児童に給食を食べさせない教諭と親の対応
2018年 02月 11日
新宿区の小学校で、図工の担当教諭が忘れ物に怒って連絡ノートをいちいちチェックするなどシツコクしていたため時間が超過し、児童が給食を食べられなくなってしまう事態となり、帰宅してから空腹を訴える児童がいたことから保護者に発覚し、指導の行き過ぎとして問題になったそうだ。
このように問題となるだけ、日本の社会も洗練されてきたということだ。自分が小学校のころは、結果として時間がなくなり食べられなかったどころか、故意に給食を食べさせないことが普通にあった。しかも、それが指導の行き過ぎなんて生易しいものではなく、教諭が児童を虐待して悦に入るのが目的だった。
そして、こうした陰険な雰囲気が日常的になると、これに児童も追従し、どうでもいいような例えばノートの下敷きなどに対してまで、これも忘れ物ということになるのだとあげつらい、担任教諭お墨付き集団虐めの標的にされた児童は給食を食べられないことが何日も続いたという残酷なことがしょっちゅうであった。
このような険悪な雰囲気を醸造させたがる人は、その育ちが原因で、親から虐待を受けて育ったとかDVばかりの家だったとか、なにかしら残忍な雰囲気に包まれて成長したため、そうした雰囲気でないと落ち着かなくなってしまうのだということを、精神科医や心理カウンセラーらが指摘しているのを後に本で読み、あの担任の教諭はそうだったのだなと納得したものだ。
こんなひどいこと、昔と違い今では無くなった、というのではなく、まだあるけれど、しかし親が知ると問題になりマスコミに報道もされるようになったわけで、それは親の意識が高まり洗練された対応をするようになったということだろう。
その問題となった新宿区の小学校でも、報道によれば、親たちが問題にすると担任の教諭は「忘れ物が多いことが原因であり、忘れ物は家庭の問題だから親が悪い」という趣旨の発言をしたらしい(ただし校長は別の意味で言ったことが悪く受け取られたと弁解した)が、ここで昔の親なら黙ってしまう。なんとなく納得できないが反論することができない。それが昔の親の頭の程度だった。
ところが今の親は違い、報道によれば、そうした教諭の責任転嫁に対して「今問題になっているのは給食を食べられなくしたことであって、忘れものではない」と指摘し、担任の教諭がしていることは問題のすり替えであると批判したそうだ。
このように、社会が洗練されて、親の良識はどうなのか別だが少なくとも頭の水準は高くなったことで、子供と学校と教師の問題が、それ自体は昔と大して変わらないにも関わらず、少しは良くなっているのだろう。
by ruhiginoue
| 2018-02-11 15:08
| 社会