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井上靜のblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue

カテゴリ:社会( 1203 )

 最近では高齢者たちの間で グランドゴルフが流行ってきていて、こちらはゲートボールより広い場所が要るので、よく子供が遊び場を取られてしまい、ひどすぎると大人が唖然とすることもあるそうだ。

 かつて、小学生の作文「今の子どもはビデオゲームばかりして外で遊ばなくなったという人がいるけれど、外に遊ぶ場所がありません。近くの公園はおじいさんおばあさんがゲートボールをして、ぼくたちにサッカーをさせてくれません」がマスコミに取り上げられて話題になった。
 また、電車やバスの中で、元気のよすぎる老人がシルバーシートでもないのに「若い人は遠慮しなさい」とか「どけ」とか言って座ろうとすることがあり、よく出くわした人の新聞投書が掲載されていたものだ。

 こういうことは昔からあったが、最近では若いサラリーマンが怒っていたりする。
 「あんたがた年金生活して遊んで帰る途中だろう。こっちは働いて疲れているんだ。若いけれど疲れてしまうのは、あんたがたの年金の分まで働かされているからだ。そのうえ働いて掛金を取られて将来もらえないだぞ」

 しかし元気だが脳は確実に衰えている老人が多いらしい。
 もともとゲートボールは相手方の妨害をすると有利になる陰険なルールがあり、これをやられると頭にくるが、堪え性が壊れてきた老人だとブチ切れてしまう。
 そして、ちょぅどよいハンマーがあるから殴ってしまう。これは振り回すと勢いがつくので殺傷力がある。だから昔からゲートボールしていて老人が老人を撲殺する「ゲートボール殺人事件」がマスコミに報じられていた。
 そして「あんなものを高血圧の人に持たせては危ない」と言われていたのだ。

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 そして今、駅などで老人の暴力事件が多発している。
 少し前に、ここで自分の体験を述べた。急に混んできたので、赤ん坊を抱いた女性が後から乗り込んできた人たちに押されないようにしていたら、後ろから「もっと詰めろ」と蹴りを入れられてしまった。
 その爺さんは、すぐ事情に気づいて謝ったが、そんな短い間の我慢ができず口より先に膝が出てしまったのだ。

 だから満員電車に乗ると、痴漢に間違えられないよう女性を避けるとともに老人を避けないと危ない。困ったものである。

 
 


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by ruhiginoue | 2019-11-20 11:01 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 東京オリンピックで一部の大企業が利益を優先させているから、テレビ中継の都合で酷暑の中の開催など異常なことになっているけれど、それなのにボランティアを募っている。
 そんなことに協力するなんて、馬鹿げているし危険もあるからやめておけと警告されている。
 すると、高校生などに強引にやらせようと、学校に人数の割り当てまで。これでは最早ボランティアではない。

 このような志願の強制は、かつて戦争でたくさんの悲劇があった。
 これについて、権力に騙され良かれと信じて協力してしまったと反省する教師たちもいたが、そうではなく生徒を迫害して悦に入る異常な教師もいて、それが解っている生徒は志願するべきだと言われても拒否し、すると教師に教室でなじられたとか、こんな奴は殺していいと他の生徒たちをけしかけられたとか、そういう話がいろいろとある。

 これは今でもあることだろう。東京オリンピックのボランティアなんて不純だから生徒に薦めてはいけないと教師に対して忠告している人たちがいるけれど、不純だと解っていて悪意で生徒に強制する教師もいるはずだ。
 もともと、病気や怪我の生徒に奉仕活動や献血を迫り、断ると利己主義だと罵り、やる気があっても不可能なら駄目な子の烙印を押し、生きていても意味がないとか生まれたのが間違いとか言って貶め罵るなど、公共の名の下に虐待してサディスティックな快感を味わう変態の教師は多い。それができるからと教師を志望する者がいるからだ。

 よく親の中には、学校で教師にいちいち注文をつけ文句を言ったりする人がいて、これはこれで困ったことだが、しかし一切文句が言えないとなると、それだから何でもやれると志望する危ない人が教師になってしまうので、学校の教師は外部からの監視を強化するべきなのだ。 
 
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by ruhiginoue | 2019-11-17 16:30 | 社会 | Trackback | Comments(0)

