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井上靜のblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue

カテゴリ:学術( 134 )

 防衛医大などが人工血液を開発し、動物実験で成功したという論文を米輸血学誌に発表した。研究チームの木下学・防衛医大准教授は「離島など十分に血液を準備できない地域もある。人工血液でこれまで救えなかった命を救える」と話している。
 これを朝日新聞が報じた。

 かつて防衛医大の輸血に対する認識には問題があった。この危険性について他の医療機関の医師たちからの指摘があったことを既に述べている。ここで繰り返しはしないでおく。

 それより、これは論文発表の段階という話だ。
 その程度のことなのに、よく新聞が面白おかしく書くもので、このせいで過剰な期待をしてしまう患者がいて迷惑すると、かつて防衛医の助教授(今でいう准教授)が言っていたものだ。
 また、研究が防衛医大だからとマスコミが大袈裟に取り上げて結局ダメの例は過去に何度もあった。その一つで読売新聞だったが、同じ紙面に自衛隊の活躍を美化した記事が載っていたこともあり、政治的な意図を伺わせるものだった。
 なにより、同じような成果が発表されたことは過去に何度かあり、しかし難があったのだが、今回は違うといえるのかと疑問も出ている。
 
 なので、今ところ確実なのは映画のネタできることだ。自衛隊が血を好む怪獣をおびき寄せるために使うのだ。


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by ruhiginoue | 2019-09-17 05:35 | 学術 | Trackback | Comments(1)
 最近ある研究によって「天才」は存在しないと結論されたそうだ。
 そもそも「天才」とは何か。
 
 これは「向いている」というのとは違う。
 このわかりやすいのはスポーツで、それぞれの競技に適した体格など身体的な条件がある。これは決定的というほど影響し、努力より産まれつきである。だから「体格に恵まれた」と言う。

 そうではなく、霊的とか神秘的とかオカルトめいた力があるように言われるのが「天才」である。
 けれど、これは存在しないということだ。
 なぜそう断言できるのか。

 よく学術でも芸術でも、歴史に名を残した「天才」を研究すると、そんな人たちは絶対に「普通」の人たちより、それを多くやっていたそうだ。
 では、結局は努力なのかというと、そうではない。どんなに努力しても天才には敵わないと、よく言われてきたように、普通の人たちの何倍も頑張ったけれど「天才」と呼ばれる人たちのようにはなれなかった人のほうが、遥かに多い。

 では、何が違うのか。
 「天才」といわれた人たちは、不可能と思われるほどの集中力の持続とか、異常なほどの高揚感とか、普通ではあり得ない甚だしさによって、他の人より多くやっているらしい。
 そして、精神病、精神障害、知的障害、病気や怪我の後遺症、異常ではないが変わった人柄とか性格、などを持つ人ばかり。

 それで「天才と狂人は紙一重」と言われたり、極端に優秀な人は奇人変人だったりする、ということだ。
 なるほどね。




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by ruhiginoue | 2019-06-15 05:30 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 ある左派の編集者・著者が、竹田恒泰『日本の民主主義はなぜ世界一長く続いているのか』(PHP新書、2019年)について、読んだら目が白黒だったと述べていた。
 「日本の主権者は誰なのか。結論を先にいえば、天皇と国民が一体となった『君民一体』の姿こそ、我が国の主権の在り方なのです」と説いているからだそうだ。
 また、この「君民一体」が「日本型民主主義」であるとしたうえ「近年の日本の民主主義がおかしくなっているのは、極めて闘争的な西洋型民主主義の悪い側面が全面に現れた結果ではないだろうか」と説く竹田恒泰の「奇怪な説」は、長谷川三千子の本から受け売りしたらしいとも指摘していた。

 その「奇怪」な説、竹田としては長谷川の影響だろうが、説自体は昔から一部で信奉されていた。
 例えば桜美林大学の栄養学で有名な川島四郎教授である。あの人気漫画『美味しんぼ』にも、川島四郎の著書から影響が見受けられる。

 ほんらい川島四郎は東大卒の理系学者だが、タレント化してからの彼が説いていた栄養と健康についての言説には「疑似科学」とされるものも目立つ。また士官学校に入るが成績上位だったので東京大学に進んだと著者で述べていた。
 つまりその経歴は軍国主義の中枢にいたということであり、存命中に戦前を美化する発言も多く、史実に反する認識を披露することがしばしばであった。

 そして、こんな発言もしていた。
 「君が代」は天皇を讃える歌だから非民主的だと性格ひねくれた人は非難するが、君主を讃えることが民主主義であり、なぜなら日本は世界で例外的な「君民一体」の国だ、と。

