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井上靜に関するblog(網誌)です。下記の著書を読んでもらえたら嬉しく存じます。


by ruhiginoue

古い価値観を否定するのに元号を使う滑稽

 昔の価値観や習慣を維持しようと押し付けまでする人を窘めるのに、もう2020年になるのだと言うのはいいが、今はもう「令和」だと言うのでは不適切だ。

 そう言っている人が時々いるけれど、そもそも令和になったのは昔の価値観や習慣を維持しようと押し付ける人たちがいるからだ。それにより、不便なのに強制されている。
 だから「今は令和だ」と言うのは滑稽である。新しい時代になったのだから古い考えを改めようと言いたいのだろうが、それでいて手前は元号を使用しているのは何なのか。
 
 もしも、元号に昔を否定する目的があるなら、新元号を使うことで時代は変わったと言うことができるけれど、それは無いだろう。
 たまたま、その時代に起きたことの特徴と、その当時の元号が一致していたということで、例えば「平成の30年間でコンピューターが普及し、さらにインターネットが各家庭で普通のことになった」というような言い方はよくされるが、これはあくまで大雑把な回想であり、「平成になったからコンピューターしましょう」だったのではない。
 また、昔の時代のものごとについて「昭和臭い」などとコキ下すことがあるけれど、これは単に古いのではなく、洗練されておらず不合理だから否定されるべきことを、それが最も幅を利かせていた時代とひっかけて言っているのだから、時代が変わったから否定なのではない。

 つまり、過去の元号を否定的に用いるのは「封建的」「前近代的」と同じことであり、これに対しての否定は「現代」であるから、過去の否定で「昭和じゃあるまいし」と言うだけならいいけれど、それに続いて「いまどき」ならいいけれど、「平成」「令和」と言うのでは過去の否定にならないのだ。
 これは、「封建主義が否定された」という意味で「もう江戸時代とは違う」と言っても、それは「明治だから」「大正だから」ではないのと同じことだ。

 従って、時間が過ぎて変化したことを言うのであれば、連続している暦で何年になったとか何年が経過したとか言うべきなのだ。

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by ruhiginoue | 2019-11-01 11:28 | 社会