「題名のない音楽会」が面白かったわけ
2017年 02月 14日
「題名のない音楽会」の新しい司会が決まったそうだが、不可解なのは、なぜこの番組の名司会者だった黛敏郎が死んだら司会すぎやまこういち、とはならなかったのかということだ。
あの番組は右翼だから愉快だったのだ。
もともと、解りもしない者が無理して政治談議したがると今でいうネトウヨのようになるものだったが、その一つが音楽家で、All music and no work makes Toshirou dull boyという状態で時事問題と音楽作品の牽強付会を得意になって開陳する愚かしさ滑稽さが笑えたのだ。
そして世の親たちは、「音楽なんて夢中になっているとバカになってしまうから勉強しなさい」と子供に言うネタにしていたものだった。
また、作曲家の三枝成章が「民放はスポンサーの圧力で政治や経済の話が全然できないからNHKの受信料ちゃんと払おう」とバカなことを言ったことがある。
今はもちろん昔からむしろNHKの方がひどいのは常識なのに。これは、クラッシック系の音楽で商売するのならNHKに媚びないとやっていけないから言ったのがミエミエだった。
かつて音楽の教師に、音楽とくにクラシック系でやっていきたかったら、NHKと創価学会を批判してはいけないと言われたことがある。創価とは「民音」のことだ。
あの西崎義展は音楽の仕事で民音と縁があり、『宇宙戦艦ヤマト』の監督は『人間革命』と同じであることは拙書『宇宙戦艦ヤマトの時代』で述べたが、そもそも音楽なんて信念を曲げてまでやることじゃないし、もう斜陽産業である。
だからJASRACの件は虚しいと前に述べたが、これと酷似していると感じたのが各弁護士会および日弁連だ。ただし加入している人たちが率直に批判してるだけJASRACのほうがマシだが。
このJASRACと裁判沙汰となっている音楽家もいるが、知り合いの「前衛」作曲家は、自分の作品を演奏するさい著作使用料を支払い、他で演奏された時に徴収してもらうためだからと言い、しかし自作自演の発表会以外では演奏されず払うばかりで、それでもいつか売れると信じているらしい。
希望を持つのは自由だが…
by ruhiginoue
| 2017-02-14 17:45
| 音楽