 つまり君民一体だから、天皇のためだと言えば殺人も戦争も弾圧も正当化できるというだけでなく、それこそが民主的であるとし、それで死んだり殺されたりしても「大君の辺にこそ死なめかえりみはせじ」ということだ。この「海ゆかば」は川島四郎が勤務した桜美林が校歌に流用していた。

 まったくオカルトの発想である。だから、これを理系の学者が共感していたので問題だった。
 あのオウム真理教事件により、カルト宗教にいれこむ危ない理系が問題になったが、このとき困ったのは特に筑波大学生であり、偏見を持たれて就職に悪影響すると言っていた。
 この原因は、統一教会ベッタリ物理学者の福田信之筑波大学長である。彼のために筑波は変な宗教が幅を利かせるようになったと言われていたからだ。

 これに比べると川島四郎は目立たなかっただけで、学者失格の体質は同じ。
 そして「朝日新聞」連載の四コマ漫画「フジ三太郎」で熱烈な裕仁天皇崇拝者であることを披露していた漫画家サトウサンペイと共著を朝日新聞社から発行していて、その中でも様々な危ない認識を開陳していた。

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 つまり、いまさら竹田恒泰に呆れても、これは昔から根強いということだ。




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by ruhiginoue | 2019-05-19 06:06 | 学術 | Trackback | Comments(1)
 桜が散って花弁がベランダに落ちているの見ると、呑気に芸能人を集めて花見しているソーリの一方、あの桜田サンはついに辞めることになったなあ、と思ったものだ。

 ところで、入学試験の合格を「桜咲く」不合格を「桜散る」と喩えるが、そのあと入学式である。

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 今年は、上野千鶴子=東京大学名誉教授の、東京大学入学式での祝辞が、話題になった。

 まず、いくら自分が努力してはいても、それができるのは幸運だったからであったことを忘れてはいけないという話があり、これは具体的には片山さつきデージンのようではいけないということだろう。
 また、たくさん勉強しても、そればっかりで世間知らずではいけませんという話にもなり、これは具体的には木村草太センセとか三浦瑠麗センセみたいになってはだめですよ、ということだろう。

 あと、同じ白山の某私大は、竹中平蔵デーセンセが出てきたり、それを批判したら卒業させないぞと大学当局に脅されたり、なんてことが問題になっている。
 これを女装(女性になりすますのではなく、髪を伸ばしたり女の服を着たりの好みを堂々とやるという意味)の東大の先生が批判し、そんな大学は行くなと怒っていた。
 なので、そういうことが無いだけ東大はマシじゃないかとTwitterで質問したら、東大なんてもっと行ってはいけないと言われた。この先生は京大卒だそうだ。

 さらに、がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」と、がんばる意欲をくじかれるひとたちもいますーと上野先生は指摘していた。
 だから、くじかれてきた人たちの中には、これから頑張るという人たちが大勢いるので、そうした人の入学を増やすべきだ。東大は年齢不問とHPで宣言していたはず。
 なので、推薦入試や民間試験導入やめて欲しい。




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by ruhiginoue | 2019-04-21 09:55 | 学術 | Trackback | Comments(1)
 「数学のノーベル賞」と呼ばれるアーベル賞に、今年はアメリカの数学者でプリンストン大学のカレン=ウーレンベック教授(76)が選ばれ、初の女性受賞者となった。

 もともと「数学のノーベル賞」と呼ばれてきたのはフィールズ賞であるが、これとの違いについて知らなかった。まず、フィールズ賞は古いが、アーベル賞は新しいということだ。

 アーベル賞とは、2001年にノルウェー政府が、同国出身である数学者ニールス=アーベルの生誕200年(2002年)を記念して、アーベルの名を冠した新しい数学の賞を創設すると公表し、そのためにニールス・ヘンリック・アーベル基金を創設した。
 そして毎年、ノルウェー科学文学審議会によって任命された5人の数学者からなる委員会によって決定する。候補者は年齢不問。賞金額はスウェーデンのノーベル賞に匹敵し、数学の賞としては最高額である。

 フィールズ賞は1936年から実施されている。若い数学者の優れた業績を顕彰し、その後の研究を励ますことが目的であり、新人賞というほどではないが奨励が目的であるから、4年に1度で40歳以下で2名以上4名以下という制限があり、賞金は安い。
 例外として、重要な功績があった人には制限より少し年齢が行っていても「特別賞」ということがあった。
 初の女性受賞者は2014年。

