赤川次郎の四年に一度の誕生日
2016年 02月 29日
今年の二月は二十九日がある。この日に生まれた人は誕生日が四年に一度しかない。
今また映画化の『セーラー服と機関銃』などで知られるベストセラー作家の赤川次郎も、そうだ。このことはところどころで話題にされていて、当人も四十歳のとき「やっと十歳になった」と書いていたりと、自ら話題にすることがあった。
赤川次郎の作品は数が多く、そのうちごく少数を読んだだけだが、その内容には好感や共感をもっている。
これに対して、くだらないと言う仕事がらみの人がいて、これはもう昔のことなのに今でも時々思い出しては腹が立ってくることがある。
と言っても赤川次郎の小説をこき下ろしたことではない。赤川次郎の小説なんてくだらないというので、そんなにたくさん読んではいないが読んだ作品はどれも良かったけど、いったいどこが駄目なのかと問うた。
しかし、具体的な指摘はなかった。それで、自分は赤川次郎の小説を面白いと思うし、込められている作者の主張にも共感できると言ったうえで、それがない作品がたくさんあるのだから、そんな作品のほうが深みがなくて、自分に言わせればよほどくだらいと思うと言った。
すると、そいつはこう言った。
「お前の言う事は批判じゃねえか。いいか、俺が趣味のオートバイで運転がうまいかどうかなんて他人に言われる筋合いがないのと同じなんだよ」
どうも言葉遣いが変なのだが、口から出まかせで罵倒するならよくて、具体的に褒めたうえでそうでないものは褒められないというのは「批判」だからダメだという奇妙な意味にしかない。
もっとも、その人はただ場当たり的に貶したりしているだけという感じだった。それで不快感を覚えた人から反論されると、面倒くさいと感じるのだろう。これ以外の話題でも同様で、頭にくることばかりだったから、そのとき受けた感じは正しいと思う。
ただ、その当時はいろいろと大変で、仕事も対人関係も選んでいるゆとりがなかった。後から少しだけ精神的にも経済的にも余裕ができると、この程度のささやかな余裕があの時にあれば、あんな嫌な奴とは関わらなくても良かったはずだと思い、悔しい気持ちにもなる。
それで、少しだけどゆとりはあるから、思い出して不愉快になったら赤川次郎の小説を読むことにしていた。
そして思うことは、あの時は、ただ、「そんなこと言わないで読んでみてくださいよ、面白いから」と言えばよかったということだ。これだとおっとりした感じだが、そう見られても良いのだ。それで良いと思えるのは、気持ちに余裕があるからだ。
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今また映画化の『セーラー服と機関銃』などで知られるベストセラー作家の赤川次郎も、そうだ。このことはところどころで話題にされていて、当人も四十歳のとき「やっと十歳になった」と書いていたりと、自ら話題にすることがあった。
赤川次郎の作品は数が多く、そのうちごく少数を読んだだけだが、その内容には好感や共感をもっている。
これに対して、くだらないと言う仕事がらみの人がいて、これはもう昔のことなのに今でも時々思い出しては腹が立ってくることがある。
と言っても赤川次郎の小説をこき下ろしたことではない。赤川次郎の小説なんてくだらないというので、そんなにたくさん読んではいないが読んだ作品はどれも良かったけど、いったいどこが駄目なのかと問うた。
しかし、具体的な指摘はなかった。それで、自分は赤川次郎の小説を面白いと思うし、込められている作者の主張にも共感できると言ったうえで、それがない作品がたくさんあるのだから、そんな作品のほうが深みがなくて、自分に言わせればよほどくだらいと思うと言った。
すると、そいつはこう言った。
「お前の言う事は批判じゃねえか。いいか、俺が趣味のオートバイで運転がうまいかどうかなんて他人に言われる筋合いがないのと同じなんだよ」
どうも言葉遣いが変なのだが、口から出まかせで罵倒するならよくて、具体的に褒めたうえでそうでないものは褒められないというのは「批判」だからダメだという奇妙な意味にしかない。
もっとも、その人はただ場当たり的に貶したりしているだけという感じだった。それで不快感を覚えた人から反論されると、面倒くさいと感じるのだろう。これ以外の話題でも同様で、頭にくることばかりだったから、そのとき受けた感じは正しいと思う。
ただ、その当時はいろいろと大変で、仕事も対人関係も選んでいるゆとりがなかった。後から少しだけ精神的にも経済的にも余裕ができると、この程度のささやかな余裕があの時にあれば、あんな嫌な奴とは関わらなくても良かったはずだと思い、悔しい気持ちにもなる。
それで、少しだけどゆとりはあるから、思い出して不愉快になったら赤川次郎の小説を読むことにしていた。
そして思うことは、あの時は、ただ、「そんなこと言わないで読んでみてくださいよ、面白いから」と言えばよかったということだ。これだとおっとりした感じだが、そう見られても良いのだ。それで良いと思えるのは、気持ちに余裕があるからだ。
by ruhiginoue
| 2016-02-29 16:00
| 文学





