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by ruhiginoue

カテゴリ:学術( 129 )

なぜ餅がカビるのか

 昨日、科学的リテラシーを問うと言いながら不適切な設問で誤った回答を引き出し、それをあげつらう疑似インテリの問題について述べたが、これに関係した落語の話。

 落語の林家一門に伝わる定番のネタで、もとは『笑点』大喜利の正月師弟対決で大ウケした問答がある。のちに林家木久蔵が、林家彦六の口調を真似して繰り返すことになり、有名である。
 「なぜ餅にカビが生えるのでしょうか」「早く食わねえからだよ」
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 もちろん落語家が言ったことだから笑いを取ろうとしたわけだし「本当の知識とは生活に密着したものだ」という皮肉でもある。林家彦六といえば物知りとして知られていたから、そんな人が科学的な回答ではなく常識であっさりと決着させたこともウケた要因だろう。

 しかし、科学的な問答としては質問の仕方が不適切だったからウケたということもある。
 もし、この話題で、カビが生えるのは胞子と養分という話の後に、では生活の中で身近な具体例として何があるかということで餅を挙げるなら、白いからカビると目立つなどで、例として適切である。
 ところが、カビが生えるのは餅だけではなく、また食品だけでもないのに、わざわざ餅について質問してるのだ。そうなると、餅というものはある程度の日持をちするが、だからと油断していたらカビが生えてしまうもので、そういう性質の物のカビ対策はサッサと食べることだ。
 
 というわけで、相手の知識を試そうと質問したけど、そんな質問したら答えはこうなるぞという意味の回答をされてしまい、これを傍で見ていた者としては吹き出してしまう。
 つまり「餅にカビが生えるのは何故か」という質問に対しては「早く食わねえからだ」が正解なのであり、はぐらかしたのではない。はぐらかしたと観客が受け取っていたら、そこまで笑いはしなかっただろう。
  
 これは、お笑い芸の話題だが、しかし同じように不適切な設問をしておいて、自分が笑われている訳が解らず「科学的な回答をできない者が多い」とか言う間抜けな人たちが、教師や教授にもよくいるのだから困ったものである。




by ruhiginoue | 2019-03-06 17:33 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 その人に「科学的リテラシーがあるかを確認する方法」は「救急車が向こうからやってくると、すれちがうさいピーポーの音が低くなるでしょう。これはどうしてなのか知ってるかな」と質問することであり、すると多くの人が「こちらに迷惑だから手動で音を下げた」という回答をするそうで、一流大卒の文系女子でもそう思ってたと言った人がいるから「闇!」だと、ある人が説いていた。

 しかし闇ではなく、こんなことを偉そうに説いて見せる人の見識が暗いのである。
 なぜなら、その人はすでに質問の仕方が不適切だという指摘をされていたけれど、その指摘のとおり、おそらくドップラー効果を知っているかと質問するつもりだったのだろうが、しかし質問した側は音程のつもりで「低く」と言ったけど、質問された側は音量のことだと思って、もしかして迷惑にならないよう音を「下げた」のかなあ、と言ったのかもしれない。

 もともと、あたりかまわず声高く詩歌を吟じることを「放歌高吟」というように音の大小を高低で表す言葉があり、また「音程とは振動数の多寡によるものだが、それを空間定位の高低で表現することがあるので誤解が生じる」(伊福部昭『管弦楽法』上巻)など、印象や連想によって音の特徴を言葉にしている。
 だから、よく子供にピアノの音を聴かせて「どっちが高い音」かと質問すると、音が大きいという意味だと思って、右手側の鍵盤の「ピン」ではなく左手側の鍵盤の「ゴーン」の方だと答える。ここでちゃんと音程と音量について教えず「違うでしょう!」と叱る教師が子供の心を傷つけたりするから困ったものである。

 そういうことなので、普通は、音楽として意識して聴いたり、よほど差があったり、ということでなければ、音の高低とは量の大小のことを言っていると受け止める人が多いものだ。すると、時速40キロ程度で移動しているときの音程差を意識することは、あまり一般的なことではない。
 よく、レースの通過音を口真似する人がいて漫才のネタにもされていたが、この音の変化を音程とか振動数とか意識する人は少ない。救急車の「ピーポー」を口真似して質問しても、音程の認識が無ければ聴いても意味を理解できず、質問の趣旨を別に解釈するだろう。
 つまり、趣旨を誤解させる質問あるいは趣旨の誤解を防げない質問であるから、科学の知識を持っているか否かを回答により判別する質問とはならない。

