塩川正十郎氏の死去で思う事
2015年 09月 24日
「塩爺」こと塩川正十郎氏が亡くなった。上品で優しそうなお爺さんという感じだった。
すでに文部大臣や官房長官を歴任しており、高齢なので議員としてもそろそろ引退を考えていたところ、小泉総理に乞われて入閣した。それで「塩爺」というあだ名がついた。
小泉総理は、塩川氏に仕事に期待しているというより、心細いときにまるで父親のように頼っていたので入閣してもらったらしい。だから葬儀で弔辞を読みながら時々涙声になっていたということだろう。
そして、思いがけずに入閣した塩川氏は、国会で質問を受ける立場になり、テレビで「機密費を野党対策に使った」と発言したことを「買収ではないか」と詰問されて困ってしまい「テレビで発言した内容を忘れてしまいました」と見事にとぼけた。
小泉総理は、田中真紀子外相が外務官僚と対立したさい悔し涙を流したことを「涙は女の武器」と薄ら笑いを浮かべて言ったので不真面目だと批判されたが、さしずめ塩爺は「忘却は老人の武器」だろう。
この官房長官に就任したさい、記者会見で、自分の名前は「せいじゅうろう」と読まれるが「まさじゅうろう」だと言っていたのが記憶に残っている。
また、文相の当時だったはずだが、朝日新聞に投書が掲載され、自分の甥が大学で飲酒のため死亡したという話を紹介し、新入生に酒を強要する悪習慣をなくすべきだと訴えていたことが印象的だった。
塩川文部大臣の当時、身内が塾の職員の採用試験を受けて落ちていたのだが、その原因とは、今の文部大臣は誰かという質問に答えられなかったからだった。文部大臣なんて知らなくて当然だとか変な質問をされたとか言うので、受験業界なら文部行政は影響するだろうから、質問されることもあるのではないかと言った。では知っているのかと訊くので、塩川文部大臣だと答えた。すると、さらに変な顔をされた。
まったく、親兄弟がだいたいこの調子で、一般常識をほとんど知らない。それで実に苦労した。そんなことも、たまたまそのときの文相だったので、塩川氏の訃報から思い出してしまった。
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すでに文部大臣や官房長官を歴任しており、高齢なので議員としてもそろそろ引退を考えていたところ、小泉総理に乞われて入閣した。それで「塩爺」というあだ名がついた。
小泉総理は、塩川氏に仕事に期待しているというより、心細いときにまるで父親のように頼っていたので入閣してもらったらしい。だから葬儀で弔辞を読みながら時々涙声になっていたということだろう。
そして、思いがけずに入閣した塩川氏は、国会で質問を受ける立場になり、テレビで「機密費を野党対策に使った」と発言したことを「買収ではないか」と詰問されて困ってしまい「テレビで発言した内容を忘れてしまいました」と見事にとぼけた。
小泉総理は、田中真紀子外相が外務官僚と対立したさい悔し涙を流したことを「涙は女の武器」と薄ら笑いを浮かべて言ったので不真面目だと批判されたが、さしずめ塩爺は「忘却は老人の武器」だろう。
この官房長官に就任したさい、記者会見で、自分の名前は「せいじゅうろう」と読まれるが「まさじゅうろう」だと言っていたのが記憶に残っている。
また、文相の当時だったはずだが、朝日新聞に投書が掲載され、自分の甥が大学で飲酒のため死亡したという話を紹介し、新入生に酒を強要する悪習慣をなくすべきだと訴えていたことが印象的だった。
塩川文部大臣の当時、身内が塾の職員の採用試験を受けて落ちていたのだが、その原因とは、今の文部大臣は誰かという質問に答えられなかったからだった。文部大臣なんて知らなくて当然だとか変な質問をされたとか言うので、受験業界なら文部行政は影響するだろうから、質問されることもあるのではないかと言った。では知っているのかと訊くので、塩川文部大臣だと答えた。すると、さらに変な顔をされた。
まったく、親兄弟がだいたいこの調子で、一般常識をほとんど知らない。それで実に苦労した。そんなことも、たまたまそのときの文相だったので、塩川氏の訃報から思い出してしまった。
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by ruhiginoue
| 2015-09-24 16:16
| 政治