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by ruhiginoue

誰かにではなく皆に謝れという日本の和

 Twitterで記者会見をみていたら、あの安田純平氏は、自分の為に尽力してくれた人と、自分が心配かけた人に、お礼とお詫びを言い頭を下げた。これは当たり前だ。

 だけど、それ以外の関係ない人たちが、彼は皆に迷惑をかけたのだから謝るべきだと言っている。
 これはネット上で喚く人たちだけでなく、現実社会でも主流派ではないかと思えるくらいだ。

 ここには、日本政府が身代金を払ったので国民の税金がよけいに使われた、などの誤解も見受けられるが、そんなのは論外である。

 それとは違い、とにかく騒ぎになったから、ということである。非や責任の有無ではない。だから、誰かに対してではなく、皆に謝れ、となるのだ。

 このようなことは、日本によくあるというより日本では普通だろう。ほかにも色々とある。
 例えば、病院や医師の過ちで患者が死んだりすると、病院の関係者が記者会見して、やはり最後は立ち上がりカメラに向かい身を90度に屈して詫びて見せるが、そのあと患者や遺族に訴えられると居直って、一切責任は無いと主張する。あのとき詫びたのは、あくまで世間に対して、お騒がせしてすみませんという意味だからだ。

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 また、被害者である患者や遺族も、泣き寝入りしないと世間から白い目で見られる。これは、裁判で勝訴した、医師や病院が非や責任を認めた、主張が正しいと証明された、という結果でも同じだ。
 どちらが正しいかなんて関係なく、波風を立て平穏を乱したことを世間から責められているのだ。

 これは実に日本的である。
 安田純平氏のことに限らず、医療でも他の問題でも同じで、日本では物事の中身ではなく、何か騒ぎになった波風を立てた平穏を乱したからケシカランということになるのだ。

 この日本的な発想は、おそらく大昔に聖徳太子が説いていた「和」の精神なのだろう。
 なんと、これが日本の民主主義の基であると、もと弁護士の大臣も務めた国会議員が国会で演説していた。つい先日のことである。
 それだけ根強いということだ。日本人の骨の髄までしみ込んでDNAにも組み込まれいるとしか思えないほどだから、これに疑義を差し挟むと「反日」ということになるのだろう。




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Commented by at 2018-11-04 18:19 x
 あの「和」は”さからうことなきを宗とせよ”(俺に服従しろ。組合を作り衆をたのんで争議を仕掛けるなんてとんでもない)の意ですものね。なぜか、自民な人々は言及を避けますけど(笑)
Commented by ケーキイーター at 2018-11-04 20:01 x
稲田のオバサンが引用すると、衝突太子になっちゃいそう。
安田さんは、助かって、それは良かったね、なのだが。
Commented by Nobuhiro at 2018-11-05 11:41 x
「和」の精神は民主主義ではなく”空気”のよる独裁だと思います。
Commented by ruhiginoue at 2018-11-05 18:29
支配と服従による一部の人達の利益とそれ以外の人達の不利益を、平穏で和やかで皆に有益だとすり替えるのが日本の「和」の正体ですね。

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by ruhiginoue | 2018-11-04 15:35 | 社会 | Trackback | Comments(4)