専門家と称する者の人間性
2015年 08月 21日
志村けんの「だいじょうぶだぁ」という番組名の由来は、加藤茶と一緒にやっていた番組での風刺コント「新興宗教だいじょうぶだぁ教」だった。悩み事を抱える人に、とにかく大丈夫だと暗示をかけて、これが好評で信者が急増する。
実際に、「ライフスペース」というカルト団体の事件があった。「グル高橋」と名乗る教祖が、入信すれば不治の病も治ると宣伝し、入信したけど亡くなってしまった人については死んでいないと強弁した上で「これは定説です」と繰り返した記者会見が話題になった。
これを思い出したのは、原発事故の問題のためだ。事故から一年も経たないうちから「勉強不足で、まさか今だにチェルノブイリでは...なんて、同じように思っている人はいないと思いますが...」と前置きされ、チェルノブイリとは比較にならないくらい軽微なものだから心配いらないという話になり、質問も出来ない、という「放射線勉強会」が、いわき市であったと、それを信用せずに避難した人が言っていた。
このような話は、「次第にわかってきた」などと言ってるけれども、それよりずっと前の、まだ何もわからないはずの時から、同じことを言われているものだ。
実際に、いわき市はまだ検査体制も整っていない2011年4月9日に農作物の安全宣言を出している。
これについて、よく知らないけど元新聞社に勤めていたらしい烏賀陽弘道という人が、著書の要約をツィターに掲載していたので、以下のように引用する。引用なので編集は加えていない。
1)政府や福島県とその系列の学者がよく使うレトリック「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されてない」は「影響がないと科学的に証明されている」とはまったく似て非なるものです。「影響があるとも、ないとも証明されていない」としか言っていません。
2)この混同しやすいレトリックを意図的に使っていること自体が非常に欺瞞的で不誠実なのです。
3)故郷への帰還を願うフクシマの人々にすれば、「低線量・長期被曝の健康への影響は『ない』と科学的に証明されている」と誤解する、あるいは「どっちかわからない場合は、影響はないと科学的に証明されていると解釈したい」というバイアスがかかっています。それを利用している。
4)なにしろ万人単位の住民のうえに放射性物質がランダムにばらまかれたという現実そのものが人類史上3回(イギリスのウインズケール事故を含めると4回)しかないので、実測データはほとんどない。しかも発ガンの潜伏期は30年に及ぶのに、スリーマイル島原発事故は36年前です。結論がない。
5)スリーマイル島原発事故の疫学調査データを一次資料で読むと、がんや心臓疾患の患者数は増えている時期が5年続き、次の5年で減り、次の5年で増えたりする。そして男女、居住地、生活習慣で増減が変化します。それを疫学者は「統計学の定義で全体を貫く関連性は見つからなかった」と結論した。
6)スリーマイル島原発事故に限らず、ほかの低線量長期被曝でも「統計学の定義で全体を貫く関連性」が見つかることはまれです。当然でしょう。全年齢、全時代、男女、全居住区、全生活習慣を貫くような増加があったら、それは「全員が病気になった」ということなのです。
7)ですから「全体を貫くような統計学上の関連性の定義に合致するような事実はなかった」というのは(やや雑駁ですが)「全員が病気にはならなかった」と言っているにすぎません。これはウソではありませんが、数百〜数千ページの一次データを一行で結論づけるには、こうとしか言いようがないのです。
8)こうした「全員が病気にはならなかった」(=被曝と病気の増加は統計学の定義に合致する証拠が見つからなかった)にすぎない結論を、日本政府・福島県とその系列の学者たちはつまみ食いして「低線量・長期被曝と健康被害の関係は科学的に証明されていない」という表現に言い換えています。
9)しかも、日本政府・福島県とその系列学者のいう「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されていない」というレトリックは、万一健康被害が出て訴訟や刑事告発になっても「いやいや、健康被害が『ない』とは言っていません」と言い逃れができるようになっている
以上、引用。
これについては、自分の医療過誤の被害および訴訟の体験からから実感している。専門家が大丈夫だと言っても、それはあくまで彼らの尺度や都合である。後から問題が起きて、それにより前に言ったことの間違いがわかっても、あの当時の科学(医学)の水準では正しいと思われていた。だから我々に責任は無い。そう開き直るのだ。
これはまさに、万能の言い逃れ術である。だから、逆にと言うか、専門家と称する人が間違いないと言えば言うほど危ないのだ。それがその時点で[は]確かであればあるほど、後から責任逃れしやすいのだから。
それをわかっていて、わざと言うのが「専門家」である。そうやって合法的に人を傷つけたり見下したりすることで倒錯した優越感に浸る者が、大学などで「先生」と呼ばれている人には、非常に多い。
比べてみるといい。
烏賀陽弘道 被曝の影響など、これまでなかった話なのでわからないから、大事をとって子供や妊婦は避難し、何もなければめでたし、でいいんだ。
菊地誠 被爆の被害なんてあるわけないのに、被害が出て欲しい人いるんだよ、被害なんてないほうがいいのに。