介護士のトンデモ話

 先日、介護士は劣等感を抱える人が多いという話題を取り上げた。
 よく、自分が介護している人とその家族に対してTwitterなどで悪口を言っている人が目立つとともに、自分は豊富な体験から物知りだと自画自賛したがり、その中身は御粗末で、それを指摘されるとブチキレる人ばかり。
 これは、勉強が苦手で看護師になれなかった人が多いからだと、医療関係者が指摘していた。

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 こういうことだったが、この点で、またトンデモ話をしている介護士がいた。
 その人に言わせると介護士は、食事を作り、薬の管理をし、悩みの相談を受け、などの仕事をするから、調理師や薬剤師や弁護士の仕事が一通りできて凄い職業なのだと言う。

 いちいち指摘するまでもなく、これら専門職の仕事について、この介護士の言っていることはひどいデタラメである。せいぜい自分の仕事と関連していることがあるという程度のことでしかなく、むしろこれらの仕事について、専門職だからできる水準のことは一つとして可能ではないというべきだ。

 こんなのは、自分の仕事に誇りを持っているつもりで、実は自分が資格をとれない専門職に就いている人たちに対して失礼をしているだけである。
 もともとTwitterなどで患者や家族の悪口ばかりという人が目立ち、そのうえこれだから、やはり介護士をしている人たちには、よく言われるように知性だけでなく人柄にも相当の難がある人が少なくないということだろう。

 


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by ruhiginoue | 2019-11-03 06:26 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 昔の価値観や習慣を維持しようと押し付けまでする人を窘めるのに、もう2020年になるのだと言うのはいいが、今はもう「令和」だと言うのでは不適切だ。

 そう言っている人が時々いるけれど、そもそも令和になったのは昔の価値観や習慣を維持しようと押し付ける人たちがいるからだ。それにより、不便なのに強制されている。
 だから「今は令和だ」と言うのは滑稽である。新しい時代になったのだから古い考えを改めようと言いたいのだろうが、それでいて手前は元号を使用しているのは何なのか。
 
 もしも、元号に昔を否定する目的があるなら、新元号を使うことで時代は変わったと言うことができるけれど、それは無いだろう。
 たまたま、その時代に起きたことの特徴と、その当時の元号が一致していたということで、例えば「平成の30年間でコンピューターが普及し、さらにインターネットが各家庭で普通のことになった」というような言い方はよくされるが、これはあくまで大雑把な回想であり、「平成になったからコンピューターしましょう」だったのではない。
 また、昔の時代のものごとについて「昭和臭い」などとコキ下すことがあるけれど、これは単に古いのではなく、洗練されておらず不合理だから否定されるべきことを、それが最も幅を利かせていた時代とひっかけて言っているのだから、時代が変わったから否定なのではない。

 つまり、過去の元号を否定的に用いるのは「封建的」「前近代的」と同じことであり、これに対しての否定は「現代」であるから、過去の否定で「昭和じゃあるまいし」と言うだけならいいけれど、それに続いて「いまどき」ならいいけれど、「平成」「令和」と言うのでは過去の否定にならないのだ。
 これは、「封建主義が否定された」という意味で「もう江戸時代とは違う」と言っても、それは「明治だから」「大正だから」ではないのと同じことだ。

 従って、時間が過ぎて変化したことを言うのであれば、連続している暦で何年になったとか何年が経過したとか言うべきなのだ。

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by ruhiginoue | 2019-11-01 11:28 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 病気や負傷について、どうするかを患者が判断するさい、判断の材料を医師は専門家として提供するもので、ここで必要なのは正確さである。それでも患者が適切な判断をできない可能性があれば患者の家族にも話すなどの対応をするものだ。
 そこで医師が「こうするべきだ」とか「こうしたほうがよい」とか、患者の側で判断する域に踏み込んでは越権行為になる。

 この話に対して、医師の中には「それがいいですよ」と自分は患者にいつも言っていて、それが普通だから越権行為ではないと宣う人たちがいる。
 この中には、医師が他人の身体生命について勝手にするものだと思っている狂信者がいて、それは結構な割合であると考えることができる様々な事実があるけれど、それよりもっと多数派なのは、「それがいい」とは何のことか理解できていない医師である。

