『都会の鼠と田舎の鼠』は違うのではないか
2015年 11月 28日
『都会の鼠と田舎の鼠』という寓話がある。
都会に住む鼠が田舎に住む鼠の家へ泊まりに行ったら寂しくて居心地が悪く、田舎の鼠が都会に住む鼠の家へ泊まりに行ったら騒々しくて落ち着かない。つまり、慣れた環境が一番よいのだ、という結論である。
しかし、これは現実とは違うのではないか。
筒井康隆の小説に『にぎやかな未来』という短編がある。
何かしらのオーディオ機器を作動させていないといけない法律のできた未来で、テレビからもからもひっきりなしに商業宣伝が流されている。これから逃れるには、音楽などの録音をかけるしかない。
ところが、何も録音されていないのでかけても音のしない「レコード」が売られていて、これがたいへん法外な値段で販売されている。現代で最も高価な贅沢とは静寂だった。
ところが、騒々しいからたまには静かな環境に身を置きたいという発想は、あくまで普段から騒々しいところにいる人から出るもので、もともと静かな所に住んでいる人はそれが当たり前だと思っているのでありがたいと思わないし、そのうえ静かな環境は退屈なものとして嫌悪していることが多い。
だから、世界中どこでもそうらしいが、田舎の人ほど一日中テレビをつけっぱなしにしていて、見ていなくてもいいから、何か映っていたり鳴っていないと落ち着かないという傾向がある。
だから、騒々しい都会から自然の中に行こうと出かけた人が、よく、近所の田舎の人によって妨害されてしまう。どこでもテレビやラジオがついているのは、なにか緊急事態などないかと世の中の動向が気になるからだとしても、まるで意味もなく屋外に設置された拡声器から有線放送などの音楽が流れていたりして雰囲気をぶち壊しにする。
なんでそうなるかと疑問だったし、そういうことを問題にしている話がマスコミに時々取り上げられたり本に書かれていたりもするが、これは田舎の人ほど静かであることを嫌悪するからだろう。
また、騒音の意味が違うということでもあるだろう。前に川の隣にある旅館に泊まったら、室内にいても水の流れる音が聴こえてきて、なかなか風情があると思っていたら、旅館の従業員が「川の音が煩くありませんか」と訊くので意外に思った。
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都会に住む鼠が田舎に住む鼠の家へ泊まりに行ったら寂しくて居心地が悪く、田舎の鼠が都会に住む鼠の家へ泊まりに行ったら騒々しくて落ち着かない。つまり、慣れた環境が一番よいのだ、という結論である。
しかし、これは現実とは違うのではないか。
筒井康隆の小説に『にぎやかな未来』という短編がある。
何かしらのオーディオ機器を作動させていないといけない法律のできた未来で、テレビからもからもひっきりなしに商業宣伝が流されている。これから逃れるには、音楽などの録音をかけるしかない。
ところが、何も録音されていないのでかけても音のしない「レコード」が売られていて、これがたいへん法外な値段で販売されている。現代で最も高価な贅沢とは静寂だった。
ところが、騒々しいからたまには静かな環境に身を置きたいという発想は、あくまで普段から騒々しいところにいる人から出るもので、もともと静かな所に住んでいる人はそれが当たり前だと思っているのでありがたいと思わないし、そのうえ静かな環境は退屈なものとして嫌悪していることが多い。
だから、世界中どこでもそうらしいが、田舎の人ほど一日中テレビをつけっぱなしにしていて、見ていなくてもいいから、何か映っていたり鳴っていないと落ち着かないという傾向がある。
だから、騒々しい都会から自然の中に行こうと出かけた人が、よく、近所の田舎の人によって妨害されてしまう。どこでもテレビやラジオがついているのは、なにか緊急事態などないかと世の中の動向が気になるからだとしても、まるで意味もなく屋外に設置された拡声器から有線放送などの音楽が流れていたりして雰囲気をぶち壊しにする。
なんでそうなるかと疑問だったし、そういうことを問題にしている話がマスコミに時々取り上げられたり本に書かれていたりもするが、これは田舎の人ほど静かであることを嫌悪するからだろう。
また、騒音の意味が違うということでもあるだろう。前に川の隣にある旅館に泊まったら、室内にいても水の流れる音が聴こえてきて、なかなか風情があると思っていたら、旅館の従業員が「川の音が煩くありませんか」と訊くので意外に思った。
by ruhiginoue
| 2015-11-28 17:41
| 自然





