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井上靜に関するblog(網誌)です。下記の著書を読んでもらえたら嬉しく存じます。


by ruhiginoue

努力の幻想と天才の妄想

 「エジソンは偉い人、そんなの常識」という歌があるけど、実はエジソンの発明のほとんどが他人の思いつきで、それを「発明王」の看板で売って金にしてやると言って譲渡をもちけかたのだから、佐村河内守と同じであった。

 そのエジソンの有名な言葉に「天才とは99%の努力と1%の霊感である」という日本でトンデモ誤訳されたものがある。もとは「パースピレーション」と「インスピレーション」だから掛言葉だったが、「インテル、インサイド」を「インテル入ってる」と言うのと同じような具合に訳せなかったので、意訳して汗を流すのは努力、閃きは霊感としたのだろうが、問題は邦訳だと努力が大事だというニュアンスになってしまっていることだ。
 この元の言葉を直訳すると、天才とは、たくさんの努力をしても僅かの閃きが無ければ泣きを見る、というような感じになる。

 また、「遺伝学の父」と呼ばれるメンデルの発表した「メンデルの法則」は、今でも正しさが動かないけれど、これは努力しないで閃いただけだったが、それでは信じてもらえないだろうと、発表のさい裏付けとなる実験をしたと嘘を言い、そのデータはすべて捏造であった。しかし結論は正しかったのだ。寝る間も惜しんで顕微鏡を覗く努力をして駄目だった野口英世とは大違いである。

 だから、ナントカ女史のナントカ細胞というのも、今はどう判断すべきか不明である。

 ただ、冤罪事件では、よく「名刑事」と呼ばれる警察官が、カンで目星をつけ犯人を決めつけ、絶対に正しいと信じ込んで、証拠の捏造をする。袴田事件に関与したインチキ警官たちも、そうした人脈であった。
 それで正しいこともあり、間違うこともあるが、やむを得ないリスクと考え、その犠牲になった人たちは甘受するべきだと考えている。そういう警官は多い。検察官のほうが多いかもしれない。そして裁判官も同様に考えている人たちがいるし、弁護士にも少なくない。

 また、医師にも、間違った治療法で人を殺しても、冤罪をつくった法曹人たちと同じ感覚の人が少なくない。

 つまり、努力ではなく才能がモノを言うのが現実だが、そこで自分を勝手に天才だと思い込んで他人の命を奪うことなんて平気という人たちがいるから、問題なのだ。

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by ruhiginoue | 2014-04-24 19:44 | 学術