 こんなこと本来は説明するまでもないことだが、医師が患者に「こうするべき」とか「こうしたほうが」というのは、患者の症状と事情や希望からすると、期待できる結果はこれで、そのために最も適した対処はこれだ、という医学的な考察のことである。自分の考えを相手に押し付けるのとは全然ちがう。

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 この区別ができない医師が多くいて、だから女性の看護師は、よく「医者はバカばっかり」と言うのだ。女性は普段おとなしくしていても何か機会があれば辛辣になるが、それで「医者は試験勉強しかしてないから、枠にはまった質問に限られた範囲で回答するしかできない」と言って見下す。

 ただ、これに女性の医師は異を唱える。
 ほんとうにキチンと学問を究めていれば、専門知識の他に問題が混ざっていても、それを併せて考えたり、逸脱や混濁は適切に排除して考えたり、できるはずだ。
 それができないのは、ガサツな男が緻密さに欠けているためで、これはどんな分野でも問題を発生させているけれど、特に医師は問題になったら深刻だから言われてしまうだけ、ということだ。

 これを、診療とは無関係の知り合いの女医から聞いて、言われてみれば診療で関わった医師を思い出してみると、女性のほうが緻密で適切だった。
 だから女性を恐れて、どこぞの医学部は女子を入れないように試験の点数を操作していたのではないか。
 



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by ruhiginoue | 2019-10-24 04:54 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 よくTwitterで「エビデンス」という言葉を使う人がいて、そのほとんどが他人を非難するための使用である。だから当然のことだろうけれど「ネトウヨ」に多い傾向である。これは匿名・顕名どちらのアカウントもある。

 これに既視感があるのは、かつて掲示板で「厨房」と呼ばれる連中が、リンクやコピペしただけで「何か?」とやるのと同じだからだ。この「厨房」から「ウヨ厨房」さらに「ネトウヨ」へと続いたという経緯だったが、言葉づかいは変節しても中身は進歩していない。
 つまり、ただ提示しただけで、そこから導き出される結論が無いから、相手方が述べたことに対しての否定や反論になっていないのだ。

 このように、聞きかじりで得意がるのは、思考力が乏しい人の特徴である。
 前にTwitterで顕名のネトウヨブロガーが粗雑な結論に異を唱えられたら、その結論ではなく前提の事実が正しいという的外れを言い出した。その事実も踏まえたうえで「しかし―」「それでもー」「むしろー」という話なのに。
 ところが、この意味を理解できず、いくら指摘されても自分が挙げたのは事実だから自分が正しいと強弁した。そして、やはり「エビデンス」と言った。同じエビデンスに基づいていても結論や見解が異なることはあり、また別のエビデンスも併せれば別の結論や見解になることもある。
 この意味が理解できないということは、そもそも「エビデンス」という語彙からして正しく使用できてないということだ。

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 もとは、ビジネス用語として「記録」とか「文書」とかで事足りるのを「エビデンス」にする人たちだったという指摘がある。
 そこからTwitterにも波及し「出典」「根拠」「証拠」を一緒くたにして、前の紋切り型「ソース」より「エビデンス」の方がカッコイイかなと思って使っている連中がいるのだろう。

 だから「エビデンス」を安易に言う人はバカと見做しておけば、まず間違いない。




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by ruhiginoue | 2019-10-23 05:38 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 台風がもたらした記録的な雨量による水害で、東京都の各自治体の対応に落差があったと話題である。

 大型台風の上陸が予報されると、郵便局やスーパーマーケットのチェーン店は臨時休業を決め、多摩川の流域では自治体が河川の増水に備えて避難場所を指定し、これを印刷物や拡声器を利用して広報を徹底した。
 特に世田谷区では、河原にいるホームレスたちにビラを配布して、緊急の場合はここへ避難するようにと告知していた。この配慮には保坂展人区長の影響が指摘されている。

 ところが、台東区では避難所に来た人が、たまたま居ただけで住民ではないからと拒絶された。この人は北海道から出てきて病気になり路頭に迷い行き場を失っていたと伝えられている。 
 この冷酷な対応は、下町らしいと言われている。

