ツイッターで本性が出てしまう人たち
2019年 06月 01日
「私が嫌いなのであれば、見なくていいので、ご自分が応援する方にエールを送ってあげてほしいです。嫌いな相手をわざわざフォローして汚いコメントを書くより、綺麗でポジティブな言葉を使って好きな政治家を応援する方がご自身も気持ちいいでしょうし」
というツイッターの発言をした杉田水脈議員。
これに対して反応は以下のとおり。
「貴殿は、全国民の代表(憲法43条)なのです。ネガティブな声にこそ、耳を傾けるべき立場です」
「全国民の代表としての自覚がないようですので、速やかにお辞めになられた方がよろしいかと」
「好き嫌いという判断基準しかないのであれば、政治家失格ですよね」
「嫌いな人に汚い言葉を浴びせかける方が気持ちいいはず。自分がいつもやってることでしょう」
この議員の不見識は、要するに発想が「自己中」ということだ。

ところが、自分のことではなく他人の会話に割り込んで「お前と違ってこのお方はお忙しいんだぞ」とツイートする人がたまにいる。一見、片方に味方しているつもりのようだけど、両方にとって余計お世話である。
それ以前から他のことで反感を持っていて、面と向かって言うなどできず、他人とのことに便乗するしかなかったのかもしれない。
それにしても、そんな横柄で嫌らしいことする神経は、どこから生成されるんだろうか。
そもそも、ツイッターすれば「同じ土俵に乗った」ことになるから、お忙しい方と暇人の違いは存在しない。そんなに忙しいならツイッターなんてしなければいいことで、実際に忙しいからやらない人は大勢いる。やれば反応があるのは当たり前のこと。特定の人とだけやりとりしたければ非公開設定という手段をとるように出来ている。
そうでなければ、もともと面倒くさいものは無視するものであるし、ブロックやミュートの機能もある。
つまり、他人のことに口出して「お忙しい方」とか言うのは、もう片方に対する侮辱が目的の奴だろう。
しかし、最初はそうでなかったのに急にそういう態度になる人もいる。肩入れしている件で他の人がツッコミを入れられているから加勢したいけど邪魔しかできないとか、誰かが質問されていて意地悪な質問かもしれないと思って邪魔するために割って入るとか。
これらは、他人のことではあるけど他人事とばかりも言っていられないから焦ってしまい、それで嫌味を言って遠ざけようとするのだ。
このようにTwitterを観察していると、正体を露呈させる人たちがいるので有益である。決して暇つぶしだけではない。
それで、この人とこの人がそうだったと指摘もできるが、それより皆がそれぞれ観察して判断するほうが有益だろう。


というツイッターの発言をした杉田水脈議員。
これに対して反応は以下のとおり。
「貴殿は、全国民の代表(憲法43条)なのです。ネガティブな声にこそ、耳を傾けるべき立場です」
「全国民の代表としての自覚がないようですので、速やかにお辞めになられた方がよろしいかと」
「好き嫌いという判断基準しかないのであれば、政治家失格ですよね」
「嫌いな人に汚い言葉を浴びせかける方が気持ちいいはず。自分がいつもやってることでしょう」
この議員の不見識は、要するに発想が「自己中」ということだ。

ところが、自分のことではなく他人の会話に割り込んで「お前と違ってこのお方はお忙しいんだぞ」とツイートする人がたまにいる。一見、片方に味方しているつもりのようだけど、両方にとって余計お世話である。
それ以前から他のことで反感を持っていて、面と向かって言うなどできず、他人とのことに便乗するしかなかったのかもしれない。
それにしても、そんな横柄で嫌らしいことする神経は、どこから生成されるんだろうか。
そもそも、ツイッターすれば「同じ土俵に乗った」ことになるから、お忙しい方と暇人の違いは存在しない。そんなに忙しいならツイッターなんてしなければいいことで、実際に忙しいからやらない人は大勢いる。やれば反応があるのは当たり前のこと。特定の人とだけやりとりしたければ非公開設定という手段をとるように出来ている。
そうでなければ、もともと面倒くさいものは無視するものであるし、ブロックやミュートの機能もある。
つまり、他人のことに口出して「お忙しい方」とか言うのは、もう片方に対する侮辱が目的の奴だろう。
しかし、最初はそうでなかったのに急にそういう態度になる人もいる。肩入れしている件で他の人がツッコミを入れられているから加勢したいけど邪魔しかできないとか、誰かが質問されていて意地悪な質問かもしれないと思って邪魔するために割って入るとか。
これらは、他人のことではあるけど他人事とばかりも言っていられないから焦ってしまい、それで嫌味を言って遠ざけようとするのだ。
このようにTwitterを観察していると、正体を露呈させる人たちがいるので有益である。決して暇つぶしだけではない。
それで、この人とこの人がそうだったと指摘もできるが、それより皆がそれぞれ観察して判断するほうが有益だろう。

by ruhiginoue
| 2019-06-01 21:22
| 雑感