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 そういえばハリウッド映画『グッド・ウィル・ハンティング』で、マサチューセッツ工科大学の数学の教授が「栄えあるフィールズ賞学者」「しがない大学教員」と自分のことを言う場面が最初のほうにあった。数学で頑張っても、教員にしかなれないということだ。よく言われること。
 そして教授に才能を見出された主人公は、軍の諜報部からスカウトされるが、戦争の片棒担ぎなんてまっぴらごめんと断る。
 この面白い映画を製作したのが、女性の敵でもあったハーヴェイ=ワインスタインである。

 それはともかく、高校生の時、数学担当の先生に「数学では食っていけないとか教師にしかなれないとか言われているけど、ほんとうですか」と訊いて嫌な顔をされたのを、本件の報道で思い出した。




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by ruhiginoue | 2019-03-26 17:36 | 学術 | Trackback | Comments(1)

なぜ餅がカビるのか

 昨日、科学的リテラシーを問うと言いながら不適切な設問で誤った回答を引き出し、それをあげつらう疑似インテリの問題について述べたが、これに関係した落語の話。

 落語の林家一門に伝わる定番のネタで、もとは『笑点』大喜利の正月師弟対決で大ウケした問答がある。のちに林家木久蔵が、林家彦六の口調を真似して繰り返すことになり、有名である。
 「なぜ餅にカビが生えるのでしょうか」「早く食わねえからだよ」
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 もちろん落語家が言ったことだから笑いを取ろうとしたわけだし「本当の知識とは生活に密着したものだ」という皮肉でもある。林家彦六といえば物知りとして知られていたから、そんな人が科学的な回答ではなく常識であっさりと決着させたこともウケた要因だろう。

 しかし、科学的な問答としては質問の仕方が不適切だったからウケたということもある。
 もし、この話題で、カビが生えるのは胞子と養分という話の後に、では生活の中で身近な具体例として何があるかということで餅を挙げるなら、白いからカビると目立つなど、例として適切である。
 ところが、カビが生えるのは餅だけではなく、また食品だけでもないのに、わざわざ餅について質問してるのだ。そうなると、餅というものはある程度の日持をちするが、だからと油断していたらカビが生えてしまうもので、そういう性質の食べ物のカビ対策はサッサと食べることだ。
 
 というわけで、相手の知識を試そうと質問したけど、そんな質問したら答えはこうなるぞという意味の回答をされてしまい、これを傍で見ていた者としては吹き出してしまう。
 つまり「餅にカビが生えるのは何故か」という質問に対しては「早く食わねえからだ」が正解なのであり、はぐらかしたのではない。はぐらかしたと観客が受け取っていたら、そこまで笑いはしなかっただろう。
  
 これは、お笑い芸の話題だが、しかし同じように不適切な設問をしておいて、自分が笑われている訳が解らず「科学的な回答をできない者が多い」とか言う間抜けな人たちが、教師や教授にもよくいるのだから困ったものである。





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by ruhiginoue | 2019-03-06 17:33 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 その人に「科学的リテラシーがあるかを確認する方法」は「救急車が向こうからやってくると、すれちがうさいピーポーの音が低くなるでしょう。これはどうしてなのか知ってるかな」と質問することであり、すると多くの人が「こちらに迷惑だから手動で音を下げた」という回答をするそうで、一流大卒の文系女子でもそう思ってたと言った人がいるから「闇!」だと、ある人が説いていた。

 しかし闇ではなく、こんなことを偉そうに説いて見せる人の見識が暗いのである。
 なぜなら、その人はすでに質問の仕方が不適切だという指摘をされていたけれど、その指摘のとおり、おそらくドップラー効果を知っているかと質問するつもりだったのだろうが、しかし質問した側は音程のつもりで「低く」と言ったけど、質問された側は音量のことだと思って、もしかして迷惑にならないよう音を「下げた」のかなあ、と言ったのかもしれない。

 もともと、あたりかまわず声高く詩歌を吟じることを「放歌高吟」というように音の大小を高低で表す言葉があり、また「音程とは振動数の多寡によるものだが、それを空間定位の高低で表現することがあるので誤解が生じる」(伊福部昭『管弦楽法』上巻)など、印象や連想によって音の特徴を言葉にしている。
 だから、よく子供にピアノの音を聴かせて「どっちが高い音」かと質問すると、音が大きいという意味だと思って、右手側の鍵盤の「ピン」ではなく左手側の鍵盤の「ゴーン」の方だと答える。ここでちゃんと音程と音量について教えず「違うでしょう!」と叱る教師が子供の心を傷つけたりするから困ったものである。

