『沈黙』と三浦朱門の死
2017年 02月 05日
映画化で話題になっている『沈黙』の原作者である遠藤周作はキリスト教徒で、その縁から三浦朱門と親しくしており、信仰だけでなく政治的にも一緒になって右翼同人誌を発行してたりする人だったので実際に右曲がりの言動があったけれど、映画化と作者は違うことがある。
この映画のマーチンスコセッシ監督は前に『最後の誘惑』という映画を撮っていて、デビッドボウイがピラト総督の役で最後に出て来るなど異色の出演者で話題となったが、それと同時に、福音書に基づいた話なのに勝手な脚色がされているという宗教界からの批判があった。
そして今度の『沈黙』も独特な解釈だという指摘がある。スコセッシ監督は自身がカトリック教徒だとし、だから『最後の誘惑』の脚色も善意だと言っていた。
なので、また映画化と原作者とで違うということが言えるが、ただ、遠藤周作は三浦朱門と親しかったけれど、そんなに露骨な発言は無かった。三浦朱門は文化庁長官として民間入閣した在任中に、女性を強姦する体力がない男性は失格だと雑誌上で説いたため、下品な表現と女性蔑視の発想が問題になったが、この他にも、外国の危険な所に自衛隊を派遣して自衛官の身に何かあったら改憲のために利用する犠牲にしようと発言するなど、政治性より人間性を疑われる発言が目立った。
こうした三浦朱門の発言は夫婦お揃いだということは周知のとおりで、しかし曾野綾子のほうは人種隔離政策推進発言で国際的に顰蹙を買うなど、妻のほうが夫よりやや凶悪さのスケールが大きかった。
これについては、それよりずっと前から指摘があり、例えば筒井康隆の『文学部唯野教授』(岩波書店)で、三浦朱門は小説が売れなくなり、曽野綾子が売れているから妻のおかげで知名度を保っているという意味の記述をされていた。
そして死んだらやはり「作家」「妻は曽野綾子」と新聞の見出しになった。
三浦朱門は認知症で介護が大変だったらしい。だから曾野綾子が「老人は適当な時に死ぬ義務がある」と書いて、これは暴言だという批判とともに、あれは自分が夫のために苦労しているという意味ではないかと指摘されていた。
そうかもしれない。だから、やっと解放されたということで安堵し悦んでいるのではないか。そうでないと、もしも他人に対してあんな心無い言葉を吐いたとしたら、それこそ人非人である。よほど苦労して、つい言ってしまっったと善解しておくべきかしれない。
by ruhiginoue
| 2017-02-05 17:10
| 映画





