井上靜の気楽ゆえ率直な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも同様にe-mail:ruhig@outlook.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:音楽( 85 )

 アメリカではなくフランスの核実験で現れる奇妙なゴジラとか、核とアメリカが宇宙人の侵略から地球を救うとか、悪い意味での商業主義に迎合してハリウッドに渡りSF映画でヒットを飛ばしたローランド=エメリッヒ監督(同性愛者でLGBT支援活動家としても有名)が、まだ変節する前ドイツで作った映画の一つに『スペースノア』がある。
 この映画は、映画製作当時からすると近未来(今では過去)の設定で、気象操作するための人工衛星に不可解な指示があり、ほんらいの災害や農業の対策ではなく、石油資源のために戦争するアメリカ軍を助けるのが目的だった、という真相を知ってしまった乗組員は驚くが、そのときすでに地上では、人工衛星の事故で乗組員が死亡したという報道があらかじめ流されていて、そうとは知らずに帰還しようとする乗組員の悲劇、という話である。

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 この映画のような陰謀が現在の日本で行われていると説いているのが植草一秀もと教授である。先日の沖縄県知事選挙は、台風の接近が予報されたので期日前投票が非常に多かったけれど、そのうえで投票の前日には暴風雨となって低投票率となり、これで組織票が有利となるから、季節外れの台風は「人工地震」と同様に「気象操作」による可能性があるとblogで述べていた。

 かつて松川事件や三鷹事件の当時は、「列車が転覆した」「きっと犯人は共産党だ」、「また列車が転覆した」「共産党に決まっている」、「台風が接近している」「共産党の仕業だ」という皮肉のギャグがあったけれど、この逆SFバージョンが植草一秀氏の説く沖縄知事選挙陰謀気象操作台風だ。

 もちろん、陰謀や不正それ自体は世の常だから存在しないわけがない。
 ただし、例えば人工地震だって理論的には可能だが、では実際に起こされたとしたら具体的にはどうかというのが問題になり、どこの断層にどう仕組んだのか、核爆発させたなら放射能の検出など証拠は出てきたのか、そして実施されたなら実行者は誰か、どこからどうやって核が持ち込まれたのか、それこそクランシーやフォーサイスのポリティカルサスペンス小説に描かれているとおり実行にはさまざまな困難があるので問題になる、という話の展開をしていく。
 これが無ければ最初の疑問のきっかけだけで話は終了である。

 その点で、植草一秀氏の話は、このたびの選挙で話題とするには中身が無い。野党が支持する候補者が過去最高の得票で当選していることはあくまで結果であるけれど、結果として成功したかは別にして、そもそも選挙のために不正をするなら他にいくらでも確実な方法があるはずだから、なのに根拠が薄弱なまま陰謀論に言及することは不適切である。
 このため、もともと植草一秀氏はきわめて頭脳明晰で知られている人だけど、どこか壊れてしまったのではないかと、彼のblogを読んだ人たちから言われている。

 これはおそらく、陰謀の臭いがする事件で彼が無実を訴えながら裁判で負けてばかりだったことが原因だろう。
 もちろん裁判だって不正はある。これは昨日ここで述べたとおりだ。
 しかし、それはひとくくりにせず個別に具体的な問題としなければならないものだ。そして裁判で勝ったり負けたりしている中で、勝てるはずなのに負けたことがあった場合は、あれは八百長だったと確信できる。
 ところが、負けた体験しかないと、なにもかも不正や陰謀だと片っ端から信じ込むようになってしまうものだ。


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by ruhiginoue | 2018-10-03 15:48 | 音楽 | Trackback | Comments(2)
 杉田水脈議員の差別発言に批判が集まっている中、すぎやまこういちは、その差別が正論だと暴言を吐いている。
 だから彼は差別主義者なんだと非難してる人もいるが、それはちょっと違う。もともと彼の脳には、そんなことを考える回路が無いはずだから。

 すぎやまこういちは、70年代の昔『学生街の喫茶店』という歌が大ヒットしたが、80年代に入ると、その歌詞のように若者たちが茶飲みながら話したりBob Dylanを聴いたりなんてことはなくなって、友達と一緒に店に入っても下を向いてゲームをしたりするようになった。

 そしてゲーム全盛期となり、すぎやまこういちは『ドラゴンクエスト』というゲームに音楽を作るようになり、そちらが有名になった。

 90年代からはインターネットの時代になり、「厨房」「ネトウヨ」が発生し、その溜まり場「2ちゃんねる掲示板」の熱心な読者となったことを、すぎやまこういちは公言している。
 つまり、お茶を飲みながら語らう学生に代わり、ビデオゲームに熱中するオタク、さらにヒキコモってヘイト書き散らす連中に、すぎやまこういちは合わせるようになったのだ。

