ご飯を食べ残す人は育ちが悪いのか
2017年 02月 16日
役員に昇りつめる人たちを観察すると、みんな食事で米粒一つ残さず箸の先だけを使って上品に食べていたそうだ。これは求人案内企業の社員による証言である。
もともと、米に限らず食べたあとの食器に食べカスが汚らしいのは下品とされていて、これは見た目の印象だけで多くの人が感じることだろう。ただし、そういう感覚を持ち合わせていない人もいる。
また、米は主食であるため、米粒を残さず大事に食べるということが、食事作法として広く認知されているはずだ。米粒については禅宗が云云している。
この云云を「伝伝」と間違えた人は食事作法についても評価が良くないが、何を食べるにしても箸の使い方が下手なのは下品とされていて、これは『美味しんぼ』でも海原先生が息子を叱っていた。
さらに、米粒を箸でかき集めるのはケチ臭いとか貧乏ったらしいとか卑しいとかの感じだと言う人がいて、しかし食べてる過程で米粒がはぐれているのがそもそもダメで、だから最後の一口の時点で茶碗に米粒が残っていてはいけないとされる。
あと、残さないことに囚われてかき集めると音がして耳障りであるから、小さいころから箸を使う練習をして、だんだん上手になっていけば音が立たなくなるし汚らしい残し方にもならない。
こうしてきれいに食べれば片付けのときも不快ではないし、食器洗いも楽になる。だからといって猫のように皿を舐めてはいけないが。
この他、作ってる人に失礼だから米粒を残すなと教わったという人、米粒一つでも残したら目を抉られると戒められたという人も少なくないだろう。
もちろん外国では作法も異なるし、お招きにあずかった場合もまた異なる。例えば、ごちそうさまのさい、たくさん頂いたことに感謝する意思表示としてわざと食べ残す作法が中国などにある。
これらの食事作法を「教育型」「宗教型」「機能型」「文化型」と名付けて分類する方法もあるけれど、どれであれ上品な食べ方をする人は、家庭での躾がしっかりしているので他のことでもちゃんと教育されているとか、下品な人よりは確実に好感をもたれるとか、そういうことで出世などに影響もするということなのだろう。
ところで、うちは「宗教型」だった。
うちの母親は生家が水田地帯で稲荷神社があったから、一粒でも食べ残すと神様からの御恵を冒涜した罰として目が潰れると食事のたびに戒めら(脅さ)れた。
しかも、小さいころ丼物を食べきれなければ載せたものを全く食べずに飯だけは残すなと母親に厳命され、そうしないと「オメメがつぶれますよ!」と凄まじい形相で言われた。
だから、まだ食が細いときは鰻も天婦羅もトンカツも全く食べられなかった。汁が染みた飯を食いながら具を見て悲しい思いをしていた。なぜ最初から小分けしないのか不可解に思われるが、そうやって極端なことにより米を残すなと強調する一種の狂信性だった。
これは、うちの母親が『キャリー』のママ型だったことによっていて、だから他のことでも同様だったから辛かったのだが、そうでなくても日本では収穫された米は神なのだ。だから御神体として祭る神社が各地にあるし、天皇は毎年必ず田植えをして見せる。『七人の侍』だって米ために戦った。
そして昔から、米所の生産地から消費地に行くと、米も金で買ったものだから所有者に権利があり食べ残したり捨てたりするのも勝手だという発想に直面し、これに仰天する人が大勢いたのだった。

北海道の稲荷神社。狩猟民族のアイヌに稲作を強要した歴史があるけれど、この問題は別の機会に。


もともと、米に限らず食べたあとの食器に食べカスが汚らしいのは下品とされていて、これは見た目の印象だけで多くの人が感じることだろう。ただし、そういう感覚を持ち合わせていない人もいる。
また、米は主食であるため、米粒を残さず大事に食べるということが、食事作法として広く認知されているはずだ。米粒については禅宗が云云している。
この云云を「伝伝」と間違えた人は食事作法についても評価が良くないが、何を食べるにしても箸の使い方が下手なのは下品とされていて、これは『美味しんぼ』でも海原先生が息子を叱っていた。
さらに、米粒を箸でかき集めるのはケチ臭いとか貧乏ったらしいとか卑しいとかの感じだと言う人がいて、しかし食べてる過程で米粒がはぐれているのがそもそもダメで、だから最後の一口の時点で茶碗に米粒が残っていてはいけないとされる。
あと、残さないことに囚われてかき集めると音がして耳障りであるから、小さいころから箸を使う練習をして、だんだん上手になっていけば音が立たなくなるし汚らしい残し方にもならない。
こうしてきれいに食べれば片付けのときも不快ではないし、食器洗いも楽になる。だからといって猫のように皿を舐めてはいけないが。
この他、作ってる人に失礼だから米粒を残すなと教わったという人、米粒一つでも残したら目を抉られると戒められたという人も少なくないだろう。
もちろん外国では作法も異なるし、お招きにあずかった場合もまた異なる。例えば、ごちそうさまのさい、たくさん頂いたことに感謝する意思表示としてわざと食べ残す作法が中国などにある。
これらの食事作法を「教育型」「宗教型」「機能型」「文化型」と名付けて分類する方法もあるけれど、どれであれ上品な食べ方をする人は、家庭での躾がしっかりしているので他のことでもちゃんと教育されているとか、下品な人よりは確実に好感をもたれるとか、そういうことで出世などに影響もするということなのだろう。
ところで、うちは「宗教型」だった。
うちの母親は生家が水田地帯で稲荷神社があったから、一粒でも食べ残すと神様からの御恵を冒涜した罰として目が潰れると食事のたびに戒めら(脅さ)れた。
しかも、小さいころ丼物を食べきれなければ載せたものを全く食べずに飯だけは残すなと母親に厳命され、そうしないと「オメメがつぶれますよ!」と凄まじい形相で言われた。
だから、まだ食が細いときは鰻も天婦羅もトンカツも全く食べられなかった。汁が染みた飯を食いながら具を見て悲しい思いをしていた。なぜ最初から小分けしないのか不可解に思われるが、そうやって極端なことにより米を残すなと強調する一種の狂信性だった。
これは、うちの母親が『キャリー』のママ型だったことによっていて、だから他のことでも同様だったから辛かったのだが、そうでなくても日本では収穫された米は神なのだ。だから御神体として祭る神社が各地にあるし、天皇は毎年必ず田植えをして見せる。『七人の侍』だって米ために戦った。
そして昔から、米所の生産地から消費地に行くと、米も金で買ったものだから所有者に権利があり食べ残したり捨てたりするのも勝手だという発想に直面し、これに仰天する人が大勢いたのだった。

北海道の稲荷神社。狩猟民族のアイヌに稲作を強要した歴史があるけれど、この問題は別の機会に。

by ruhiginoue
| 2017-02-16 12:56
| 雑感





