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井上靜のblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue

カテゴリ:文学( 58 )

 「津原氏の炎上商法ではないか」
 などと変な疑いを小説家の津原泰水さんにかけている花田紀凱Hanada誌編集長は、よそ様のことに変な口を出しているのだから、この方がよほど炎上商法だと非難されている。
 そもそも、ネットスラングとして「炎上」という言葉ができるよりはるか以前から『週刊文春』などで常套手段としてきた雑誌業界の連続放火魔が言うのは滑稽であり、まさに天に唾で、ネットスラングでは「ブーメラン」である。
 
 ただしブーメランとは戻って来て取ってまた投げるの反復で追い詰める武器だったのであり、「天に唾」の意味で言うのは不適切な喩えだ。こんな変な用語を使用するのはHanadaを読んでいるようなネトウヨが専らである。

 「本は『売れるもの』ではなく『売るもの』です」
 そう記者会見で豪語したのが角川春樹社長であった。この人の下にもともと幻冬舎の見城徹社長はいて、その発想を引き継いだ出版人のはずだ。流通での強引な商品押し込みは有名。
 そして、バーニングの周防社長、秋元康AKB仕掛け人、安倍総理大臣、などと親交を結び人脈作りに熱心で、各方面の長老たちに取り入るさいは情熱的なため「ジジイ殺し」とまで言われてきた。
 しかし利用価値がなくなったら付き合いが全く無くなったように見えて実にあっさりとしている。

 「子供の落書きも額に入れて画廊に飾れば芸術」
 という画商と同じ感覚で「売ってやる」と思っている出版人もいる。この典型が見城社長である。だから、津原さんより年長ベテランの作家であろうと、出版社を批判したら、それが他所の会社でも、モノカキ風情が生意気だぞという言動を実際にしてきたはずだ。
 そんな見城社長の場合、当然ながら本の売れゆきは著者や編集者ではなく経営者の責任である。なのに実売数を持ち出して売れゆきが芳しくないのを作家のせいにしたら矛盾が生じてしまう。
 そうではなく見城社長は、百田尚樹『日本国紀』のウィキペディア丸写し批判に対して、堂々と反論すべきだったのだ。ウィキのコピペでもベストセラーにしたのだから「子供の落書きでも額縁に入れて画廊に飾れば芸術」にした画商と同じだ。それに文句あるなら、うちからは出版しない。そう言うべきだったのだ。

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by ruhiginoue | 2019-05-26 09:43 | 文学 | Trackback | Comments(1)

誰が殺したクックロビン

 漫画家に描かせた安倍総理が美化しすぎで似ても似つかないと話題だが、これで想い出したのが『パタリロ!』の第一話。
 パタリロが訪英すると、MI6のバンコラン少佐が護衛のために来てパタリロ殿下に会いたいと当人の前で言い、目前に見て気づかなかったのは公表されていた写真と大違いだったからで、チョット修正したとパタリロは言うが、どう修正すればこんなに別人になるのかとバンコランは呆れて言った。
 ただ、もともとの印象なら、金正恩のほうがパタリロに近いだろう。

 それはともかく、ある同級生は『パタリロ!』を全巻もっている。それは偶然のきっかけで単行本を読んだら面白かったので買って読んでいるうちに全巻揃ってしまったということだった。だから連載されていた雑誌を知らず、同じ『花とゆめ』に連載の人気作『ガラスの仮面』や『スケバン刑事』を知らない。

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 また、彼が『パタリロ!』を知ったのはかなり後になってからなので、テレビのアニメになっていたのも知らなかった。
 しかも、原作を読んだことがない人やアニメをちゃんと見たことがなくても知っている人がいるほど人気だった「クックロビン音頭」を知らない。「♪だーれが殺したクックロビン」と歌って聞かせると「そんな曲が付いてたのか」と驚く。
 なので、最初は曲がなく、そのあと曲が付いて「♪だーれが殺したクックロービン」だったけど、伸ばすのではなく短い休符を入れて「♪だーれが殺したクックロ・ビン」に変えたということも、もちろん彼は知らなかった。

