文系学部無用論について
2015年 06月 19日
文系学部は私大だけで良いと言い出した人たちは、文学など趣味でやるものだというわけのようだ。そう言いたくなるのもわかる文学部の人はいるが、そのことでもって総てを語られても困るだろう。
子供の頃、大学とは白衣を着て顕微鏡のぞいたりするところだと思っていたから、小学校の時に担任の教師が、大学の授業とは先生が黒板に書いたことを学生がノートに書き写すものだという話をした時は驚いた。
それなら本を読めばよいから、わざわざ通学する意味がないと思った。そして大学に入ったら、やはり黒板を写す授業があった。しかしそんな授業はむしろ少数派だった。
たしかに本なんて、自宅か通学時の電車の中でも読める。大学に来たら、せっかく同じ勉強するためにみんなで一カ所に集まったのだから、本は前の授業で配ったレジュメと併せて既に読んだことを前提にディベートしよう、という授業のほうが多かった。
それに文系の学部は、もちろんお坊チャマお嬢チャマの嗜みや教養もやるが、悪ガキどもが喧嘩の仕方を覚えるところでもある、という先生が多かった。
大昔から、日本は「つれづれなるままに」とか「はるはあけぼの」なんて呑気に言っているけれど、中国は「論語」「孫子兵法」だ。こういう現実を知らなければ、日本が国際社会で生き延びることができない。
文学でもそうなのだから、法学、政治、経済などは、なおさらだ。文系の一般教養に理数系の科目が必須となっているのは、公害問題などで御用学者を粉砕したり、医療裁判で医学部教授らを論駁する必要があるからだ。
また、地方の国立大の先生たちが講師としてやって来るのは、交通費と手間暇を考えたら赤字なのだが、色々な大学で持論を説いたり、東大の権力諂いどもの実力が大したことないという現実を私大生に教えたり、そういうことをするために回っているということだった。
これだから、文系学部を排したいという人たちがいるのではないか。
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子供の頃、大学とは白衣を着て顕微鏡のぞいたりするところだと思っていたから、小学校の時に担任の教師が、大学の授業とは先生が黒板に書いたことを学生がノートに書き写すものだという話をした時は驚いた。
それなら本を読めばよいから、わざわざ通学する意味がないと思った。そして大学に入ったら、やはり黒板を写す授業があった。しかしそんな授業はむしろ少数派だった。
たしかに本なんて、自宅か通学時の電車の中でも読める。大学に来たら、せっかく同じ勉強するためにみんなで一カ所に集まったのだから、本は前の授業で配ったレジュメと併せて既に読んだことを前提にディベートしよう、という授業のほうが多かった。
それに文系の学部は、もちろんお坊チャマお嬢チャマの嗜みや教養もやるが、悪ガキどもが喧嘩の仕方を覚えるところでもある、という先生が多かった。
大昔から、日本は「つれづれなるままに」とか「はるはあけぼの」なんて呑気に言っているけれど、中国は「論語」「孫子兵法」だ。こういう現実を知らなければ、日本が国際社会で生き延びることができない。
文学でもそうなのだから、法学、政治、経済などは、なおさらだ。文系の一般教養に理数系の科目が必須となっているのは、公害問題などで御用学者を粉砕したり、医療裁判で医学部教授らを論駁する必要があるからだ。
また、地方の国立大の先生たちが講師としてやって来るのは、交通費と手間暇を考えたら赤字なのだが、色々な大学で持論を説いたり、東大の権力諂いどもの実力が大したことないという現実を私大生に教えたり、そういうことをするために回っているということだった。
これだから、文系学部を排したいという人たちがいるのではないか。
by ruhiginoue
| 2015-06-19 12:20
| 学術





