被告は自称ジャーナリスト
2014年 05月 29日
組織に所属しないフリーランスのルポライターなどが、後ろ盾が無いことから見下されて「自称ジャーナリスト」言われることがあるけれど。そうではなく、ジャーナリストとして働いている者たちから軽蔑を込めて「自称ジャーナリスト」と呼ばれる人たちもいる。そういう人たちは仕事の質が悪い。それで言われてしまうのだ。
そんなうちの一人が、今、問題になっていて、名誉毀損や暴行傷害により、訴訟を何件も抱えている。これが権力と敵対してのことであったならともかく、そうではなく、真面目に働いている出版関係者らに対しての加害行為なのだ。だから、そんなのはジャーナリストではないということで、自称と呼ばれる。当人は、ジャーナリストとは免許や資格や登録が不要なので自称でよいと開き直っているが、とんだ勘違いである。
また、その自称ジャーナリストは、今ちょうど進行中の訴訟のうちの一つに陳述書を提出して弁解しており、そこに記者や出版社の実名がいくつか勝手に書かれている。
そのため、検証するため複写を入手して読んでみたのだが、その内容より以前に、文章の最初から最後まで、作文の基礎がなっていないのだ。これは上手下手の問題という水準ではない。中には、まるで意味が通らない文まであるのだ。
例えば、書き出しからして「私は定時制高校在学中、1995年に○○○○職員として就職した後、1995年に高校を中退し新聞配達員」という調子で、もしかすると「定時制高校在学中の1995年に就職し、同年に同高校を中退し、新聞配達に転職した」という意味ではないかとも考えられるが、それにしても、句読点が適切に打たれておらず、また、関係を示す「の」が欠落していたり、繰り返しには「同」を付けて明確にするべきところなのに付いていなかったり、という具合で、当たり前の書き方をしていないから、奇妙な記述になっているのだ。
また、この人の文は「てにをは」も変なのだ。「原告である○○○氏とは、『自称ジャーナリスト』と被告である私に言っておりますが」と書いていて、これだと、誰か不明な者について、被告に対して言っているのが原告である、という文だが、そうではなく、前後の文脈からすると「原告である○○○氏は、被告である私を『自称ジャーナリスト』と言っておりますが」という意味である。
さらに、ある出版社の実名を出して「この間、井上氏を含め著作が万一刊行されない場合は、出版社を変更する事も私は検討しましたが」など意味不明の記述ばかりである。
勝手に名前をだされた出版社も、一緒に名前を出された者も、実に迷惑ではあるが、しかし、これはいったいどういう文意なのか、まったくわけがわからない。
「同出版社から井上の著作が刊行される予定だったが、それがもしも実現しなかったら自分は」という意味のような感じもするが、そう明記はされていないし、文脈からそう解釈することも出来なかったし、そもそも同社から著作が刊行された事実も無ければ、そんな話すらもまったく存在しないのだ。
これらは、あくまでもごく一部の例であり、文章の全体がこのようにお粗末な作文となっているのだ。
もともとこの被告は、何かの関係や縁から仕事を回してやると、作文が滅茶苦茶なので校正ではなく全面的な書き換えになってしまう。だから、もう仕事を頼まないのだが、すると強引に次の仕事を要求し、これを拒まれると逆恨みで中傷や嫌がらせとなり、最悪の場合は関係者に暴力をふるうことがある。そして、関係者から自称ジャーナリストと言われてしまうのだ。
この自称ジャーナリストは、鹿砦社や週刊金曜日にも、嫌がらせ、ネット上で虚偽の流布、関係者への中傷や暴力行為を繰り返しており、このため先述したとおり何件もの訴訟を抱えているが、まったく反省していない。それどころか、嫌がらせをエスカレートさせている。
そういう人を、なぜ裁判で指弾しなければならないかというと、もちろん迷惑だとか不愉快であるからだが、予防措置という側面もあり、むしろこれが重要である。放置しておいたら、こうした人物を利用しようとする者がいないとは限らないからだ。仕事が出来なくて金に困っているのだが、金をちらつかせれば何でもやるだろう。そこで悪いことをやらせて、鹿砦社や週刊金曜日に頼まれてやったと言わせる。これくらいのことを、悪い権力者なら唆しかねない。だから、危険な芽は摘み取っておかねばならないのだ。
このうちの訴訟の一つが山場となり、来る6月6日金曜午後1時30分から、東京地方裁判所立川支部の402号法廷で証人尋問が行われる。
形式的な弁論手続きではなく、法廷で当事者に直接問うので、傍聴すると全容がわかるし、面白いやりとりが期待できそうだ。
