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井上靜のblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。Googleが誤情報を混ぜているので信じないで下さい。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 247 )

映画製作の不純な動機

 かなり前のことだが、「おすぎ」というオカマを自称するタレントが、健全な製作をされている外国映画という話をしていて、何が健全かというと費用がすべて製作に使用されているということだった。
 そうではないことが、よく日本の映画製作ではあって、例えば製作に関与した人が家を建てたりしていると言っていた。つまり、映画の結果が当たって儲かったということではなく、製作費の横流しとか横領・着服という不正である。

 そんなことが実際にあるのだろうかと、この話を聞いた時は思ったが、ただ、公称している製作費用が莫大なのに、それにしては映画が貧弱ということはある。
 それで製作費用の不正が疑惑として囁かれるのであろうかと考えた。

 それからずっと後、これは10年くらい前のことだが、知り合いが映画をプロデュースして、そのさいスポンサーに出資してもらうため奔走した体験を語っていたのだが、意外に企業などは出してくれと言えば金が出るもので、最初は少しだけでも「もっと」と頼み込むと結構な額になるそうだ。
 ところが、その人は「業務上横領」をされたと言い出した。関わっている映画関係者にやられてしまったそうで、たいへんな額だと怒り告刑事告発したとのこと。
 
映画製作の不純な動機_f0133526_17544772.jpg

 これについて、かなり具体的な内容を聞いたから、やはり不正な蓄財はあるのだと解った。
 そして、スポンサーを募るために迎合したとしか思えない内容の映画が作られ、それが大金を集めて製作したにしては出来が悪いということがあると、これはもしかして、そういうことではないかと疑うようになった。

 よく、大企業に媚びた宣伝臭い内容で、しかしプロパガンダとして出来が悪すぎるから作る意味が無いじゃないかと思える映画があるけれど、このような場合、映画そのものが目的ではなく、製作は金を無心する口実だったのではないか。
 そうとしか思えない映画が、よくあるではないか。




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by ruhiginoue | 2020-03-19 04:51 | 映画 | Trackback | Comments(0)
  嘘ばっかりのプロパガンダ映画と原作本が書店で大々的に宣伝されている。

大嘘プロパガンダ映画『Fukushima50』の派手な宣伝_f0133526_18152566.jpg


 原作の根幹である、現場の英知と勇気で被害が最小に食い止められた、というのが最大の嘘。  
 ほかにも、いろいろ突っ込まれているけれど。

 まあ、作者が作者だから。
 このブログの検索キーワードに、最近はこの映画のために、この作者の名が。これは前に拙書『朝日新聞~』で批判的に取り上げたことがあり、それをここで紹介したからだろう。

 正義の味方の保安官ワイアットアープが、ならず者のクライトン一家と戦うのが西部劇だが、史実では悪徳保安官に善良な開拓民が迫害されていた。しかし裁判が偏向して罪に問わず、そのあと保安官はハリウッドに売り込み嘘の映画を作らせた。

 「Fukushima50」も同じこと。

 しかし、プロパガンダに金払って観る人は、どうしてか。この映画に関与している新聞各紙も政府の広報または業界の広告なのに、わざわざ金払っている人がいるから、それと同じか。




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by ruhiginoue | 2020-03-14 05:10 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 『機動戦士ガンダム』などアニメーション映画のキャラクターデザインで知られ、漫画家としても活躍してきた安彦良和氏のことについては、かつて同級生が西武新宿線に乗っていたら偶然に見かけて、頼んでサインしてもらったという話を前にしたことがある。
「サインだけでいいかな」
「じゃ、お言葉に甘えて絵も」
 ということでアリオンを描いてもらったそうで、それを見せてもらったというより見せびらかされたことがある。

 この安彦良和氏が、最近、『ガンダム』に出てくる「ニュータイプ」を支持しないと発言していた。
 これよりずっと前に、『ガンダム』の製作者である富野由悠季氏も、テレビに出たさい「ニュータイプ」という設定を入れたことは間違いだったと発言していた。
 ようするに富野氏の発言とは、人間が次第に進歩することについて「ニュータイプ」という概念を作る必要はなかったという趣旨だったし、安彦氏は「選民思想」に繋がるものだと指摘していた。ということで、『ガンダム』を作った中心の二人が「ニュータイプ」なるミュータントというか新人類というかの設定を否定したのだ。
 
