井上靜の気楽ゆえ率直な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも同様にe-mail:ruhig@outlook.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:社会( 1111 )

 語尾に「知らんけど」って付ける言い方があり、これは関西だと色々な使われ方とニュアンスがあるらしいけど、多くの場合、自分の発言に自信がないとか責任を持ちたくないとかの意図で使用するものらしい。

 ということは、最後に「知らんけど」と言い添えるのは、一昔前に流行った「語尾上げ」みたいなものだろうか。自信や確証がないので「どうかな?」の意味でいちいち質問のように語尾上げするのが流行って、いつもユーモアの宣伝をする『通販生活』のテレビCMがネタにしていた。

 しかし、この「いちいち語尾上げ」も情けないけれど、これに比べて「知らんけど」の方は「自分ではわからないから責任もてないが、周りはそう言ってるから合わせておいたほうがいいかもしれないぞ」という、実に悪い意味で日本的である。

 ところで、「師走」とか「クリスマス」の季節だが、基督教などで説教や祈りの最後に言い添えたり唱和したりの「アーメン」とはヘブライ語で「そのとおり」「そうありたい」などの意味で、これは仏教の「ナームー」も同じ意味である。
 ということは、労働運動の決起集会で組合執行部の方針案に「異議なし!」と気勢を上げるのと同じである。
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 これらも「知らんけど」を言い添えるといいかもしれない。

 「聖書によれば、イエス様はこう仰いました…知らんけど」

 「経典によれば、お釈迦様はこう仰いました…知らんけど」

 「生活防衛のために大幅賃上げ勝ち取とろう…知らんけど」





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by ruhiginoue | 2018-12-15 12:30 | 社会 | Trackback | Comments(1)
 先月26日、神戸市は経済観光局の男性事務職員(63)を懲戒免職処分にしたと発表した。「高校卒」までを受験資格とする市職員の採用試験を、大学卒業の経歴を伏せたまま受験して採用されていたのが判明したからだとのこと。密告によって発覚したらしい。

 この報道について堀江貴文(ホリエモン)が、「あほくさ」と言っていたが、公的機関は社会政策の一環として様々な条件の人達に職を提供するため「〇卒以上の人」ではなく「〇卒の人」「〇卒までの人」という採用をするから、高卒までの人を募集しているのに大卒の人が高卒だと嘘をついて応募してはいけない。ちゃんと理由があるうえでのことだ。

 また、ある雑誌が、なぜ学歴があるのに無いことにしたがる人がいるのかという話題のなかで、民間企業も、大学に敢えて進学せず社会に出たと言う高卒は採用してくれる一方、卒業した大学が「Fラン」だと「バカ」「努力しない人」と看做され相手にしてもらえないから、そんな人たちは大学に進学したことを大いに後悔している、という証言を載せていた。
 そして、採用してくれる会社とは「学歴不問」「意欲次第」を謳う所で、そういうのは「ブラック企業」の体質を持つ所なのが相場とのことだ。

 そう言われてみれば、前に如何わしいセールスに来た人の出た大学がほぼFランで、一緒に来た人は早稲田大学卒だと言うので驚いたけれど実は「早稲田にして早稲田に非ず」「所沢体育大学」と皮肉られる学部にスポーツ推薦で入ったけどケガで活躍できず、このため、いちおう大卒というだけだった。
 この早稲田卒の人はFラン卒の人より遥かにバカだった。

 あと、高校の同級生でFラン大に入った人は、六年も通って卒業せず中退し、就職する時は高卒だということにしておいて、結婚披露宴での紹介では大卒ということにしていた。それができる人にとっては好都合かもしれない。
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by ruhiginoue | 2018-12-12 17:27 | 社会 | Trackback | Comments(3)
 もともと幻冬舎の見城徹社長は、ベテランの著名な作家に対してさえ、例えば最近の新潮社のようなことをする出版社を批判すると、モノカキ風情が生意気みたいな発言をする人であり、それもそのはず百田尚樹の本をベストセラーにしてしまえるのだから、本は書き手ではなく売り手だということで、美術の世界で画家より画商が威張っているのと同じ発想をして当然だろう。