 この「クックロビン音頭」がエンディングテーマ曲(昔は「終わりの歌」と言った)になったのは、放送時間と題名が変わってからだ。原作を知らない人は題名の意味が判らないので、主人公のことだと明記する意味で『ぼくパタリロ!』とした。
 その前、最初は「美しさは罪」というデカダンな雰囲気の歌だった。バンコラン少佐は切れ者で射撃や格闘が得意な諜報員であると同時に美形の男色家で「美少年キラー」であることを謳っている。
 この歌は雰囲気たっぷりだが子供に解らない。それで、テレビのアニメは子供も見るのだからギャグを強めよう、ということで変えたらしい。
 
 しかし、その同級生はアニメ化を知らないから、パタリロ役の声優が死去したことにも無関心のようだ。
 そんな彼と違って自分はアニメしか知らないから、もう八十歳代だったのかと思ったし、最初にテレビで見たときバンコランの声を聴いてポリマーの声だなと思ったことなどの記憶がある。
 あと、最初はベテラン辻真先の脚本のうえ絵も丁寧だったが、後から子供むけギャグが強まったことで定番ギャグとダジャレで笑わせるようになり、アニメらしい動きが乏しくなってしまった。これではアニメではなく紙芝居だと言う人もいた。

 このアニメ化を見ていたら、同級生は前半の方がいいと言っただろう。男色をギャグにしていることを、もともと面白がる人だ。だから稲垣足穂などを読んでいたし、三島由紀夫の小説も初期のものが面白かったと言っている。
 そして芸能人の女性で誰が好きということも、ほとんど言わない。ただし、これはあくまで芸能に関心が乏しいからだ。だから当人は同性愛者ではなく、それどころか非常に度を越したほど女好きである。彼にとって「衆道」とは文学の中で楽しむことだ。

 つまり、現実の嗜好と文化的な趣味とは別ということである。





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by ruhiginoue | 2019-05-13 13:35 | 文学 | Trackback | Comments(0)
 漫才の内海桂子さんがツイッターでいつも興味深い話をしているから、よく話題になる。
 先日の3月10日には、東京大空襲の体験をツイートしていた。

 未明から火の手が上がり、とても家に留まる訳にはいかず、母親と二人の子供の手を引いて外に出ると、たくさんの人たちが逃げ惑っていて、多くが隅田川方面に向かったので、そうしようとしたら褌姿の男性が日本刀を振りかざし「川には行くな」と言ったので、近くの公園に避難した。
 これで助かったということだ。

 あの時、猛火のため水に入れば助かると思い川に飛び込んだけども煮えて死んだ人が大勢いたと聞きいた。流れている川の水が沸騰に近いほど温度が上昇するとは一体どんな凄い火炎だったのかと思ったものだ。
 このことをリプしたら、たちどころに大量のリツイートされ、そこで、油がぎらぎら川に浮いていて何度も火が水の上を走ったそうだ、という目撃談を教えてくれた人がいた。
 
 あの『猫は生きている』(原作=早乙女勝元・絵=田島征三)でも、主人公は川に逃げたが、降り注ぐ火の粉がすさまじく、這い上がることで助かったのは一緒にいた野良猫の親子だけだった。
 この絵本は人形劇による映画化していた。小さいころに上映会で観たし、この時いずみたく音楽の主題歌レコードも買った。これは評判が良かった。しかし原作のほうが強烈だった。

 
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 この映画の上映会を右翼が暴力で邪魔したことも報じられた、だが、戦争の悲劇を訴えるとともに、アメリカの戦争犯罪を告発した内容でもある。なのに不可解ではないか。
 しかし、東京大空襲を指揮したルメイ司令官に勲章を授けて猛反発された小泉防衛庁長官と、その息子の純一郎の、ひどい対米従属ぶりからすると、敗戦で属国となってしまったことを恥じない政治家たちに媚び売る偽右翼だったのだろう。


by ruhiginoue | 2019-03-12 17:17 | 文学 | Trackback | Comments(3)
 ツイッターで百田尚樹が、石井孝明という人から著書を読んだというメッセージが来たら「あんた、誰?」とリプライしたから、みんな笑っていた。
 そして百田尚樹は第三者から、石井孝明は『アゴラ』というサイトに寄稿している人だと教えられると、その主催者である池田信夫という「もうろくじいさん」なら知っているが、寄稿している人まではいちいち知らないと返答していた。

 この前すでに石井孝明は、ツイッターで百田尚樹に賛同するメッセージを送信して媚びていたが、なのに意識されていないのは石井に存在感がないからだと嘲笑された。
 また、石井は非常識なツイートばかりして、度々裁判に訴えられて敗訴したり謝罪して和解してもらったり、ということまであり、さすがに百田尚樹としても迷惑だから無視したのではないかという見方もある。

