自己否定した立憲民主党は解散すべき
2019年 01月 07日
立憲民主党が、1月4日に、枝野代表や福山幹事長ら首脳陣が揃って伊勢神宮を参詣したと広報した。
みんな礼服を着て議員バッチを付けて。その様式から明らかに、よくある行楽や年中行事ではなく、宗教儀式であると同時に政治活動であった。これを党が公式に広報したのだ。こうなると、個人的な初詣を同じ党の人たちと一緒にしたのではない。
つまり党を挙げて国会議員としての行為である。憲法の政教分離に違反しているから「立憲民主」の党名にも反している。

かつて、クリスチャンなのに伊勢神宮参拝を自民党から強制された大平首相や、連立政権の政策とは無関係なのに伊勢神宮参拝を自民党に強要された村山首相のことを、立憲民主党はどう考えて、党のみんなで伊勢神宮参拝をしたのだろうか。
これは観光の「お伊勢参り」とは意味合いが全く違い、無見識・無節操にも程がある。
また、創価学会の開祖である牧口常三郎は伊勢神宮参拝を拒否したため逮捕され獄死したので、その創価学会を支持母体とする公明党が、自民党との連立を優先して節を曲げていることに、会の内外から疑問や批判の声が上がっていて、これも立憲民主党が知らないわけない。そんな自公政権を批判してきた立場なのだから。
ところが立憲民主党は、公明党と同様、権力にすり寄り、蒙昧な保守層に媚を売った。つまり政権交代して独自の政策で筋を通す意思がないことを早くも表明したのだ。
ところが、この結党理念を自ら否定したのだから、これだけでもすでに立憲民主党は、もはや存在してはならない。サッサと解散するべきだ。
この前年、鳩山元総理は米軍基地問題で辺野古に行っていたし、年末の恒例で山本太郎議員は貧しい人たちへの炊き出しを手伝っているが、そういうことせず、揃って伊勢神宮参拝する枝野代表ら、というのも実に醜い。
みんな礼服を着て議員バッチを付けて。その様式から明らかに、よくある行楽や年中行事ではなく、宗教儀式であると同時に政治活動であった。これを党が公式に広報したのだ。こうなると、個人的な初詣を同じ党の人たちと一緒にしたのではない。
つまり党を挙げて国会議員としての行為である。憲法の政教分離に違反しているから「立憲民主」の党名にも反している。

かつて、クリスチャンなのに伊勢神宮参拝を自民党から強制された大平首相や、連立政権の政策とは無関係なのに伊勢神宮参拝を自民党に強要された村山首相のことを、立憲民主党はどう考えて、党のみんなで伊勢神宮参拝をしたのだろうか。
これは観光の「お伊勢参り」とは意味合いが全く違い、無見識・無節操にも程がある。
とっくに伊勢神宮は、明治政府のために歴代神職を大量に解雇したり、大神宮改革をやったりして、まるで別のものに変わっている。
例えば古事記にも載る由緒ある姓なのに伊福部昭が北海道出身なのは、親の代に国家神道政策の憂き目に遭い、中央から派遣された神官に先祖代々務めて来た伊勢の地を追われたからだ。それで彼は雅楽に背を向けアイヌなど少数民族の音楽に傾倒した。
このようなこともあったほどだから、すでに伊勢神宮は伝統的ではなく政治的な施設である。靖国神社や明治神宮のように最初から政治的意図により作られたものとは違うというのは詭弁である。
もしもメッカがダーイシュ(IS)に支配され、その宣伝に利用したり資金源にしたりが長く続いていたとしたら、そこに巡礼してイスラム教徒として他意は無いと言って通用するか。あくまで個人的ならともかく、政治団体や政党として行えば、協力したと見做されるだろう。
この程度のことは、いくら軽々しさが特徴の旧民主党が多い立憲民主党でさえも、とっくに解っているはずだ。
また、創価学会の開祖である牧口常三郎は伊勢神宮参拝を拒否したため逮捕され獄死したので、その創価学会を支持母体とする公明党が、自民党との連立を優先して節を曲げていることに、会の内外から疑問や批判の声が上がっていて、これも立憲民主党が知らないわけない。そんな自公政権を批判してきた立場なのだから。
ところが立憲民主党は、公明党と同様、権力にすり寄り、蒙昧な保守層に媚を売った。つまり政権交代して独自の政策で筋を通す意思がないことを早くも表明したのだ。
だいたい、立憲民主党の伊勢神宮参拝が問題になったのは、立憲主義を擁護して民主主義の実現を図るという党の基本理念に真っ向から反する行為だからで、個別の政策についてのことだったら枝葉の問題として批判はしても支持やサポーターをやめるとまで言い出す人はいなかっただろう。
かつて伊勢神宮参拝は強要され、拒否したために国家権力に殺害された人もいた。だから憲法が政教分離を規定したのだ。なのに、そこへ党の代表たちが揃って参拝するなんて立憲主義が聞いて呆れると、みんなガッカリしたのだ。
かつて伊勢神宮参拝は強要され、拒否したために国家権力に殺害された人もいた。だから憲法が政教分離を規定したのだ。なのに、そこへ党の代表たちが揃って参拝するなんて立憲主義が聞いて呆れると、みんなガッカリしたのだ。
それを理解できない人たちは、靖国神社の場合と同様に、この程度のこと何が問題なのかと言うが、そんないい加減ではいけないというのが立憲主義の立場である。民主党の歴代党首は伊勢参拝してたのに今ごろ批判するなとか、共産党とは違う保守的な有権者の票を獲得する必要があるとか、そんな詭弁を見かけもするが、だったら分裂せずにいれば良かったけれど、それはダメだと現実が証明したので、新党を立ち上げたはずだ。
この前年、鳩山元総理は米軍基地問題で辺野古に行っていたし、年末の恒例で山本太郎議員は貧しい人たちへの炊き出しを手伝っているが、そういうことせず、揃って伊勢神宮参拝する枝野代表ら、というのも実に醜い。
もちろん、同じころ下手糞なゴルフにうつつを抜かしていた安倍総理が批判されたのは、ゴルフしたらいけないからではないし、炊き出しに参加しないと罪だからでもないし、総理大臣と野党の議員では立場も違う。
しかし、苦労知らずの七光りが総理大臣になって、金持ちを優遇して弱者を迫害する政策をして、不祥事を起こしても居直っているから、このような比較をされたのだ。
これと同じことで、辺野古にも炊き出しにも行かず、今の政治経済に苦しめられてはいない人たちや意識の低い人たちに媚びて見せたから、立憲民主党も自民党や公明党と同じ穴の狢だったということになるのだ。 これに対し、立憲民主党の支持者たちの反応は二通りである。一つは、伊勢神宮参拝には問題があるとし、支持者として批判することで同党を良くしたいと言う人。もう一つは、批判に聞く耳を持たなくていいと言う人で、批判に対して具体性のある反論をしないから、支持者というより盲従者である。
この両者で、前者が多ければ、立憲民主党は存続できる可能性もあるだろうが、ここまで無見識を露呈させられて、それでもまだなんとかなると期待する人は少ないはずだ。
by ruhiginoue
| 2019-01-07 17:00
| 政治