富野由悠季と安彦良和氏が否定した『ガンダム』の「ニュータイプ」_f0133526_16321003.jpg

 ところが、『ガンダム』の「ファン」「マニア」「オタク」の人たちは、「ニュータイプ」が出てくるからこそ面白いので、これがないと作品は意味をなさないと言う。
 
 しかし、そもそも『ガンダム』は『スターウォーズ』のような神話伝説調ではないのだから、神秘主義とかオカルトとかに属する設定を持ち込んでしまうと、多くの人は違和感を覚える。
 また、過去のSFアニメのように、宇宙人が侵略してくるとか、マッドサイエンティストや秘密結社による世界征服の陰謀とか、そういう荒唐無稽な敵と戦う話ではなく、今の現実で起きている戦争と同じことが未来に起きたら、どんな科学技術を用いたものになり、どんな政治経済の背景になるか、という追及をする話。これが『ガンダム』の面白さだったはずだ。だから放送当時は、過去のSFアニメと違って大人でも面白いと感じると評価されていたのだ。

 ところが、後から映画化などで人気が出て熱狂的な人が発生すると、その人たちは娯楽作品を鑑賞するというより宗教のように扱っている。
 こういう人たちが主流になると、そうではない多くの人たちは離れるのだ。



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by ruhiginoue | 2020-02-26 05:28 | 映画 | Trackback | Comments(1)

 かつて英語の授業中に、当てられて読んでいる人がabroadを「エービーロード」と言って気づかず、一瞬「なんだ?」という雰囲気になり、講師の先生が「プッ!」と噴き出したので続けて教室中が笑い出したことがあった。
 今ではアプリになっているが、もともとは情報雑誌で、この当時、初めて海外旅行に行く人のための情報誌だとテレビで派手に宣伝していた。それでウッカリ言ってしまったらしい。

 こんなことがあったのを思い出したのは、先日、知り合いの男性が政治の話をし始めたのはいいが、そこで気づかないで間違えたからだ。
 ここで小泉進次郎の話題になり、週刊誌に色々と書かれているが「あれは良くないな」「二世・三世どころか四世なんて」と真面目に天下国家を論じながら、そこで彼は気づかずに「出来婚したシルビア=クリステル」と何度も言う。
 「それは『エマニエル夫人』だよ」と指摘したうえで「懐かしすぎて、最近の若い人は知らないだろうから、とり違えているとは解らずに、この人は何を言っているのかと思われちゃうぞ」と注意したのだった。

エービーロードとクリステル_f0133526_11145400.jpg

 よく、気づかないで言い間違えているから笑っていいか迷ったりするけれど、それより四世の方が、やはり問題だ。




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by ruhiginoue | 2020-02-01 05:12 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 かつて話題の『ウォール街』(オリバーストーン監督)という映画で、マイケルダグラスふんする投機家ゲッコーの服装など派手な出で立ちが話題になり、真似する投機家が出現したほどだった。

『ウォール街』の場面を思い出させた山口敬之氏_f0133526_10342188.jpg

 このゲッコーに主人公(監督とは『プラトーン』で組んだチャーリーシーン)は誑かされて、際どいことをして大金を稼ぐようになるが、インサイダー取引など違法行為にまで及んだため、これはヤバいと思って手を引こうとするものの手遅れになり逮捕される。

 この時に主人公は、職場に警官が来て手錠をかけられ連行されながら、自分の無様さが情けなくて泣きべそかく。このチャーリーシーンの演技も話題だった。
 その後、主人公は司法取引に応じ、いったん保釈されると録音機を忍ばせてゲッコーに会いに行き、事情を知らないゲッコーにインサイダー取引の話をして、あらいざらい話させるように会話を仕向けてゲッコーの悪事を暴露する。こうすることで自分の刑を軽くしてもらうという結末だった。

 この主人公は、いくら金が儲かるにしても危ないし不道徳でもあると思い手を引こうとするけれど逃げ遅れる。その一因は、一緒に暮らしていた恋人の女性だった。
 こんなヤバいことしなくても、地道にやればなんとかやっていける収入は得られるから大丈夫だと言う主人公に対し、これまでの贅沢三昧が染み付いている恋人は「なんとかやっていける」生活では満足できないどころか耐えられないと言い放つ。
 当たり前のように男性から金でいい思いをさせてもらって、それにより男性が窮地に陥ることなど平気な女性のために、主人公は身の破滅ともいうべき状態になる。

 この映画を観たとき、こんな女性もいるなあとは思ったが、作劇のために誇張されているだろうし、実在しても特殊な例外だろうという認識だった。
 しかし、ここまで規模が大きくなくても、同じような女性はかなりいるので、この映画を見た当時の自分は甘かったのだ。

