井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:雑感( 280 )

 今日は、エキサイトブログが何時間にもわたり投稿も閲覧もできない状態となっていた。

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 そしてやっと復旧したということである。

 このウエッブサイトは時々このような不具合を起こすので、最初は何事かと思っていたけれど、何度も繰り返しているうちに「またかな」とすぐに思うようになったのだった。訪問して下さった方々にはご迷惑となってしまった。

 こちらの「人気ブログランキング」は、形式が変わったので新しい形のものに変えるようメールが来て、古いものだと投票が結果に反映しないとのことだった。それで変えてみたら途端に一位となった。今まで損していたことになるが、それより投票して下さった方々に失礼なことになってしまった。
 こちらは不可抗力ではなく早く変えなかったので、こちらに落ち度があった。申し訳なく、反省している。

 この違いというのはhttpの後にsが付くようになったことだが、意味と意義は解るけれど仕組みは知らない。どういうことで、誰がどうやって思いついたのだろうか。


 

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by ruhiginoue | 2018-03-18 17:47 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
 かつて、高田馬場の古書店街で買い物をしたとき、近くにある大学の学生が使い終わった教科書を売りに来て、店主はどこの学部かという話を慣れた調子でしていたから、ここの店ではそこの大学の学生が教科書や参考書の売り買いをしているのだろうと思った。
 こういう店が大学の近くにあると便利だろう。

 このとき「ソプラノ課題とバス課題の実施」のための和声学の教科書が何故か店に置いてあり、それに前の持ち主の名前が書かれていて、だから安いのかと納得しながら、教科書なのでとにかく使えればいいからと買ったのだった。
 これを、習っている音楽の先生が見て、誰かの名前が書いてあるので借り物なのかと訊ねられたから、高田馬場の大学近くにある古本屋で安く手に入れたと言った。その大学は総合大学だが音楽の学部はない。なのに、よく置いてあったものだということも言った。

 そして、教科書を売りに来た学生の話をしたところ、先生は、なんとも不可解そうに、なんでそんなことをするのかと言った。売るなんてことしないで後輩にあげればいいのに、自分はそうしていたし、同じ大学の人たちもそうしていた、というわけだ。
 おそらく、今はわからないが当時その高田馬場にある大学は貧乏学生が多いと言われていて、一方その音楽の先生の出ている音楽大学は学費が高く、二倍くらいの差があったはずだから、教科書のことがセコイと感じられたのではないか、と思ったものだ。

 ただ、金があろうとなかろうと、高い学費に比べれば高額な教科書でもしょせんは本なので微々たる値段という感じがする。だから、あの高田馬場の古書店で教科書を売り買いしている学生も、楽しんでいる要素があったのではないかと思う。ネットオークションで売り買いしている人たちも、手間がかかる割に利益は少ないけど遊びの感覚でやっていると言う人が多いので、それと共通しているのではないかと想像している。




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by ruhiginoue | 2018-02-25 19:34 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
 なにか気に食わない意見などに対して、普通、その意見などに反論や批判をするものだろう。これは常識であるはずだ。ところが、それをできないものだから、無関係のことに難癖をつけて反論や批判の代わりにする人がいるものだ。
 そういう行為をした人の滑稽さについて、出版社の担当者と一緒に笑ってしまった。

 その出版社の担当者は、ある人と拙書『防衛医大の場合は』について話しているとき、出版社の編集で作成する帯と表紙の折り込みに書かれている見出しというか簡単な説明というかの部分が巻末の解説と同じ内容であるから、この解説は出版社で書いたものかと指摘され、そのとおりだと答えたそうだ。
 この部分は、読者に内容の要約を示す意味で作ったから編集部が書いたのは当然である。しかし、それで内容的に大丈夫かという確認を著者がしないといけないので、書かれた解説の原稿がこちらに先ず送付され、これを読んで内容に問題がないかチェックし、内容的に修正すべき部分は手を入れて校正し、それと同時に文体の乱れを整える作業をした。
 
