「共産党」が悪口になると思っている田舎者の体質
2019年 11月 14日
「共産党」と言えば悪口になると思ってる人は、昔からいて、特に田舎では普通のことで、そうであろうとなかろうと関係なく片っ端から言うもので、珍しいことじゃない。
珍しいのは、総理大臣ともあろう者が国会で違う政党に所属してる議員に言ったことだ。
もしかして、立憲は自民と変わらないと思っていたけどそうじゃなかったと言う意味だったのだろうか。
「立憲民主党は自民党の亜流だから大企業がスポンサーのマスコミが取り上げてくれているのに、そんな厳しく政府を追及するようでは共産党と同じじゃないか。共産党のようにマスコミから、田原総一朗や佐高信など自民党を批判するふりして自民党の味方しているマスコミ人に、disられていいのかよ」
などと皮肉を言うつもりだったとは、安倍総理の頭からすると考えにくいけれど、その野次が出た国会で、共産党の議員が厳しい質問で追及している一方、立憲民主党の議員が馴れ合いだと批判される質問をしていたことは事実である。
しかし、安倍総理の野次はあくまでネトウヨ感覚である。これと、無知な田舎者がよく言うのとでは性質が異なる。
だいたい田舎者は、批判的でなくても、政治的でなくても、なんとなく小難しいことを言ったり考えていそうだったりの人を、漠然と「共産党」と言う傾向がある。何でもナアナアで済ませてはいけないと言うのは田舎でない所では常識だが、田舎では何でもナアナアで済ませるのが常識である。それが飛躍して「共産党」になる。
また、「理屈っぽい」など意味で使われるが、これは論理的な思考を苦手とする者が、反論はできないけれど否定したい時に便利である。昔から権力から迫害されている共産党に喩えて中傷するなら、権勢に媚びながら自分の無学を隠せるだろうという期待がある。
だから、反対に共産党を応援してる人の多くは、田舎によくある馴れ合いや田舎者に安住する人の無学が嫌いだ。逆に言うと、自民党にあるような田舎臭さが嫌いで共産党を応援する。
いい例が落語の名人の林家彦六であった。よく「とんがり」「インテリ」と言われた彼は、共産党の理念よりも書生っぽさに好感をもっているから贔屓していると言っていた。



珍しいのは、総理大臣ともあろう者が国会で違う政党に所属してる議員に言ったことだ。
もしかして、立憲は自民と変わらないと思っていたけどそうじゃなかったと言う意味だったのだろうか。
「立憲民主党は自民党の亜流だから大企業がスポンサーのマスコミが取り上げてくれているのに、そんな厳しく政府を追及するようでは共産党と同じじゃないか。共産党のようにマスコミから、田原総一朗や佐高信など自民党を批判するふりして自民党の味方しているマスコミ人に、disられていいのかよ」
などと皮肉を言うつもりだったとは、安倍総理の頭からすると考えにくいけれど、その野次が出た国会で、共産党の議員が厳しい質問で追及している一方、立憲民主党の議員が馴れ合いだと批判される質問をしていたことは事実である。
しかし、安倍総理の野次はあくまでネトウヨ感覚である。これと、無知な田舎者がよく言うのとでは性質が異なる。
だいたい田舎者は、批判的でなくても、政治的でなくても、なんとなく小難しいことを言ったり考えていそうだったりの人を、漠然と「共産党」と言う傾向がある。何でもナアナアで済ませてはいけないと言うのは田舎でない所では常識だが、田舎では何でもナアナアで済ませるのが常識である。それが飛躍して「共産党」になる。
また、「理屈っぽい」など意味で使われるが、これは論理的な思考を苦手とする者が、反論はできないけれど否定したい時に便利である。昔から権力から迫害されている共産党に喩えて中傷するなら、権勢に媚びながら自分の無学を隠せるだろうという期待がある。
だから、反対に共産党を応援してる人の多くは、田舎によくある馴れ合いや田舎者に安住する人の無学が嫌いだ。逆に言うと、自民党にあるような田舎臭さが嫌いで共産党を応援する。
いい例が落語の名人の林家彦六であった。よく「とんがり」「インテリ」と言われた彼は、共産党の理念よりも書生っぽさに好感をもっているから贔屓していると言っていた。


by ruhiginoue
| 2019-11-14 11:16
| 芸能





