曾野綾子の残忍さが日本でウケる情けない背景
2015年 02月 16日
曾野綾子のトンデモ発言は、ツッコミどころが多過ぎるので話題にする人がよくいる。
例えば、福島の原発事故。曾野綾子は、同じく被災しても、もともと住んでいた人と原発が出来た後に住んだ人は違うと説く。
なら福島の不動産は「原発が爆発するかも知れないのでお安くしておきますよ」と言う売り口上だったのか。絶対安全だということだったのではないか。その絶対安全の宣伝を、曾野綾子も業界から金を出されて一役買っていたのではないか。
こういうのツッコミはいくらでもネタがある。だから、どうしてこんなお粗末な言葉ばかり吐く人が偉そうにしているのかというほうが問題だ。
まず、前に指摘したとおり、曾野綾子は確信犯的に権力に擦り寄り弱い者いじめばかりしているから、ちょうど文革時代の中国みたいに、文壇の江青女史には触らぬ死神に祟り無しとマスコミも批判できないだけなのだが、それを知らない庶民が、政府とか総理とかの委員みたいなのをしているので偉い人なのだと短絡的に考える。そして、その説教を、SMの女王様に鞭打たれてるような感覚で悦ぶのだ。
また、強いものにへつらい弱い者いじめすることは潔くない、という感覚を持ち合わせていない人が多いこともある。
今回の差別発言を撤回しないという曾野綾子は、これまた勇気のないメディアの一つ毎日新聞の取材に対し、キリシタン弾圧や赤狩りなど権力による弾圧に屈しなかった歴史上の人物たちと同じだと言っている。つまり、強者の横暴に命懸けで闘った人たちを引き合いに出して、自分も信念にしたがって断固として弱い者いじめをするぞーと、滑稽なことを言っているのだ。
例えば、福島の原発事故。曾野綾子は、同じく被災しても、もともと住んでいた人と原発が出来た後に住んだ人は違うと説く。
なら福島の不動産は「原発が爆発するかも知れないのでお安くしておきますよ」と言う売り口上だったのか。絶対安全だということだったのではないか。その絶対安全の宣伝を、曾野綾子も業界から金を出されて一役買っていたのではないか。
こういうのツッコミはいくらでもネタがある。だから、どうしてこんなお粗末な言葉ばかり吐く人が偉そうにしているのかというほうが問題だ。
まず、前に指摘したとおり、曾野綾子は確信犯的に権力に擦り寄り弱い者いじめばかりしているから、ちょうど文革時代の中国みたいに、文壇の江青女史には触らぬ死神に祟り無しとマスコミも批判できないだけなのだが、それを知らない庶民が、政府とか総理とかの委員みたいなのをしているので偉い人なのだと短絡的に考える。そして、その説教を、SMの女王様に鞭打たれてるような感覚で悦ぶのだ。
また、強いものにへつらい弱い者いじめすることは潔くない、という感覚を持ち合わせていない人が多いこともある。
今回の差別発言を撤回しないという曾野綾子は、これまた勇気のないメディアの一つ毎日新聞の取材に対し、キリシタン弾圧や赤狩りなど権力による弾圧に屈しなかった歴史上の人物たちと同じだと言っている。つまり、強者の横暴に命懸けで闘った人たちを引き合いに出して、自分も信念にしたがって断固として弱い者いじめをするぞーと、滑稽なことを言っているのだ。
これは、権力と暴力によって迫害されても信念を曲げない勇気と、道理を説かれても自分の間違いを認めない身勝手を、曾野綾子は区別ができないということでもある。
これを毎日新聞は、「筆を曲げない人」と書いている。ここには皮肉のニュアンスが無いので、地方紙の記者が「毎日」に呆れているツイートがあった。あくまで曽野綾子は残虐な方向に根性が曲がっているということであって、筆を曲げないのではない。
このさい曾野綾子は今回の発言で社会学者の上野千鶴子から「この人まだ懲りないのね」とツイートされていたが、上野もと東大教授がその地位に付く前、学者というよりマスコミ人だった当時、曾野は上野を週刊新潮の誌上で非難したが、それに上野から反論されると、指摘された数々の間違いを認めるでも反論するでもなく、週刊新潮の誌上で話はもう終わりだと一方的に宣言したうえ、上野が書いたことを「下品な文章ですね(笑)」と締めくくった。
この曾野綾子の態度のほうがよほど下品であり、他の雑誌で第三者からも曾野綾子は批判されていた。しかし、自分より強い魚に追われるとイソギンチャクの中に逃げ込む魚がいるのと同じで、曾野綾子は自分が関与している「日本財団」から広告収入を得ている週刊新潮というイソギンチャクメディアに逃げ込む。こんな人が、迫害に信念を曲げない人であるはずがない。
つまり、もともと日本は「長いモノには巻かれろ」とばかり言い、相手が強くても毅然とすることを立派だと感じる文化が無いから、このような話がまかり通るのだ。それで、弱い者いじめの放言を、自由に意見していると勘違いし、その種のマスコミ人も安泰だったのだ。


これを毎日新聞は、「筆を曲げない人」と書いている。ここには皮肉のニュアンスが無いので、地方紙の記者が「毎日」に呆れているツイートがあった。あくまで曽野綾子は残虐な方向に根性が曲がっているということであって、筆を曲げないのではない。
このさい曾野綾子は今回の発言で社会学者の上野千鶴子から「この人まだ懲りないのね」とツイートされていたが、上野もと東大教授がその地位に付く前、学者というよりマスコミ人だった当時、曾野は上野を週刊新潮の誌上で非難したが、それに上野から反論されると、指摘された数々の間違いを認めるでも反論するでもなく、週刊新潮の誌上で話はもう終わりだと一方的に宣言したうえ、上野が書いたことを「下品な文章ですね(笑)」と締めくくった。
この曾野綾子の態度のほうがよほど下品であり、他の雑誌で第三者からも曾野綾子は批判されていた。しかし、自分より強い魚に追われるとイソギンチャクの中に逃げ込む魚がいるのと同じで、曾野綾子は自分が関与している「日本財団」から広告収入を得ている週刊新潮というイソギンチャクメディアに逃げ込む。こんな人が、迫害に信念を曲げない人であるはずがない。
つまり、もともと日本は「長いモノには巻かれろ」とばかり言い、相手が強くても毅然とすることを立派だと感じる文化が無いから、このような話がまかり通るのだ。それで、弱い者いじめの放言を、自由に意見していると勘違いし、その種のマスコミ人も安泰だったのだ。

by ruhiginoue
| 2015-02-16 22:47
| 社会