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 そして幻冬舎は『殉愛』の内容と訴訟沙汰で恥をかいているはずだが、それでも同じ著者の本を出し、この内容がデタラメだとか盗用だとか批判されていて、これでは会社がどうかしていると言われても仕方ないという指摘がある。
 しかし、老獪で百戦錬磨の社長が「確信犯」でないとは考えられない。それに、賠償金を払っても売上利益の方が多ければ成功したと考える出版社長や編集者がいるもので、スポーツなら日大アメラグの監督のように反則やラフプレーでも勝てばいいと信じていて、これを恥とは思わないから次も不当なことを平気でやる、という人が幅を利かせているのは出版業界も同じである。

 ほかの同業でも例えば、あの花田紀凱歌編集長は、古巣の文芸春秋社にいた当時から、そのやり方が社内で問題になっても「成功した者を成功できない者が批判している」と言っていたことが週刊誌で報じられたが、その後の身の振り方をみれば「なるほど」である。

 つまり、スポーツマンがフェアプレーと思ったら大間違いなのと同じで、出版業界が文化事業だと思っても大間違いなのだ。



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by ruhiginoue | 2018-12-10 18:31 | 社会 | Trackback | Comments(3)
 「貴様」は、字のごとく敬意を込めている言葉なのだけど、皮肉を込めて「キサマ!」と怒って言うことが多かったため、敬意を込めて呼びかける本来の使い方がしにくくなり、「様」ではなく「殿」を使う「貴殿」がよく使われている。
 その「キサマ」と同様なのが「オタク」である。

 もともと「御宅」は「御社」のように敬意を込めて呼びかける言葉だが、俗に「御宅族」という呼び方ができて、ここから「オタク」という悪い意味の表現になった。
 これは、同じ趣味を持つ相手だからと敬意を込めて呼びかけてはいても、実は慇懃無礼で、そのさい自分のほうが凝っていることを相手に対して鼻にかけるのが常だから、そんな人を皮肉って「御宅族」と言ったのだった。

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 ところが今では、よく「オタク」は「マニア」と同じ意味で使われ「〇〇マニア」のように「〇〇オタク」と表現する。
 しかし本来の意味は違い、「オタク」とはマニア間で自慢する人のことである。そうじゃない人は、ただマニアックを省略して言う意味の「マニア」である。
 つまり「マニア」と「オタク」は同じ意味ではなく、特徴を備えた「マニア」を「オタク」と言い、その特徴とはマニアの仲間内で自慢するから感じが良いとは言えない人、だということである。

 だから、「マニア」と同じ意味で使われる場合の「オタク」には、「そのことにばかり熱中している」という否定的な意味がこもってはいるが、「マニア」という場合にだって、そうした否定的な意味を含ませて表現していることが多いから、この点では殆ど違わず、しかし本来の意味の「オタク」だと、そのうえ「同じ趣味の人に向かって慇懃無礼に自慢する」という、より悪い意味が加わる表現になるのだ。

 そうは言っても、社会の中で意味が変化してしまった言葉は、元に戻そうとしても無理なことである。
 これは、映画『それでもボクはやってない』を観ていて思ったことだった。裁判所の場面で、野次馬として傍聴しに来る人の中には性犯罪ばかり好んで面白がる悪趣味な人がいると弁護士が言うさい「傍聴オタク」と表現していたからだ。





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by ruhiginoue | 2018-12-02 10:25 | 社会 | Trackback | Comments(2)
 ゴーン元会長が逮捕されたことについて、朝日新聞の報道が先行していて、他のマスコミは「寝耳に水」だったとも言われる。
 
