井上靜の気楽ゆえ率直な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも同様にe-mail:ruhig@outlook.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:学術( 114 )

 カビに注意の季節であるが、先日、不動産業の人とカビの話をした。もちろん、建物内の水回りのことである。
 そのさい「カビキラー」で壁紙の染み抜きができると建設業者が言っていたことについても話題になった。
 それはあくまで小さなシミを目立たなくする程度のことで、ちゃんと壁紙を貼り換えないとやはり醜いし、壁紙にシミがあると雨漏りする家だと思われてしまう。
 だから商品としての住宅ではカビキラーで染み抜きなんてダメだということだ。

 このカビキラーという商品の主な成分は、塩素と界面活性剤である。家庭用品売り場では洗剤として扱われている。だから、殺すという強烈な商品名にしているが、色を抜いたり落としたりが目的であり、そのためカビではないシミにもいちおう使えるということだ。
 そして、その効果と限界が商売の観点から話題になったのだった。

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 ところが、である。カビ対策ではなく染み抜きに使用できるのは、洗剤として商品の効能が汚れ落としと脱色だからだ、ということに対して、塩素は殺菌すると言ってツッコミを入れたつもりの人がいたそうだ。その人は、後からこの話を聞くなり得意になって言ったそうだ。自分は知っている。間違いを指摘してやった。という態度。
 それは住宅の水回りやプールの水などを論じていたのではなく壁紙のことであるし、衛生の問題ではない。なぜカビキラーという商品が他の目的に使用できるのか、という話題であった。そこへ殺菌作用もあると指摘しても無意味だ。
 
 なのに、その人は後から間接的に話を聞いて、部分的に反応したのではないか。しかし、建設や不動産のことを知らないとしても、この話はそう難しいことではないし、なにより的外れなことを言ってツッコミを入れたつもりなら、話の趣旨を理解できていないということになる。

 その通り、と不動産業者は言った。
 その人は教員だそうだ。仕入れた知識を使って何かすることができず、それを受け売りする仕事に就いた。業務に関わることで何が目的かという話題に、そもそも縁がない。だから、よく趣旨を理解できず的外れで無意味な断片的雑学を言うことで人を見下しては、錯覚による優越感に浸る。
 そんな困った人だそうだ。

 また、その人の出ている大学は、何々が専門というのではなく、何々教育が専門というところで、出た人の多くは教師になるが、教育学部と少々違い、専門性を自ら生かさず教える仕事をするのを初めから前提にしている。
 それで、あの大学と大学院を出た人は、中身がない癖に偉そうにしている傾向があるのではないか。昔からそうだったから、弓月光の漫画で、嫌味な教師がそこの大学を出た設定だったのではないか、と言う。

 なるほど、言われてみれば懐かしい漫画は確かにそういう設定だったが、それはともかく、身内で他所の大学院を出てからその大学に一時勤務していた人がいるけれど、そこは入試の難易度だけそこそこ高いが、それにしては学問的に無気力な大学だと言っていた。それを思い出した。



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by ruhiginoue | 2018-06-24 08:24 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 その先生の名前は伏せておくが、法学部教授で民法が専門の、テレビにも出たことがあり、その道では知られた人だ。前の授業で書かれた黒板の字がそのままになっていることが時々あるので、よく消しておいてあげていたが、そこへ来ると先生は、そうしておいてくれると助かると言う誠実な人である。
 この先生が授業で「山崎豊子の『白い巨塔』のように、医者が誤ったことを裁判で追及するのは困難だ。そこで、不法行為で訴えると訴えた側が証明しないといけないが、そうしないで債務不履行で訴えると挙証責任が転換されて訴えられた側が証明しないといけなくなる」と言った。
 これは嘘ではないが、あくまで理論上のことであるから、現実の医療裁判では通用しない。

 このこと以外でも、やはり学問上の分類なのだから裁判と直には無関係ということはいっぱいある。だから、法律相談は弁護士にしてくれと法学部教授は言う。
 ところが、患者を診たことなどろくにない医師でも医学部教授として偉そうにしているのと同じように、法廷に一度も立ったことがないくせに威張っている法学部教授がいて、実務に対して机上の空論をふりかざしたうえで「もっと勉強しなさい」と得意になっている。

