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井上靜に関するblog(網誌)です。下記の著書を読んでもらえたら嬉しく存じます。


by ruhiginoue

八甲田山の日

 昨日は前から予定が入っていて、出かける時間になったら雪が降ってきて、ついてないかと思ったが、帰宅してから本格的な降りようで交通も混乱したから、ついていたのだった。

 雪といえば、かつて秋田県の親戚の家に行ったとき地元のテレビで『復活の日』を放送していて親戚と一緒に観たら、南極基地に外から帰ってきた隊員の服から雪が軽々しく落ちるから従妹が変だと言って笑った。『南極物語』などの前、日本映画初の南極ロケを売りにしていたがセットで撮影した場面もあることを日本海側で生活している人は見抜いたのだった。
 この1980年公開の映画『復活の日』といえば、南極ロケ隊の船が座礁したことが報じられ、これを逆手にとって宣伝に利用したので、さすが角川と言われていた。

 そして翌日は雪が止んで晴れ、雪が解けて雫の落ちる音と雪かきの音があちこちから聞こえてきたが、この日は「八甲田山の日」である。
 1902年1月23日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難した事件があった。
 この事件をもとに映画『八甲田山』が製作され、77年に公開となった。製作は創価学会系のシナノ企画であったが、その前の『人間革命』のような宣伝ではなかった。遭難した司令官が雪の中で「天は我々を見放した」と言う場面がテレビの宣伝に使われて、当時はちょっとした流行語になった。よくパロディにされていて、デビュー当時だった小林よしのりも漫画の中でやっていた。

 この遭難事件は、そもそも冬の八甲田山では冬の重装備が必要だったのに指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始し、猛吹雪の中で道を見失い寒さと飢えと疲労のために遭難してしまい、25日になって199名の死亡が確認されたということだ。
 これと同じころ、別の連隊38名は同じルートを逆から踏破に成功していて、なぜなら装備と訓練をきちんとして十分な準備のうえでのことだったからだ。

 この点、映画の描き方は弱かった。また、別の部隊のどちらなのかが見ていてよくわからない。このような問題について黒澤明監督は、見て瞬時に判別できないものは動く方向の基本を決めて統一させておかなければならないと指摘していたが、この映画の監督は黒澤明監督の助監督をつとめていた人なので、なのにどうしちゃったのかと思ったものだ。

 そして、これは一昨年ここで述べた(ツイッターでは動画も)が、八甲田山に行ったら施設に映画のロケ隊の写真が飾られていて、頂上まで行ったら霧が出てきて視界が一メートルもなくなってしまい、ここで道に迷ったら、まず八甲田山で遭難なんてシャレにならないし、天に見放されたのではなくただのバカだから、予定を変更して下山したということだった。

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by ruhiginoue | 2018-01-23 19:23 | 映画