受験と学生運動と左翼
2016年 01月 28日
センター入試の前には共通一次試験というのがあって、これは大学の序列化をしてしまったという反省があるけれど、その反省が生かされていないことはセンター入試があるということから明らかだ。
この共通一次試験のころから学生運動がなくなったという指摘を、大島渚がしていた。因果関係があるかどうかは不明だが、「幸か不幸か」学生運動がなくなったと大島渚は言う。
それで、大島渚が松竹と喧嘩になって辞めるきっかけとなった映画『日本の夜と霧』を観たら、学生運動がなくなったことは「幸」だったと感じてしまった。それまでとは認識が逆になって、学生運動は悪いものだと思うようになった。大島は自分が京大生だったときに熱心だった学生運動を肯定的に描いていたが、それを観たらろくでもないものだという認識に逆転したのだ。
この映画の脚本は石堂淑郎で、この映画がきっかけで大島と一緒に啖呵をきって松竹をやめたが、それでテレビのしがない脚本家になってしまい後悔したそうだ。
この石堂とテレビで組んだ山際永三監督は、『日本の夜と霧』はいただけないと言っていた。『戦場のメリークリスマス』の方が良かったそうだ。運動の質を悪くする共産党員を描いて批判しても効果がない。地道に活動している党員を描いたほうが党への批判になる。
だから、大島や石堂と政治的には同じ立場だが、この映画はいただけない、ということだった。
それで、その後にウヨぶったネタのくだらないエッセイを書いている石堂淑郎について質問したら、彼は才能が枯渇して売文業者に成り下がり酒飲んだ勢いで書いているだけだ、というのが山際監督の評価で、それよりもうひとり一緒によく仕事していた市川森一のほうに怒っていて、本業をほったらかしてタレントの真似してワイドショーなんかに出ているし、そのうえ人権侵害発言までしたから、『コメットさん』(旧)のころから組んでいたが絶交したということだった。
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この共通一次試験のころから学生運動がなくなったという指摘を、大島渚がしていた。因果関係があるかどうかは不明だが、「幸か不幸か」学生運動がなくなったと大島渚は言う。
それで、大島渚が松竹と喧嘩になって辞めるきっかけとなった映画『日本の夜と霧』を観たら、学生運動がなくなったことは「幸」だったと感じてしまった。それまでとは認識が逆になって、学生運動は悪いものだと思うようになった。大島は自分が京大生だったときに熱心だった学生運動を肯定的に描いていたが、それを観たらろくでもないものだという認識に逆転したのだ。
この映画の脚本は石堂淑郎で、この映画がきっかけで大島と一緒に啖呵をきって松竹をやめたが、それでテレビのしがない脚本家になってしまい後悔したそうだ。
この石堂とテレビで組んだ山際永三監督は、『日本の夜と霧』はいただけないと言っていた。『戦場のメリークリスマス』の方が良かったそうだ。運動の質を悪くする共産党員を描いて批判しても効果がない。地道に活動している党員を描いたほうが党への批判になる。
だから、大島や石堂と政治的には同じ立場だが、この映画はいただけない、ということだった。
それで、その後にウヨぶったネタのくだらないエッセイを書いている石堂淑郎について質問したら、彼は才能が枯渇して売文業者に成り下がり酒飲んだ勢いで書いているだけだ、というのが山際監督の評価で、それよりもうひとり一緒によく仕事していた市川森一のほうに怒っていて、本業をほったらかしてタレントの真似してワイドショーなんかに出ているし、そのうえ人権侵害発言までしたから、『コメットさん』(旧)のころから組んでいたが絶交したということだった。
by ruhiginoue
| 2016-01-28 17:22
| 映画