 そういうことなので、普通は、音楽として意識して聴いたり、よほど差があったり、ということでなければ、音の高低とは量の大小のことを言っていると受け止める人が多いものだ。すると、時速40キロ程度で移動しているときの音程差を意識することは、あまり一般的なことではない。
 よく、レースの通過音を口真似する人がいて漫才のネタにもされていたが、この音の変化を音程とか振動数とか意識する人は少ない。救急車の「ピーポー」を口真似して質問しても、音程の認識が無ければ聴いても意味を理解できず、質問の趣旨を別に解釈するだろう。
 つまり、趣旨を誤解させる質問あるいは趣旨の誤解を防げない質問であるから、科学の知識を持っているか否かを回答により判別する質問とはならない。

 よく、不適切な質問の仕方をしておいて、「こういう意味で質問したんだ」と後から言う人がいるけれど、そんなのは知識の半端な人がやることだ。大学教授にも、よくいるので情けない。

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by ruhiginoue | 2019-03-05 18:00 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 知人に市議会議員をしている男性がいる。この人は当地にある電通大の卒業生だ。
 その当時、西尾幹二教授を学生たちは問題にしないのかと疑問を呈した人に対し、きっと弾圧が怖いのだろうと彼は言っていた。

 他の大学でも、例えば露骨な弾圧のあることで知られる上智だからこそ、あの渡部昇一が教授してられたりしたわけで、つまり竹中平蔵教授を批判した4年生を「退学」で脅した東洋大だけの問題ではない。その本籍地である慶応大は、経済学部と共に看板学部である医学部で、医学の軍事利用に反対する学生たちを「退学」で脅して弾圧したものだった。
 しかし強姦は金で解決でいい慶応大学でもある。五回も逮捕されて不起訴で退学にならないというのはすごいことだ。この学生の実家は大変な資産家だと伝えられている。
 こういうことがあるから、小泉純一郎が慶大生だった時、同大の女子に対する性的暴行で「僕のお父さんは防衛庁長官だぞ」と警察に凄んだという例の話も、信じられてくる。
 この大学は金が何よりで倫理というものが無いということだろう。

 ところで、西尾幹二もと教授は、最近、西部邁・小林よしのり両名について、仲良しから決別になった事情を述べているが、ここで彼が自らを後知恵で美化して述べているほど冷静で論理的ではなく、もっと単純で薄っぺらだったはずだ。ドイツ文学が専門でニーチェに詳しいというけど、彼がその『エクセ・ホモ=この人を見よ』状態だった。
 だから、西部や小林は嫌気がさしたと見るほうが自然だ。

 しかし、彼が歴史修正主義の「教科書をつくる会」のことで、のちに批判されることになる小林について、最初、彼のことを最も好意的に評価していたと言う部分は、いちおう説得力があった。
 まず小林は教科書を作ろうと尽力したそうで、これは彼が漫画家であるから自分が描いてアシスタントも雇い、という具体的な作業を仕事柄してきたからだろうが、これに対して会の他の参加者たちは大学の教員などだから、あれこれ言うだけで作る作業をしない。西尾としては小林だけがまともだったと感じたわけだ。

 これは、なんともありそうな話である。やはり、現実に作る作業を知らず勝手なことを言う大学の先生に、不愉快な思いをしたことがある。
 これは拙書『防衛医大』を、大学の先生という女性が読んだ時のことだ。その人は医療問題に取り組む団体に関与して中心的ということだった。それで団体の会員からもらって読むと、著者に文句を言い出した。
 なにかというと、先に出た上智大学の渡部昇一を防衛医大が招いて校内講演させたことについて、生命操作や身体障害者排除を主張し、それをやったナチスを美化した人なのに、という問題が書かれていたことだ。最近では高須クリニックの経営者がこれで外国の学会を追われた。なのに医師の養成所での講演としてふさわしくないという問題だった。
 
 これが気に入らないと文句を言う女の先生は、なぜかと具体的な訳は一切言わず、どうも自分でついていけない話題であることや、ただ大学の先生を批判していることなどが原因のようで、そうした漠然としたことから「わたし、わーってなっちゃったの」とバカみたいな表現で言ったのだった。このオバサン何を言っているのかと呆れていたら、執拗に何度も繰り返したのだ。「わたし、わーってなっちゃったの」
 そのうえで、「否定はしないけど、不愉快だから巻末にオマケみたいに付けるように書き変えて出版し直しなさい」と言った。理由になってない手前だけのことに他人が合わせて当たり前だと思っているわけだ。この感覚では本でも何でも出来るわけがない。

