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by ruhiginoue

インタビューを受けている人はメディアの創作

 先日、憲法記念日の報道の中に、時事通信のひどい記事があった。見出しでは安倍総理が目指す改憲に賛否となっているのに、本文は違う内容だったのだ。
 まず護憲派の集会については、一参加者にインタビューしたところ「理想主義といわれようと何でも話し合いで解決すべきだ」のようなことを述べたとし、しかし改憲派の集会では、世界情勢の危機的状況に対応しなければならないとの主張に参加者がその通りだとインタビューに答えたと報じていた。

 もう解説するまでもないだろうが、安倍式改憲とは、自衛隊を合憲としながら憲法に正当性を書き加えるという滑稽なもので、自民党内の改憲派からも可笑しいという指摘がされている。この賛否が問われたと見出しにしておいて、危機を煽り武力行使の規制を取っ払えという改憲派の集会を報じるのでは、それが安倍式改憲だということになってしまい、読者に誤解させる。
 しかも、これに反対する護憲派は、一参加者のインタビューにすぎないものをことさら取り上げて、非現実的な理想主義であるように印象づけている。一方、改憲派集会に出た人のインタビューは、漠然と賛同している具体性の無いものだ。
 つまり、この記事は、安倍式改憲とは危機に対応する現実的なものであり、反対する者は平和ボケしているかのように操作しようとするものであり、右翼体質の時事通信が、また虚報によって世論操作しているということだろう。

 もともとインタビューとは、それを受けている人の意見ではなく、流している方の見解である。その人の意見であっても、それについて賛成か反対か、その他か、などの意味合いが取り扱い方によって違ってくる。
 また、インタビューを受ける人のコメント自体が記事に合わせて編集されており、それだけならともかく、脚色されていることもよくある。さらに、そもそもインタビューを受けている人がどんな人であるかも、記事に合わせて創作されていることすらある。

 ただし、上記の時事通信の記事は政治的な意図によってすり替えに利用していて、これは悪意と思われ不正というべきものであるから論外だが、そうした不正ではなく、記事のためにインタビューを材料にしているにすぎない場合もよくある。すると、インタビューおよび受けている人を、利用するのに都合よく改変や脚色するから、報道するにはそれでよくても、そこに出た人が現実と違うように認識されてしまう。むしろそれが普通であるとすら言える。

 最近では、女性がセクハラなどの被害に遭った事件がいくつもの騒ぎとなり、そのさい女性がどんな人であり、どんな被害だったのか、ということが話題になったけれど、このことについても同じである。
 これを週刊誌などが取り上げているけれど、そのさいは事件と問題に焦点を合わせているのである。しかし被害者としては、その者が抱えている苦悩などがあるため認識が異なっているはずだ。

 この点は、自分がインタビューを受けた経験から身をもって知っている。ウエッブサイト上に記事が残っているものがあるけれど、これなど特にそうである。どれも自分の身上とか肩書についてあやふやにされているが、こうすることで社会的・政治的な立場をぼかし、そのうえで掲載するメディアの都合に合わせた発言にされているのだ。
 例えば、記事は嘘ではないけれど、しかし、防衛医大を批判しているのに防衛庁(当時)を批判した部分が強調されていたり、大橋巨泉氏の悲劇を強調するため、自分の被害は大したことがないかのように言っていたり。

 それでも、取り上げてもらえるだけでも良いからと甘受しているのだ。だから「週刊誌なんかに」と言う人がいるのもわかるが、これは今の社会の現実からやむを得ないのだ。あれら女性の被害者たちも、おそらく同じだろう。
 


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by ruhiginoue | 2018-05-06 16:27 | 社会 | Trackback | Comments(0)