 こういう次第だから、文体が著者とほぼ同じ調子になっている。そして名義人を表むき立てた。この人は、名目上の書き手を他でもやっている。実質が雑誌の編集で書いた記事だけど誰かの名を立てないと不都合なので資料収集など雑務を担っていた人を名目上の書き手にしておく、という手法はよく行われていることだ。ここで報酬は支払うが、楽をして貰えるから安い。これは仕方ないだろう。そのかわり、訴訟リスクが生じないように、当たり障りのない内容にしておく。
 だから、この解説を読んだ某雑誌の編集長は、また違う文体の同一名義だと指摘していた。もちろん、よほど丹念に比較しないと気付かないことだが。

 なのに、こちらに反感を持つ人が、そこでは勝てないので別のことに難癖をつけるつもりだったのだろう、解説のほうは文が上手で、本文は悪文だという中傷をしていた。これには編集の人と一緒に笑ってしまった。そして、お褒め頂き感謝だが、果たして褒められたのは著者と編集部のどちらだろうかと、また笑ったのだった。
 この解説を実際に書いたのは編集部であり、著者が内容をチェックしたさい手を入れて修正もしているということは、別に隠すことではないので、先に述べたとおり編集部の人も普通に話しているし、そのきっかけの質問が出るのだから、読んで気づく人もいる。なのに解らなくて、悪口を言いたいが先行してしまい滑稽なことになった人が約一名いたということだ。




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by ruhiginoue | 2018-02-16 15:34 | 雑感 | Trackback | Comments(4)
 昨年の夏に倒産した東京都港区の出版社『日新報道』は、このところヒットが出ないため経営不振だったと報じられていたが、そのためかネトウヨとかヘイトとかいわれる本ばかりを発行しており、その内容のエキセントリックさとヒステリックさは、これだけでも経営が苦しいということを充分に伺わせた。
 しかし、そのトーンやボルテージばかりが高まっていて、内容はもともとの出版傾向と同じであった。つまり経営難による焦りが反映していたのかもしれない。ちょうど、楽器の演奏で力強さや勢いを出そうとしても出ないと力んでばかりで音が割れてしまうようなものだ。

 これについては過日に述べたとおり、もともとこの出版社はネトウヨとかヘイトとかの言葉が世間で使われる以前から、この種の本を発行する商売をしていて、特に権力の側から創価学会と共産党を罵る本が主な商品だったが、80年代から公明党が自民党にすり寄り始めたので、矛先を朝日新聞などに変え、さらには排外主義や歴史修正主義を叫ぶ活動をしている人達の主張を売りものにし、ヘイト度とネトウヨ度をエスカレートさせていた、という実態だった。

 そして、もともと日新報道の出版物は戦争の被害を否定するものばかりであったが、そうしたいわゆる歴史修正主義だけにとどまらにかった。
 例えば、在日米軍の問題である。先日国会で、米軍機の飛び方が危険なので安全対策が必要だという話が質問中にあったところ「それで何人死んだんだ」と老人のしわがれたダミ声でヤジった松本文明議員が問題になって責任をとるはめになったが、実際に米軍機墜落事故で死傷者が出ていて、あの全身大やけどで死んだ母子の悲劇などがあったから、このような心無い下品なヤジに批判が巻き起こったのだ。
 この悲劇に対し、当時の冷戦下で悪いのはソ連だから米軍を批判するな、などと無茶苦茶なことを主張する本を出していたのが日新報道という出版社であった。あまりの非常識に唖然とした人は多いが、そうではないと思う人もいて、そんな人たちを相手に商売をしていたのだ。

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 この日新報道は、統一教会との癒着が噂され、この噂が存在することは同社の人も自覚し、スタンスが共通しているだけで関係は無いと言っているのを直接聞いたことがある。もちろん関係なくても同じスタンスなら良いわけないが、そうは思わない人たちもいるのだろう。
 そのことに関連するのだが、拙書『朝日新聞の逆襲』(第三書館)のアマゾンレビューで、この日新報道の出版物を引き合いに出し、その内容をうのみにすることで、それに対して拙書は否定的であるからと非難する的外れなことを書いている人がいた。
 もちろん匿名のネトウヨだから程度が低いのは当たり前だが、この内容がどうも昔よくあった統一教会の機関紙誌に載っていたものと酷似していて、関連を疑ってしまうほどだ。
 もちろん、日新報道の社員が言っていたように、日新報道と統一教会とは癒着してなくてもスタンスが共通しているのだから、それと同じ発想をする個人もいて当然だろう。

