社会が「おイエ社会」を形成したことによって、家庭と家族は経営体の組織とその構成員と化したため、女性は、その構成員の再生産を担えることが最大の特徴であるため「生み道具」とされたのだった。
そうしたお武家様の力が強まったため、それに合わせざるを得なくなる者が出た。その最たるは天照大神を称えているはずの皇族であったし、逆に被差別地域出身の橋下市長は、下層から成り上がろうとして迎合をしたのであった。
そのなかで、婚外子はあくまで「スペア」として存在した。だから相続は半分。これを過去に最高裁が、法律婚を重視する視点からのものだとしたけれど、それを子供を差別することで解決してよいのか、そもそも解決できるのか、という問題なのだから、過去の司法判断は論題から逃げるためのスリカエであった。
そんな過去と今の現状とをすり合わせたので、最高裁は画期的かつ回りくどく変な判断を強いられたのだ。
by ruhiginoue
| 2013-09-06 16:50
| 司法





