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by ruhiginoue

極楽浄土と人間革命

 浄土真宗の僧侶が、極楽浄土について経典に書いてあるけれど信じられないと言う人について、来年の月日が来年のカレンダーに書いてあるけど来年があることを信じられないのだろうかと言っていた。
 もちろん、来年は死んでしまえば来ないし、極楽浄土は死んだらの話だ。また、去年から今年までが有って、それを今生きている人はみんな知っているのだから、それで来年のカレンダーは来年の月日が有ることを前提としているが、それと違い、過去に死んだ人は数えきれないほどいるけれど、極楽浄土に行った人の証言は存在しない。
 その坊さんとしては、自分が極楽浄土に行ったら、ぜひその実在を語りたいそうだが、それは無理だろう。死んでから、成仏できない人や地獄に墜ちた人は極楽浄土について証言できないし、そんな亡者や亡霊になった人と違って極楽浄土に行った人だったら、そんな居心地が良いところからこの世にわざわざ戻って来て証言するわけがない。

 その話から思い出したが、『人間革命』という映画で、丹波哲郎ふんする戸田城聖という人が、極楽浄土の存在なんて信じられないという人たちに対し、もし存在するとしても自分だったら退屈してしまう、と言う場面がある。それは酒や女の楽しみが無いからで、私だけじゃなく君なんかもっとだろう、と言って笑わせる。
 そして、もともと仏教はそんな単純な教義ではないのだが、大衆には難しいだろうからと、死んでから極楽浄土に行けるというような布教の仕方をしてきたのだと、戸田城聖は指摘する。
 そしてそこから、生活が辛くても我慢すればいいとか、政治が悪くても文句を言うなとか、そのように宗教が堕落してしまったのであり、それではいけないと説くのが日蓮宗であった。

 この映画は、小さいころに学会員の人からチケットをもらって映画館で観た。あれはいちおう東宝特撮映画なので、タダで観れて有難かったが、どうも丹波哲郎があの調子で説教しながら関連するイメージ映像が重なる演出は、主演だけでなく監督も同じというのもあって『ノストラダムスの大予言』と印象が変わらなかった。どうも、両方観た人たちはみんなそう感じたらしい。
 このチケットをくれた人は「お布施」のつもりでたくさんのチケットを買ったので、あげるということだった。だから大ヒットして当然であり、不景気な七十年代の映画界の事情を感じさせることだった。


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 それはともかく、この映画の中心は、まず丹波哲郎ふんする戸田城聖が、出版社を経営していた時に宗教弾圧で逮捕され、屈せず耐え続けてからやっと釈放されると経営者の不在で事業は無茶苦茶になっていて、それを頑張って立て直すというもの。『続人間革命』では、若い社員がたいへんな意欲で、これがのちの池田大作だが、雑誌を刷新し若くして編集長になるということだから、まるで後の鹿砦社と同じ図式である。

 しかし、この映画と今の創価学会を比べたら、どうか。

 映画の最初のほうで、戸田城聖が列車に乗っていて明治神宮前を通ると、乗客たちが起立し、制服の軍人らは神社に向かって最敬礼するが、戸田城聖だけは敢然と無視して背を向けたまま座っている。これがなぜかは続けて描かれる。
 創価学会の創立者である牧口常三郎は、社会改革のため法華経の教えを用いるべしと唱え、これに戸田城聖は心服していた。だが、そこへ宗教弾圧があり、戦争に反対しないよう国策に従うと誓約せよ、伊勢神宮に参拝せよ、などと迫られて、牧口常三郎は拒否した。
 このため牧口常三郎は逮捕され、老齢のうえに栄養失調が加わって獄死してしまった。このとき戸田城聖も逮捕されて取調べを受けていたのだ。

 ところが、この創価学会が支持母体の公明党は、共謀罪に賛成するなど自民党に協力してきた。

 こうしたことが続いて、とうとう沖縄県知事選挙では、長年の創価学会員たちは造反したということだ。
 この映画を観れば、それで当たり前だと解る。


 




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by ruhiginoue | 2018-10-31 19:53 | 映画 | Trackback | Comments(0)