小沢一郎と戸塚宏は似た者同士
2018年 05月 14日
最近また、上から目線の横柄な口をきく似た者同士の生意気な爺さんたちがマスコミに出ていた。他でもない小沢一郎と戸塚宏である。
こいつらに共通しているのは、その考え方をどう評価するかという以前に、それを実践するとなると必ず失敗することだ。しかも禍根を残してばかりであることも同じである。
これは一度や二度ではなく反復しているのだから、その考え方が間違っていることを現実が証明しているか、その実践する能力が伴っていないか、これらのどちらかまたは両方ということだ。
そして、こんどこそ成功させると意気込んでみても、過去の失敗を反省せずまさにバカの一つ覚えであるから、結局は無駄な努力となる。というより努力の水準ではない。
ようするに、小沢一郎と戸塚宏は指導者の器ではないのだ。
その自覚が当人に無いから、自分が社会に害毒を垂れ流していると気づかないのはもちろんのこと、無能な自分が無様で惨めとも感じない。自分は正しいどころか自分こそ正しいと思い込んでいて、更に同じことをしようとする。そして懲りずにまた、というわけである。
どちらも、親の七光りだったり、ちょっとした実績だったり、その程度のことをマスコミがもてはやし、そこへ便乗したりチヤホヤしたりの輩が寄って来て取り巻き、それで思い上がってしまったというのが実態だろう。
そんなのを支持したり持ち上げたりしたりの連中がいて、中身が無いのに威勢だけよいことが共通している。
また、現実を見ていないから、事実を踏まえずに、あるいは無視して、ものを言う。これだから威勢だけはよくする必要があるということだろう。
このような取り巻きたちの存在が、妨害してもいる。当人が自家撞着に気づくことを。
まったく公害である。
by ruhiginoue
| 2018-05-14 17:09
| 社会