非現実的な不登校の推奨
2018年 01月 31日
『不登校新聞』というのがあるそうで、ここで東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授がインタビューを受けている。ここで安冨教授は、五年前から女性向けの服を着るようになったおかげで自分自身になれたと述べている。
このようなことをするのは昔から知識階級の人と言われていて、あくまで目立つのであって多数派ということではなく、立場的に「カミングアウト」しやすいためだと指摘されている。
この問題とも絡むが、この記事の見出しは「東大生より不登校のほうが人生を始めやすい理由 東大教授・安冨歩」だけど、この「東大」と「不登校」の二択が非現実的である。
ここで同教授は不登校の有益性を説いているが、そもそも、東大に行けるくらいの恵まれた家庭でないと不登校は不可能である。自宅での学習や親の意識の高さや世間の目という問題があるからだ。
これは、男性なのに女性の服装をして本当の自分はこうだと言うことについて、それをできる立場であるか否か、というのと共通する問題である。
これについて、当人からツイッターを通じて意味が解らないという反応があった。しかし同じ文を読んで意味がわかった人はいて、賛同する人もいた。
このことから思うに、東大教授の地位に就けるくらいの恵まれた家庭に育った人には、学校の現状を批判して不登校も有益だと言うことまでは可能だが、しかし有害無益とわかっていても仕方なく学校に行くことで将来に絶望しながら生き地獄を味わっている人のことまでは理解できないのではないだろうか。
その少し前のこと、福島県須賀川市で昨年1月に中学1年の男子生徒(当時13)が自殺した事件について、学校で様々ないじめを受けて追い詰められた末に命を絶った状況が同市の資料によって判明したと報じられたが、このような事件があると昔からこう言う人が必ずいる。
「なんで、いじめられて自殺なんかするのか。自殺するくらいなら死ぬ気になってかかっていけばいいじゃないか」
それをやったら親に迷惑がかかるので、自分が死ねばいいんだと思って自殺するのだから、もともと無理な話だ。
これと同じことである。不登校したほうがいいとわかっていないのではなく、わかっていてもできないのだ。
そして、それは自らの責任ではない。生い立ちのためだ。
だから絶望感に苛まされて我慢を強いられるのだ。その中から自殺する者も出る。
by ruhiginoue
| 2018-01-31 17:06
| 学術