 よく、不適切な質問の仕方をしておいて、「こういう意味で質問したんだ」と後から言う人がいるけれど、そんなのは知識の半端な人がやることだ。大学教授にも、よくいるので情けない。

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by ruhiginoue | 2019-03-05 18:00 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 知人に市議会議員をしている男性がいる。この人は当地にある電通大の卒業生だ。
 その当時、西尾幹二教授を学生たちは問題にしないのかと疑問を呈した人に対し、きっと弾圧が怖いのだろうと彼は言っていた。

 他の大学でも、例えば露骨な弾圧のあることで知られる上智だからこそ、あの渡部昇一が教授してられたりしたわけで、つまり竹中平蔵教授を批判した4年生を「退学」で脅した東洋大だけの問題ではない。その本籍地である慶応大は、経済学部と共に看板学部である医学部で、医学の軍事利用に反対する学生たちを「退学」で脅して弾圧したものだった。
 しかし強姦は金で解決でいい慶応大学でもある。五回も逮捕されて不起訴で退学にならないというのはすごいことだ。この学生の実家は大変な資産家だと伝えられている。
 こういうことがあるから、小泉純一郎が慶大生だった時、同大の女子に対する性的暴行で「僕のお父さんは防衛庁長官だぞ」と警察に凄んだという例の話も、信じられてくる。
 この大学は金が何よりで倫理というものが無いということだろう。

 ところで、西尾幹二もと教授は、最近、西部邁・小林よしのり両名について、仲良しから決別になった事情を述べているが、ここで彼が自らを後知恵で美化して述べているほど冷静で論理的ではなく、もっと単純で薄っぺらだったはずだ。ドイツ文学が専門でニーチェに詳しいというけど、彼がその『エクセ・ホモ=この人を見よ』状態だった。
 だから、西部や小林は嫌気がさしたと見るほうが自然だ。

 しかし、彼が歴史修正主義の「教科書をつくる会」のことで、のちに批判されることになる小林について、最初、彼のことを最も好意的に評価していたと言う部分は、いちおう説得力があった。
 まず小林は教科書を作ろうと尽力したそうで、これは彼が漫画家であるから自分が描いてアシスタントも雇い、という具体的な作業を仕事柄してきたからだろうが、これに対して会の他の参加者たちは大学の教員などだから、あれこれ言うだけで作る作業をしない。西尾としては小林だけがまともだったと感じたわけだ。

 これは、なんともありそうな話である。やはり、現実に作る作業を知らず勝手なことを言う大学の先生に、不愉快な思いをしたことがある。
 これは拙書『防衛医大』を、大学の先生という女性が読んだ時のことだ。その人は医療問題に取り組む団体に関与して中心的ということだった。それで団体の会員からもらって読むと、著者に文句を言い出した。
 なにかというと、先に出た上智大学の渡部昇一を防衛医大が招いて校内講演させたことについて、生命操作や身体障害者排除を主張し、それをやったナチスを美化した人なのに、という問題が書かれていたことだ。最近では高須クリニックの経営者がこれで外国の学会を追われた。なのに医師の養成所での講演としてふさわしくないという問題だった。
 
 これが気に入らないと文句を言う女の先生は、なぜかと具体的な訳は一切言わず、どうも自分でついていけない話題であることや、ただ大学の先生を批判していることなどが原因のようで、そうした漠然としたことから「わたし、わーってなっちゃったの」とバカみたいな表現で言ったのだった。このオバサン何を言っているのかと呆れていたら、執拗に何度も繰り返したのだ。「わたし、わーってなっちゃったの」
 そのうえで、「否定はしないけど、不愉快だから巻末にオマケみたいに付けるように書き変えて出版し直しなさい」と言った。理由になってない手前だけのことに他人が合わせて当たり前だと思っているわけだ。この感覚では本でも何でも出来るわけがない。

 ここまでひどくはないとしても、勝手なことばかり言っているだけの人が大学の先生には多い。だから、おそらく西尾は小林だけ評価したのだろう。内容をどう評価するかとは別に、何かを作る姿勢が大事であることを、解っている人と解っていない人との違いだ。
 これは創造的な仕事をするさいに極めて重要である。

