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井上靜のblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue

カテゴリ:雑感( 351 )

ネット上での人違い

 三宅雪子もと議員が死去した。
 入水自殺と報じられている。ツイッターで最後にオフコースの歌「さよなら」について語っていたから、その意思表示ではないかと推測する人もいる。太宰治の「グッドバイ」みたいだということか。

ネット上での人違い_f0133526_10521331.jpg

 一昨年くらいから言われていたとおり、彼女は政党の中でうまくやっていけなくなり、離党してから他の政党にどこでもいいから神輿に載せてもらえないかとなりふり構わずであった。他にもいろいろな人たちにすり寄っていた。
 しかし、また国会に戻りたいという希望は叶わなかった。その挙句の選択ということだろう。

 そもそも、一度は国会議員になって、それなりの期待は集めていたし、良識ある言動があったので評価されてもいたが、仲間や支援者が離反していた。
 これについては知人の記者が雑誌に詳しく書いていた。同じ号に自分も書いていたので、そのさい詳しく読んでいるが、SNSとくにTwitterばかり夢中になっていて、そこから揉め事に発展することがあったそうだ。

 これについては、自分でも体験している。
 やはりTwitterだが、親切をしてくれたことがある一方で難癖をつけられてしまったことがあるのだけれど、迷惑だったのは難癖そのものではなかった。

 よく三宅雪子もと議員は、Twitterで女性の写真に対して「美人」と褒めていた。小沢一郎氏の子分という意味で盟友だった鈴木まり子氏とか、友達の娘とかに。
 もちろん、他人を褒めるなら、時と場を間違えなければ良い。稲田朋美もと防衛相のように、女性の仕事を評価するべきところで、しかも「私たち」と自分も含めて、「グッドルッキング」と言う非常識と図々しさでヒンュクを買うのは論外だが、それとは違ったのだから。

 ところが、これは前にこのblogで書いたことだが、自分の親族で顔がそっくりだと言われる十代後半の女性がいる。
 これについて、歳が離れた妹だろうとか、年齢からすると娘だし、あんなに顔が似ているのだからなど言われ、あまり具体的な指摘はまずいのでコメントは削除した。
 これだけなら大した影響はないが、Twitterにチラッと写っている画像を載せたら、それを見てソックリと言われて、それだけならいいが、見た人の中にはアカウントを親族の女性のもので名が「静」だと勘違いした人が一部だがいた。
 
 これが影響したのか、三宅雪子もと議員がTwitterに「美人の静ちゃん」と書いたのだ。
 もちろん褒めてくれるのはいいし、あの子は学校でも美少女で評判だが、前にblogで述べたように極めて成績優秀だから、大事なのはこちらで「グッドルッキング」なんて関係ない。
 それに世の中は何があるかわからないので困る。もと議員は悪気などなかったはずだから、写っている画像を載せて慌てて削除する方がマヌケということだ。

 それも元議員の死去により過去のことになって、もう今後は何の意味もない話題となったわけだ。




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by ruhiginoue | 2020-01-10 04:36 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

年賀状に載せる写真

 かつて、たぶん週刊文春だった(違ったら週刊新潮)で、「いいかげんにしろ!ガキの写真の年賀状」という見出しが踊っていた。
 これは見出しだけで何のことか誰でも解るが、そして記事を読み溜飲が下がるということだろう。
 こういうことは、孫の姿を見せて祖父ちゃん祖母ちゃんを喜ばせ、ついでに何か贈らせようとするためだが、それ以外の人にまで同じ年賀状を出す者がいるので、場合によっては不愉快になる。事情は様々だ。

 これについて、前に女性週刊誌のどれかに記事があった。
 よくある、結婚したとか子供が産まれたとかの写真を載せた年賀状は、なにやら得意になったような調子なものであるから、それなら海外旅行の写真を載せて今年はここへ行きましたというハガキを送れば、むこうは子供が産まれて生活に追われているので悔しがるだろう、と。


