政治的に共感できても人間的に尊敬できない人、その逆の人
2015年 08月 16日
今発売中の月刊誌『紙爆』における鈴木邦男氏と青木理氏の講演については先日紹介した通りだが、ここで鈴木邦男氏が自らの政治運動体験から語っていることが興味深い。
鈴木氏も、昔は、左翼は全部敵で、みんな日本から出て行けばよくて、自分らが中心になって右翼的価値観を広めれば国が良くなると単純に信じた。けれど、運動するうちに、右翼で政治的には共感できるが人間的には尊敬できない人、逆に左翼で思想的には共感できないが人として立派な人がいると気づいたそうだ。
これは種類の異なる運動から観ても気づくことだ。
例えば人権擁護運動をしてる中で、進歩的でそれらしいことを言ってるけれども人間的には最低だと言う奴がいる。
そういうのは、よく見たら進歩的ではなく極左で、赤軍派だったとか中核派だったとかで、なるほどと思ったものだし、また、そんな極左の連中はだめだと言う共産党の中にも、人間的にダメなのがいる。
そして、右翼とか自民党とかいうのが信じられないほど、上品とか紳士的とかいう人に意外性を感じる。
こういうとき、どこを観察すればいいのか。これが一概に言えない。
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鈴木氏も、昔は、左翼は全部敵で、みんな日本から出て行けばよくて、自分らが中心になって右翼的価値観を広めれば国が良くなると単純に信じた。けれど、運動するうちに、右翼で政治的には共感できるが人間的には尊敬できない人、逆に左翼で思想的には共感できないが人として立派な人がいると気づいたそうだ。
これは種類の異なる運動から観ても気づくことだ。
例えば人権擁護運動をしてる中で、進歩的でそれらしいことを言ってるけれども人間的には最低だと言う奴がいる。
そういうのは、よく見たら進歩的ではなく極左で、赤軍派だったとか中核派だったとかで、なるほどと思ったものだし、また、そんな極左の連中はだめだと言う共産党の中にも、人間的にダメなのがいる。
そして、右翼とか自民党とかいうのが信じられないほど、上品とか紳士的とかいう人に意外性を感じる。
こういうとき、どこを観察すればいいのか。これが一概に言えない。