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 もちろん、世田谷区は中道の区政ではあるが区長自身は左派だから、それで特に弱者への配慮をしたのだろうが、土地柄もあると指摘されている。
 よく「世田谷はヨタガヤ」と言われるように、与太者が住んでいた土地で、「世田谷、耕せ」という歌もあるように畑ばかりだった。それが郊外の新興住宅地と化し、高級住宅街も出現し、東京都23区で最も納税額が高い土地となった。
 そして、祭りなどがあると昔から土着の人たちが出てきて野卑た態度をとるから、やはりここは「ヨタガヤ」だと言われるけれど、これは秋葉原でアキバのサブカルチャーが活気づいていると昔から住んでいる人たちの町内会が文句を言うのと同じである。
 しかし、後から発展して「セレブ」「文化人」が増えたことで世田谷区は建前として洗練された行政が行われ、そこから災害への対応も弱者に配慮して当たり前となったばすだ。

 ところが、もともと「下町根性」と嫌がられるものが維持されている土地は違う。前にも問題になったが、病気で動けない人が生活保護を受けていたら、体が悪いので打ち切りはできないからと強引に辞退届を書かせ、それで餓死したとか自殺したとか、こういう悲劇が起きるのは下町が相場である。
 これは当たり前である。富裕な人とか知的な人とかは「困っている人に分けて当たり前。施しではなく人権尊重」などと言えるが、貧困な人や無知な人は「こっちだってギリギリなんだから少しだって他人に取られてたまるか」となってしまう。
 そして、行政の冷酷とともに「人情」があると誇る下町の人たちは、困っている人をいじめはしても助けたりはしない。内心では見下していても表にそれを出してはいけないという発想が無いし、自分が貧しいと他人を思いやるゆとりが無い。

 この差が今回の台風対応にも出たのだろう。
 


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by ruhiginoue | 2019-10-18 05:08 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 テレビ朝日は、これまで権勢に媚びるマスコミ人をせっせと売り出してきたが、かつて朝の番組では塩田丸男(もと読売新聞)や屋山太郎(時事通信)、三宅久之(もと毎日新聞)などが、夜の番組では舛添要一や西部邁(共に、もと東京大学教員)が、その代表格であった。
 この問題は別に取り上げるとして、このうちの一人=塩田丸男は「評論家」と紹介されていたが到底そんな水準の発言はしておらず「塩田バカ丸だし男」と呆れながら言われていた。

 そして、自分の頭で考えた論評ができないものだから、よく週刊誌の受け売りをし、『週刊新潮』が売りにしている「反人権」を口真似で「『日照権』だの『静穏権』だのと権利ばかり言うのはケシカラン」と下品な口調と野卑た表情で喚き散らしていた。
 このように、虐げられがちな弱者が人間らしく生きる権利を主張しているのを我儘だと罵ることなら、塩田丸男だけでなく他にもマスコミとくにテレビで大勢の人がやっている悪辣な商売ということで解り易い。

 ところが、塩田丸男は同じ番組で自分を「ヘヴィースモーカー」と自ら言い「タバコを吸う権利だってあるんですよね」と、ただの我儘として言っていたから、これはただのバカとか商売では説明できないことだった。
 よく言われることだが、そもそも「タバコを吸う」程度のことで「権利」とは言えない。不道徳とか不健康とかでも好きなことをしたいなら「幸福追求権」から派生したものとして容認さる場合もあり、ただし自己責任かつ他人に迷惑をかけない限り、ということでしかない。

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 それに、愛煙家であろうとニコチン中毒患者であろうと、他人に迷惑をかけて居直ることはしない。
 そんなことをする人は、他人の嫌がることをして悦に入ったり、自分は何をしても許される特権があるという妄想を抱いていたり、あるいは迷惑をかけておいてそれを我慢するようを求めることで自己承認欲求を満たしたがっているものだ。オーディオ機器でボリュームあげすぎと文句を言われ「この名曲が煩いとは何だ」と居直る人と同じである。
 つまり心の病気だから、依存症ではなく精神病の治療が必要なのだ。他の事が原因で心の病気になり、それが喫煙の行動に顕れているのだから、煙草それ自体を問題にしても解決しない。
 したがって受動喫煙の防止には、まず迷惑をかけて居直る人たちをカウンセリングしなければならない。