 ここまでひどくはないとしても、勝手なことばかり言っているだけの人が大学の先生には多い。だから、おそらく西尾は小林だけ評価したのだろう。内容をどう評価するかとは別に、何かを作る姿勢が大事であることを、解っている人と解っていない人との違いだ。
 これは創造的な仕事をするさいに極めて重要である。

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by ruhiginoue | 2019-02-01 16:35 | 学術 | Trackback | Comments(1)
 インフルエンザの流行で、インフルエンザの予防接種をどうするかという話題がテレビで取り上げられ、そこで出演した医学者の発言は飛躍しすぎた奇妙なものだと問題にする人がいたので、その番組からのスクリーンショットを拝借する。

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 これだと、周りに迷惑がかかるから予防接種するべきだという結論で、そうでないと責任を負わなければならないと言う。
 「予防接種してない人からうつされるかもしれないから、用心のため予防接種しておきましょう」と言っても同じ結論になるのに「予防接種しない人は迷惑になる」と、わざわざ言うのは確かに奇妙な論法である。

 そもそも、予防接種をしても確実に発病が防げるものではなく、しないから確実に発病するわけではない。そのうえ、どんな薬にも使用するリスクはあり、注射となると生命に関わる深刻な事態になる可能性が高まる。
 このため、体質や体調や生活環境など様々な条件によって、人それぞれが判断するのだ。

 この常識を否定するということは、薬のリスクを隠蔽する意図があるとしか考えられない。つまり、このセンセイはきっと製薬業界のひも付きだろう。
 このような立場の人が、そうでないことは非常に少ない。しかも、このような発言を大企業がスポンサーであるマスコミ特にテレビでする人は、構造からも経験則からも、まず確実である。

 先日、通勤中の女性が駅でふらつき倒れ電車にひかれて死亡する事件があった。この人は普段から貧血気味で、体内からはインフルエンザウイルスが検出されたから、体調不良が原因だったと推測されている。
 これは身体の具合が悪いのに仕事を休めない日本の悲劇だろう。

 一方、外国では日本にいた時と違って風邪をひかなくなり、それはインフルエンザの流行がないからで、街や電車でマスクしてる人も見ないという証言もある。
 なぜなら、調子が悪くなった人は休んで家にいるものだから。

 ところが日本では、病欠できる職場環境になく、「風邪くらいで休むな」と冷酷に上司が命じ、それで風邪が蔓延し、かえって生産性が低下することになる悪循環である。

 この馬鹿げたことも、御用学者を使ってマスコミで薬を売るよう仕向けて大儲けしたい製薬業界としては好都合ということだ。しかし、一部の勢力の利益のため社会全体が不利益を被ることは止めないといけない。




by ruhiginoue | 2019-01-26 15:38 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 よく、体に良くない食べ物があると説いてみせる人たちが挙げるのは、冷たい食べ物、甘い食べ物、刺激の強い食べ物、味の濃すぎる食べ物、生もの、脂質、である。

 こんなこと本来ならば言うまでもないが、生ものは栄養的に優れているから体には良いのだ。ただ、寄生虫や菌など食中毒の危険がある。けれど、これは良し悪しではなくリスクである。こういうことは他の食べ物にも言える。
 つまり、何が体に良い悪いかではなく、良い悪いとは何のことかで間違っているのだ。
 
 また、冷たい食べ物は身体に悪いのでアイスクリームは美味しいけど要注意らしいが、よくロシア人は冬にアイスクリームを食べていて、気温よりはるかに温かいから冷たい食べ物だと全然思っていない。
 これと同様に、日本人が辛いと思っている食べ物を、インド人や韓国人やタイ人は辛いと思っていない。
 つまり、冷たいとか刺激が強いとか言うけれど、それは何なのかを解っていない。

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 だいたい、冷たい食べ物は身体に良くないと強調する意見をよく見かけるのは最近のことで、かつては、熱い食べ物は身体に良くないという意見をよく見かけたものだ。
 これは、風潮や技術の影響により、どちらが手軽に食べられるか変わり、それで行き過ぎを注意しているということだろう。その程度のことだ。

 よく漢方医などが、医食同源だとか言って食べ物の良し悪しを説くけど、そんなのは無知な部活の顧問が精神論でしかないことを根拠があるかのように言うのと同じだから、そんなの真に受けてはいけない。
 



by ruhiginoue | 2019-01-20 06:00 | 学術 | Trackback | Comments(2)