自民党も共産党も政治家が余計なことをし過ぎる
2016年 01月 16日
前に政治評論家の森田実氏が、こんなことを言っていた。
例えば日の丸と君が代について、かつてはこんなに強制することがなかった。これはあくまで文化の問題である。それに対してまで、政治権力が介入して強制するべきではない。まして異論を排除して従わせるべきではない。なぜなら、政治権力の介入は必要最低限の範囲であるべきだと考えるからだ。
なので、どんなに反感をもっていても、また、それをつぶす権力が自分にあったとしても、そこにまで手を出してはならない、という信念が政治家にはあった。
ところが、そうした政治哲学をもった政治家が、昔と違って自民党にいなくなってしまった。そして青年将校的な体質に染まってしまったのだ。
それで、昔だったら、そんなことまで政治家が口を出すべきではない、ということになるはずの範囲や分野にも、「問答無用」という態度になったのだ。
もっともな指摘であるが、しかし自民党だけが勝手にそうなってしまったということは考えにくく、やはり社会全体の傾向が自民党にも反映していたとするほうが自然だ。
だから他の分野にも反映しているはずだし、他の政党だって同様であるはずだ。
実際に、自民党と最も違うとされている共産党も、やはり政治の最低限を逸脱しようとする。医療や教育などで社会的責任をどこまで政治に求めるかということでは、自民党よりも共産党のほうが、広い範囲を主張するだろう。
しかし、それは問題ではない。それはあくまで、制度を充実させるなどして市民の権利を保障することを指し、これを政治の責任ということだ。
そうではなく、その具体的な内容に政治が介入と干渉をしてしまっては、逆に市民の権利を侵害することになる、という意味だ。これは実際に、医療でも教育でも、しばしば問題になってきた。
この意味を理解していないから、日本共産党および系列団体が、権威のない科学を学校から追放しよう、などと騒いでいるのだ。その当否とは別に、政治的な介入と干渉は不適切な範囲への逸脱である。
そういう問題に対する認識が、自民党も共産党も同様に欠落している。
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例えば日の丸と君が代について、かつてはこんなに強制することがなかった。これはあくまで文化の問題である。それに対してまで、政治権力が介入して強制するべきではない。まして異論を排除して従わせるべきではない。なぜなら、政治権力の介入は必要最低限の範囲であるべきだと考えるからだ。
なので、どんなに反感をもっていても、また、それをつぶす権力が自分にあったとしても、そこにまで手を出してはならない、という信念が政治家にはあった。
ところが、そうした政治哲学をもった政治家が、昔と違って自民党にいなくなってしまった。そして青年将校的な体質に染まってしまったのだ。
それで、昔だったら、そんなことまで政治家が口を出すべきではない、ということになるはずの範囲や分野にも、「問答無用」という態度になったのだ。
もっともな指摘であるが、しかし自民党だけが勝手にそうなってしまったということは考えにくく、やはり社会全体の傾向が自民党にも反映していたとするほうが自然だ。
だから他の分野にも反映しているはずだし、他の政党だって同様であるはずだ。
実際に、自民党と最も違うとされている共産党も、やはり政治の最低限を逸脱しようとする。医療や教育などで社会的責任をどこまで政治に求めるかということでは、自民党よりも共産党のほうが、広い範囲を主張するだろう。
しかし、それは問題ではない。それはあくまで、制度を充実させるなどして市民の権利を保障することを指し、これを政治の責任ということだ。
そうではなく、その具体的な内容に政治が介入と干渉をしてしまっては、逆に市民の権利を侵害することになる、という意味だ。これは実際に、医療でも教育でも、しばしば問題になってきた。
この意味を理解していないから、日本共産党および系列団体が、権威のない科学を学校から追放しよう、などと騒いでいるのだ。その当否とは別に、政治的な介入と干渉は不適切な範囲への逸脱である。
そういう問題に対する認識が、自民党も共産党も同様に欠落している。
by ruhiginoue
| 2016-01-16 17:35
| 政治