 ただ、「あんた、誰?」に続いて、そんな内容を期待するなら「あんたが書けば」と百田は述べていた。これは石井が百田の著書を読んで良かったとしながら、そこでケチや注文の類をつけていたことに対してのものだった。
 もちろん、その百田尚樹の著書には間違いやパクリの指摘があり、それは大いに批判されている。そうではなく好意的でいて馴れ馴れしくて図々しいから「あんた、誰?」「あんたが書けば」ということだったのではないか。

 このような厚意というより厚かましい人は、よくいるものだ。
 これについて自分でも経験がある。著書を読んだから良かったけれどこの部分が気に入らないから書き直して出版しなおせと言った人がいた。みんなが同じように感じるのではないかという話ではなく、あくまでもその人の趣味とか感覚とかに合わないからと言うのだ。
 これが内容への批判や誤りの指摘なら、正しければありがたく受け入れ、違うなら反論や否定をするものだ。
 そういうことではなく、良かれと言うようにして個人的趣味を押し付けるのだから迷惑なものである。そういうことを何故かやりたがる人がいるから、誰だって警戒しているのだ。

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by ruhiginoue | 2019-02-02 12:46 | 文学 | Trackback | Comments(0)
 よく右翼が自衛隊に入るとガッカリして辞めていくそうで、それは、知能も健康も性格も問題がないから務まりそうだと審査に合格はしても、大きな組織の中の歯車の一つとして働くことに耐えられないためらしい。
 これとは逆に、左翼っぽい人が猫被りで自衛官になっていると、長く勤めている。家庭の事情で自衛隊の学校に入り、身を以て知る貧富の差などから社会に批判的で、「おれは海自のヤン=ウェンリーだ」とか言って割り切っている人がいたりする。
 しかし右翼は使命感の点で幻想を抱いているから仕事がつまらないと感じ、それで落胆するとのこと。

 そして自衛隊を辞めて政治活動をする人がいるけれど、今度は右翼団体に入るとガッカリするそうだ。国士を気取りたくて右翼団体に寄って来るのは不良少年の類ばかりだど赤尾敏氏も言っていた。そこに公務員していた人は馴染めなくて当たり前である。
 だから、例のイラクで拘束され命からがら帰国した元空挺隊員も、実は自衛隊を辞めてから右翼団体に入ったものの、なにかにつけては「元自衛官だから真面目」と悪口として言われてしまい、それで「真面目」が悪口になる団体を辞めて鈴木邦男氏を訪ねたという過去である。

 その「幻想」といえば、三島由紀夫の事件のさい中曾根康弘防衛庁長官は「幻想は迷惑千万」と談話したが、タカ派で鳴らした人ならではの批判である。
 もともと、三島由紀夫は自衛隊に体験入隊して訓練を受けていたけれど、自衛隊としては彼が有名人だから「先生」とおだてていただけで、仕事もしないで面白いことだけやって帰っていくわけだから、隊員たちは反発していたそうだ。
 だからバルコニーからまさに「上から目線」で演説したら、怒号やヤジが飛んだのだ。

 しかし、自分でも高校生くらいまでは、三島由紀夫の演説が高尚すぎて自衛官たちの頭では理解できなかったと思っていた。そうではないことが、社会人になったらわかるようになった。

 まして、こんな人、内心では軽蔑じゃないか。昔に比べて隊員たちが劣化してりゃ別だけど。

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by ruhiginoue | 2019-01-24 19:52 | 文学 | Trackback | Comments(10)

新潮社に抗議する人たち

 明日は19時に東京都新宿区にある新潮社の前に集結することになっている。これはもちろん『新潮45』への抗議のためだ。

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 この『新潮45』の差別誌面は、売れなくなった月刊誌をなんとかするため「炎上商法」するつもりだったとみられ、現に騒動のため「完売」(もとは不動産用語)したが、新潮社に対する非難の声が高まっていて、これでは損したという結果かもしれない。

 また、『新潮45』だけが問題なのではなく、昔から『週刊新潮』を読めば明らかなとおり、新潮社には差別や反人権の体質がある。そもそも、戦前から新潮社も戦争に迎合した雑誌で商売していたのだから、新潮社の佐藤義亮も、文芸春秋社の菊池寛と同じ穴のムジナということだ。