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by ruhiginoue | 2019-02-01 16:35 | 学術 | Trackback | Comments(2)
 インフルエンザの流行で、インフルエンザの予防接種をどうするかという話題がテレビで取り上げられ、そこで出演した医学者の発言は飛躍しすぎた奇妙なものだと問題にする人がいたので、その番組からのスクリーンショットを拝借する。

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 これだと、周りに迷惑がかかるから予防接種するべきだという結論で、そうでないと責任を負わなければならないと言う。
 「予防接種してない人からうつされるかもしれないから、用心のため予防接種しておきましょう」と言っても同じ結論になるのに「予防接種しない人は迷惑になる」と、わざわざ言うのは確かに奇妙な論法である。

 そもそも、予防接種をしても確実に発病が防げるものではなく、しないから確実に発病するわけではない。そのうえ、どんな薬にも使用するリスクはあり、注射となると生命に関わる深刻な事態になる可能性が高まる。
 このため、体質や体調や生活環境など様々な条件によって、人それぞれが判断するのだ。

 この常識を否定するということは、薬のリスクを隠蔽する意図があるとしか考えられない。つまり、このセンセイはきっと製薬業界のひも付きだろう。
 このような立場の人が、そうでないことは非常に少ない。しかも、このような発言を大企業がスポンサーであるマスコミ特にテレビでする人は、構造からも経験則からも、まず確実である。

 先日、通勤中の女性が駅でふらつき倒れ電車にひかれて死亡する事件があった。この人は普段から貧血気味で、体内からはインフルエンザウイルスが検出されたから、体調不良が原因だったと推測されている。
 これは身体の具合が悪いのに仕事を休めない日本の悲劇だろう。

 一方、外国では日本にいた時と違って風邪をひかなくなり、それはインフルエンザの流行がないからで、街や電車でマスクしてる人も見ないという証言もある。
 なぜなら、調子が悪くなった人は休んで家にいるものだから。

 ところが日本では、病欠できる職場環境になく、「風邪くらいで休むな」と冷酷に上司が命じ、それで風邪が蔓延し、かえって生産性が低下することになる悪循環である。

 この馬鹿げたことも、御用学者を使ってマスコミで薬を売るよう仕向けて大儲けしたい製薬業界としては好都合ということだ。しかし、一部の勢力の利益のため社会全体が不利益を被ることは止めないといけない。




by ruhiginoue | 2019-01-26 15:38 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 よく、体に良くない食べ物があると説いてみせる人たちが挙げるのは、冷たい食べ物、甘い食べ物、刺激の強い食べ物、味の濃すぎる食べ物、生もの、脂質、である。

 こんなこと本来ならば言うまでもないが、生ものは栄養的に優れているから体には良いのだ。ただ、寄生虫や菌など食中毒の危険がある。けれど、これは良し悪しではなくリスクである。こういうことは他の食べ物にも言える。
 つまり、何が体に良い悪いかではなく、良い悪いとは何のことかで間違っているのだ。
 
 また、冷たい食べ物は身体に悪いのでアイスクリームは美味しいけど要注意らしいが、よくロシア人は冬にアイスクリームを食べていて、気温よりはるかに温かいから冷たい食べ物だと全然思っていない。
 これと同様に、日本人が辛いと思っている食べ物を、インド人や韓国人やタイ人は辛いと思っていない。
 つまり、冷たいとか刺激が強いとか言うけれど、それは何なのかを解っていない。

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 だいたい、冷たい食べ物は身体に良くないと強調する意見をよく見かけるのは最近のことで、かつては、熱い食べ物は身体に良くないという意見をよく見かけたものだ。
 これは、風潮や技術の影響により、どちらが手軽に食べられるか変わり、それで行き過ぎを注意しているということだろう。その程度のことだ。

 よく漢方医などが、医食同源だとか言って食べ物の良し悪しを説くけど、そんなのは無知な部活の顧問が精神論でしかないことを根拠があるかのように言うのと同じだから、そんなの真に受けてはいけない。
 



by ruhiginoue | 2019-01-20 06:00 | 学術 | Trackback | Comments(5)