 このように、大学でもこんな調子だから、同じ調子の者がTwitterなどに現れて法律について中途半端な知ったかぶりをしている。そういう奴は、教えてやっても理解できない。法学部教授でもダメなんだから、Twitterの匿名アカウントで自己満足している者には到底無理である。
 そんな輩が、右翼のblogに騙されて煽られ「左翼」の弁護士に懲戒請求をしてしまう愚か者たちを非難していたりで滑稽だ。騙されるのが悪いから騙したほうは悪くないのかというと、そうではないと必ず言う。
 だったら手前も騙すんじゃねえぞと言うことだ。



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by ruhiginoue | 2018-06-15 18:41 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 山口敬之元TBS記者準強姦事件の「逮捕状執行停止問題」に取り組む超党派の国会議員の会合で、元TBSの杉尾議員は、逮捕を中止させた刑事部長について「キャリアの刑事部長で偉くなる事しか考えてない人が実際に捜査の現場で証拠なんか見るわけがない」と指摘し、自分で会ったことのある何人もの刑事部長たちはみんなそうだったと証言した。
 また、その事件の記録があるのは高輪署だが「それ見ないで刑事部長が判断出来るのか」と、弁護士だった福島議員が質問すると、警察庁から来た担当者は「専門性が高い警察本部が専門性の劣る警察署に指導するのは通常の事」と返答した。
 この様子の録画に、キャリア官僚の見当違いなエリート意識を感じた人は多い。
 
 ところが、高い地位に就いた者は相当に高い能力があり見識を持っている可能性があるから信じるべきだ、という論法で常に権力の不正を擁護したのが、先日自殺した西部邁という元東京大学教授の「評論家」であった。そして「大衆」はバカで無責任であるとコケにし続けた。そんな彼が死んだら美化して保守の論客と持ち上げている人たちもいるけど、もともとこんなことばかり言っていたのだ。

 この西部邁と同じなのが、首都大学東京の木村草太というタレント学者である。権力を縛るためにある憲法が専門でありながら、とにかく専門家は間違い無いので学校の教師はマジメだから信頼していて医師は正しいから娘に例の予防注射をさせたと発言している。
 まるで自己矛盾しているようだが、おそらく彼は、政治家は人気取りなどで地位を得ているからダメだが、専門家は学校の勉強で地位を得ているからダイジョーブだ、という発想なのだろう。他の解釈は無理だ。
 そして政治に介在するポピュリズムを批判するのではなく、予防注射の効果と安全性の問題で自覚した市民に対して耳を貸さず、それを否定しているのが専門家だから無条件で正しいという例の発言になる。まるで「井の中の蛙大海を知らず」のように「研究室の中の学者実社会を知らず」で専門バカ丸出しであるが、そこで西部邁と同様に大衆蔑視を露呈させている。

 こんな人をマスメディアは重用している。三浦瑠麗と同じである。マスメディアで「気鋭の」と売り出された人は批判と否定の対象でしかないものだ。騙されてはいけない。


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by ruhiginoue | 2018-02-19 16:19 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 テロリストの工作員が大阪に潜入しているとテレビで三浦瑠麗が断言したことは色々と問題になったり呆れられたりしているが、これを落合信彦が言って『週刊プレイボーイ』か『サピオ』に載ったというなら、もともとそういう受け狙いが商売で、また彼の発言がホラだと批判したところでプロレスを八百長試合と批判しても仕方ないというのと同じだといわれているから、騒ぎにもならなかったはずだ。

 しかし三浦瑠麗は東京大学の研究所に勤務する学者ということだから、落合信彦と同じではいけないという話になるのだろう。
 ただ、三浦瑠麗は青山学院大学にも勤務という経歴があり、東大だとダメだが青学大なら良いということでもないが、もともとこの私立大学に勤務する国際政治学者というのはタブロイド紙や週刊誌のような話をしていることが目立つ。
 
