朝日新聞記者に失望
2015年 09月 20日
国会前の抗議デモに対する警察の暴虐について、朝日新聞の記者がガッカリの話をしていた。この人は国際報道部所属で1990年から延べ10年北京で生活した経験をもつとのことだ。
フリー記者の志葉玲氏などが、警察を批判するさい中国の天安門事件を引き合いにだしたら、だいたい次のように述べた。
その出来事は、日本人的には大変なショックだが、多くの中国人の友人は、国会前で市民らが自由に政府批判できることをネットで見て、心底羨ましいと言っている。
我々は嫌なら次の選挙で自民党を選ばない「選択肢」を持っている。だから間違っても「天安門」に喩えてはならない。
政治手法や政治システム、デモの在り方を問う場合、民主主義国家の日本と独裁国家の中国を並べても何の比較にもならない。先進国、民主主義国家と比べるべきだ。
この愚かしさに呆れる日本人は少なくないだろう。
まず、中国では天安門広場で集会が行われていたのを二度にわたり軍隊が蹴散らすようにし、これが天安門事件と呼ばれた。それから政府を批判する集会ができなくなってしまった。そして、日本でも政府を批判する集会に権力が暴力で応じたから、これでは天安門事件のようだと非難されたのだ。中国人が日本の国会前を見て羨ましいと思ったとしても、まだ天安門事件のような弾圧にまでは至っていないからだ。そして、同様になりそうなことが現実に起きたから、引き合いにだして非難されたのだ。まったく適切な喩えである。
また、イラク戦争や中東情勢でさんざん言われたように、独裁国だから攻撃してやれと言っている欧米や日本などの自称民主主義国で、戦争反対などの積極的な民意がいつも無視されてるのはなぜかと問題になっている。これを避けてそんな単純な比較をしては、物事の本質が見えてこない。
そもそも中国は戦勝国かつ発展途上の開発独裁だが、日本は敗戦国であり、いったん権力が崩壊したおかげで政府批判ができるようになったにすぎず、だから宗主国の意向から傀儡政府が憲法を無視してしまう。そして秘密法や通信傍受法さらに報道圧力などと、強権政治と独裁を強め人権を抑圧しているから問題になっている。これを、どこの「先進国」と比較すればいいのか。
逆に日本人から中国を見れば、実質従属国の日本と違い、中国は名実ともに独立国だから、宗主国のために政府が憲法無視するなんてことがないので、やはり戦勝国は敗戦国と違って羨ましいと思う。
つまり政治に難があっても、その問題の次元が全然違う。
なにの、弾圧を受けたことに対し、批判できるだけ日本はマシなんて言う意味がどれだけあるのか。自民党の暴政を免罪するだけではないか。 こういうことを言う大手マスコミの記者は、よく見かける。中国やイランに行ったら、自由がある欧米や日本は良いと実感したと無邪気に体制に媚びる。
しかし、政治批判の自由がある国ほど体制が堅固で、批判されても体制が揺るがないから批判させておくに過ぎない。こんなことは七十年代から指摘されてきたジャーナリズム論の常識だ。
そして、政治が変えられなくても批判の自由があるだけ良いと言っているのは、単に批判も商売のうちでしかないマスコミ人の感覚である。あくまでマスコミであり、ジャーナリズムではないのだ。
だから、露骨な御用の読売や、狂信的な産経よりは朝日がマシだというのも、しょせんはこの程度のことなのである。
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フリー記者の志葉玲氏などが、警察を批判するさい中国の天安門事件を引き合いにだしたら、だいたい次のように述べた。
その出来事は、日本人的には大変なショックだが、多くの中国人の友人は、国会前で市民らが自由に政府批判できることをネットで見て、心底羨ましいと言っている。
我々は嫌なら次の選挙で自民党を選ばない「選択肢」を持っている。だから間違っても「天安門」に喩えてはならない。
政治手法や政治システム、デモの在り方を問う場合、民主主義国家の日本と独裁国家の中国を並べても何の比較にもならない。先進国、民主主義国家と比べるべきだ。
この愚かしさに呆れる日本人は少なくないだろう。
まず、中国では天安門広場で集会が行われていたのを二度にわたり軍隊が蹴散らすようにし、これが天安門事件と呼ばれた。それから政府を批判する集会ができなくなってしまった。そして、日本でも政府を批判する集会に権力が暴力で応じたから、これでは天安門事件のようだと非難されたのだ。中国人が日本の国会前を見て羨ましいと思ったとしても、まだ天安門事件のような弾圧にまでは至っていないからだ。そして、同様になりそうなことが現実に起きたから、引き合いにだして非難されたのだ。まったく適切な喩えである。
また、イラク戦争や中東情勢でさんざん言われたように、独裁国だから攻撃してやれと言っている欧米や日本などの自称民主主義国で、戦争反対などの積極的な民意がいつも無視されてるのはなぜかと問題になっている。これを避けてそんな単純な比較をしては、物事の本質が見えてこない。
そもそも中国は戦勝国かつ発展途上の開発独裁だが、日本は敗戦国であり、いったん権力が崩壊したおかげで政府批判ができるようになったにすぎず、だから宗主国の意向から傀儡政府が憲法を無視してしまう。そして秘密法や通信傍受法さらに報道圧力などと、強権政治と独裁を強め人権を抑圧しているから問題になっている。これを、どこの「先進国」と比較すればいいのか。
逆に日本人から中国を見れば、実質従属国の日本と違い、中国は名実ともに独立国だから、宗主国のために政府が憲法無視するなんてことがないので、やはり戦勝国は敗戦国と違って羨ましいと思う。
つまり政治に難があっても、その問題の次元が全然違う。
なにの、弾圧を受けたことに対し、批判できるだけ日本はマシなんて言う意味がどれだけあるのか。自民党の暴政を免罪するだけではないか。 こういうことを言う大手マスコミの記者は、よく見かける。中国やイランに行ったら、自由がある欧米や日本は良いと実感したと無邪気に体制に媚びる。
しかし、政治批判の自由がある国ほど体制が堅固で、批判されても体制が揺るがないから批判させておくに過ぎない。こんなことは七十年代から指摘されてきたジャーナリズム論の常識だ。
そして、政治が変えられなくても批判の自由があるだけ良いと言っているのは、単に批判も商売のうちでしかないマスコミ人の感覚である。あくまでマスコミであり、ジャーナリズムではないのだ。
だから、露骨な御用の読売や、狂信的な産経よりは朝日がマシだというのも、しょせんはこの程度のことなのである。
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by ruhiginoue
| 2015-09-20 17:37
| 政治