医大のネット広告

 最近、いくつもの大学医学部で、入試の採点が不正だったと発覚している。

 そのうち、卒業生の子供だからと特別扱いしていた日本大学などは、この種のことは昔からあったので、まだやっていたのかと呆れるしかない。
 ところが、順天堂大学では女子や浪人回数の多い受験生を不利に扱っていたそうで、その訳が、女子はコミュニケーション能力が高いので面接でも受け答えが上手だから、20歳過ぎれば差がなくなるので「男子を補正」するため女子を一律に減点した、というのだ。
 まったく変な話である。

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 すこし前に、東京医大で同じことをしていたことが問題になったけれど、それは腕力があったり産休とらなかったりの男性医師がもっと欲しいということだったので、それなら東京女子医大というのがあるのだから、東京医大は東京男子医大になればいいだろう。堂々とやらずにコソコソとやるから不正なのだ。

 これは順天堂も同じ。女性は男性より成長が早いから、学校の勉強なんて十代のうちは女性が男性に勝って当たり前だ。だから男性に配慮するなら、浪人を歓迎すべきだ。なのに、なんで浪人回数が多いと排除なのか。矛盾している。若い人のほうがこき使えて便利というのもあるだろうが、浪人の数年でそんなに大きな違いはないだろう。
 もっと後に志望する人だと体力の差がでるが、そんな後から医学部に入りたいと言い出す人はだいたい実務より研究がしたいからという人が多い。それを受け容れたくないのなら、そういう人はうちではなく東大に行ってくださいと言えばいい。そのほうが有利だし、現に東大は医学部に限らず年齢不問だと宣言している

 そんな時、ネット上の広告で、ハンガリーの医学部では英語で授業を受けられるから、国際医師になりたい人はどうかというのをよく見かける。これはどうなのだろうか。マジャル語は馴染みが無いけれど英語ならなんとかなる人は多いだろう。自分でも興味がある。ただ、どの程度の英語が必要なのかわからない。
 とにかく、外国で質が良いなら、金かけても行ったほうがいいだろう。
 


by ruhiginoue | 2019-01-11 21:00 | 学術 | Trackback | Comments(2)
 パクリとガセとヘイトのベストセラー作家・百田尚樹が、新刊でまたやらかしたと話題である。女性の天皇についてどう思うかで大間違いを記述しており、出版社の校閲は何をしていたのかと言われている。
 これと同じく女性の天皇についてどう思うかで、かつて小林よしのりも雑誌の連載中で間違いを記述し、後から指摘されて「締め切りに追われていたから」と言い訳していたが、やはり出版社の校閲は何していたのかと言われていた。

 これらは、どちらもウッカリしていたからとはいえ、議題の根幹に関わるミスだ。そういうミスが全くない人はむしろ少ないだろうけれど、しかし、この人たちが特に話題になるのは、よくネトウヨたちがデタラメを平気で言い散らしている背景に、この人たちのデタラメな煽りがあるから、その関係を問題にされるのだ。

 そうしたネトウヨたちの中に医師が目立つことは周知のとおりである。専門外のことはまるで知らないけど社会に対し発言はしたくて、そのさいなるべく安易にしたいと考えたら、こうするのが好都合だから、そんな人がネトウヨになって当然かもしれない。
 それにしても、最近あるネトウヨ開業医がTwitterで、書店に並ぶ健康指南本のほとんどがデタラメだと指摘しながら、これでは偽医学が蔓延って当然だとし、これらを退治しないといけないと嘯いていたので、その滑稽さに失笑を禁じえなかった。
 もちろん、そうした健康指南書の数々には、どうでもいいことを面白おかしく書いているだけとか酷いデタラメとかの内容が多く、その割合は圧倒的かもしれない。それを売って儲けようと出版社は意図しているものだ。

 しかし、これは上記の百田尚樹や小林よしのり、その他の著者によるヘイト本も同じである。ネトウヨに向けて売っているから、ガセだろうとヘイトだろうとお構いなしなのだ。これは偽医学を真に受ける人達に向けて健康指南書を売るのと同じである。
 ところが、医学的だろうと社会的だろうと悪品質は全く同じなのに、片方の出版物は問題にしながら、もう片方は批判するどころか自らが同様の劣等な意識による憎悪の発言を吐き散らしているのだから、この医師の態度は実に滑稽ということだ。