年賀状に載せる写真_f0133526_11382089.jpg


 ところで、家族がいても、犬や猫を抱いた自分の写真を年賀状に載せて送る人がいる。年賀状でなくても、SNSに自分の写真を載せるさい、犬か猫を抱いた写真にしている人がいる。それは女性ばかりである。
 そして、そんな女性で知り合いが何人か早死にしている。他に共通項は見当たらない。



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by ruhiginoue | 2020-01-09 05:23 | 雑感 | Trackback | Comments(2)
 一昨年末に、忘年会で久しぶりに会った人から「お元気そうで何よりです」と繰り返し言われて、実は体調がよくないのだが一見では元気に見えるのかなあと、このサイトで述べた。
 これを読んで、まだ憶えている方もいるかもしれない。

「お元気そうで何よりです」_f0133526_10131646.jpg


 ところが、去年末になってわかったのだか、その人は癌で闘病しているそうだ。
 そういうことだったのかと、後になって気づいたのだった。その人は、フィットネスとかには行かないが市民プールなどに行ったりで身体を鍛えているし、酒とか煙草とか不健康なものは避けているので、いつも健康そのものみたいだった。

 だから、こっちは体調がよくないのに、なんで「お元気そう」と言うのか、見た目ではそっちのほうがよほど健康そうじゃないか、と思ったものだ。
 とにかく、表面では何もわからないということである。




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by ruhiginoue | 2020-01-08 05:18 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
 嘘はいけません。
 「ありがとう」と「ごめんなさい」は、きちんと言いましょう。
 お友達には優しくして、困ってる人がいたら助けましょう。
 人と話す時は目を見て、返事は大きな声で。
 
 こんなのは幼稚園の水準だが、これを大人なのに出来ない人が多いのはなぜかと、お嘆きの人たちがいる。
 それは逆に幼稚園の水準だからだ。幼稚園児ができるのに大人ができないのでは駄目なこともあるけれど、幼稚園だからできるけれど大人にはできないこともある。

幼稚園児だからできても大人だからできないこと_f0133526_10491192.jpg

 幼稚園の頃は、謝れば許してもらえるし、礼を言ったことでつけ込まれはしないし、恩を仇で返されることも、人助けして下心を疑われることもないし、相手の目を見返して反抗、返事して変なことに同意、などと見做されもしない、けれど大人になったらそうはいかない。
 別に忘れてしまったわけではない。

 だから、大人はいいんだと居直る人もいるけれど、むしろ少ないだろう。多くの人は、世の中なにがあるかわからないので恐れているだけのはずだ。
 そもそも、人それぞれの事情や背景があるのに無視して、こうあるべきだと強弁するのは奇麗事の押し付けでしかない。
 身体が小さい子供の力で持ち上げられる物を、身体の大きな大人なら持ち上げるのは簡単であっても、身体の小さい子供だからくぐり抜けられる所を、身体の大きな大人がくぐり抜けることは不可能であるし、子供でも持ち上げられる物を、身体的な事情から大人だけど持ち上げられない人だっているのだ。
 これと、上記の態度や言葉についてのことも、同じである。

 ある角度や視野から見える正義だけを信じて突き進むのは危険である。




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by ruhiginoue | 2020-01-05 04:44 | 雑感 | Trackback | Comments(1)

2020年の挑戦

 年末に「火の用心」と叫び練り歩く人たちがいて、時代遅れで騒々しいだけと評判悪いが、自治会の爺さん連中が必要だとか親睦のためだとか言って住民に強要しているものだ。
 これが酷いことで、寒いと身体が辛いとか体調が良くないとかの人や、夜勤の人から身体障害者にまで強制参加としたうえ、不参加は罰金を取り立てる。
 もともと自治会とは隣組の延長だが、あの『火垂るの墓』に描かれた戦時中の悲劇のころと、そう変わっていない。
 それでも、昔から決まっているから当たり前で、疑義は変な人とか秩序を乱す人だとされる。