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 ということだから、すぎやまこういちは右翼とか差別主義者とか言うほどのものではなく、政治なんて解りもしないのに解るふりをしてるだけだ。解る脳が彼の頭に入っているなら、今の時点で杉田水脈議員の味方をしたら見識を疑われて損だという判断くらい出来るはずだ。

 しかも、彼の芸風とは、その時々にウケるものを分析して真似して売ることだった。これは彼の弟子である筒美京平も同じである。

 そういう中で当然ながら、すぎやまこういちは時流に乗るつもりで安倍内閣に迎合しているのである。しょせんその程度の薄っぺらい人なのだ。

 しかし芸人とくに音楽家には、そういう人が多いのである。






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by ruhiginoue | 2018-08-10 16:39 | 音楽 | Trackback | Comments(3)
 読み終わった本はすぐに捨ててしまうが、それでも一万円を超える定価の本は捨てにくい。
 そんな一つが『管弦楽法』(伊福部昭 著・音楽之友社・上巻13500円、下巻9500円)である。
 これを読んで、CDが付いていて欲しいと思ったものだ。辞書とか六法全書とか軽くて引きやすくするためにCD化しているものがあるけれど、それに加えて音楽の理論書は音が出てくれたら遥かに解りやすい。
 さらに楽譜作成ソフトと一体化してしてくれたら申し分ない。

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 ところが、自分で考えたものを形にするというのではなく、考えることもAIがすでにやってくれている。もう今の段階でゲームの音楽くらいなら十分に使えるものが作られていて、すぎやまこういち作なんかより独創的ですらあるから、この技術がさらに進歩すれば、もう商業的な作曲家は要らなくなるだろう。

 これはAI製ゲーム音楽の一例である。

 ただ、ゲームに音楽が必要不可欠かという疑問もある。効果音がほんとうに充実していれば、音楽が必要ないくらいだろう。
 また、最近の映画がどうも不自然なのは、映像表現技術の進歩によって、かつてのように音楽で雰囲気を煽って補助しなくても良くなっているのに、古い感覚で音楽を入れるなど余計なことをしているからだ。

 たしか実相寺昭雄だったと思うが、その特撮映画をよく監督していた演出家は「コンピューターのゴジラなんて見たくない」と言っていたけれど、今ではそうなってしまっている。それで音楽が映像の邪魔をしている。

 かつて、ゴジラの映画で最もヒットした『キングコング対ゴジラ』で、大タコが出てくる場面にグリッサンドでニュルニュルした感じを表現する音楽が流れていたけれど、このとき作曲した伊福部昭は、特撮の円谷英二が本物の生きたタコをセットに入れたりして大きく見せると言うので、本物のタコなら音楽が要らないじゃないかとも思ったそうだ。

 あとは言うまでもないだろう。 


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by ruhiginoue | 2018-02-24 15:32 | 音楽 | Trackback | Comments(6)
 音楽家の小室哲哉が週刊文春に不倫疑惑を報じられて引退を表明したところ、逆に報じた週刊誌の方が世間から叩かれる結果となった。
 これはあくまで不倫の疑いであり、それに対して小室哲哉は不倫ではないと釈明したうえで、このように変な騒ぎ方をされてしまったのだから引退すると表明したわけだ。

 ただし、その週刊誌の記事とは、彼に引退を迫ってはいないし、引退に追い込むようなものでもなかった。
 また、疑惑を否定したなら引退することない。
 それにアイドル歌手ならまだしも、裏方として歌を作っている者が醜聞によって引退するというのは異例のことだ。

 もちろん、騒がれる原因を作って迷惑をかけたから、と言うことはできる。
 それにしても、反省の意味で活動を休止するものであって引退とは唐突である。
 そして、この対応が功を奏し、多くの人たちは、騒ぐほどのことでないのを週刊誌が変に騒ぐからやっていられなくなった、という受け止め方をして、週刊誌の方が批判された。
 だから「文春砲」が跳ね返されたと言われている。

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 ところで、小室哲哉は最近とくに目立つ音楽活動をしていないし、才能の枯渇を理由に以前から引退を考えていたとも述べていたから、これを利用して週刊誌に対抗したとも言われている。この意味でも成功ということだ。