 ここで、自らの専門分野は解るが、そうでない分野は解らないから仕方ない、という弁解は成立しない。程度が低い層の人たちに売って儲けるために、わざと劣悪な内容の本を出す出版社があるということは、どの分野でも同じことがあるのだから、気づかないわけがない。
 しかも、ネトウヨ向けのものは思想や見解の違いではすまない、デタラメであると同時に差別と憎悪だから内容劣等かつ反社会的なのだ。

 つまり、そうしたネトウヨ医師は、まず自身が差別意識を持っているうえ、そもそも思考の方法が基礎からできていないということであり、品性が下劣なうえ知性も怠慢と付け焼刃ということだ。だから滑稽なだけでなく非常に危ない。

 もっとも、それ以前に、前に紹介した医師の言葉のとおり、Twitterやっている医師なんて怠け者だから、その患者になってはいけないのだ。医者は仕事も勉強も大忙しなんだから、つぶやいている暇なんてない。インターネットを利用するなら、一般の情報の収集や仕事に関わる調べものの他に、ゆとりがあったら出会い系サイトで恋人でも見つけたい。冗談ではなく本当にそうだ。そのくらい忙しいのだから、という実に説得力があることを語っていた。

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by ruhiginoue | 2018-11-12 15:27 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 お笑い芸人の松本人志は、最近よく軽率な「持論」を展開していて、それは社会の現実を認識しない無責任な精神論であると指摘されているが、そういうものは元々、弱者を虐げ強者に媚びるもので、実際に松本人志は平行して政府に媚びる発言をしている。

 これについて、しょせんはお笑い芸人と言う人をよく見かけるけれど、違うだろう。こういうことは、お笑い芸人でなくても言っている。特に目立つのが教師である。お笑い芸人と教師が同じことを言うのは、どちらも共通して社会の現実を認識できていないからだ。だから演芸と学校がどちらもツマラナイわけで、その構造が存在する。
 この構造については別の問題として、ここではそんなくだらない精神論になってしまう原因の無知について話題とする。

 この精神論を説く無知とは、かなり単純な世間知らずである。例えば若くして功績があって大学で教えているとされる落合陽一という人が典型的だ。
 まるで功績がないけどなぜか大学で教えている連中もいる(そんな人が何故いるのかは、これも別の問題とする)が、いちおう功績のある人でも、その分野についてだけ語っているならいいが、にわかに他の事まで語りだすと非常識なことを言う。するとだいたい無責任な精神論になる。これが、お笑い芸人と同じになる原因だろう。

 この落合陽一という人は、学校の勉強が社会で役に立たないと言う人を批判していた。そして、そう言う人が解っていないのは、学校の勉強それ自体も意味があること、および社会に出てから役に立たないとしても勉強は訓練になるということであり、これを解っていないと貧困が堂々巡りするということだ。
 しかし、今時、学校の勉強が社会に出て役に立たないと言う単純な人はいないだろう。学校の勉強は学歴が伴っていないと社会から認められないので、貧困などの原因で進学できないと貧困の再生産になるという現実なら、昔から今まで指摘されてはいるけれど。

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 また、学校の勉強の内容にも意味があるとか、勉強することが訓練になるとか、そんなことは大昔から言われていたことで、よくテレビの学園ドラマでも繰り返し出てきたほどだ。
 そんなことを今さら言うなんて、落合陽一という人は一体どう思いついたのか、あるいはどこから受け売りしたのだろうかと不可解だが、これは貧困で進学できない人がいるなどの社会問題から目を逸らそうとする昔式の戯言であり、学園ドラマのネタとしても、教師などが安易に発するその場しのぎの言葉として描かれていたはずだ。

 どうであれ、これは社会の現実を認識できていないことによる無責任な精神論であることに変わりない。お笑い芸人がやっているのと同じで、政府などの強者に媚びて弱者を虐げることであるから、決して容認してはならない。
 だいたい、木村草太という「気鋭の学者」もそうだけど、マスコミが持ち上げている教員ってのは大抵ろくでもないものだ。
 





by ruhiginoue | 2018-10-24 17:20 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 ノーベル賞をもらった本庶佑という人が「ネイチャー誌、サイエンス誌の9割は嘘」であると指摘し、常識を疑う大切さを説いて、権威に騙されず自分で納得するまで調べるものだと言いいながら、効果への疑問や日本も含む世界各地で悲惨な被害の訴えがある予防注射について、自身では研究も患者診察もしていないのに、政府に勧奨再開を求めたことが報じられている。