 例えば、ロシアの原潜クルスクが事故で遭難した時のことだ。プーチン大統領は休暇中で、救助作業が順調と報告されていたから現場に出てこなかったが、この対応に批判もあった。
 そして、心配する乗組員の家族が軍の会見につめかけたさい、息子が乗組員で安否不明だという女性が怒りをぶちまけていたら、そこへ薬を持った女性が来て鎮静剤を注射した。この様子がテレビで中継されると、口封じだとかKGBの手口だとか騒いだ外国メディアがあった。

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 しかし実はその女性には持病があって、息子を心配するあまり興奮しすぎて危険ということで、いつもの医師が注射しただけだった。これを本人も海外メディアのインタビューなどで詳しく証言した。
 だから、日本のテレビ番組でも、スパイ小説ふうの解釈をして面白おかしく騒ぐべきではないと結論していた。

 なのに、ロシア情勢に詳しいと自称する青山学院大学の国際政治学者(注 袴田氏ではない)が、「注射をしたのは海軍病院の女医だ」と根拠も無く断定したうえで軍が批判を封じるためにやったのだ、という談話をして週刊誌が掲載した。
 この人はタレント教授としてよくマスメディアに出るから、受け狙いで面白おかしい話をしてばかりだった。漫画にも詳しいと自称し、八十年代半ばには「コミケ」を取材したテレビ番組に出て論評のようなことをしてもいた。

 こういう国際政治学者を、青山学院大学は重宝がるので、三浦瑠麗も同様ということではないか。




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by ruhiginoue | 2018-02-17 12:33 | 学術 | Trackback | Comments(0)

非現実的な不登校の推奨

 『不登校新聞』というのがあるそうで、ここで東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授がインタビューを受けている。ここで安冨教授は、五年前から女性向けの服を着るようになったおかげで自分自身になれたと述べている。
 このようなことをするのは昔から知識階級の人と言われていて、あくまで目立つのであって多数派ということではなく、立場的に「カミングアウト」しやすいためだと指摘されている。
 この問題とも絡むが、この記事の見出しは「東大生より不登校のほうが人生を始めやすい理由 東大教授・安冨歩」だけど、この「東大」と「不登校」の二択が非現実的である。

 ここで同教授は不登校の有益性を説いているが、そもそも、東大に行けるくらいの恵まれた家庭でないと不登校は不可能である。自宅での学習や親の意識の高さや世間の目という問題があるからだ。
 これは、男性なのに女性の服装をして本当の自分はこうだと言うことについて、それをできる立場であるか否か、というのと共通する問題である。

 これについて、当人からツイッターを通じて意味が解らないという反応があった。しかし同じ文を読んで意味がわかった人はいて、賛同する人もいた。
 このことから思うに、東大教授の地位に就けるくらいの恵まれた家庭に育った人には、学校の現状を批判して不登校も有益だと言うことまでは可能だが、しかし有害無益とわかっていても仕方なく学校に行くことで将来に絶望しながら生き地獄を味わっている人のことまでは理解できないのではないだろうか。

 その少し前のこと、福島県須賀川市で昨年1月に中学1年の男子生徒(当時13)が自殺した事件について、学校で様々ないじめを受けて追い詰められた末に命を絶った状況が同市の資料によって判明したと報じられたが、このような事件があると昔からこう言う人が必ずいる。
 「なんで、いじめられて自殺なんかするのか。自殺するくらいなら死ぬ気になってかかっていけばいいじゃないか」
 それをやったら親に迷惑がかかるので、自分が死ねばいいんだと思って自殺するのだから、もともと無理な話だ。

 これと同じことである。不登校したほうがいいとわかっていないのではなく、わかっていてもできないのだ。
 そして、それは自らの責任ではない。生い立ちのためだ。
 だから絶望感に苛まされて我慢を強いられるのだ。その中から自殺する者も出る。