 それなら、彼の作曲についても総括したい。
 昔から、小室哲哉の作る曲は転調するのではなく歌の途中でいきなり別の調子になるから違う旋律が3つくらい接しているだけだが、あれでいいのか、いずれ廃れるか、それとも受け容れられるか、という議論の決着はついたのだろうか。

 

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by ruhiginoue | 2018-01-28 17:59 | 音楽 | Trackback | Comments(1)

YOUTUBEよりCDは音が良いか

 避暑のため北海道のキャンプ場でテント生活していたというだけでなく、最近は意欲も時間もなかったので、自宅のちょっとしたオーディオ機器でCDを聴くこともなくなっていて、それが久ぶりに暇もできたからとかけてみたところ、このところ時々聴いていたYOUTUBEにある音楽とは音質が大違いだと感じた。

 そんなに違わないと思っていたが、やはり臨場感が異なる。これまで、同じオーディオ機器を使ってYOUTUBEの音楽を聴いてはいた。それなりの音質だった。
 それで、もうCDを買うことないかと思っていたが、これは、やはりまだ買う人がいると思いなおした。

 よく、オーディオマニアの人が、その仕組みを説明しながら、YOUTUBEは画質のように目立たないだけで実は音質も悪いと指摘し、これでよいと言っている人たちはパソコンのスピーカーで聴いているから違いが判らないのだと言っていて、これに反発する人もいた。
 その違いをとやかく言う人は、よほどのオーディオ機器を持っているのかと思っていたが、うちにあるそこそこの機器でも、違いがすぐに判る。

 かつては、iPodなどが浸透してこれまでのオーディオ機器は駆逐されるかのように言われていたが、そうとばかりも言えないという指摘があり、また、没落したかのように言われていた、アイワ、ナガオカ、ケンウッド、など、かつての有名なオーディオメーカーが復活しているという話にも、うなづけるというものだ。

 ちなみに、うちにあるフルサイズのCDプレイヤーはケンウッドである。


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by ruhiginoue | 2017-10-08 18:58 | 音楽 | Trackback | Comments(6)
 今、FMでタン・ドゥンの曲を先週に引き続き放送しているが、これで思い出すのが昔、日本でほとんど知られていなかったタン・ドゥンが来日したとき横浜で聴いたことだ。
 当時の日本では、中国系の新進作曲家がいるという程度の認識しかなかった。
 そして横浜の関内で「新しい耳シリーズ」という前衛音楽のコンサートが毎年開催されていて、よく高橋アキらが出演していたが、そこにタン・ドゥンが出演するということだった。

 このシリーズには毎年のように行っていたが、ついでに関内だから近くの中華街で食事というのが恒例だった。埼玉県のかなり田舎に住んでいたことがあるけれど、その当時は行き来が「旅」のようで帰りが遅くなって大変だった。横浜のほうではこういう文化事業が普通にあるのに対して埼玉は違った。やはり「ダサイタマ」と皮肉られるように、そもそも意識が低い土地柄だった。それで退屈することより、日常生活の中での意識の低さに苛立ちや嫌悪を感じることが多かった。

 ところで、タン・ドゥンが公演したとき、あの武満徹が聴きに来ていて「あ、武満徹だ」と客たちが言っていた。
 そして終わってから、タン・ドゥンが武満徹のところに飛んできて大喜びで挨拶していた。タン・ドゥンは日本語ができないので英語を使っていた。それで、近くで聞き耳を立てていたら、平易な英語だから意味が解り、要するに武満徹が聴きに来てくれて光栄だということだった。
 たしかに、新進前衛作曲家が日本で演奏会したところ武満徹が聴きに来てくれたら、そりゃ嬉しいだろう。

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by ruhiginoue | 2017-05-14 09:28 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
 先日、作曲家の曽根幸明が亡くなったとの報道があった。病気治療などのため一線を退いたものの、晩年まで創作活動を続けていたという。彼は芸名で歌手と俳優をしていたが、後に本名で歌の作曲家に転じ、1960ー70年代に活躍し、勝新太郎の「座頭市子守唄」や森進一の「銀座の女」、藤圭子などの「夢は夜ひらく」などがヒットして代表作といわれる。
 また1980年代にかけて歌番組の審査員などでテレビ番組にも登場し、明るく親しみやすいキャラクターで人気だった。

 かつて曽根幸明が病に倒れた時、見舞った川内康範が「何でもいいから作曲しろ」と叱咤激励し、それで曽根がやっと動く片手で書いた曲に川内は詩を付けて、森進一に『おふくろさん』の歌詞を引用し「彼の傘になってくれ」と唄うよう依頼したが、森は他人のために働くなんてと笑ったから、これに川内は怒ってしまい後の騒動の一因になったと言われる。