 そして、このことをまた思い出したのは他でもない、前に書いたことに最近またアクセス急増だからだ。これは、例の山口敬之という人について書いたことだった。
 よく巷では、あんなことをして妻子はどう思っているのかと言われているけれど、あの種の人は、権力にすりより金にしたり罪を逃れたりだから、家族のことも金でつなぎとめているもので、だから家族としては金ヅルが鬼畜だとしても平気なはずだ。
 ただし気にしていることがあるとしたら、収入が減りはしないか、親のコネを利用できなくなったりしないか、といったことであろう。
 この指摘をして、読んだ人たちも「きっと、そんなことだろう」「よくいるから」という反応だった。この件が今話題なので、またアクセス急増ということになったのだろう。
 それで映画の場面を久しぶりに思い出したのだった。

 


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by ruhiginoue | 2019-12-26 10:31 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 前回の続きで映画『トラ!トラ!トラ!』について。
 アメリカ公開版にはない皇居の場面で東洋的な音楽が流れたが、メインテーマ曲は、多くの日本人が『黒田節』に似ていると感じる。
 これは音楽を担当したハリウッドの作曲家ジェリー=ゴールドスミスが、日本的にするため雅楽の『越天楽』を捩ったような旋律にしたからだ。『黒田節』は黒田藩の侍が『越天楽』に「酒は~飲め~飲め~」という歌詞を付けたと言われている。
 それで、オーケストラに琴が加わり『越天楽』ふうの旋律を奏するから、外国人はオリエンタルでエキゾチックな曲と思うが、日本人は『黒田節』を連想するわけだ。
 このようにオーケストラに琴が入るのは、伊福部昭より十年以上前にゴールドスミスがやっていたことになるが、伊福部昭が作る曲は日本的にするため全て故意のモノフォニックであるのに対し『トラ!トラ!トラ!』のテーマは対位法的で、和風にしようとしているのに西洋的な技巧と感覚で作られている。

山村聰がふんして美化された山本五十六_f0133526_12061343.jpg


 この曲とともに画面に現れる山本五十六は、名優中の名優といわれる山村聰が扮している。
 他にハリウッド映画で山本五十六に扮したのは『ミッドウェー』での三船敏郎で、彼には日本映画『長官山本五十六』の主演もある。
 また、『人間の証明』の映画化で三船敏郎が演じた国会議員を、その後の連続テレビドラマ化では山村聰が演じている。しかし役柄は家庭の問題を抱える人だから、国会議員という設定だけで、政治家として活躍する場面はない。
 そして、三船敏郎が政治家を演じたのは『人間の証明』くらい(ほかになにかあっただろうか?)で、もともと三船敏郎は政治家役は得意ではない。
 それに対して山村聰は政治家の役は得意で、総理大臣を何度も演じている。ハリウッド映画で大統領といえば名優中の名優ヘンリー=フォンダというのと同じくらいだ。どちらも現実には存在しないほど理想的だからSFが多い。ヘンリー=フォンダの大統領は『未知への飛行』や『メテオ』、山村聰の総理大臣は『世界大戦争』『ノストラダムスの大予言』『ゴジラVSキングギドラ』、テレビ版『日本沈没』という具合に。

 そして山村聰は、若いころに『蟹工船』の映画化で脚本・監督・主演をしているし、さりげなく東大出だ。
 だから山村聰の個性のため『トラ!トラ!トラ!』の山本五十六は、他の劇映画やテレビドラマでの描き方と特に違わないのに、非常に良識的で知性的と感じる。むしろ三船敏郎が主演した『長官山本五十六』の方が、内容的には美化しすぎというくらいだが、それより山村聰の山本五十六のほうがはるかに美化された感じになっている。  
 だから映画を観て真に受けてはいけない。



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by ruhiginoue | 2019-12-14 05:08 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 毎年十二月八日になると真珠湾攻撃の話になる。Twitterでも相変わらずだ。
 そこで戦争や政治に及ぶが、それは皆に任せて、ここでは真珠湾攻撃の超大作映画『トラ!トラ!トラ!』の話をする。