 また、そのレビューは誤読に基づいていると指摘されて書き換えていたが、それで矛盾が生じているし、指摘した方も勘違いをして後から削除したりといい加減であったし、そのうえ他の出版社の本を宣伝していると批判しているが、日新報道が倒産したのだから宣伝も何もあったものではないということに気づいていない滑稽さであった。

 いちおう読んでレビューを書いてくれるのは結構だが、あまり変なことを書かれては迷惑である。これだからアマゾンのレビューはヤフコメと同様に評判が悪いのだろう。
 ただ、日新報道の社員は商売と言うけれど、他の出版関係で共通の知り合いが評するには、日新報道の社員もエリートでないくせに弱者に冷酷だから品がよくないので人として好きではないと言っていて、当たっているような気もした。


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by ruhiginoue | 2018-02-14 16:42 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
 仕事がらみの新年会があって、お誘いを有難く受けて出席させていただいた。
 このとき、親睦と同時に、ご無沙汰していた人から声をかけられて、その後に「いろいろあった」という話をされた。
 また、「お元気そう」と社交辞令で言われたかと思い、体調はひどく悪いと答えたのだが、そんなうふには見えないと大真面目に言われた。ただ、たしかに外見的には前よりやつれた感じがないだろう。表面だけ少し気を使っているだけなのだが。

 そのあと、二次会にも出た。終電が気になるという人達と一緒に早めに退席したが。
 このときカラオケしていた人たちがいたので、ではこちらもとDead Or AliveのBrand New Loverを歌ったのだが、美容外科の被害者で早死にしてしまったピートバーンズのことを話していたからであったのだけど、よくディスコのマハラジャなどで流れていたから懐かしいと言う人がいた。
 これについて、店でお酌している若い女性から、そんなことがあったのかとびっくりしたように言われた。ピートバーンズが美容外科の失敗を治療するため外国で手術し、その費用のために豪邸もヒット曲の版権も手放したという話だ。


 しかし、大ヒット曲を出したスターがセレブということ自体がピンとこないようでもあった。映画館に行かずテレビも観なければCDを買ったこともないと普通に言う。
 これが今の若い人たちにとって普通のことだ。スターの存在とはファンの不幸の反映だからスターが居なくなることは理想的という意味のことをデビッドボウイが言っていたが、それが現実になってきているのではないか。

 こうした若い人と話しているほうが精神的に健康である。世の中の実態と合っているからだ。
 さきほどは二次会には来なかった老人たちが酒を飲んで学生運動を懐かしむ話をしていたことに生理的に違和感を覚えていたが、それよりはまだずっと年下の人たちが「いやー『ブレードランナー』の続編は長いけどよくできているから必見だよ」とか話しているのにも同じ違和感を覚えるのである。
 だから、である。



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by ruhiginoue | 2018-01-19 18:33 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
 今は試験の時期だが、これで思い出すことの一つが自分の母親の常識外れである。
 これに近所の同級生の母親が最初は信じられず、そのあと本当だと知ると唖然としたのだった。

 よく、熱心あるいは心配性の親が、子供の入試に付いていくものだ。これが小学生ならともかく高校入試や大学入試にまで付き添う親がいて、子供が無用だと言っているのに同伴する親もいる。
 その近所の同級生の親も、そういう人だった。だから特に驚いたのだろう。

 うちの母親は、子供の入学試験のことなどすっかり忘れて当日は眠り呆けていて、子供が一人で出ていき朝飯も昼飯も抜きで試験を受けて帰ってくると「面白かったか」と尋ね、「なんで試験が面白かったかなんて訊くのか」と質問されると、「試験ってなによ。映画かなんか見に行ったんでしょう」と言った。
 こんな話を平然とするので、近所の同級生の親は信じられず、そして冗談で言っているのではないとわかると驚いて言葉を失ったというわけだ。

