差別する人を差別するなという奇妙な論法の流行
2018年 09月 05日
昨日、タクシーに乗ると運転手が客に向かって気楽な話題だと勘違いして民族差別などのヘイトスピーチをすることがあるから不愉快だと言っている人たちの話題で、これを遮ったり止めさせたりするべきだし、それを実行していると言う人がいるけれど、それができない人はどうするのかということで、タクシー業界が苦情を受け付ける機関を設けているから、そこに通報するべきだと述べた。詳しくは昨日の項目を読んでいただきたい。
ところが、これについて、タクシーの運転手をしているという人が、差別やヘイトスピーチをする運転手を通報するべきであるが、それ以外のことまで一緒に問題にすることではないと言う。
しかし、これはタクシーにもともとある問題に対して、業界が努力することで改善してはきたものの、まだ不十分だから対応する機構も存続している、という事実を前提にし、ここにヘイトスピーチも通報するべきだという趣旨だから、ただ並列しているのではない。
また、内容には賛成だが題に「タクシーの運転手」を「タクシー運ちゃん」と書いているのは差別ではないかと言う人がいた。これは、「運転手さん」を「運ちゃん」と言うと、それ自体が特に蔑称でなくても、正式に呼ぶべきところで気安く変に省略して呼ぶことが失礼と受け取られる場合があるし、わざと見下しての場合もあるからだろう。
しかし、ここでの「タクシー運ちゃん」とは、ヘイトスピーチしている者のことであるから、タクシーの運転手全般を意味してはいない。差別する者は、差別されて文句が言えない。軽い気持ちでヘイトスピーチを客に言うタクシー運転手は、気楽に「運ちゃん」と言われて不愉快でも文句を言う資格がない。
そもそも、タクシー運転手が「運ちゃん」と見下すように言われることがあるから、差別の話題のさい、あえて書く意味がある。タクシーの運転手は、昔だったら不健全経営の会社に勤務するカタギでない人とかは当たり前だったし、今でも失業した人が就いたりの業種だから、それで見下されたりする現実がある。
だから見下して良いわけではないけれど、その仕事に就いている人が、仕事中に民族差別などヘイトスピーチしている。しかも、それで客がウケると思っている。そんな社会の構造を問うているから、その意味があってのことだ。
ところが、このところ「差別している人を差別している」という奇妙な論法が流行っているから、それが影響しているのだろう。
by ruhiginoue
| 2018-09-05 16:50
| 社会






