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by ruhiginoue

西崎義展も豊田有恒も武蔵高校

 脚本家から小説家に転じた豊田有恒が、その著書で、かつて関与していた『宇宙戦艦ヤマト』の製作元締めの西崎義展について色々とほのめかしてることが話題になっている。

 この西崎義展という人には前に告発本が出ていて「狂気」とまで表現されているが、これについては以前から同作品に参加した漫画家の松本零士や脚本家の藤川圭介や作曲家の宮川奏らがさんざん語っていて、それに比べたら豊田有恒の話は控えめである。

 ところで、この西崎義展と豊田有恒の共通点は高校が武蔵であることだ。武蔵は開成と麻布とともに東大進学御三家と昔から呼ばれ、それに加えて関西の灘とか鹿児島のラサールとか一部の地域の猛進学校があるという構造は昔から今まであまり変わっていない。

 まず西崎義展だが、彼は東大を目指して開成を受験して失敗し、これで親と喧嘩になって家出のあと武蔵に入るが、結局は日大芸術学部に入り、エンターテインメントの世界に行く。この当時の日大芸術学部は、勉強しないで趣味ばかりという人が行くところであったと、知り合いの複数の卒業生が言っている。

 また豊田有恒は、中学・高校・大学と武蔵を出ていて、武蔵大学とその付属ということであるが、よく私立大学の付属高校には、受験校として有名で生徒のほとんどが他の大学に行くというところがあり、その代表格なのが武蔵であるから、武蔵高校から武蔵大学に進学する人は数年に一人くらいしかおらず、そんな人は武蔵の落ちこぼれと言われる。
 しかし豊田有恒は東大に現役合格していた。ところが当時は東京大学理科3類すなわち医学部が無く「進学振り分け制度」があって、東大に入学したあとで希望する学部の入試があり、これで受からなければ退学だった。だから、知り合いの東大医学部教授だった人は、もしも運よく受かっていなければ医者になっていなかったと言っていた。
 その制度がまだあった時代なので、豊田有恒は、病院を経営する親から家業を継げと言われたため、せっかく受かった東大をあきらめ慶応大の医学部に入らされた。そして嫌々のことだったから成績不振で卒業できなかった。そして武蔵大学の経済学部に入りなおして卒業する、というように、ずいぶんと遠回りでもったいないことをしている。

 このように、エリートコースを目指したが進学で失敗したのでエンターテインメントの世界に行って成功を目指して、成功したらひけらかしてコンプレックスを指摘される、ということなのだろう。




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Commented by ケーキイーター at 2017-10-19 10:49 x
待たせたな。武蔵!  な、話じゃないね。

電車の駅名で「武蔵大和」てのがあるそうな。その話でもないね。

中身のないコメントだな。
Commented by ruhiginoue at 2017-10-20 16:40
あと、ささきいさおも中学高校と武蔵でした。
父親は早稲田卒、祖父は東大卒と高学歴だったから、東大にと望まれたけど進学せず芸能界に。
宇宙戦艦ヤマトに関わっている西崎義展・豊田有恒・ささきいさお、大和ではなく武蔵です。

私は小学生のとき武蔵に行きたいと言っていました。「ヤマト」は関係なくて、開成と麻布とともに東大進学御三家といわれる中で自宅に最も近かったからです。
ただ同級生ではないけど近所から開成に通っていた人がいて、よくあんな遠いところに毎日通えるものだと信じられなかった。
もとはいとえば、近所の開業医が東京大学医学部卒で、額縁に入れた東京大学の卒業証書と医学博士の学位が医師免許と一緒に診療所に飾ってあったから、医師になるには東京大学医学部というところに行くのかと思っていて、他の大学を全然知らなかった。
ただ、その医師がうちの親に「この子なら東大だって受かるでしょう。こんな賢い子は他に見たことが無い」と言ったところ、母親が「大学進学なんてとんでもない。高校だって行かせられません」と。
それぐらい、うちは貧乏どん底でした。幼稚園のころはまだ少しマシだったけど、そのあとひどいことになってしまい、悪化の一途でついに親に遺棄されてしまい親戚のところへ。
今から思うと悲惨すぎてギャグの域です。
Commented by ケーキイーター at 2017-10-20 21:37 x
学校に行ける。ってのは、やはり有難いんだろうな。そこの教師とかに殺されない限り。
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by ruhiginoue | 2017-10-18 15:49 | 映画 | Comments(3)