 この一方で、よくうちの母親は家族が寝ているのを叩き起こし「今日は早く出かけるんでしょう」と言い、まだ真っ暗だから時計を見たら午前三時、その日は睡眠不足で困ってしまう、ということがあった。
 これでは眠り呆けていてくれたほうが、はるかにましである。
 つまり、うちの母親はよく寝ぼけるのだ。子供のころにはよくあるけれど大人になるとだいたい治るもので、それが大人になっても治らないなら治療しないといけない場合もあるといわれている。
 しかし放置だったのは、その被害者はもっぱら子供だったからだろう。





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by ruhiginoue | 2018-01-17 16:13 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
 冬休みが終わって宿題を学校で提出するとき困った思い出が、小学生の時にあった。今も忘れられない嫌な記憶である。
 それは、学校で担任の教師が指示したとおりに宿題をこなしていたのだが、それではダメだと両親が言い出したのだ。何がダメなのかというと、渡された書き取りの用紙に書き取りをして、日記をノートに書くようにと指示されたのでそのとおりに日記を書こうとしたのだが、書き取りの用紙に日記を書けと言われたのだ。
 それでは先生の指示と違うと言ったのだが、両親がそろって、この用紙には日記を書くに決まっていると言ってきかないのだ。なんと親が言おうと、宿題は教師が指示したとおりにしなければならないものだし、そのうえ、その用紙は分量がちょうど書き取りをしたらピッタリで、日記を書くには少なすぎる。日記は五日分と指定されていて、書き取り用紙では一日分を書くにも足りない。
 これは見て簡単に解ることだし、先生の指定したとおりにすると分量など適切である。これを説明したのに、両親が同盟軍になって集中攻撃で頑なに否定し、どうしても書き取り用紙に日記を書けと言う。そのうえ、書けないなら教えてやると言って、言われたとおりに書けと命令された。口から出まかせのいいかげんなことを言われたとおりに日記として書かされて、用紙が足りないので取り切れトンボである。
 そして書き取りは、仕方ないからノートに書いて、先生に叱られたら逆に書いてしまったと言い訳しようと思ったのだが、書き取りをしていたら両親からやめろと言われた。書き取りの宿題は何かの間違いだと言い張るのだ。

 これでは恥ずかしくて学校に持っていけないと始業式の日に困ってしまい、新年早々に新学期から足取りも重く登校した。
 すると、まったく同じだった人が十数人いて、その全員が、やはり同じように親から強引にやらされて、先生に言われたことや分量のことをいくら子供が説明しても親が頑として受付けず、間違ったやり方を強要されていて、中には違うと言ったために親から殴られ、泣きながら宿題を書いたという子もいたのだった。
 これについて担任の教師は、なんでちゃんと説明したのに、そのとおりにしないのかと言ったけれど、そうしたくても親に無理強いされてどうしようもなかったのだ。指示されたとおりにしなかった児童全員が、そうだった。

 これは、親が何か思い込んでしまい、それで子供がちゃんと説明しても頭ごなしに否定し、子供が間違っているに決まっているということで強制したのだろう。
 それにしても、子供の説明したとおりにするとしっくりくるのに、それをなぜ受け付けないのかということがまず疑問だし、間違ったとしても取り返しがつかないことではないのだから、子供が言うとおりにやらせてもいいはずだが、それをなぜ拒むのかと疑問である。
 これが、うちの親だけだったら、どうせうちの親はバカだからで片付けることができるけれど、他にも同じ親がいたということは、共通する難を抱えた親がそれなりの数いたということだろう。




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by ruhiginoue | 2018-01-16 17:27 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
 先日、病人や老人の施設や病院での排泄の問題について、大人たちが深刻な問題として語っているのを傍で聞いていた子供がスカトロジーと受け止めて笑ったが、それは子供だから仕方ないけど、大人のくせに同じように笑う人がいて、注意されてもダメだったから、しょうがない人なので絶交したという話をした。