 年末に騒々しいことでは、除夜の鐘をうるさいと言う人がいる。深夜だからだろう。
 この除夜の鐘を近所の寺が叩かせてくれるそうなので、先着108名なのか、それともクジ引きなのか、と思ったら、来た人全員に好きな回数叩かせているそうだ。
 だから、この寺では毎年1000回近く鳴る。
 この辺の人たちに全く煩悩が無いのは何でかと納得である。

 しかし「適切」な回数なら良いのか。
 除夜の鐘を騒音だと言う人は、仏教ないし宗教全部に反感を持っているのだろう。普通なら深夜に大きな音を出してはいけないのに、宗教的意義があるのだと非常識を正当化し、無宗教の人もいれば他の宗教の信者もいるのに、うちに関しては伝統だからと特権的である。
 それでいいのか、もう検討すべき時代になっている。不便な元号の使用を強制することについてと同じように。

 こうして騒々しい年末から新年となった。
 『ウルトラQ』に「2020年の挑戦」という話があり、あのケムール人がパトカーに追いかけられる有名な場面になる。
 この中身は安倍総理だと言われている。疑惑から逃げる様子がイメージとピッタリというわけだ。
 さて、今年はどこまで逃げるのか。

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by ruhiginoue | 2020-01-01 00:00 | 雑感 | Trackback | Comments(1)

一杯のかけそばでWi-Fiを

 飲食店のテーブルやカウンター席に、パソコンなどを自由に使えるよう電源が設置されていることがあるけれど、これで長居しすぎる人がいるからと使えなくしてしまったフードコートがある。
 そんなことは予見できたことで、多少の長居は仕方ないはずだ。ところが、中学生や高校生は、何も飲食しないのに居座り宿題や試験勉強をしていて、食事時に混雑してきてもお構いなしだそうだ。図書館で勉強しないのかと疑問だが、その事情はともかく、他の客から苦情があって店員が注意すると、しかたなく何か注文する者もいるか、居直る者もいて、期末試験の時に酷かったから、とりあえず冬休みは電源を切ることにしてしまったそうだ。

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 よく飲食店ではWi-Fiを設置しているが、ファミレス店やファーストフード店だけでなく、時々ラーメン屋や蕎麦屋にもある。近所の蕎麦屋も最近Wi-Fiをはじめたので、よく行くようになった。
 そして、ちょっと長居するが、ケチっているのではなく簡素なものは飽きないので、顔見知りの店主に「また、かけそばだけど」と言い、すると気さくに「どうぞ、どうぞ」と。
 そして先日店主が「そういえば、平成の最初のころに、そんなのがありませんでしたか」と言うので思い出した。あった、あった。Wi-Fiではないが。当時はインターネットが普及してなかった。
 あれは母子家庭の貧しい親子が、いつもかけそばを注文するという話。この当時、テレビのお笑い番組で「とんねるず」がパロディにしていた。かけそばの料金にまで課税されて悲劇になる。この当時、まさに消費税の制度ができたのだ。

 それから30年経ち、消費税は3%から10%になり、福祉のためという名目だったが福祉の予算はどんどん削減され、消費税はそっくり大企業の法人税を減らした穴埋めに使われ、大喜びの大企業は自民党にたくさんの政治献金をし、資金が豊富だから選挙では金をかけた宣伝をして、たまに政権交代で転落はするが生き延びている。
 今ではコンビニ店の「イートイン脱税」なんていう言葉までマスコミがこしらえて使っている始末。



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by ruhiginoue | 2019-12-27 04:43 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