 前にも、児童文学の灰谷健次郎が、少年事件で新潮社の雑誌が人権否定と商業主義の両方から実名報道したことに抗議し、新潮社から自著を引き上げたが、これに対して他の出版社の経営者たちが「モノカキ風情が生意気だ」と中傷していた。
 しかし、「モノカキ」も黙っていない。新潮45の居直りを受けて小説家や翻訳家たちが執筆・刊行取りやめの意志を表明している。
 
 これに大江健三郎なんか、どう思っているのだろうか。『文芸春秋』や『諸君!』の編集長(退社したら『WILL』)の堤堯のことが不愉快とか言いつつ文芸春秋社とは関係を続けて批判されていたが。過去の行動からすると、意見を訊きに行っても、おそらく逃げるのではないか。






by ruhiginoue | 2018-09-24 17:09 | 文学 | Trackback | Comments(4)
 差別と居直りの『新潮45』に抗議して、新潮社の本を棚から撤去したり、そこまではしないが当面は新たに取り寄せないことにするという書店が出ていると報じられている。

 これは騒動になったからで、普段こんなことをすると、取次店(問屋)から「置け」と言われたりすることがある。もともと大手出版社は、取次店の株主になり、書店が嫌がる本を売れと無理強いしたり、小出版社の本を置かせないよう圧力をかけてきたものだ。

 これも既に拙書『朝日新聞の逆襲』(第三書館)で詳しく述べたことだが、アマゾンの横暴に対して文芸春秋社が怒り、流通の立場を悪用していると批判したが、そういう文芸春秋社は、かつて自社を批判する小出版社の書籍が本屋に並ばないように取次店に働きかけたことがあるから、その反省もなくアマゾンを批判する資格などない。

 そうとは知らない人が多いから、本屋に行って「こんな本ばっかり置きやがって」「これを平積みにするとは」などと苦々しく思っても、ほんとうに本屋の意志で置いてるのかどうかということだ。
 そもそも書店は委託販売だから、仕入れの資金が無用なので開業しやすいが、まず出版社と書店の間に入る取次店と契約しなければならず、それでポルノは置かないと言っても売れるんだから置けと言われ、これで廃業した書店がよくあり、このポルノが最近ではヘイトになっているというわけだ。

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 それでも、こだわりの品ぞろえをしている小書店もあり、それで存続できるのは土地柄であろう。そういう小さい書店が鎌倉の駅前商店街にあり、それに感動して買ってしまったことがある。一緒に行った人も同じだった。





by ruhiginoue | 2018-09-23 12:34 | 文学 | Trackback | Comments(0)

子供むけ金田一耕助

 相続の遺留分制度について、よく小説などには不可解な遺言から騒動になる話があるけれど、その対策という意義もある、ということで最初はあくまで法律問題だったが、そこで小説の一例しかも遺言をめぐって連続殺人事件に発展するという極端なものとして横溝正史の『犬神家の一族』に及び、遺産相続人となる女性が絶世の美女という設定だったので、それなのに、なんで映画化でその役が松嶋菜々子なのかと言う女性がいてテーマが逸脱してしまった、という件は前述したとおりである。

 この『犬神家の一族』の映画化では探偵・金田一耕助を石坂浩二が演じていて、この配役で前にも映画化されていたから、松嶋菜々子が出ているのはリメイクである。旧映画化では島田陽子が出演していて、こちらはまだわかると言う人がよくいる。

 こうした女優の評価はともかく、この役はヒロインであるから原作の小説では美女となっているわけで、もしも美女でなければ物語のテーマが変わってしまう。
 例えば舞台や映画の古典的作品『女相続人』は、地味な女性が恋に落ちた相手とはイケメンだが金は無く、彼女は一目惚れしたと言われて有頂天になるが、しかし財産目当てであると父親から反対され対立する。
 こうした話とは違うテーマということだ。

 また、金田一耕助が活躍するシリーズでは、金田一が主人公であると同時に、その物語における主人公がそれぞれいて、これは『犬神家の一族』の場合だと相続人となる女性である。だからヒロインということで美女と描かれているのだ。