 そして、その後の朝日新聞は連日、一面に大見出しを掲げる記事となっている。

 しかし、これは「スクープ」ではない。見出しはどれも「退任後の報酬50億円隠蔽か」(11月24日)、「ケリー容疑者隠蔽主導か」(25日)、「ゴーン前会長容疑を否認」「『開示の対象外』主張か」(26日)、「私的損失日産に転嫁か」「ゴーン前会長、17億円」(27日)、というように、最後に「か」が付いて断定ではなく疑いの段階であることを示している。

 よく、スポーツ新聞が大見出しの下に「か」が付いていて、これは事実だと思ってしまい騙されて買う人がいるようにする手口であると、かつて芸能レポーターの梨本勝が生前に指摘していた。

 しかし今回の朝日新聞の見出しは、捜査をしている検察が、そのような目星をつけて調べているということである。
 だったら、そう書く分には問題が無い。権力の側から情報を得ておいて、その真偽を曖昧にしながら大見出しにして印象付けるから問題なのだ。こうすれば検察はやりやすいと大喜びして情報提供してくれるだろうが、推定無罪原則の下で逮捕され国家権力と対峙している個人の立場からすると、深刻な人権侵害である。
 
 これは、シリア情勢の報道で「アサド政権が化学兵器を使用か」などと連日騒いでいるのも同じである。どれも「か」ばかり。それは対立している諸国と、その息がかかっている団体やマスメディアのものばかりである。複数のメディアが報道していても、源泉は同一である。

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他のメディアも追従するが、情報源は同一である。

 こんなものに、安倍政権に批判的な人達も乗っかっているから、呆れるしかないが、この人達の「日本はダメだなあ。そんな日本と違って欧米は…」という型にはまった言説は、もういいかげんにしろ、である。
 たしかに日本はダメだが、その原因のかなりの部分は欧米とくにアメリカ合州国から来ていたりもするので、その最たるが自民党政権なのだけど、そういう構造を理解できない人が多過ぎて、批判が弱く、そこへゴーンもと会長は付け込んだだけで、その汚い手口を「剛腕経営者」などとマスコミが持ち上げた。

 つまり、ゴーン元会長やアサド大統領をどう評価するかと、報道が変だということは話が別なのだ。もちろんアサド大統領よりゴーン元会長の方が悪党であることは間違いないが。







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by ruhiginoue | 2018-11-27 13:18 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 2003年に東京都杉並区の荻窪駅近くにある公衆便所で、当時24歳の男性がスプレーで落書きしたため現行犯逮捕された事件があり、この落書きが「戦争反対」だったことから色々と問題になった。
 もちろん公共物への落書きは違法行為であるが、軽犯罪であるから、落書きを自分で消させるか、業者に依頼したならその費用を払わせるか、の対応であるはずだ。
 ところが、これが「器物損壊罪」として起訴されたのだった。

 そもそも器物損壊罪とは、使用できるものを使用できない状態にしてしまうことだ。これについて検察は、落書きによって雰囲気が悪くなり便所を使用できなくなると主張したから、ひどい屁理屈だという批判が起きていた。
 それなら、すでにその公衆便所には落書きがあり、そこにはよくある下品なものや卑猥なものがあって、このほうがよほど雰囲気が悪くなるし、性犯罪者が潜んでいそうな感じがして、使用できなくなるだろう。
 つまり、すでに使用できなくなっているものを使用できなくしたというのは無茶苦茶ではないか。落書きは軽犯罪とし、器物損壊は無罪とすべきだと弁護士は主張した。
 
 ところが、それでも有罪となった。
 この男性は、逮捕起訴されたら強引に有罪にするのが日本の裁判の実態だと聞いていたから覚悟はしていたけれど、そう思っていても頭にきてしまうほどひどかったからと、判決のさい被告席で暴れてしまった。
 この後から、感情的になったことは反省しているが、そうさせるほどの無茶苦茶を司法がやらかさなければ、もともと怒って暴れたりはしなかったと言った。
 それで、卑猥な落書きは放置してきて「戦争反対」は逮捕されて屁理屈で起訴され強引に有罪にするのが日本だと、そんな国であると、またさらに認識されたのだった。