コンビニ店の前にて

 コンビニ店の前で喫煙するオッさんたち。
 受動喫煙防止の為に灰皿を撤去したという貼り紙の意味が理解できないらしい。

 そして灰を撒き散らし、最後は吸い殻を駐車場の地面に投げ捨てる。
 注意したいが、揉めると店に迷惑をかけるからと、みんな我慢している。

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 コンビニ店が「お知らせ 受動喫煙防止のために灰皿を撤去しました」と表示してる前で吸うおじさん。

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 コンビニの前でタバコ吸う婆さん。

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 携帯灰皿を使っているだけ、吸い殻を投げ捨てる爺さんよりはマシだが、店は「受動喫煙防止の為に灰皿を撤去した」と表示しているのだから、迷惑行為に変わりない。
 とにかくマナーが悪いのは年配の人ばかり。


 コンビニ店の前で新聞を読みながらおにぎりを食べている人。
 店内にはイートインコーナーがあるのに。
 最近よく見かけるけど、やっぱ馬鹿な税制のせいでしょ。

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 高価な店で外食ならともかく、コンビニ店などで買ったものを店内の「イートインスペース」で食べたら、同じものを持ち帰って飲食するより消費税が高くなる。
 これは店に場所の使用量を払うのではなく、国に払うということ。
 なんてアホな制度だろうか。

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by ruhiginoue | 2019-10-22 04:52 | 雑感 | Trackback | Comments(1)
 いわゆるFラン大学に入った同級生が一人いたけれど、彼は高校三年生の時、受験の準備ができていないから無駄だということで全く試験を受けず、卒業すると予備校に入るが殆ど通わず、受験勉強を少しもしなかったけれど大学には入りたいということで、定員割れの不人気な田舎私大に入った、という次第だった。
 これなら最初から現役でFラン大に入れば予備校が無駄にならずに済んだ。
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 しかし、いちおう予備校に通い受験勉強して大学に入ったという体裁をとりたかったらしい。そして、受験がうまくいかなくて唯一入れたのがその大学ということにしていたのだ。
 このように大学は不熱心であったが、なぜか異性と付き合おうとすることに関しては高校の時から熱心であった。せっせと口説いて回っては、下手糞な鉄砲でも数撃てば当たることがあるというようにして、ガールフレンドを作っていた。

 この彼女を周囲に自慢するのだが、これが美人とか可愛いとかいうのには程遠い女の子ばかりである。
 もちろん、彼は二枚目とかイケメンではなく人間的に魅力的でもないから、美少女には無縁で当たり前である。そんな奇跡は起こりえない。ここに証拠の写真を掲載したら「閲覧注意」と言ってもグロ画像ではなく腹筋崩壊の方で、臍で茶が沸くダサさなのだ。

 だから可愛い子ちゃんを口説いてもダメで、なんとかなるのはブスまたは不細工という結果だったのかというと、そうではなく、彼は最初から可愛いくない女の子ばかり口説いていたのだ。これは身の程を知っていて現実的選択をしたのではなく、好きになってしまわないようにと意識して魅力の乏しすぎる女の子ばかり口説いていたのだ。

 なぜなら、彼は親に強制されて、将来は遠い親戚と見合い結婚するよう決まっていたからだ。よくある財産維持のためである。そして彼も財産は欲しかった。放棄して自ら人生を開拓していく覇気など全然ない。
 だから、その前に異性と交際してみたいが、そこでなまじ真面目に努力して、もしも魅力的な女の子を口説き落とせたら、まずいことになると恐れた。その女の子を本気で好きになってしまうかもしれないし、その子とは一時の付き合いだとしても、それで嬉しかったら将来の結婚でも同じようにして相手を得たいと思うようになってしまうかもしれない。そうなってはいけないと思い、魅力的とは到底いえないFランクの女子ばかり口説いて付き合ったのだ。

 つまり、Fラン大学に入ったのと同じだったのだ。受験勉強したくないが大学に入りたい。大学生になってみたいだけで勉強したいことは無い。なまじ真面目に努力したら別の道が拓けて親に敷かれた人生の絨毯から足を踏み外してしまう。
 そういうことであった。だから彼は実家に帰って親戚と見合い結婚して財産も贈与され幸せらしい。