 ところが、映像化されると事情が変わってしまう。もちろん金田一とヒロインが主人公だが、小説では大したことなかった印象が映像化されることで強烈になり、『犬神家の一族』といえば「佐清(すけきよ)」である。顔の負傷跡を隠すためにゴムマスクをかぶって無表情になっている姿が不気味なうえ、さらに殺害され遺体を湖に逆さまに投げ込まれ両足だけ突き出るように見えているあの場面はマンガなどでさんざんパロディになっている。
 ただし、というこの先はネタバレであるので言及不可である。
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 それで、あの『ロングバケーション』という人気ドラマでも、主人公が実家に帰らない事情について、田舎だから人目がうざいという意味のことを言うが、その田舎さが半端ではないという喩えに「スケキヨ」の実家のようだと言っていた。

 しかし、こうした地方社会のドロドロしたものを題材にしているものが有名である一方、江戸川乱歩の「少年探偵団シリーズ」のように少年少女むけにアレンジされた金田一耕助シリーズもある。例えば江戸川乱歩の少年探偵団シリーズだと『夜光人間』があるけど、横溝正史の少年少女むけ金田一耕助シリーズには『夜光仮面』があった。これは小学生の当時に読んだ記憶がある。

 ここでの金田一耕助は、やはりヒーローなので明智小五郎と同様に颯爽としていた。他にも映画でスーツ姿のダンディな金田一耕助を片岡千恵蔵が演じていて、いつも変装して潜入捜査しているから、彼の当たり役「多羅尾伴内」と同じということだが、それと同じで少年少女むけの金田一耕助は活劇調であった。クライマックスは謎解きではなくアクションである。
 これに慣れていたので、後に横溝正史が今でいう「再ブレイク」して続々と劇映画やテレビドラマが作られると、ずいぶん違ったものになっていて驚いたものだ。




by ruhiginoue | 2018-01-18 12:53 | 文学 | Trackback | Comments(2)
 今日の新聞各紙を買って読んだところ、国会の強行採決について最も力がこもっていたのは東京新聞だったが、毎日新聞は一面の見出しなど厳しい調子ではあるが公明党についてさりげなく擁護していて、やはり前から言われているとおり創価学会との癒着の噂は本当なのではないかと思わせた。

 ところで朝日新聞の投書欄にはトップに作家の赤川次郎さんの投書が載っていた。共謀罪などを批判し「安倍さん、あなたが『改憲』を口にするのは100年早い」という厳しい言葉で結ばれていた。
 この投書の冒頭は、ウィーンフィルがナチに迎合したことを反省した話を引き合いに出していたが、政治の話をするさい大ファンのクラシック音楽の話題を用いるのは相変わらずである。

 もともと政治の話を真正面から語りたがらない赤川さんだが、主に推理小説を書いているので、社会の歪みが現象となって浮かぶ犯罪を題材とするなら、社会に批判的な視点が無いと書けないと述べていたことがある。
 そして今の時世は、かつて読んだ赤川作品『プロメテウスの乙女』が予言だったかのようである。

 これについて出版社の紹介によると「日本は急速に右傾化の方向を辿り始めた。武器輸出解禁、秘密警察によるスパイ狩、徴兵制の準備等、声なき声は圧殺され、軍国主義一色となった。さらに時の総理滝の肝入りで、国を愛するうら若き乙女の軍団が組織され、庶民に対する弾圧粛清は厳しいものとなった。戒厳令下、反対勢力は、体内に爆弾を埋めた3人の女性テロリストを滝首相の許へ派遣するが……。来るべき時代の恐怖を描く、近未来サスペンス小説の傑作」ということだ。

 そうした警告をちりばめながら、あくまで物語の本旨は、主人公の若い女性が恵まれた家庭の出身であった縁で弾圧する側に当然のように身を置いていたものの、なぜか最後に反体制側に寝返り自爆テロを実行しようとする動機の不明確な破滅である。
 これは他の赤川作品にも形を変えて様々なバリエーションとなり反復して描かれる。

 この作品の中で、国葬で葬送行進曲を演奏させられる指揮者が「ベートーヴェンは、こんな男のために作曲したのではない」と言って指揮棒をへし折り拒否し、権力に歯向かって逮捕の直前に自殺する挿話があり、これについては、芸人とくに音楽家がこんな蛮勇を発揮するわけがなく、逆にもっとも積極的に権力に迎合するはずだという指摘も、よくみかけた。
 こうした音楽界の体質を告発する赤川作品は無いと思うが(それとも知らないだけで存在しただろうか。あるなら教えてほしい)おそらく今日の投書のように日本以外の国では日本よりマシだったという話を赤川さんはしたかったのもしれない。

