交通事故死した芸能人のネタである不良少女の時代
2013年 10月 10日
ミュージシャン兼コメディアンが交通事故で亡くなった現場は毎年複数の事故があり、この芸能人の事故死は今年で四回目か五回目の事故だそうで、「逆バンク」ではないかと地元の運転手らが指摘しているそうだ。
このことで思い出したが、自分の同級生のなかで比較的仲がよかった男が二人、交通事故死していて、片方は乗用車、片方はオートバイだったが、どちらも単独で事故を起こしており、現場は逆バンクだった。
とにかく、曲がるときは少し余計なくらい速度を落としたほうがいいということだ。
ところで、その亡くなった芸能人は、お笑いのさい女装して「スケバン」に扮し、昔の不良少女のように長いスカートを履いていた。これはわざと懐かしいことをしていたわけだが、十年ほど前の学校ドラマ「金八先生」では、女生徒が、長いスカートを履いていたため、校長にとがめられる場面があった。
これを金八先生は、指導は担任の権限なのだから、それを無視して担任にも言わず校長室で叱るのは越権行為だと抗議する。すると校長は、深刻な不良化を防ぐためだから仕方ないと反論。
そこへ、シリーズ初期から出ている、口やかましいが言うことはいつも正論という女性の教師が今では教頭となっていて、「校長先生のおっしゃることは二十年前の発想です。やれ前髪が何センチ、スカートが何センチと、そんなことをして子供が良くなるわけではないことは、とっくの昔に証明されています」と強い調子で指摘した。
また、生徒の親は、傷跡があるため足を隠したのだと説明したので、校長はバツ悪かった。そして、実は性同一性障害のため自分の身体に違和感をもっていたため隠すようにしていたということだった。
これは、まだ十年くらい前だったからありえたことだ。もっと前だと、性同一性障害という観念が無かったのはもちろんのこと、傷跡の問題についても「そんなこと気にしなければいい」の一言で片付けられ、さらし者にされたうえイジメに遭っても、酷い時には教師が率先して嘲笑したうえ、「気にするほうが悪い」と教師が平然と言い、まさに「他人の痛みはいくらでも我慢できる」という対応をされ、親は抗議するどころか、子供の身体について自分を責め、親が子供を殺害したり、一家心中したり、そうしたむごたらしさが、ごく普通のことであった。なにも偉人伝に書かれる野口英世の時代ではなく、ほんの三十年くらい前までのことだ。
そして、ドラマの当時から二十年前、今からだと三十年前、信じられないことに自民党の議員先生となっている人が、このドラマの初期のシリーズに出演していて、不良少女を演じていたけれど、長いスカートを履いていて、それが不良である一つの証のようにみなされていた。
こんなことが、当時としては本気で信じられていただけなのか、疑問がある。「服装の乱れは生活の乱れ」という標語によって、表面に浮かび上がっていた現象である服装を規正し、その背景にある問題は解決せず、ただ、外見に表れていなかったので気づかなかった、という責任逃れを、教師と地域社会がするだけのものだったはずだ。
また、当時「久米宏のテレビスクランブル」という日本テレビ系列放送の番組に、森善郎文部大臣が出演したさい、司会の久米宏が、その「前髪何センチ」「スカート何センチ」などの実態を紹介し、ゆきすぎた管理主義として問題提起したが、これに対して森文相は「これが正しいのだ」と平然として言い放ち、久米宏が「これでは自分で考えて規範を守る教育になっていないし、親が子供を躾けることもできなくなるし、なにより子供たちが可哀想だ」と食ってかかったが、「これが正しいのだ」と森文相は威圧的に繰り返した。
これは放送後に大騒ぎとなったが、そのあと偶然の重なりで森氏は総理大臣となって、相次ぐ失言などによる不評で内閣支持率一桁のうえ、大学生の時に買春防止条例違反で検挙された過去を月刊誌に暴露され、辞任後は、親の七光りで地元の県議をしていた息子が飲酒運転によってコンビニ店につっこむという事故を起こして議員辞職したことは、周知のとおり。その後まもなく、森元総理のその息子は病死したので、酒の飲みすぎではなかったかと噂された。
こうした現実もあるので、馬鹿げたことを昔は本気で信じていたのではなく、もともと誰も信じておらず、ただ「原発の汚染はブロック」のような、責任逃れのための隠蔽だったのではないか、と考えたほうが無難だろう。だから、お笑いのネタにもされたのだ。深刻な話だったら、そうしたネタには出来ないのだから。