 これは、スポンサーの製薬会社の意を受けたのではないかと疑われている。
 それだけではなく、昔から、大企業が研究者を絡めとるために、資金の提供だけでなく「我が社の力でノーベル賞を取らせてあげますよ」と言うことがあったけれど、今回のように露骨な人がでると、単にスポンサーに媚びただけでなく、そもそも受賞それ自体に、そういう如何わしい背景があったのではないかと思えて、この爺さんの研究なんて実はその「9割」に属するものだろうと疑わざるを得ない。

 だいたい、どんな分野の見解でも説でも、もともとの持論をこれまで通りに説くのなら、それが何であっても構わないけど、ノーベル賞で話題になったところで、それによって得た政治的な機会を利用して発言すれば、内容ではなく権威をかさに着てのことになるから不適切な行為である。
 だから、これをマスコミはただ垂れ流すのではなく批判的に捉え、その意図と背景を追及する報道をすべきだ。それができないということは、もちろんマスコミ関係者の意識の低さもあるだろうが、そうでないとしたら、やはりマスコミも大企業を恐れていると考えるべきで、ますます如何わしくなる。


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 そもそも、ノーベル賞をもらった人の言うことだから有難がらないといけないというわけではない。大江健三郎が原発に反対しても日本政府は拝聴しないどころか完全無視で業界の利益を図り、青色発光ダイオードを開発した人は大儲けした大部分を会社に巻き上げられたと訴えたが聞き容れてもらえなかった。
 つまり偉いのは会社である。ノーベル賞をもらった人ではない。だから今回も、ノーベル賞をもらった人が言ったというのではなく、製薬会社が儲かるように言ったと解釈すべきである。



by ruhiginoue | 2018-10-17 17:30 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 よく、「読み書き算盤」と、生活に必要な知識として言われるが、この点から学校の教科でも「国語算数」と先に言われる。では、あとの教科はどうか。他は趣味だから学校でやることないと言う愚かな人たちがいる。

 とんでもないことだ。ちゃんと考えて教科が設定されているのだ。これは戦争と平和のためである。
 「国語算数」に続いては「理科」だが、これは軍事研究に必要である一方、資源の問題を解決するなど戦争の原因を除去して逆に平和のためになる研究もする。
 次は「社会」だが、戦争は政治の手段なのだから武器が優れているだけではダメなので、必要である。逆に戦争を防ぐ学問にもなる。

 中学からは英語が加わるが、捕虜を尋問したり艦船を臨検したり通信傍受や諜報に役立ち戦争に必要である。逆に外交や文化交流により戦争を防ぎ平和に役立ちもする。

 他の教科はもっと軽んじられているが、しかし「体育」も兵士を強くするのに必要だからナポレオンは「ワーテルローの戦いではなく英国の運動場に負けた」と言ったし、平和運動にも体力は必要だから「若者よ体を鍛えておけ」(ぬやまひろし)という歌が学生運動で唄われていた。韓国が軍事政権を打倒して民主化したのは若者に体力があって学生運動が盛んだったことと関係があるけれど、この背景には兵役があった。

 「家庭科」は衣食住を通じて強い兵士を作ることになり、だから桜美林大学の川島四郎という有名な学者は、軍の学校で優秀だったから東大に進んだが、軍事力増強になると主張して栄養学を専攻した。この点で森鴎外は麦飯で脚気が防止できる経験則を、医学的根拠が不明確だと言って無視し、兵士たちを脚気にしてしまい軍医失格だった。

 「美術」と「音楽」は戦意高揚のプロバガンダに利用できるし、逆に反戦の意識を鼓舞したり平和交流の材料にしたりもできる。

 だから、ちゃんと学校の教科は国のため必要なことだと考えられている。なのに、この教科は必要でこの教科は不要とか言っている連中は、なぜそんなこと言うのか。その話を聞くと実は何も考えておらずテキトーに言っているだけなのだ。



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by ruhiginoue | 2018-09-14 19:37 | 学術 | Trackback | Comments(12)