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そんなうちの一人が、今、問題になっていて、名誉毀損や暴行傷害により、訴訟を何件も抱えている。これが権力と敵対してのことであったならともかく、そうではなく、真面目に働いている出版関係者らに対しての加害行為なのだ。だから、そんなのはジャーナリストではないということで、自称と呼ばれる。当人は、ジャーナリストとは免許や資格や登録が不要なので自称でよいと開き直っているが、とんだ勘違いである。
また、その自称ジャーナリストは、今ちょうど進行中の訴訟のうちの一つに陳述書を提出して弁解しており、そこに記者や出版社の実名がいくつか勝手に書かれている。
そのため、検証するため複写を入手して読んでみたのだが、その内容より以前に、文章の最初から最後まで、作文の基礎がなっていないのだ。これは上手下手の問題という水準ではない。中には、まるで意味が通らない文まであるのだ。
例えば、書き出しからして「私は定時制高校在学中、1995年に○○○○職員として就職した後、1995年に高校を中退し新聞配達員」という調子で、もしかすると「定時制高校在学中の1995年に就職し、同年に同高校を中退し、新聞配達に転職した」という意味ではないかとも考えられるが、それにしても、句読点が適切に打たれておらず、また、関係を示す「の」が欠落していたり、繰り返しには「同」を付けて明確にするべきところなのに付いていなかったり、という具合で、当たり前の書き方をしていないから、奇妙な記述になっているのだ。
また、この人の文は「てにをは」も変なのだ。「原告である○○○氏とは、『自称ジャーナリスト』と被告である私に言っておりますが」と書いていて、これだと、誰か不明な者について、被告に対して言っているのが原告である、という文だが、そうではなく、前後の文脈からすると「原告である○○○氏は、被告である私を『自称ジャーナリスト』と言っておりますが」という意味である。
さらに、ある出版社の実名を出して「この間、井上氏を含め著作が万一刊行されない場合は、出版社を変更する事も私は検討しましたが」など意味不明の記述ばかりである。
勝手に名前をだされた出版社も、一緒に名前を出された者も、実に迷惑ではあるが、しかし、これはいったいどういう文意なのか、まったくわけがわからない。
「同出版社から井上の著作が刊行される予定だったが、それがもしも実現しなかったら自分は」という意味のような感じもするが、そう明記はされていないし、文脈からそう解釈することも出来なかったし、そもそも同社から著作が刊行された事実も無ければ、そんな話すらもまったく存在しないのだ。
これらは、あくまでもごく一部の例であり、文章の全体がこのようにお粗末な作文となっているのだ。
もともとこの被告は、何かの関係や縁から仕事を回してやると、作文が滅茶苦茶なので校正ではなく全面的な書き換えになってしまう。だから、もう仕事を頼まないのだが、すると強引に次の仕事を要求し、これを拒まれると逆恨みで中傷や嫌がらせとなり、最悪の場合は関係者に暴力をふるうことがある。そして、関係者から自称ジャーナリストと言われてしまうのだ。
この自称ジャーナリストは、鹿砦社や週刊金曜日にも、嫌がらせ、ネット上で虚偽の流布、関係者への中傷や暴力行為を繰り返しており、このため先述したとおり何件もの訴訟を抱えているが、まったく反省していない。それどころか、嫌がらせをエスカレートさせている。
そういう人を、なぜ裁判で指弾しなければならないかというと、もちろん迷惑だとか不愉快であるからだが、予防措置という側面もあり、むしろこれが重要である。放置しておいたら、こうした人物を利用しようとする者がいないとは限らないからだ。仕事が出来なくて金に困っているのだが、金をちらつかせれば何でもやるだろう。そこで悪いことをやらせて、鹿砦社や週刊金曜日に頼まれてやったと言わせる。これくらいのことを、悪い権力者なら唆しかねない。だから、危険な芽は摘み取っておかねばならないのだ。
このうちの訴訟の一つが山場となり、来る6月6日金曜午後1時30分から、東京地方裁判所立川支部の402号法廷で証人尋問が行われる。
形式的な弁論手続きではなく、法廷で当事者に直接問うので、傍聴すると全容がわかるし、面白いやりとりが期待できそうだ。
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by ruhiginoue
| 2014-05-29 21:33
| 司法