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このことで思い出したが、自分の同級生のなかで比較的仲がよかった男が二人、交通事故死していて、片方は乗用車、片方はオートバイだったが、どちらも単独で事故を起こしており、現場は逆バンクだった。
とにかく、曲がるときは少し余計なくらい速度を落としたほうがいいということだ。
ところで、その亡くなった芸能人は、お笑いのさい女装して「スケバン」に扮し、昔の不良少女のように長いスカートを履いていた。これはわざと懐かしいことをしていたわけだが、十年ほど前の学校ドラマ「金八先生」では、女生徒が、長いスカートを履いていたため、校長にとがめられる場面があった。
これを金八先生は、指導は担任の権限なのだから、それを無視して担任にも言わず校長室で叱るのは越権行為だと抗議する。すると校長は、深刻な不良化を防ぐためだから仕方ないと反論。
そこへ、シリーズ初期から出ている、口やかましいが言うことはいつも正論という女性の教師が今では教頭となっていて、「校長先生のおっしゃることは二十年前の発想です。やれ前髪が何センチ、スカートが何センチと、そんなことをして子供が良くなるわけではないことは、とっくの昔に証明されています」と強い調子で指摘した。
また、生徒の親は、傷跡があるため足を隠したのだと説明したので、校長はバツ悪かった。そして、実は性同一性障害のため自分の身体に違和感をもっていたため隠すようにしていたということだった。
これは、まだ十年くらい前だったからありえたことだ。もっと前だと、性同一性障害という観念が無かったのはもちろんのこと、傷跡の問題についても「そんなこと気にしなければいい」の一言で片付けられ、さらし者にされたうえイジメに遭っても、酷い時には教師が率先して嘲笑したうえ、「気にするほうが悪い」と教師が平然と言い、まさに「他人の痛みはいくらでも我慢できる」という対応をされ、親は抗議するどころか、子供の身体について自分を責め、親が子供を殺害したり、一家心中したり、そうしたむごたらしさが、ごく普通のことであった。なにも偉人伝に書かれる野口英世の時代ではなく、ほんの三十年くらい前までのことだ。
そして、ドラマの当時から二十年前、今からだと三十年前、信じられないことに自民党の議員先生となっている人が、このドラマの初期のシリーズに出演していて、不良少女を演じていたけれど、長いスカートを履いていて、それが不良である一つの証のようにみなされていた。
こんなことが、当時としては本気で信じられていただけなのか、疑問がある。「服装の乱れは生活の乱れ」という標語によって、表面に浮かび上がっていた現象である服装を規正し、その背景にある問題は解決せず、ただ、外見に表れていなかったので気づかなかった、という責任逃れを、教師と地域社会がするだけのものだったはずだ。
また、当時「久米宏のテレビスクランブル」という日本テレビ系列放送の番組に、森善郎文部大臣が出演したさい、司会の久米宏が、その「前髪何センチ」「スカート何センチ」などの実態を紹介し、ゆきすぎた管理主義として問題提起したが、これに対して森文相は「これが正しいのだ」と平然として言い放ち、久米宏が「これでは自分で考えて規範を守る教育になっていないし、親が子供を躾けることもできなくなるし、なにより子供たちが可哀想だ」と食ってかかったが、「これが正しいのだ」と森文相は威圧的に繰り返した。
これは放送後に大騒ぎとなったが、そのあと偶然の重なりで森氏は総理大臣となって、相次ぐ失言などによる不評で内閣支持率一桁のうえ、大学生の時に買春防止条例違反で検挙された過去を月刊誌に暴露され、辞任後は、親の七光りで地元の県議をしていた息子が飲酒運転によってコンビニ店につっこむという事故を起こして議員辞職したことは、周知のとおり。その後まもなく、森元総理のその息子は病死したので、酒の飲みすぎではなかったかと噂された。
こうした現実もあるので、馬鹿げたことを昔は本気で信じていたのではなく、もともと誰も信じておらず、ただ「原発の汚染はブロック」のような、責任逃れのための隠蔽だったのではないか、と考えたほうが無難だろう。だから、お笑いのネタにもされたのだ。深刻な話だったら、そうしたネタには出来ないのだから。
by ruhiginoue
| 2013-10-10 19:06
| 社会