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 かつて読んだときは上記と違う表紙で、改定されたらしい。



by ruhiginoue | 2017-06-15 20:36 | 文学 | Trackback | Comments(9)
 『キャリー』の映画化をテレビで観て、のちに小説を読んだら、小説のほうがよかった。これはキングの小説では毎度のことで、ただし『ファイアースターター』ほどひどい映画化ではなかった。実はリメイクされた『キャリー』は未見である。
 この『キャリー』という小説はスチーブンキングの出世作だが、この小説では主人公の母親が宗教にはまって狂信的だったため娘が抑圧されていることに特徴があった。こうした狂信的な母親はキングの他の小説にも描かれるが、特に『キャリー』は話の核になっている。
 そうした『キャリー』が他人事ではなかったという人は珍しくない。それだけ自分の信仰を子供に強要する親がいるということだろう。その程度には差があるけれど、うちの母親は特にひどいほうだろうと思う。

 この母親が一時はまっていた宗教団体の開祖が、数年前に死去したとネットで知った。そして次男坊が後を継いだが、先代からの側近が出て行ってしまうなど団体の運営は難航していると聞く。しかし開祖は生前、後継者は長男と長女だと言っていて、この二人はその人柄から好かれていた。なのにどうして次男なのか。この次男はそう人望があるわけではないのに。
 そうしたら、教団が隠蔽していた事実が発覚した。開祖より前に、長男と長女が相次いで死去していた。それも、まず長女が病死し、続いて長男が交通事故死ということで、年齢からしてどちらも早死にであった。
 この教団では、病気や事故などの災いはすべて悪い霊の仕業だから、それを取り除き寄せ付けないというのが教義のすべてだった。しかし、癌も治るなどと説いて十万円もの講習料を取りながら治らないという苦情があり、詐欺ではないかと批判が出ていた。そこへ、中心となっていた後継者が開祖より先に早死にしたのだから、脱会する人が次々と出た。当然だろう。

 この団体の機関誌や開祖の著書は母親が持っているものを詳しく読んだが、語り口は上手いので信者が集まるのは理解できた。しかし程度と品位の低さが感じられた。
 その一例を挙げる。

 「人を呪わば穴二つ」という諺があるけど、この開祖の解釈とは、人を呪って危害を加えて殺害も可能だが、対象のほうが霊的に強いと撥ね返されてしまい自滅につながるというものだった。
 そして彼は子供のころ、親が兄弟ばかり可愛がり自分はのけ者だったという体験を語り、美味しいものを自分だけ食べさせてもらえなかったことで憎しみの念を向けたところ、親兄弟は腹痛に見舞われたから痛快だったとし、子供だと思っていても念力が強ければ大人も負けると説いた。ただし、それで自分が強いと思っても、もっと強い者もいるから呪ってはいけないと戒めていた。

 しかし、こうした類の宗教の基になる「心霊」の代表的な教えは「シルバーパーチ」と呼ばれるアメリカ先住民の口を借りたとする正体不明の霊魂の言葉であるが、これも呪いや憎しみは神の摂理に反していると定義し、呪ったり憎んだりしてはならないと説いて、それをやってしまうと自らに災いが起きると戒めてはいるものの、その理由が異なる。
 それによると、悪い人とか嫌な奴がいて、それを呪ったりすれば念とか霊の力によって倒せるなら、なにも苦労はない。そして、人の悪口を言うと自らの品性を貶め、そういうことで面白がる人しか寄って来なくなるのと同じように、呪ったりしていると自らの霊の格が下がり高級霊を遠ざけて低級霊ばかり近寄ってくる。そうなると当然、自分の身に災いが降りかかる、ということだ。

 この両者を比較してみれば、シルバーパーチが語った言葉は崇高だし、霊とか宗教とか一切信じない人にとっても好感が持てるものだけれど、当団体の開祖の話は抑圧された子供にとっては痛快のようであるが、小さくても強いかもしれないから注意しろとか、自分より強いかもしれないから気を付けろとか、ようするに不良かヤンキーの発想と態度だ。

 こういうことを感じたので、そんな品の悪い宗教団体を信じるのは愚かで、共感している人は下品な感性の持ち主だと思ったのだった。


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by ruhiginoue | 2017-05-16 18:14 | 文学 | Trackback | Comments(6)