以上は大意で、また、どちらも普段の言動に好感を持てない人だが、それでもどちらが健全な発想であるか。
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実際に、「ライフスペース」というカルト団体の事件があった。「グル高橋」と名乗る教祖が、入信すれば不治の病も治ると宣伝し、入信したけど亡くなってしまった人については死んでいないと強弁した上で「これは定説です」と繰り返した記者会見が話題になった。
これを思い出したのは、原発事故の問題のためだ。事故から一年も経たないうちから「勉強不足で、まさか今だにチェルノブイリでは...なんて、同じように思っている人はいないと思いますが...」と前置きされ、チェルノブイリとは比較にならないくらい軽微なものだから心配いらないという話になり、質問も出来ない、という「放射線勉強会」が、いわき市であったと、それを信用せずに避難した人が言っていた。
このような話は、「次第にわかってきた」などと言ってるけれども、それよりずっと前の、まだ何もわからないはずの時から、同じことを言われているものだ。
実際に、いわき市はまだ検査体制も整っていない2011年4月9日に農作物の安全宣言を出している。
これについて、よく知らないけど元新聞社に勤めていたらしい烏賀陽弘道という人が、著書の要約をツィターに掲載していたので、以下のように引用する。引用なので編集は加えていない。
1)政府や福島県とその系列の学者がよく使うレトリック「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されてない」は「影響がないと科学的に証明されている」とはまったく似て非なるものです。「影響があるとも、ないとも証明されていない」としか言っていません。
2)この混同しやすいレトリックを意図的に使っていること自体が非常に欺瞞的で不誠実なのです。
3)故郷への帰還を願うフクシマの人々にすれば、「低線量・長期被曝の健康への影響は『ない』と科学的に証明されている」と誤解する、あるいは「どっちかわからない場合は、影響はないと科学的に証明されていると解釈したい」というバイアスがかかっています。それを利用している。
4)なにしろ万人単位の住民のうえに放射性物質がランダムにばらまかれたという現実そのものが人類史上3回(イギリスのウインズケール事故を含めると4回)しかないので、実測データはほとんどない。しかも発ガンの潜伏期は30年に及ぶのに、スリーマイル島原発事故は36年前です。結論がない。
5)スリーマイル島原発事故の疫学調査データを一次資料で読むと、がんや心臓疾患の患者数は増えている時期が5年続き、次の5年で減り、次の5年で増えたりする。そして男女、居住地、生活習慣で増減が変化します。それを疫学者は「統計学の定義で全体を貫く関連性は見つからなかった」と結論した。
6)スリーマイル島原発事故に限らず、ほかの低線量長期被曝でも「統計学の定義で全体を貫く関連性」が見つかることはまれです。当然でしょう。全年齢、全時代、男女、全居住区、全生活習慣を貫くような増加があったら、それは「全員が病気になった」ということなのです。
7)ですから「全体を貫くような統計学上の関連性の定義に合致するような事実はなかった」というのは(やや雑駁ですが)「全員が病気にはならなかった」と言っているにすぎません。これはウソではありませんが、数百〜数千ページの一次データを一行で結論づけるには、こうとしか言いようがないのです。
8)こうした「全員が病気にはならなかった」(=被曝と病気の増加は統計学の定義に合致する証拠が見つからなかった)にすぎない結論を、日本政府・福島県とその系列の学者たちはつまみ食いして「低線量・長期被曝と健康被害の関係は科学的に証明されていない」という表現に言い換えています。
9)しかも、日本政府・福島県とその系列学者のいう「低線量・長期被曝の健康への影響は科学的に証明されていない」というレトリックは、万一健康被害が出て訴訟や刑事告発になっても「いやいや、健康被害が『ない』とは言っていません」と言い逃れができるようになっている
以上、引用。
これについては、自分の医療過誤の被害および訴訟の体験からから実感している。専門家が大丈夫だと言っても、それはあくまで彼らの尺度や都合である。後から問題が起きて、それにより前に言ったことの間違いがわかっても、あの当時の科学(医学)の水準では正しいと思われていた。だから我々に責任は無い。そう開き直るのだ。
これはまさに、万能の言い逃れ術である。だから、逆にと言うか、専門家と称する人が間違いないと言えば言うほど危ないのだ。それがその時点で[は]確かであればあるほど、後から責任逃れしやすいのだから。
それをわかっていて、わざと言うのが「専門家」である。そうやって合法的に人を傷つけたり見下したりすることで倒錯した優越感に浸る者が、大学などで「先生」と呼ばれている人には、非常に多い。
比べてみるといい。
烏賀陽弘道 被曝の影響など、これまでなかった話なのでわからないから、大事をとって子供や妊婦は避難し、何もなければめでたし、でいいんだ。
菊地誠 被爆の被害なんてあるわけないのに、被害が出て欲しい人いるんだよ、被害なんてないほうがいいのに。
以上は大意で、また、どちらも普段の言動に好感を持てない人だが、それでもどちらが健全な発想であるか。
by ruhiginoue
| 2015-08-21 15:16
| 学術





