ホリエモンと同じだった高校の担任教師
2015年 09月 18日
あまり思い出したくないことだったが、今どうしても記憶に蘇ってしまったことがある。安保法制のためである。
これで国会前に抗議におしかけた人たちを、自分なら就職で採用しないと、ホリエモンこと堀江貴文が言った。これには大きな批判の声があがった。
こういうことは、かつてベトナム反戦運動でもあったことだし、しかも警察が中心に学校や親の勤務先に嫌がらせをするなど、公的機関が弾圧を堂々と行っていたから、それに比べれば一介の経営者が放言したことなど取るに足りないことだろう。
また、学生運動で暴れても、よほどの刑事事件にでもなれば別だが、そうでなければ実力主義で、専門職となった人もいれば大企業に就職してのけた人までもいる。
そういう現実からすると、市民として社会意識を持つのは当然のことなのに就職を気にする人とは、そういうことをしなければならない一部の人であると言えるし、それとは無関係に、とにかく生意気な感じがして気に食わないというホリエモンのような人が殊更に言っていることなのだろう。
この点で、高校の担任の教師が、同じ思考をしていた。同じクラスで仲良くしていた人について、よく、彼が素直で従順であることを絶賛し、「おまえなんかと違って素晴らしい。だから彼はわけあって進学しないで就職するということだから、良い所に入れるように全力で就職指導するつもりだ」と繰り返し言った。
この同級生とは、卒業後もしばらくは付合っていたが、人生の路線が根本的に異なるので、その後は疎遠になった。
その一つが、彼は政治や経済には一切関心がないと明言したがいわゆるノンポリではなく、「上」に従順ということだった。
だから、当時はまだ冷戦時代だったが、そこで軍拡の一方アフリカなどが飢えるという話に、進歩的な教師が社会批判的な見解を示すと、こちらは共感するが、これに対して彼は「でも、アメリカのご機嫌をとっておかないと日本はあぶないんでしょう。ソ連に侵略されて奴隷にされるんでしょう。ソ連は自由がないんでしょう」と素朴すぎる表現でみごとなほどの素直さを表明していた。
しかし、これが担任教師にとっては絶賛の対象なのだった。担任教師は権力に媚びる人でもなければ右翼でもないが、とにかく素直で従順であることを重んじるのであった。そこは年配で古くさいところがあった。
ただ、この教師も、ある程度の理解はもっていて、どうしても思考の波長や価値観が合わないから仕方ないとし、来年の担任は別の先生が良いかと言って、ある年配の教師の名をあげた。
そうして、ほんとうに翌年はその教師が担任になった。前よりは理解があったけれど、満足ではなかった。本当に慕っていた先生は、新人に近くてまだ担任を持たない年齢二十代の教師たち数人だった。
だから、思う所を堂々と表明できる後世の人たちは羨ましいし、一方で堀江という人は、年齢のわりに老け込んだ発想をする気の毒な人だと感じた。
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これで国会前に抗議におしかけた人たちを、自分なら就職で採用しないと、ホリエモンこと堀江貴文が言った。これには大きな批判の声があがった。
こういうことは、かつてベトナム反戦運動でもあったことだし、しかも警察が中心に学校や親の勤務先に嫌がらせをするなど、公的機関が弾圧を堂々と行っていたから、それに比べれば一介の経営者が放言したことなど取るに足りないことだろう。
また、学生運動で暴れても、よほどの刑事事件にでもなれば別だが、そうでなければ実力主義で、専門職となった人もいれば大企業に就職してのけた人までもいる。
そういう現実からすると、市民として社会意識を持つのは当然のことなのに就職を気にする人とは、そういうことをしなければならない一部の人であると言えるし、それとは無関係に、とにかく生意気な感じがして気に食わないというホリエモンのような人が殊更に言っていることなのだろう。
この点で、高校の担任の教師が、同じ思考をしていた。同じクラスで仲良くしていた人について、よく、彼が素直で従順であることを絶賛し、「おまえなんかと違って素晴らしい。だから彼はわけあって進学しないで就職するということだから、良い所に入れるように全力で就職指導するつもりだ」と繰り返し言った。
この同級生とは、卒業後もしばらくは付合っていたが、人生の路線が根本的に異なるので、その後は疎遠になった。
その一つが、彼は政治や経済には一切関心がないと明言したがいわゆるノンポリではなく、「上」に従順ということだった。
だから、当時はまだ冷戦時代だったが、そこで軍拡の一方アフリカなどが飢えるという話に、進歩的な教師が社会批判的な見解を示すと、こちらは共感するが、これに対して彼は「でも、アメリカのご機嫌をとっておかないと日本はあぶないんでしょう。ソ連に侵略されて奴隷にされるんでしょう。ソ連は自由がないんでしょう」と素朴すぎる表現でみごとなほどの素直さを表明していた。
しかし、これが担任教師にとっては絶賛の対象なのだった。担任教師は権力に媚びる人でもなければ右翼でもないが、とにかく素直で従順であることを重んじるのであった。そこは年配で古くさいところがあった。
ただ、この教師も、ある程度の理解はもっていて、どうしても思考の波長や価値観が合わないから仕方ないとし、来年の担任は別の先生が良いかと言って、ある年配の教師の名をあげた。
そうして、ほんとうに翌年はその教師が担任になった。前よりは理解があったけれど、満足ではなかった。本当に慕っていた先生は、新人に近くてまだ担任を持たない年齢二十代の教師たち数人だった。
だから、思う所を堂々と表明できる後世の人たちは羨ましいし、一方で堀江という人は、年齢のわりに老け込んだ発想をする気の毒な人だと感じた。
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by ruhiginoue
| 2015-09-18 08:33
| 社会