 この事件をまた思い出したのが、東京入管の「炎上tweet」だ。
 その近くにある港南大橋付近の歩道橋などに、東京入管の難民に対する非人道的扱いへの抗議がスプレーで書かれ、これに対し、東京入管が、落書きはいけないとtweetしたうえ「表現の自由は重要ですが、公共物です」と、のたもうた。
 たしかに公共物だが、あくまでモノである。生身の身体生命と尊厳にかかわる基本的人権の方が重要であることは言うまでもない。
 また、表現の自由も基本的人権であるし、そもそも落書きの内容とは入管への抗議であり、それは入管が基本的人権を守らないからである。国の法律も憲法も守るべきだし、それ以上に全世界で共通の人道を守るべきだろう。

 あの新潮社の看板に落書きされて「あのヘイト本YONDA?」にされてしまった騒動も、売らんかな主義で差別記事なんか掲載したからだ。新潮社は慌ててビニールシートで覆ったが、このたび通報したとか批判したとか言っている入管も、手前が原因を作ったことで後ろめたい気持ちがあるからだろう。

 これについてある報道によると、東京入管の広報担当者は取材に対して、
 「うちと関係のない公共物に損害を生じさせる表現方法を取られたので、あえてツイートをしました。描かれているメッセージの中身は関係がありません。これが仮に『入管がんばれ』という激励でも、同様のことをしたと思います」
 と、説明したそうだが、あからさまな嘘である。
 だいたい、関係のない公共物に損害が生じたというのは手前が原因を作っていて、これは言いがかりではなく言われて当然のことであり、しかも公権力を笠に着ての行為が批判されているのだから、迷惑をかけたのは入管の方であるし、その写真を見れば、その落書きはすでに落書きされている上からのもので、前からあった落書きは問題にしていなかった。

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 これだから、十五年前の「戦争反対」落書きの件を思い出したわけで、相変わらず日本は進歩してないことが、また判ったということだ。




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by ruhiginoue | 2018-11-22 16:18 | 社会 | Trackback | Comments(2)
 先日の催しに来て文句を言う人のことにも共通するが、タダだからと寄ってくる人ほど理不尽な文句を言うので、そういう相談などには乗ってやってはいけないと注意する人がいる。
 これは、パソコンに詳しい人が言っていたことを思い出すと解りやすい。あの、今ちょうど国際的に笑い者になっているサイバーセキュリティ担当大臣のような使い方を知らない人もいるけれど、ここで問題なのは修理の範疇に入ることを相談してくる人だそうだ。

 このような人によくあるのは、次のようなことだそうだ。パソコンに不具合があると、詳しい人が知人にいたら相談する。すると、その原因は使い方の間違いではなく故障であることが判明し、それを指摘してやる。この時、だからメーカーに修理を依頼しなさいと言うべきだ。
 ところが、つい簡単なことなら修理してやってしまうことがある。しかし、どこか故障する機械は、他の部分もそろそろ故障しそうなものでる。そうなった時、あの人がいじくったから壊れたと言われしまう。タダで診てやって濡れ衣を着せられ、まさに恩をあだで返される。
 なので、後先のことを考えたら、簡単な修理でも手を出さず、メーカーに依頼しなさいと言うべきなのだ。

 これは、病気やケガなら病院に行けと言うべきで、法律問題なら弁護士に訊けと言うべきだ、というのも同じである。そのように心を鬼にして言わないと、後で取り返しのつかない事態になった時、あいつのせいだと八つ当たりされるだけならまだいいが、下手をすると医師法違反だとか非弁活動だとか違法行為をしたと言われてしまう。
 これはどんな分野でも、それなりの知性を持ち合わせている人なら、あくまで参考とか助言だとか言えば理解してくれて、その後は自分の判断責任で実行してくれる。それができない人は、自分が理解できないだけなのに、親切にしてくれなかったと文句を言うし、してやっても後で思い通りでないと悪口になる。