真珠湾攻撃と映画『トラ!トラ!トラ!』_f0133526_12061343.jpg


 この映画のDVDを持っているが、これにはアメリカ公開版が収録されている。かつて流通していたVHSに収録されているのは日本公開版だった。日本公開版にはアメリカ公開版には無い場面がある。
 その一つは、『トラ!トラ!トラ!』ではなく「寅さん」で有名な渥美清のふんする料理人が、軍艦の調理場で司令官の食事を作りながら日付変更線について部下に講釈する場面。
 映画の中で真珠湾攻撃の日について日米で一日違うが、この訳を観客に理解させるためだろう。しかし理解できない部下が「じゃあ、日付変更線を挟んで敵と出くわしたらどうするんだ。昨日の敵に今日の弾が当たるわけないじゃないか」とボケたことを言うオチであった。

 もう一つは、山村聰ふんする山本五十六が、裕仁天皇に会うため皇居に行く場面。
 よく言われるのと同じように、この映画でも、ヤクザの親分役が得意だった内田朝雄ふんする東条英機と、政治家や官僚の役をよくやっている北村和夫ふんする松岡洋右、彼ら強硬派に新劇の大御所の千田是也ふんする近衛首相が押され、これでは戦争不可避と真珠湾攻撃を決意する山本五十六、という図式で描かれている。
 しかし山本五十六は裕仁天皇の承諾を得て真珠湾攻撃を実施している。これを陸軍は後から知らされた。
 これにより、天皇は開戦の責任を問われたのだが、アメリカ公開版には無い。山本五十六が巨大な菊の紋章の付いた扉の向こう側に入って行く場面には「インペリアル・パレス」と題する東洋的な音楽が流れる。アメリカで音楽が作られ入れられているのだから、後から場面が削除されたと考えられる。だとしたら、なぜか。政治的な意図か、アメリカの観客にとっては関心がないことだからか。



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by ruhiginoue | 2019-12-13 04:59 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 自分の家系を調べたら、親戚の殆どが90歳代後半で死んでいて、100歳以上もザラで、たまに享年88歳くらいの早死にもいたが、1人だけ30代という例外があった。
 この例外は伝染病(結核)で、粗食なのが良くなかったのではないかと考えられている。感染して悪化してから精が付くものをたべるようになったが、遅かったようだ。

 だいたい、健康的に長生きした人は言うものだ。その元気の秘訣は「医者の言うことなんか一切きかないこと」だと。
 ただし、長寿と健康のためには医者がよく言うことを無視するべきだが、タバコは吸ってはいけない。藪医者にはヘヴィースモーカーが多いからだ。

 そして、長寿と健康のため無視すべき医師の戯言の最たるのは、よく医者も漢方も説く「腹八分」である。
 そんなこと不健康の極みである。早死にの原因だ。食べ方で悪いのは内容であって量ではない。そもそも胃腸に「何分」なんて測れない。栄養などの内容に注意しながら、満腹と感じたらそれに二割くらい増した量をさらに食べて「エネルギー充填120%」でいるべきである。

 次は、夏でも冷たい飲み物は身体に悪いと説く嘘。
 そもそも、「冷たい飲み物」なんてものは存在しない。氷点下で液体なら気温より温かいし、人間が一度に飲める量はたかが知れている。だから、それを飲んだくらいで身体が冷えるなんて普通はありえない。
 また、ぬるい水は病原体で危険だと人も本能的に知っていて、なるべく冷たいほうが安心だから、その方が飲んで心地よいものである。もともと身体はエンジンと同じでいつもオーバーヒートしてるから積極的に冷やすべきで、氷点下でなければ冬でも氷を入れて飲むくらいが良いのだ。

 おそらく、痩せすぎて骨と皮とか、内分泌の問題で冷え性だとか、そういう栄養が足りず健康に不安のある人が、温かいのが良くて冷たいと悪いと考えるのだろう。健康であれば、氷が入った飲み物の1リットルくらいは、真夏のトタン屋根に水滴を垂らしたら一瞬でジュッと蒸発するのと同じである。

 あと、コーンフレーク考案者ケロッグ博士をアンソニー=ホプキンスが演じた映画『ケロッグ博士』は、博士が健康指南でトウモロコシを推奨し、食べすぎヤリすぎを戒めていたけど、実は彼こそ食欲不振と不能だっただけというオチだった。
 つまり、自分の不健康に他人を巻き込もうとする医者や漢方の先生がいるから、そんなのに従ってはいけない。
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by ruhiginoue | 2019-08-20 04:43 | 映画 | Trackback | Comments(3)
 多数の犠牲者が出たアニメーション映画製作スタジオ放火事件で、そこと関係のある作品募集に、この犯人と同じ名前の応募があったと報じられている。
 この、だから何なのかという報道をしたのは朝日新聞だったが、この記事では他にも犯人のプライバシーで事件とは関係がないことを大げさに書いていたので、これは既に問題が指摘されていた。
 