 ところで、曽根幸明は『題名のない音楽会』にも出たことがあり、ここで音大入試などの「聴音」をやってみたが、それまでやったことが無いので全然できなかった。彼はプロの作曲家で音符の読み書きは出来るし、売れっ子のヒットメーカーであるが。


 これは、司会の黛敏郎が「先ずアーの音をあげます」とピアノでAを鳴らしたが、その意味からして「ソルフェージュ」をやってないから知らない様子だった。隣で一緒にやった小学生の女の子は習っていたのでスラスラと書いていた。

 これは音感と言っても聴き取りのやり方を憶えないとできないというだけこと。このとき黛敏郎も、音楽の才能とは関係がないと指摘していた。黛敏郎は学校に行ったから必要でやったし、ヨーロッパ留学のとき試験があって一緒に作曲家の矢代昭雄と受けたと言っていた。東京芸大では改築前の奏楽堂で試験をやっていたらしく、三枝成彰はここで受けたと言っていた。

 あくまで学校のためで、歌謡曲を作る人だけでなく交響曲やオペラなど大規模な作曲をしている人でも、まったく「音感教育」などやっていない人はいくらでもいる。


 この音を聴き取って書く作業は、珠算をやっている人が算盤の映像を頭に浮かべて暗算するように、楽器を長くやっていると鍵盤と音を記憶しているから聴けばどの音か判断できるようになるし、学校で習うならコールユーブンゲンという合唱教則本で憶えるのが普通だが、あと便利な道具があって、かつてはカセットテープだったが「ドミソのドとミの間にレがあって」と説明して憶える教材もあった。

 もちろん、今はパソコンやネットのおかげでもっとよい教材があるだろう。


 ただ、曽根幸明は無用だったのでやっていないし、できないと苦笑していればよかったのは彼の人柄とかキャラクターとかいうものだろう。同じでも小室哲哉などは知りもしないで勝手な注文をするとか言われていたのだから。

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by ruhiginoue | 2017-04-25 17:14 | 音楽 | Trackback | Comments(0)

ピアノの置き場について

 先日、勉強の邪魔になると言って楽器はダメだという親はむしろ子供の成績を悪くしているという話をした。
 これは、お稽古事の調査で東大生の多くがピアノを習ったことがあるという結果だったという件で述べたことだが、そもそも、お稽古事もできない貧乏なうちや、貧乏とまでいわなくても生活に余裕がなくてお稽古事を親が避けたがるうちでは、進学も同じことになるという話だった。

 また、別にプロにならなくても楽しみや教養として身に着けておけばよいことなのに、「それで食っていけるわけではない」とか「うちの子供には才能がない」とか、そう言って反対したりやめさせたりする親がいて、これは余裕がないため心にまで影響していて、まさに「貧困なる精神」ということだ。
 そして、やめさせる口実として受験勉強をしないといけないとか言うけど、これでは先ず「どうせダメに決まっている」と言っておいてから「努力しなさい」と矛盾することを言っているわけで、これに気づかない意識の低い親だと、子供が伸びるわけがないのだ。

 あと、前にここで「ピアノと住宅事情」という話をしたが、かつて埼玉県の西武線沿線に「音大生向け」をウリにしたマンションが出来たけど入居者で埋まらず、それでただ防音設備のマンションと路線転向したという話にも及んだ。
 これは、立地が田舎だったので、その近くにある音楽大学では必要が無かったからではないかと言われている。「めだかの学校」の替え歌で「♪武蔵野音大は~山の中~」とからかわれているが、ほんとうにそうである。

 それに、楽器は音が問題だが、そのうえピアノはかさばるし重たい。
 ところが、これは音楽教室の講師をして教則本を書いてもいる人が言っていたのだが、音楽大学の学生時代に木造モルタルしかもオンボロなうちに住んでいて、グランドピアノとアップライトピアノの両方を置いていたそうで、そんなことをしたら普通は床が抜けるが、和室だったので一階の部屋の畳をはがしてコンクリートブロックを敷き詰めていたそうだ。これなら確かに重量に耐えられるし、安価である。