 だから、なにか相談して「メーカーに」「医師に」「弁護士に」と言われたら、それで当たり前であり、あくまで参考として助言を求めていると言っても聞いてもらえなければ、自分が性格それ以上に知性の点で信用されていないと悟るべきである。

 そうなったら、「ノーフリーランチ」とか「タンスターフル」(TANSTAAFL-There ain't no such thing as a free lunch.)である。ある酒場で「飲みに来た客には昼食を無料で振る舞う」という宣伝が行われたが、「無料の昼食」の代金は酒代に含まれているものだ。「無料の昼食」なんてものは有り得ない、ということだ。
 これをハインラインが小説で引用して述べたように、社会の制度についても同様なのである。
 
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by ruhiginoue | 2018-11-18 12:25 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 そろそろ来年の手帳とカレンダーが話題の時期で、今年は次の「元号」が決まっていないので西暦になっている。
 どちらも100円店で間に合うという人が多い。しかし、こだわりを持っている人もいて、1000円以上するものを買う人もいる。

 ところで、『黒革の手帳』という小説も書いていた松本清張は、秘書たちに資料集めさせて自分は最終的にまとめる作業をしているから大量に書けると言われて、これを当人は否定していたそうだ。
 この松本清張とは違い、資料のつもりが丸写しだったという人がいた。資料は手帳にまとめればいいから「これだけでやってますよ」と手帳を示すTVCMが話題であった。それで「これだけ手帳」と称し売り続けた。それも終了して高齢により引退らしい。

 この武村健一という人はタレント批評家で「一九分けのオジサン」と言われていた。その髪型のためだが、当時公開された映画の大学の場面で、「こんな盗作では単位をやれない」という話に続けて「君が盗用した一九分けのセンセイの論文だって、ほんとうは盗作なんだ」と講師が言う。武村健一の著書が経済誌から内容パクリしただけでなく丸写ししている部分まであって、これが発覚したため謝罪したことをネタにしているのが明らかだった。
 そうした「要領の良さ」がバレることもあるやり方とともに、片っ端から荒唐無稽なデタラメを恥も外聞もなく言い散らすことで権力や財界に媚びる処世術も駆使していた。マスコミで商売する者の常套手段である。

 ただ、今さら武村健一とか一九分けとか聞いても、最近の若い人は解からないだろう。しかし、今の東京都知事・小池百合子は、もともとテレビで武村健一のアシスタント役をしていたのだ。


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 だから、師匠は細川護熙もと総理だとか政治改革とか言っても、結局は一緒にテレビに出ていた人と同じ処世術である。
 それで田中真紀子から「調子のいいことを言って入閣したけど、もとは野党の立場から自民党を批判していた」と指摘され「環境大臣になって環境を良くしたいと言うけど、あんたが居なくなれば環境が良くなる」と皮肉られたりした。
 
 さらに、権力に媚びたりのいやらしい処世術を引き継いで出世したのは、めでたく都知事になった人だけではなく、一九分けに続きスキンヘッドである。もともとパクリを指摘されていたが、今度の新刊も、内容は整合性が無く、Wikipediaからの写しまである、などと指摘されている。
 だから、昔のことで最近の若い人は知らない、では済まないのだ。






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by ruhiginoue | 2018-11-17 15:29 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 何かのイベントを開催するために、会場にする建物の部屋など場所を借りるのにも利用料金が要ることがあり、また、裏方のスタッフやゲストとかキャストとかへの支払いもある。謝礼を出す場合もあれば、それは無くても交通費など実費を出す場合がある。これには当日だけでなく打ち合わせで必要なこともある。
 その他にも、チラシやポスターの作成をして印刷など経費がかかる。
 ところが、参加費や入場料をもっと安くしろとか、金が要るなんておかしいタダにしろとか、そう言う人たちが常にいるので、非常識だと怒っている主催者たちを見かける。