 ただし大人でもあくまで下ネタとして認識していて、かつ、どうしても可笑しくなってしまうという自嘲自虐な話なら、これはそういうこともまあアリで、笑っていいというか笑うべきなのだろうが、そうではなく、深刻な問題として嫌なこと困ったこととして、ひとが真面目に語っているのに抑制できないとしたら全くダメだ、という指摘があった。
 これは今は亡き中島らも「明るい悩み相談室」の「通夜の席で笑いだしそうになって困る」と同じだ。もともと形式ばった儀式が滑稽なので、そういうのは我慢するものだとわかっているけど我慢できなくなってしまうことがある、ということで当人でなくても理解できることだ。
 しかし、笑っていけない場合と区別できないのでは困る。

 それで思い出したのは、その人があるテレビ番組を見ないで誤解した話をよくしていたことだ。
 これは田原総一朗が司会をしている「討論」番組だ。あれはもちろんカッコ付きの討論で、真面目なものではない。真面目なものなら、もっとマシな司会者とパネリストであるはずだ。
 これはついこのあいだも「新春討論5時間」と題して放送され、見た人たちが怒っていた。他人の話にすぐ口をはさんで勝手に話しだす者がいるだけでなく、それを司会の田原が止めないどころか田原自身がもっとも大きな声で口をはさみ滅茶苦茶な独自情報とか持論とかを喚き散らす。これでは討論ではないし、出ている人の中には真面目に話そうとする人が時々いて、その人がいつも気の毒になる。
 だから、見たら腹が立ってしまったという視聴者が多い。そんな番組だと知っている人は、もともと田原の討論番組なんて、くだないし時間の無駄だし精神衛生によくないから見ないほうがいいと言う。

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 こんな番組について、その排泄物の話を子供みたいに面白がって笑う大人は「だから自分もくだらないと思う」と言うのではなかった。
 では「そこが面白い」と言うことか。それなら、スカトロジーと同じで悪ふざけとして許される楽しみ方であるが、そうでもなかった。彼は興味がないので番組をみたことがないそうだ。
 彼は、どんな人が何を言うかと番組を試しに見てみたら不真面目な内容だったと言う人に対して「なら真面目に議論するなら良いのか」と言い「ハァ~(社会問題とか真面目な話が)好きだねえ~」と嘲りケッケッケッと嫌らしく嗤っていた。

 こういうことだから、笑っていけないときまでも笑う人なのだろう。




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by ruhiginoue | 2018-01-13 12:00 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
 成人式といえば、かなり親しいほうだったある同級生は、退屈なので行かないつもりでいたのに、親から行けとうるさく言われてしまい仕方なく行って、ちょっと覗くようにしてすぐ帰ってしまったと話していた。
 このように親からうるさく言われた人はよくいるけれど、それはなぜなら一生に一度のことだから機会を逃してはいけないとのことだ。だからギャーギャーとやかましいわけだ。

 しかし、そう言うけれど、成人式なんていつだっていいはずだ。その年は災害があったとかの事情で成人式ができないとか参加できないとかで、後にあらためて開催したこともある。
 だから、その年に参加できなかった人が、翌年以降に参加できるようにすればいい。実際に知り合いで、翌年の成人式に参加した人がいる。病気で参加できなかったから無念だと言ったら、これを聞いた地元の役所の人から言われて、翌年の成人式に振り袖を着て参加させてもらっていた。

 こういうのが認知されるといい。学校では留年で卒業式に出るのが遅れることだってあるのだから、成人式なら会場が広くて参加者が多ければ簡単に混ざれて自由参加でいいだろう。
 これを勝手にやった人など、いくらでもいる。同級生と久しぶりに会えることを楽しみにしている人もいるけど、それには興味がない人もいるし、むしろ会いたくない同級生がいる場合もある。
 そういう意味では、地元ではなくよその自治体などが開催しているところに勝手に参加させてもらえるようにしたらいいだろう。