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by ruhiginoue | 2018-01-31 17:06 | 学術 | Trackback | Comments(1)
 先日、ツイッターで話題になっていたのだが、このツイートを書いた人のようにある認識が欠落している人が少なくないのだろう。
 この人は、
 「科学は人を幸福にしたか?」
 という問いに対して、
 「科学がなかったら、生きてさえいない人が大半」
 という答えであった。そして、これで充分だと思うと云う。
 そして解説する。
 「1800年の人類の総人口は10億人しかいない。乳幼児のうちに死んでいるか、そもそも生まれていないか」
 続けて
 「不幸も幸福も、生まれてくるというスタートラインあってのこと」
 これでは、生まれてからどうなるかの問題なのに、まるで答えになっていない。
 だから、この誤りを指摘する人たちがいた。

 そもそも科学がなければ生きられなかった人間もいれば、科学が発達したせいで死んだ人も大勢いる。どちらでもなく、特に科学からの恩恵を受けていない人もいる。
 また、このような問題について全体として統計的に語ることで結論とすることはできない。

 もう昔のことだが、手塚治虫の『ブラックジャック』でも既にこの問題は語られていた。医学によって人口が増えると食糧が足りなくなり餓死者がでる。医学の存在意義はどうなのかと主人公が自問自答している。
 こういう話をしないのでは答えにならない。

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 ただ、人口が増えたから良いという半端な考えで結論してしまう人が珍しくないのは、そもそも利益があるのか、あるとしても収支決算とかバランスシートとかの視点から赤字になっていないか、という肝心な視点を欠落させた人が人が少なくないからだろう。
 だから例えば、予防注射の効果に疑問が指摘されたり深刻な副作用が問題になったりすると、それを否定しようとする人が「反ワクチン」とレッテル貼り攻撃するのだ。これはとんでもない話で、疑問や問題の対象となっているのは特定の薬のことであり、その病気に関する予防薬すべてのことではなく、ましてや予防薬全体のことではない。

 このような誤りは、「反ワクチン」が何たるかを知っていれば起きないはずだ。知っていたら、どんなに悪意があってもなかなか言えまい。
 つまり、生き延びれる者と死ぬ者とは自然に任せないといずれ種が弱くなって滅びる危険があるとか、人口が増えすぎると資源の枯渇や食糧不足や環境破壊さらに戦争になったりするとか、そうした理由から医学それ自体の存在を全否定する立場があり、それを知っていれば特定の医療や医薬品の問題とは区別できるはずである。

 なので、この意味でも反医学の認識を社会にもっと浸透させるべきである。



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by ruhiginoue | 2018-01-29 18:11 | 学術 | Trackback | Comments(1)

センター試験のムーミン

 センター試験の地理で、親しみやすくしようと思ったのかアニメの話をもち出して批判が起きている。
 これは、北欧についてテレビのアニメ映画『ムーミン』『ビッケ』『ニルス』の物語の舞台はフィンランドとノルウェーとスエーデンのどれか結びつけるようにする出題だった。
 しかし、アニメ作品を知らないと解けない問題では地理の問題として不適切という指摘があり、ただしバイキング姿の主人公とか言語の共通から推察できるという指摘もあり、しかし『ムーミン』はスエーデン系フィンランド人の作家によるものであり舞台のモデルは異なると言われていることから、これを知っているとむしろ混乱してしまうという指摘もある。

 さて、こうして議論となってしまったことについて、センターではどう対応するだろうか。
 これと同じように、次のような問題も出すことができる。

 横溝正史の小説および映画化で『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』と、物語のモデルとなった土地は岡山と岡山と兵庫の境と長野のどれか結びつけよ。  

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 そんなの、小説や映画を知らなければ解らないとばかりも言えない。モデルになった実際の事件とか湖とかで推察できる。
 というように、今回のセンター試験の地理は良くない出題である。



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by ruhiginoue | 2018-01-15 18:20 | 学術 | Trackback | Comments(4)

不動明王と冷笑系

 今年の流行語大賞は「忖度」だが、かつて流行語に「梵天丸も、かくありたい」があった。これは87年に放送されたNHK大河ドラマ『独眼竜政宗』(平均視聴率は過去最高の39.7%、最高視聴率も47.8%で第3位)のセリフで、第二回の放送に出てきたあと何度か回想されるだけなのだが非常にウケたので、脚本のジェームズ三木はその後の大河ドラマで受けそうなセリフを繰り返し言わせるようにしたが、視聴率は高かったのに流行語にならなかった。
 つまり意識して流行させることは無理ということだろう。