 他にも、あの手この手をきいた。だから、親が「置き場所が」とかいうのも「勉強の妨げになる」というのと同じで、多くは単なる口実であろう。


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by ruhiginoue | 2017-03-31 20:12 | 音楽 | Trackback | Comments(7)
 「題名のない音楽会」の新しい司会が決まったそうだが、不可解なのは、なぜこの番組の名司会者だった黛敏郎が死んだら司会すぎやまこういち、とはならなかったのかということだ。
 あの番組は右翼だから愉快だったのだ。
 もともと、解りもしない者が無理して政治談議したがると今でいうネトウヨのようになるものだったが、その一つが音楽家で、All music and no work makes Toshirou dull boyという状態で時事問題と音楽作品の牽強付会を得意になって開陳する愚かしさ滑稽さが笑えたのだ。
 そして世の親たちは、「音楽なんて夢中になっているとバカになってしまうから勉強しなさい」と子供に言うネタにしていたものだった。

 また、作曲家の三枝成章が「民放はスポンサーの圧力で政治や経済の話が全然できないからNHKの受信料ちゃんと払おう」とバカなことを言ったことがある。
 今はもちろん昔からむしろNHKの方がひどいのは常識なのに。これは、クラッシック系の音楽で商売するのならNHKに媚びないとやっていけないから言ったのがミエミエだった。
 かつて音楽の教師に、音楽とくにクラシック系でやっていきたかったら、NHKと創価学会を批判してはいけないと言われたことがある。創価とは「民音」のことだ。
 あの西崎義展は音楽の仕事で民音と縁があり、『宇宙戦艦ヤマト』の監督は『人間革命』と同じであることは拙書『宇宙戦艦ヤマトの時代』で述べたが、そもそも音楽なんて信念を曲げてまでやることじゃないし、もう斜陽産業である。

 だからJASRACの件は虚しいと前に述べたが、これと酷似していると感じたのが各弁護士会および日弁連だ。ただし加入している人たちが率直に批判してるだけJASRACのほうがマシだが。
 このJASRACと裁判沙汰となっている音楽家もいるが、知り合いの「前衛」作曲家は、自分の作品を演奏するさい著作使用料を支払い、他で演奏された時に徴収してもらうためだからと言い、しかし自作自演の発表会以外では演奏されず払うばかりで、それでもいつか売れると信じているらしい。
 希望を持つのは自由だが…

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by ruhiginoue | 2017-02-14 17:45 | 音楽 | Trackback | Comments(0)
 JASRACの勝手な著作権料取り立て方針が顰蹙を買っていて、これはまるでNHKの受信料取り立ての勝手なやり方と酷似してるが、テレビ特に公共放送なるもの自体がそもそも必要なくなってきてるのになぜか、ということと同じように、プロが作ったものというだけでなく音楽それ自体が人間にとって必要がなくなってきているのになぜか、ということだ。

 これはCDの売上などが低下したからだそうだけど、そもそも音楽自体が斜陽産業であり、AI(人工知能)による作詞・作曲・編曲が可能になって、音楽は誰でも自分で勝手に作って楽しめる時代になってきたから、♪Video kill the raio starーどころではなく、音楽教室から著作権料徴収すると言い出したJASRAC方針に反発というけど、いずれ音楽家も音楽教室も著作権もみな近いうちに消滅する運命なのだ。

 この現実を認めたがらない人たちがいて、例えば苦労して音楽大学を出て音楽教室を開いている知り合いが「機械に頼らずに自分ですることに意味がある」と強弁していたが、まるで後期高齢者の世代が「最近の子供は鉛筆削り器やシャープペンシルを使うからナイフで削れない」と昔は言っていたのと同じで滑稽であったが、さらに進歩してパソコンや携帯電話などで簡便になり、かつてより頻繁に作文するようになってきてむしろ表現力が豊かになった部分もあり、こうしたカメラと同じ傾向は音楽になるとさらに強まるだろう。

 だからJASRACの著作権管理も曲がり角とか行きどまりというべきであるが、そもそも音楽家の権利を守る活動に熱心だったのは芥川也寸志で、彼は父親の龍之介の死後その著作権収入があったから生活できたと言い、この件で友達の黛敏郎は「詠み人知らずの歌がもてはやされたように芸術の著作権とは本来は神に由来するものだ。ただ現代の芸術家は食っていかねばならない」と言っていた。

 そして、その「現代」も遠い過去となったのである。しかも、人間が音楽を聴いて楽しいと感じることも、どんどんなくなっている。これは音楽だけでなく芸術や芸能について全体的に言えることだが、その問題は別に論じるとして、とにかくプロの音楽家とか著作権とかいうものは、その存在意義が消滅しかかっていて、これは止められないだろう。
 だからJASRACの著作権徴収とこれに対する反発は、虚しい騒ぎなのだ。



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by ruhiginoue | 2017-02-08 22:43 | 音楽 | Trackback | Comments(5)