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 また、留年があるなら飛び級もあるので、翌年ではなく前年とかそれ以上前にでも参加できるようにすればいいし、これを実際に勝手にやっている人もいる。
 これは自分のことだが、先んずれば人を制すだから十八歳で選挙の投票はさせてくれなかったが成人式には盛装してもぐりこんだから二十歳のときはもう済ませたと言って気取っていたし、同級生には中卒で就職して十八歳で結婚と早い人がいたけど、法律だと婚姻により未成年者も成人とみなされるので、その人は十八歳だが結婚したので成人だと言って成人式に参加してしまった。

 ということで、成人式は早くても遅くても、いつやってもいいはずだ。



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by ruhiginoue | 2018-01-09 12:33 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
 冬月 夏月 夢月 弓姫 心愛 愛月 星月 春姫 春菜 月 月七 月優 月兎 月凪 月南 月叶 月名 月和 月夏 月夜 月奈 月奏 月姫 月寧 月愛 月星 月杏 月桜 月梛 月梨 月永 月波 月海 月涙 月渚 月碧 月絆 月花 月苗 月菜 月華 月葵 月詠 月那 月雪 月雫 月音 月麗 桜恋 桜菜 次へ → 桜雫 楼奈 流七 流凪 流南 流名 流和 流夏 流奈 流奏 流寧 流愛 流成 流月 流杏 流梛 流永 流波 流海 流涙 流渚 流絆 流花 流苗 流菜 流華 流那 涙凪 涙愛 涼奈 満月 潤奈 猛奈 琉七 琉凪 琉南 琉名 琉和 琉夏 琉央 琉奈 琉奏 琉姫 琉寧 琉愛 琉成 琉月 琉杏 琉来 琉梛 …

 これらは「るな」と読む名で、男女ともにあるそうだ。単に「月」と書く場合もある。
 これは月の女神をラテン語で「ルーナ」ということから来ている。当て字だが外国語の読みだから奇をてらっているというべきで、実際いわゆる「キラキラネーム」とされる。
 もちろん法的には問題がない。戸籍も含めてあくまで文書に記載するものだから、発音は関係ない。だから地球と書いて「テラ」など、ほかにもいろいろある。

 こうしたキラキラネームとは違い、「静脈」のように普通に読めるものであるが読み違いするものがあって「静」を女性の名前と勘違いする人がいる。男性にも政治家がいた。しかも「静香」である。だから『ドラえもん』のパロディで、どこでもドアで風呂場に乱入したら源ではなく亀井のほうが湯船に漬かっていたというのがあった。

 ところで問題なのは、そこで生じるとんでもない誤解である。名を読み違いで女性と思っていたうえ顔もソックリな女性を実際に見た人たちがいる。だから井上静という女性がいて、一連の言動もその女性だと思い込んでいる人たちが一定いるのだ。
 また、そういう人たちは、ペンネームなのに戸籍名と思っている。それもあって、まるで別人の女性のことを井上静という女性だと思い込んでいるのだ。そんな女性は存在しない。

 では、ソックリな女性を見たというのは何なのか。これは似ていて当然の女性がいる。そして見たことがある人たちは、彼女は歳の離れた妹だろうとか、それにしても若すぎるので娘だろうとか、言われている。実際はプライバシーと安全のために公言はできないが、親族である。だから顔はよく似ている。

 それで間違えられるのだから、まるで横溝正史の『真珠郎』みたいである。真珠郎が起こしたと思われた殺人事件の真犯人は別にいて、真珠郎の犯行に見せかけていた。そして真珠郎はすでに死んでいた。では真珠郎を見たという目撃証言は何だったのかという話だ。

 それにしても、「十七-十八歳の女の子が書いているなんて、天才少女じゃないか」と言う人たちがときどきいるけど、内容的に十代がする話題ではないと気づかないから困る。だいたいは高齢の、世代の違いが区別できない人である。
 もちろん彼女は、学校では極めて成績優秀である。天才かどうかは別だが。




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by ruhiginoue | 2018-01-05 12:37 | 雑感 | Trackback | Comments(2)