 ところで、このセリフはドラマだと幼少の伊達政宗(幼名・梵天丸)が世話役の喜多(伊達政宗の参謀・片倉小十郎の姉)と会話する場面となっているが、史実では乳母のお蔦らしい。

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 梵天丸は寺で不動明王の像を見たさい、仏様なのに怖い顔をしているのは何故かと言う。すると居合わせた名僧・虎哉禅師から、不動明王は世の不正を監視し悪い者を懲らしめるため恐ろしい顔をしているのであって、心は慈悲深く優しいのだと説明される。
 「梵天丸も、かくありたい」
 こう言う梵天丸に感心し、虎哉禅師は梵天丸の教育係を引き受ける。梵天丸としては、病気で片目を失明しているうえ自分の顔が他の子どもと違い可愛げがないと気にしていたので、それなら不動明王のような存在となりたいと思うのだった。

 これで思うことは、最近は世の中の不正に怒ったり批判したりすることに対して、その内容にではなく、毅然とした態度や厳しさにケチや難癖をつけてのすり替え否定をし、こうすることにより結果として不正を擁護し権力や権勢に媚びる「冷笑系」が流行しているが、そんないやらしい連中が幅を利かせているのは、不正に怒る側の顔に怖さが足りないということだろう。

 ということで、来年は不動明王の顔を見て「かくありたい」と思わねばならない。



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by ruhiginoue | 2017-12-04 19:21 | 学術 | Trackback | Comments(4)
 「1ふくろに8こ入りのチョコレートが7ふくろと、ふくろに入っていないチョコレートが17こあります。ぜんぶでチョコレートは何こありますか」
 しき 8×7+17=73
 答え 73こ

 これが間違いにされ、不可解に思った母親が小学校の教師に問い合わせたら、「掛け算」をまだ教えていないので不正解にしたという返答だったそうだ。
 これに対してTwitterで怒っている人たちがいた。むしろ「教えていないのに偉いね」くらいのことを言うべきだと。
 この怒りはごもっともだ。その教師のしたことが適切なら、あの「1 から 100 までの数字すべてを足す課題」で、1+2+…99+100=というように児童たち皆がせっせと計算しているのを尻目に「1 + 100 = 101、2 + 99 = 101、 …50 + 51 = 101 なので答えは 101 × 50 = 5050 」と瞬時に回答した小学生時代の大数学者ガウスのしたことは間違いとして学校で否定される。日本の学校教育がお仕着せで才能を潰すものだという、よくある指摘のとおりである。

 ただし、習ったことを解っているか試験するという趣旨に拘るなら、式が間違いで答えは正解とすべきだろう。そうでないと指導にならない。だから不正解にした教師は「まず習ったことを使いなさい」という指導としても不適切である。

 また、この問題文も不適切である。
 この言葉使いでは掛け算と足し算によって合計せよという問題文になるから、それなのに、まだ習ってない掛け算を使用してはダメというのは不適切である。
 そういうダメ出しをしたければ、問題文を「ぜんぶ【たす】と何こになりますか」に、しなければいけない。
 つまり出題した先生の、算数ではなく国語にそもそも難があったということだ。

 これと同じことが、前にもあった。やはりTwitterで問題になったことだが、他の小学校の理科の試験で「じかんがたつと、かげのかたちがかわるのはなぜか」という問題に「地球が回るから」と回答したら不正解で、「太陽が動くから」が正解だという。なぜなら地球の自転はまだ習っていないからで、習ったことにもとづいて回答しなければダメということだった。

 しかし天動説はとっくの大昔に否定されたもので、そんなことを学校の理科でやってはいけない。だから、習ったことを憶えているかに拘るなら「太陽が動くから」ではなく「太陽の位置が変わるから」とすべきで、なぜ太陽の位置が変わるのかというと地球が回るから、だけど、自転はまだ習っていないから答えを書くのに必要ではない、ということになるはずだ。

