自民党と偽科学が嫌いな芸能人の本質
2020年 01月 17日
立憲民主党・枝野代表と国民民主党・玉木代表の会談に関してのマスコミ報道は、当事者以外の人が言っていることに基づいているか、マスコミによる想像であり、そんなものを真に受けないようにと、枝野代表がSNSで呼びかけていた。
たしかに、このマスコミ報道は内容的に勝手すぎであるし、悪意を感じもする。
また、相変わらずの小沢一郎は、このマスコミの悪意に便乗したうえで、枝野・玉木に対して、よくツイッターで「FF外から失礼します」と「クソリプ」するのと同じように勝手な発言をしていた。
この「横レス」を持ち上げたのが、小沢一郎の支持者の中でも低劣な連中である。これは「小沢一郎の信者」を訳して「オザシン」と言われ、「ネトウヨ」同様にツイッターの嫌われ者である。
しかも今回また、小沢一郎の言う通りにしないのは頭が悪いとか、枝野や玉木は大人になれとか、とにかく失礼な言質ばかりで、枝野や玉木が嫌いな者でさえ不愉快になる。
この非常識な連中に賛同していた芸能人がいたけれど、この一方マスコミで政権批判して見せているのだから、格好つけているだけではないか、ウソ臭い、と感じてしまう。
こうした芸能人の中には「偽科学」を嫌いな人がいて、ツイッターでオザシンの上から目線に同調しながら、偽科学を批判する本およびレビューを紹介していた。このレビューとは「何で、偽科学を信じる人は、こんなことも解らないのか」という趣旨だった。まさに上から目線である。
この本の著者である法政大学教授はSNSで、自分が気に入らない意見を言う人たちに対し、その意見に反論するのではなく、女性の容姿を侮辱したり、姓名と居住地を特定できる形で「ナマポ」と書いて差別したりで、これを批判されて削除したから、「何で、して良いことと悪いことの区別が、この人は出来ないのか」と言われたものだった。
このように、「何で」こんなことも解らない人がいるのかと読書がレビューする啓発書を書いている学者が、「何で」こんな常識も無いのかと呆れられていたのだから、これが「何で」に対する回答だろう。
つまり、この芸能人は、政治に対しても偽科学に対しても共通して「上から目線」での批判を好んでいる。
これはいただけない。しかし、この種の人たちがマスコミに好まれている。
たしかに、このマスコミ報道は内容的に勝手すぎであるし、悪意を感じもする。
また、相変わらずの小沢一郎は、このマスコミの悪意に便乗したうえで、枝野・玉木に対して、よくツイッターで「FF外から失礼します」と「クソリプ」するのと同じように勝手な発言をしていた。
この「横レス」を持ち上げたのが、小沢一郎の支持者の中でも低劣な連中である。これは「小沢一郎の信者」を訳して「オザシン」と言われ、「ネトウヨ」同様にツイッターの嫌われ者である。
しかも今回また、小沢一郎の言う通りにしないのは頭が悪いとか、枝野や玉木は大人になれとか、とにかく失礼な言質ばかりで、枝野や玉木が嫌いな者でさえ不愉快になる。
この非常識な連中に賛同していた芸能人がいたけれど、この一方マスコミで政権批判して見せているのだから、格好つけているだけではないか、ウソ臭い、と感じてしまう。
こうした芸能人の中には「偽科学」を嫌いな人がいて、ツイッターでオザシンの上から目線に同調しながら、偽科学を批判する本およびレビューを紹介していた。このレビューとは「何で、偽科学を信じる人は、こんなことも解らないのか」という趣旨だった。まさに上から目線である。
この本の著者である法政大学教授はSNSで、自分が気に入らない意見を言う人たちに対し、その意見に反論するのではなく、女性の容姿を侮辱したり、姓名と居住地を特定できる形で「ナマポ」と書いて差別したりで、これを批判されて削除したから、「何で、して良いことと悪いことの区別が、この人は出来ないのか」と言われたものだった。
このように、「何で」こんなことも解らない人がいるのかと読書がレビューする啓発書を書いている学者が、「何で」こんな常識も無いのかと呆れられていたのだから、これが「何で」に対する回答だろう。
つまり、この芸能人は、政治に対しても偽科学に対しても共通して「上から目線」での批判を好んでいる。
これはいただけない。しかし、この種の人たちがマスコミに好まれている。
by ruhiginoue
| 2020-01-17 05:23
| 芸能