 こうなるのは、娯楽的とか商業的とかの要素が薄い催しに対して、そのようなことは無料だと思っている人たちが少なくないためだろう。役所でやっている相談などと区別ができないというわけだ。
 そんな人がよくやる一つは、会場に来てから判らないと文句を言うことだ。

 例えば勉強会とか学習会とかいう集会などで、公民館など使用料が無料かそれに近い施設を利用していると、そのような会場だから、商業イベントと違って大きな掲示はできなかったり、建物の管理をしている人たちは催しの内容を知らなかったり、ということが当たり前である。
 なのに、来たけど建物に表示がないからどこに入ればいいか判らないと言って怒ったり、会場の名称を忘れたり最初から憶えてなかったりで、それで施設の職員に、会場の名称ではなく催しの内容を言って場所はどこかと尋ねて、当然ながら知らないと言われたのに、教えてくれないと言って困ったり怒ったり。

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 また、入場料とか参加費とかいうのは相応しくないので、会場費を割り勘ということで名目を「資料代」とすることは普通なのだが、それを紙と印刷の代金より高いとか文句を言う人もいる。しかも、数百円とか絶体値が安くても高いと言う。
 これは、なんでもいいから自分の鬱憤の捌け口を求めている人であるから、気の毒だけど相手にしないことだ。

 このようなことがあるので、かつては医療裁判などの学習会を催したりもしたが、その種のことは中止し、大勢で一か所に集まることはしないで、細かい目的別に対応をするようにしている。
 あと、そのほうが懇親会とかの余計なことをしないですむ。あれは無駄だし、いずれマンネリ化して本末転倒する原因となる。


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by ruhiginoue | 2018-11-13 15:55 | 社会 | Trackback | Comments(2)
 Twitterで記者会見をみていたら、あの安田純平氏は、自分の為に尽力してくれた人と、自分が心配かけた人に、お礼とお詫びを言い頭を下げた。これは当たり前だ。

 だけど、それ以外の関係ない人たちが、彼は皆に迷惑をかけたのだから謝るべきだと言っている。
 これはネット上で喚く人たちだけでなく、現実社会でも主流派ではないかと思えるくらいだ。

 ここには、日本政府が身代金を払ったので国民の税金がよけいに使われた、などの誤解も見受けられるが、そんなのは論外である。

 それとは違い、とにかく騒ぎになったから、ということである。非や責任の有無ではない。だから、誰かに対してではなく、皆に謝れ、となるのだ。

 このようなことは、日本によくあるというより日本では普通だろう。ほかにも色々とある。
 例えば、病院や医師の過ちで患者が死んだりすると、病院の関係者が記者会見して、やはり最後は立ち上がりカメラに向かい身を90度に屈して詫びて見せるが、そのあと患者や遺族に訴えられると居直って、一切責任は無いと主張する。あのとき詫びたのは、あくまで世間に対して、お騒がせしてすみませんという意味だからだ。

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 また、被害者である患者や遺族も、泣き寝入りしないと世間から白い目で見られる。これは、裁判で勝訴した、医師や病院が非や責任を認めた、主張が正しいと証明された、という結果でも同じだ。
 どちらが正しいかなんて関係なく、波風を立て平穏を乱したことを世間から責められているのだ。

 これは実に日本的である。
 安田純平氏のことに限らず、医療でも他の問題でも同じで、日本では物事の中身ではなく、何か騒ぎになった波風を立てた平穏を乱したからケシカランということになるのだ。

 この日本的な発想は、おそらく大昔に聖徳太子が説いていた「和」の精神なのだろう。
 なんと、これが日本の民主主義の基であると、もと弁護士の大臣も務めた国会議員が国会で演説していた。つい先日のことである。
 それだけ根強いということだ。日本人の骨の髄までしみ込んでDNAにも組み込まれいるとしか思えないほどだから、これに疑義を差し挟むと「反日」ということになるのだろう。




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by ruhiginoue | 2018-11-04 15:35 | 社会 | Trackback | Comments(4)