 これらは、指導の仕方の問題ではなく、算数や理科の問題でもなく、要するに教師の国語の問題なのだ。
 先日、大学生が教科書などの文を読解できないことがあるという問題について、これを大学の先生に言わせると、新入生の英語力がガタ落ちしていて、そもそも国語に問題がありそうだということだが、しかし生徒とか学生の語学力を教諭や教授がとやかく言うよりも、教える側がいい加減な言葉遣いをしているほうを先ず問題にすべきだ。教える側がいいかげんでは教えられる側がちゃんとするはずがない。
 よく、教える側の言葉使いに深刻な誤りがあり、これを教えられる側が指摘すると、「細かいことはいいんだ」とか「理屈を言うな」とか「生意気だ」などと感情的になるものだ。この原因は、何より立場が重要だという日本の「文化」にある。そして、偉い人はいいかげんでも許されてしまうことになる。
 こういうことから改めないと、学問は衰退はしても向上はしない。



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by ruhiginoue | 2017-11-20 15:01 | 学術 | Trackback | Comments(9)
 韓国で14歳の女子が大学に合格したそうだ。韓国南東部の釜山にある霊山大学の法学科に、2018年度新入生の随時選考(日本の推薦入試に該当する試験。高校の内申点や面接、論述などの方式で進められる)に合格したという。
 同じ年齢の子は中学3年生で来年は高校に入学するが、その女子はすでに小卒認定試験と中卒認定試験に合格していて、2017年に入って高卒認定試験に受かり大学入試に応募する資格を得て、ついに大学に合格した。
 このイ・ジヨンさんは小学2年生の夏休みからホームスクール(自宅学習)をはじめた。彼女の母親は「ジヨンが幼い頃に英才教育の対象者として判定を受けるほど、非常に賢い面があった。従来の、学校という閉ざされた枠よりは、自由に学習できるホームスクールを選んだ」と明かした。
 また「近所にはホームスクールの家庭があまりなく、生徒間での交流ができなくて残念でした。ジヨンが、10歳の弟の面倒を見て、家で勉強をしていたのが一番大変そうで、それが偉いと感じた部分」とも。
 イ・ジヨンさんは「弟と携帯電話の使用をめぐってたびたび喧嘩した。それを協約書で解決した」「その時から、周囲の法的紛争に関心を持つようになった」と言い、それで法学科を選択したそうだ。
 彼女は、大学に通って一番やりたいことを訊かれると「思う存分、図書館で本を読みたい」と語った。家庭環境のため、読みたい本をすべて読めなかったという。そして大学の総長と面談した後、すぐ図書館に向かってプラトン『国家論』を借りた。学校側は、彼女があまりにも本が好きなので、入学前の図書の貸し出しを特別に承諾したという。
 このように、特別に熱心で優秀だったということだが、親が自由に意欲と才能を伸ばすべきだと考えた結果でもあり、また家庭の事情から大変でもあったというわけだ。

 ここで日本の反応は、学校や職場などでみんなと一緒でなければいけないという同調圧力に悩んだり、過度にみんなとつながろうとして疲弊したり、という問題が指摘されている。
 もともと、繋がることが奨励され、ひとりで過ごす人は「ぼっち」「非リア」などという言葉とともに、否定的なイメージで語られる風潮も指摘される。
 これが問題として語られるということは、それだけ日本も洗練されてきて変わったということだ。一昔前には無下に否定されただけだったから。

 かつて登校拒否の中学生が父親の理解により自宅で勉強し続けて司法試験に合格した、ということがあり、この報道に刺激されて自分も学校で教師や同級生に邪魔されず勉強したいと親に言ったことがあった。同級生も良くなかったが、それ以上に学校の教師たちがひどすぎた。
 しかし、そういうことは羽仁進(映画監督)の娘みたいに親が文化人で祖父母もインテリ(羽仁五郎と羽仁説子)の家庭なら、家庭の環境が良くて世間からも一種の異端として認められるからできるが、そうでないと勉強する環境がなくて不可能なうえ近所の目もある。うちのような下流家庭では到底無理だと母親に言われてしまい、泣く泣く諦めた思い出がある。




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by ruhiginoue | 2017-11-16 15:58 | 学術 | Trackback | Comments(4)