 こんな例もあるから、「Fラン大で人生終了」とは限らないのだ。



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by ruhiginoue | 2019-09-22 05:18 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

お茶碗の使い方

 ラジオのドイツ語会話の講師が、ドイツに留学していた時に茶碗を無断使用されたうえ壊された話を余談として述べていた。
 これは、日本のように専用の茶碗を使う習慣がないからだ。
 それは知っていたけれど、しかしコメを食べる人が回りにいないからと置いていたら無断で使われてしまい、卵の殻がたくさん入っていて、しかも椀の端が欠けていたのだ。ルームメイトの仕業で、仲良くしていたから怒らなかったが、ご飯の碗を知らず粗末に扱われてしまったことにガッカリしたとのこと。


お茶碗の使い方_f0133526_12284064.jpg


 もともと日本の農家などでは、朝飯前に一仕事し、朝飯を食べて仕事に出て、昼休みで飯食って、また仕事に出て帰って来たら、それまでは軽い食事だったけれど、夕飯は本格的に食べる、という習慣だった。
 だから、食器をいちいち洗わないでいいように汚さない食べ方をしていた。こうするためには専用の茶碗であることが相応しい。
 こうした習慣の違いが食器の使い方にも影響するわけだが、ご飯を盛る碗を、そうとは知らずに見たら殻などを入れるのにちょうどいいと思ったドイツ人がいたということだ。

 これをラジオで聴いていて思い出したのが、あるインパネ料理店(インド・パキスタン・ネパールの料理を出す店)である。
 ここではコメを皿に盛り、ご飯を盛る椀はサラダ用にしているのだ。この店を経営しているインド人は、お茶碗の形と大きさが生野菜に向いていると思っている。たしかにサラダボールと同じくらいである。
 
 ということで、食器の見方と使い方は習慣によって様々である。




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by ruhiginoue | 2019-09-06 05:22 | 雑感 | Trackback | Comments(0)
 これから墓参りの季節になり、寺は書き入れ時。
 このため田舎に住む人は煩らわしく忙くなる。そのうえ、「お布施」は高くて「坊主丸儲け」である。「む~にゃ、む~にゃ」つぶやいて代金を取れるのだから結構な商売であるが、信仰心のある人にとっては意味があるのだろう。しかし、その信仰心の観点からこそ馬鹿げたものに感じる。なぜなら形式的で心がこもっておらず、供養とは無関係、気持ちが安らぎもしないから。

 これではやめたいのが当たり前だけど、しがらみ付き合いだから拒否できない。だから田舎に越した人はよく後悔する。


墓参りの季節になると田舎がこの世の地獄と判る_f0133526_10492142.jpg

 そんな知人がいて、墓について愚痴っていた。他所の霊園など禁忌で、地元でないと許されず、そこにある寺は霊園と違って檀家でないと墓ができない。信教の自由や思想信条の自由が無いのだ。
 もちろん、政治的自由もない。支持していない政党や議員に投票や選挙運動を強いられる。

 そして、のんびりしていて地価が安いから楽だと思ったら大間違い。公共交通機関が乏しく自動車が必要、安い店がないうえ近所づきあいで小さい店から高い買い物を強いられ、退屈な行事に参加と寄付、冠婚葬祭の支出それも不当に高額で無用に頻繁、などなど、むしろ都市より気ぜわしくて支出が多い。

 これがどこの山奥かと思えば、それほどではない。何十年も昔のようなことが潜在していて、事あるごとに浮かんでくる。だから気づきにくいので厄介というわけだ。墓参りの季節になったら田舎はこの世の地獄と判るのだ。
 



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by ruhiginoue | 2019-09-03 04:45 | 雑感 | Trackback | Comments(0)