西部邁と小沢一郎の共通する持ち上げられ方
2019年 05月 23日
先日、このブログの過去記事に荒唐無稽なコメントをした人がいた。
それは、自殺した西部邁は非常識な発言ばかりしていたという事実の指摘に対してであった。
この西部と保坂正康は、中学で一年先輩後輩関係から互いによく知った間らしいが、この保坂正康も右だったり左だったりである。そして保坂は時々だが医療問題について口を出していて、このひどさは拙書『防衛医大』でとりあげている。
それはともかく、彼らを後から良識派であるかのように持ち上げている人たちの態度は、ちょうど小沢一郎の場合と酷似している。
これは習性が共通しているからなのだろうが、それにしても、いくらなんでも、常識がなさすぎる。
この種の人たちは、にわかにネットだけで政治を語るようになった人たちの特徴を備えているから、おそらく政治や経済の本など読んだこともなければ、新聞の記事すら読んだことがないのだろう。

例えば、よくツイッターなどで話題となるように、仏文学の堀茂樹という人は熱烈な小沢一郎の信奉者ではある。それでいて小沢一郎の著書の代表作『日本改造計画』を読んでいないようなのだ。この本のゴーストライターは霞が関の右翼官僚らで、そこに竹中平蔵も混ざっていると言われていたし、実際に内容がそうだ。
ところが小沢一郎を崇拝する堀茂樹という人は、それでいて自民党や新自由主義および竹中を批判しているのだから、小沢一郎の著書など読んでいないとしか考えられない。
やはり政治や経済の本も新聞も読んだことが無いらしいのが「映画作家」の相田和弘という人だ。
この人は、政治や経済について、いったいどこからこんな変な認識が湧いて出るのかと呆れる発言ばかりである。ネットでにわかに政治や経済に「目覚め」たらしく、だから読んだばかりの本を鵜呑みにして受け売りしていたりする。
今は山本太郎の奇妙な経済政策について、無知丸出しのデタラメな賛辞を贈っている。
こんな彼らは、偽左翼の総会屋だった佐高信とは違い、商売のためにコロコロ言うことが変わる確信犯ではない。
それが一定の影響をネットで世間に与えていることには危機感を持たざるを得ない。できれば無理しないで、大人になっても無関心を貫いてほしかった。


それは、自殺した西部邁は非常識な発言ばかりしていたという事実の指摘に対してであった。
この西部と保坂正康は、中学で一年先輩後輩関係から互いによく知った間らしいが、この保坂正康も右だったり左だったりである。そして保坂は時々だが医療問題について口を出していて、このひどさは拙書『防衛医大』でとりあげている。
それはともかく、彼らを後から良識派であるかのように持ち上げている人たちの態度は、ちょうど小沢一郎の場合と酷似している。
これは習性が共通しているからなのだろうが、それにしても、いくらなんでも、常識がなさすぎる。
この種の人たちは、にわかにネットだけで政治を語るようになった人たちの特徴を備えているから、おそらく政治や経済の本など読んだこともなければ、新聞の記事すら読んだことがないのだろう。

例えば、よくツイッターなどで話題となるように、仏文学の堀茂樹という人は熱烈な小沢一郎の信奉者ではある。それでいて小沢一郎の著書の代表作『日本改造計画』を読んでいないようなのだ。この本のゴーストライターは霞が関の右翼官僚らで、そこに竹中平蔵も混ざっていると言われていたし、実際に内容がそうだ。
ところが小沢一郎を崇拝する堀茂樹という人は、それでいて自民党や新自由主義および竹中を批判しているのだから、小沢一郎の著書など読んでいないとしか考えられない。
やはり政治や経済の本も新聞も読んだことが無いらしいのが「映画作家」の相田和弘という人だ。
この人は、政治や経済について、いったいどこからこんな変な認識が湧いて出るのかと呆れる発言ばかりである。ネットでにわかに政治や経済に「目覚め」たらしく、だから読んだばかりの本を鵜呑みにして受け売りしていたりする。
今は山本太郎の奇妙な経済政策について、無知丸出しのデタラメな賛辞を贈っている。
こんな彼らは、偽左翼の総会屋だった佐高信とは違い、商売のためにコロコロ言うことが変わる確信犯ではない。
それが一定の影響をネットで世間に与えていることには危機感を持たざるを得ない。できれば無理しないで、大人になっても無関心を貫いてほしかった。

by ruhiginoue
| 2019-05-23 05:56
| 政治





