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by ruhiginoue

病気の人に罰が当たったと言っていいのか

 平成も終わるが、昭和の終わり近くに天皇の戦争責任を追及する男を追った記録映画『ゆきゆきて神軍』が87年に公開された。海外の映画祭で受賞したあと、国内では政治的な問題からミニシアターでの単館上映となり、そこから次第に上映館が増えて大いに話題となった。

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 この映画の中に、戦争体験をもつ主人公が、軍隊時代の知人を訪ねる場面がある。病気で手術し入院しているということで見舞いに行くと、寝ている病人に対して主人公は、そのようにつらい思いをしているのは「天罰」だと言う。戦争を知っている者が戦争責任を追及しないから罰が当たったと言うことだ。
 そう言われたほうは怒ったが、言ったほうも後に同じことを他で言われてしまう。この映画とは別の後日談で、映画が話題になって注目されたらスター気取りで戦争責任の追及をしなくなり、それをとがめられると、病気になって身体が思うようでなかったから仕方ないと弁解する。だから、なんで病気になったのかと問い詰められてしまう。

 これは、過酷な体験が元になっていて、それと社会との関わりが問題なので厳しい言葉も出たということだが、そうではなく普段から、病気で苦しむ人に対して「罰が当たった」と言う人がいて、その是非が議論される。
 このうち、宗教の勧誘が目的などの他意がある場合は論外だが、そうではなく病人になった人の言動が良くなかった場合、だから罰が当たって病人になったのだと、言って良いものだろうか。

 やはり、病気で苦しむことは不幸なのだから、そこに追い打ちをかけることは慎むべきだろう。いくらその人は普段からの行いに難があったとしても、だから罰が当たったと言うのはこじつけであるから、どんなに言いたくなっても言ってはいけない。
 また、あきらかに不摂生で病気になったのなら、それは因果関係があるけれど「自業自得」ということであって、これと「罰が当たった」というのは異なる。「罰が当たった」という宗教的な発想の「因果応報」とは、物的な説明ができる原因と結果の「因果関係」ではないからだ。

 なら、「罰が当たった」と言っていい場合は存在するのだろうか。するとしたら、こじつけではない直接的な関連が具体的にあって、それが物的に説明できる原因と結果ではなく、しかも道徳的・倫理的な観点から非がある場合だろう。

 例えば、自分の高校のある同級生は、同じクラスに胃腸の弱い人がいて腹痛や下痢に見舞われやすく悩んでいるのを「うんこ臭い奴だ」などと面と向かって言いながら侮辱と嘲笑をしていたが、そのあと手前がもっと深刻な病気になって下痢が止まらなくなり、入院して食事ができず点滴しながらガリガリに痩せていた。
 こうなると、上記の条件がそろっているから「罰が当たった」と言ってもいいだろう。


 

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Commented by ruhiginoue at 2019-02-21 19:34
だから身体と生命に係ることを話すのは難しいのです。
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by ruhiginoue | 2019-02-19 12:21 | 映画 | Trackback | Comments(1)