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by ruhiginoue | 2019-10-14 05:28 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 Twitterでは品の悪い言質だけど普段の態度なら品位がある人は、どちらが本性かというとTwitterの方だと、ある医師が指摘していた。普段は取り繕っているが、Twitterには本性が現れるというわけだ。
 たしかに、なにより医師からして、Twitterを通じて「ジキル博士とハイド氏」となる人が目立つ。それに、過日たいへん問題となった医大の女性差別は昔から指摘されていることなので、Twitterで差別発言する医師が目立つのも当たり前であり、これは悪ふざけではなく本音だろう。  

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 こうした医師と同じ劣悪さなのが介護士である。
 やはり医者のアカウントと同様に品の悪い内容が多数派である。自覚と無自覚の両方が見受けられるが、どちらにしても真面目のつもりで愚痴と嫌味ばかりだ。そして攻撃的である。
 この攻撃性が、仕事を通じての制度や行政に対する批判ならまだしも、だいたいは患者とその家族に対する蔑視と侮辱である。
 
 また、よくあるのが「学校で成績が良くても頭が良いわけではない」とムキになりながら「自分はたくさん患者を見てきたから詳しい。頭でっかちの人とは違う」と力み返ることで、この傾向や特徴について看護師は「介護士には勉強が苦手で看護師になれなかった人がよくいるから劣等コンプレックスの発露」だと指摘する。
 たしかに、そういう介護士たちは、豊富な経験によって知識や頭の良さを凌駕しているかのように装いはするが、実質が伴っていない。むしろ、そんな態度をことさらにとって見せたがることによって中身の無いことを示している。

 これから高齢化社会で介護は重要さを増すはずだが、労働力不足なので外国から呼ぼうと言う人と、介護は単純労働ではないから無理と言う人がいるけれど、そもそも、まともな人材の育成は日本の制度では到底無理で、その害毒が既に現れているのだから、虚しい議論である。
 



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by ruhiginoue | 2019-10-08 04:55 | 社会 | Trackback | Comments(1)
 外国に旅行したら、道で通行人が財布を落としても、それを教えてあげるだけにして、拾ってやってはいけない。
 なぜなら、財布から金を抜いたなどの難癖をつけられるからだ。旅行者を狙っている奴がいる、ということだ。

 これと似たようなことが、かつて日本であり、新聞に取り上げられたけれど、ところが、ありふれたちっぽけな事件なのに報道された訳とは犯行動機のためだった。
 それは、路上で高齢の男性が眼鏡を落としたから拾ってやったところ、眼鏡が壊れたから弁償しろと言い出したのだった。言い争いになり、そこへ近くの交番から警官が来たので事情を説明しようとしたら、その前に爺さんの顔を見た警官は「また、お前か」と。つまり常習犯だったのだ。

 この爺さんは、老眼が進み眼鏡のレンズを変えても変えても度が合わなくなるの連続で、しかし年金で質素な生活をしているから金が足りない。そこで思いついたのが、この手口ということだった。
 だから、悪いことをしているのに可哀想になってしまうという話に。それで新聞に取り上げられたわけだ

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 ところで、書留を郵便局の職員ではなく臨時職員が配達していることがあるけれど、よく定年退職後の人もやっている。
 そんな人は前から来ていたが、今の担当者は結構な年配で、見るからに高齢者という男性である。そして、受取の署名か印鑑をここにと指差そうとして必ず迷い、印刷された字が小さめなので、読もうとするが老眼鏡が合っていないらしく、眼鏡をずらして前後に動かしたり、紙から顔を遠ざけたり、それでもダメで近づけたり、なかなか読めずに難儀するから、やけに時間を食う。
 こういうことは予告なしの訪問だから、取り込み中のことがしばしばあり、それを中断して対応している。早く済ませたいのに、ちょっともたつく程度ではない。毎度たいへんな迷惑を被る。

 こんな高齢者を働かせるなと郵便局に苦情を言いたくなるが、そうではなく、こんな高齢者が働かないといけなくした政府に文句を言うぺきなのかもしれない。 




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by ruhiginoue | 2019-10-07 04:53 | 社会 | Trackback | Comments(0)