神武天皇はいなくてもイエスキリストはいた
2018年 02月 12日
「建国記念の日」とは建国の日を記念したのではなく記念した日という意味だから、屁理屈ともいうべき祝日である。戦前、初代天皇が即位した日を「紀元節」として祝日としたが、この初代天皇は実在しないし、即位した日がいつなのかも暦法が何だったのか不明なのだから現代の暦に換算して2月11日という話はありえず要するに捏造であった。
また、近代国家とは実定法秩序の確立が条件であるから、これが日本の場合だと最初は律令制度を敷いた時である。
それなのに「紀元節」を強引に戦後も祝日とするため、建国の記念をする日ではなく戦前に記念した日ということで「建国記念日」ではなく「建国記念の日」としたわけだ。
ところで、その神武天皇は神話の人物であるが、これを勘違いして、イエス=キリストだってあり得ないから同じだと言う人がいる。しかしあり得ないのは死後復活など宗教的な伝説の部分であって、歴史の中の人物としては実在したというのが定説である。これは旧ソ連が唯物史観によって編纂した歴史でも実在の人物と認定されている。対して神武天皇は存在そのものが神話であるから、まったく異なる。
そういえば、フィリップKディックの短編小説『ペリーセモリがいなかったら』について作者は「カールマルクスもどこか三文作家が創造した実在しない人物かもしれない」という発想から書いたと述べていたが、『資本論』のような大著は集団で調査したり書いたりしたものとしか思えないから、カールマルクスとはその集団のペンネームだったのではないかと言う推測は昔からあった。
ちょうど、よくテレビで東映の作品は「原作・八手三郎」と出てくるように。これを子供のころ実在の作家か漫画家だと思っていた人は少なくない。
しかし著作者がどうだったのかということは、歴史上の人物がどうたったのかということとは異なるし、それすら問題ではなく、初代天皇の実在ということより建国が問題なのだ。仮に神武天皇が実在して2月11日に即位したのが史実だとしても、それは建国の意味にならない。あくまで初代天皇即位の日である。建国とは実定法秩序の確立であるからだ。
要するに、日本では昔から今にいたるまで国とは何かということが理解されていないのだ。とても遅れた社会である。