エディマーフィーのマネなら昔よくやった
2018年 01月 07日
『ビバリーヒルズコップ』がヒットした当時、主演の俳優エディマーフィーのマネをしたことがよくあった。それは、彼の独特の笑い方だった。
ところで、そのエディマーフィーのマネすると称したテレビのお笑いが、服装や髪型など上辺をなぞり、そこで化粧により顔を黒く塗っていたため、こういうことは人種差別ギャグのすることだから、やったお笑い芸人とともに放送してしまったテレビ局の無見識も問題になっている。
これは世界的に常識なのだが、人種ではなくエディマーフィーのマネだから悪くないと言っている人たちがいて呆れさせられた。これには当然ながら、悪くないと思っている人たちの無知に対して批判の声が上がっている。
その前にも、性的少数者をコケにして笑いものにしたお笑い芸人がいて、これを平然と放送したテレビ局が問題になっているのに、またやらかしたということだ。そういう経緯であるから、日本のテレビ局の意識が低すぎるということだろう。
どうして、こうなってしまったのだろうか。
かつて、朝日新聞の記者だった当時の筑紫哲也さんが、その当時からテレビに出演していたけれど、そこで、ドリフターズのお笑い番組がPTAなどから「下品」などとやり玉に挙げられていることに対し、もっと問題にすべきことが他にあるのではないかと反論していた。
そうしたPTAなどによるテレビ番組批判とは、コントの中で食べ物をぶちまけたりするから道徳違反であるとか子供の躾に悪いとかいうものが専らであった。それを強調するのは、もともと食べ物は大事にしないといけないものなうえ、当時は戦時中の食糧難の記憶が生々しい世代の人も多くいたからだ。
けれど、それを言うなら、どうしてその食糧難を引き起こした戦争について、もっとタブーなく自由な報道をできないのかということを問題にしないのか。時代劇でも刑事ものでも殺人を平気で見せ場とし、権力が人権無視であるのも正義のためと正当化していることは問題ではないのか。
たしかに行儀が悪いものはあるが、しょせんお笑いとはそういうものだ。それでも「食べ物を粗末にする」と批判するなら、どうして「人間を粗末にする」については無神経なのか。
そういう話を筑紫哲也さんは述べていたが、そのとおり実際にテレビを批判している人や団体は、下品といってもお笑いでやっていることなんだからむしろ当然なことを不道徳と糾弾しても、お笑いであっても許されない生命や人権についてはやけに寛容であった。
こういうことが続いて、とうとう今の国際的に恥をさらす意識の低いテレビおよび芸人という事態となったのだろう。
つまり、最近になって急にこうなったということではなく、長年にわたる日本社会の未成熟と未発達ということだろう。
by ruhiginoue
| 2018-01-07 12:37
| 芸能