マスコミ内外のセクハラ
2018年 04月 23日
80年代のアメリカ製TVドラマに『事件記者ルーグラント』があった。社会派の地味な内容だが、アメリカでは放送当時から評価が高く、また日本では深夜に放送されたさいに夜勤の新聞記者たちが観ていて話題にしたため、これで知った人たちもいる。
このドラマで主人公のセリフ吹き替えしていたのは俳優の小松方正だったが、新聞社の社会部編集室で「私はここのオヤジ」と自己紹介し、それは部下の記者たちから親しみを込めて呼ばれているからだけど、原語では親しみを込めて「ルー」とファーストネームで呼ばれていた。これは習慣の違いによるものだろう。
さて、このドラマに、職場でのセクハラがテーマのエピソードがあった。当時はまだセクハラという言葉が使われていなかった。立場を悪用して相手が嫌がっているのに性的な言動をすることを「性的な嫌がらせ」ということで「セクシャルハラスメント」略して「セクハラ」と言うようになるが、この言葉ができたことについて映画の翻訳で知られる戸田奈津子は、簡潔なうえ明確だから便利な言葉ができて助かると言っていた。
つまり社会問題として専用の言葉ができる前から問題は存在していたわけで、だから、その種の話題になったさい翻訳する側としては一発で解る簡潔な表現ができて良かったのだろう。
このように、認知されていなくて表現する言葉もない、という時期に『ルーグラント』は既にテーマとして取り上げていたということだ。
このドラマで主人公のセリフ吹き替えしていたのは俳優の小松方正だったが、新聞社の社会部編集室で「私はここのオヤジ」と自己紹介し、それは部下の記者たちから親しみを込めて呼ばれているからだけど、原語では親しみを込めて「ルー」とファーストネームで呼ばれていた。これは習慣の違いによるものだろう。
さて、このドラマに、職場でのセクハラがテーマのエピソードがあった。当時はまだセクハラという言葉が使われていなかった。立場を悪用して相手が嫌がっているのに性的な言動をすることを「性的な嫌がらせ」ということで「セクシャルハラスメント」略して「セクハラ」と言うようになるが、この言葉ができたことについて映画の翻訳で知られる戸田奈津子は、簡潔なうえ明確だから便利な言葉ができて助かると言っていた。
つまり社会問題として専用の言葉ができる前から問題は存在していたわけで、だから、その種の話題になったさい翻訳する側としては一発で解る簡潔な表現ができて良かったのだろう。
このように、認知されていなくて表現する言葉もない、という時期に『ルーグラント』は既にテーマとして取り上げていたということだ。
しかも作劇が上手だ。最初は自動車の中から標的を狙っている男の様子で、続いて急発進すると近くの店から出てきた男に突進し、狙いが外れてゴミ置き場のバケツをひっくり返して止まる、というようにサスペンス仕立てで始まる。何事かと興味を惹かれて観ていると、警察が来て車に乗っていた男は逮捕されるのだが、妻に猥褻行為をされたので頭にきてしまい、ひき殺してやろうと思ったが失敗したと供述する。
この事件を取材していた女性の記者は、犯行動機について詳しく知ろうとして、逮捕された男の妻に会いに行く。
すると、コンビニ店でパート勤務していたところ、その店主がいきなり後ろから身体に触ってきて手を胸に回して掴んだから、驚いて逃げ出し夫に相談したところ、夫は短気な性格だったのでブチ切れて早まったマネをしてしまった、ということだった。この涙を流しながらの証言に驚いた女性記者は、その店主についてさらに調べると、他にも被害に遭った女性の店員がいた。
さらに見事な展開なのは、この女性記者が、それでは自分の勤めている新聞社は大丈夫かと調べてみたら、出るわ出るわ、ということで自戒をこめた記事を書いたけど、掲載してよいものか社内で揉めてしまう。告発の記事を載せている新聞社内はどうなのか、などと言われそうだから、それよりは予め事件をきっかけに色々と調べていたら自社にも問題が色々あったという記事としたほうが説得力があるはずだと言う女性記者に対し、上司のルーグラントは世論の反応を心配し、なぜなら何でもマスコミが騒ぐから悪いという風潮があるためだった。
これは日本でも同様のことがあるけれど、こんなに早くから扱い、しかも面白い筋立てにしながらテーマの追及を深めていくなど、アメリカのテレビドラマは作り方が上手である。もちろん、脚本家など人材の裾野が広いこともあるだろう。
それより困ったことに、ちょうど問題になっている財務省次官のセクハラは、取材に行ったテレビ局の女性記者が被害に遭ってもテレビ局が圧力を気にして報道できず、また週刊誌に持ち込まれ、そして政権ベッタリのマスコミ人らがセカンドレイプも同然の言動をしているということだ。
これをもしもテレビドラマにしたら、ひどすぎて現実にはありえないと思われてしまうだろう。
さらに見事な展開なのは、この女性記者が、それでは自分の勤めている新聞社は大丈夫かと調べてみたら、出るわ出るわ、ということで自戒をこめた記事を書いたけど、掲載してよいものか社内で揉めてしまう。告発の記事を載せている新聞社内はどうなのか、などと言われそうだから、それよりは予め事件をきっかけに色々と調べていたら自社にも問題が色々あったという記事としたほうが説得力があるはずだと言う女性記者に対し、上司のルーグラントは世論の反応を心配し、なぜなら何でもマスコミが騒ぐから悪いという風潮があるためだった。
これは日本でも同様のことがあるけれど、こんなに早くから扱い、しかも面白い筋立てにしながらテーマの追及を深めていくなど、アメリカのテレビドラマは作り方が上手である。もちろん、脚本家など人材の裾野が広いこともあるだろう。
それより困ったことに、ちょうど問題になっている財務省次官のセクハラは、取材に行ったテレビ局の女性記者が被害に遭ってもテレビ局が圧力を気にして報道できず、また週刊誌に持ち込まれ、そして政権ベッタリのマスコミ人らがセカンドレイプも同然の言動をしているということだ。
これをもしもテレビドラマにしたら、ひどすぎて現実にはありえないと思われてしまうだろう。
by ruhiginoue
| 2018-04-23 14:11
| 社会