 これとは別に、放火事件と作品応募に何か関わりがあるのか追及が中途半端なことが問題である。
 そんなことを報じると、もしかすると犯人は作品を応募したけれど落選したとか、採用しないでおいて盗用されたとか、そんなことで恨みを抱いたのが犯行の動議なのかと疑ってしまうが、そう考えられる具体的な材料は無い。

 ハリウッドでは、映画製作会社に売り込こもうと脚本を送って来る人がいても、開封せずに倉庫に入れるそうだ。
 そうでないと、後で製作した映画と前に送られてきた脚本が偶然に似たような内容だった場合、脚本を無断で映画化したと訴えられる恐れがある。そうなると面倒なので、知らない人から送られてきた脚本は読まないに限る。その証拠になるよう開封せず倉庫に入れておくのだ。
 
 この手段が通用するのは訴えられた場合の抗弁としてのことで、勝手な思い込みで恨まれて放火などされる危険もあるから、売り込みは受け付けていないと予め表明しておくこともある。
 そもそも、作品それ自体ではなく脚本のような作品の基になるものでは、盗用とかパクりとかの判断が難しい。だから仕方ない対処だ。

 逆に応募する側も警戒をしないといけないだろう。全部の盗作はやりにくいが、中にあるネタをパクるため募集する手口は充分ありうるからだ。
 また、一般公募と称していても「コンペティション」が「出来レース」ということが、よくある。
 
 これらはあくまで一般論だが、よくあることであるのは現実なので、募集と応募どちらの側も覚悟しておくべきだ。


アニメ製作スタジオ放火事件の犯人_f0133526_11422405.jpg




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by ruhiginoue | 2019-08-06 04:41 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 山田洋次が椎名誠の小説をもとにした映画『息子』は、公開当時(1991年)存命だった黒澤明も絶賛していたし、内容的にまったく日本の話だが海外でも好評だった。

映画『息子』に描かれる田舎者の社会的無関心_f0133526_09374941.jpg

 これはヒューマンドラマとして普遍性があったからだろう。また90年当時の日本国内のことではあっても、同じようなことは外国にもあるという題材が取り上げられていたから、理解されたのだろう。
 例えば、岩手県に住む主人公は、かつて彼が農閑期に出稼ぎ労働者をよくしていたから、成人した息子が働きに出ている東京を訪ねて行くと、新しい建築物を見てあれもこれも建設に参加したと息子の嫁に語る場面があり、こういうことは世界各地に共通している。
 そういう社会性が、もう昔の映画だが古典となっている一因のはずだ。
 この映画を思い出したのは、先日ここで、田舎の人は惰性で生きることを続けたいので社会に無関心ということを述べたことからである。

 まず映画は、主人公の妻の一周忌法要から始まる。東京から駆け付けた次男坊が題名の指す「息子」である。まず子供たちが独立して家を出て、さらに妻を亡くした主人公は独りになった。まだ健康だから農業は続けているけれど、いずれ高齢のため独り暮らしが困難になるかもしれない。
 その問題が集まってきた親族から語られると、それに備えていると長男が言う。次男はまだ独身だが、長男は結婚していて妻と小さい子供と一緒である。東京にある会社に勤務していて、最近マンションを買って越したが、そのさい父親を呼んで同居できるようにした。当時は「バブル」の経済状況で都市部の地価高騰が問題になっていた。部屋数が多いマンションは値段も高くなるので都心から離れた場所になり、それで通勤が大変だけど長男は我慢している。
 このように、ちゃんと考えたうえで出来る限りのことを一生懸命やっているのに、田舎の親戚や御近所たちが勝手なことを口々に言い出す。広い農家に住んでいたのに狭いマンションなんて耐えられないだろうとか、だから東京に行くなではなく東京で一戸建てにしろとか、到底無理なことを軽々しく言い、長男の一生懸命を理解しようともせず「なあ、もうちっと頑張れえ」などとニタニタしながら責める。
 これに長男は、困ったのと腹立たしいのとが混ざった様子で「いまどきサラリーマンに東京近郊で一戸建てなんて」とつぶやく。

 ここで主人公が、自分はまだ大丈夫だからと言って険悪にならないよう話を終了させるのだが、この親戚らの軽々しさによる嫌らしさは、田舎の人たちの生態を見事に暴くような描き方である。
 まず、他人事だからと平気で非現実的なことを言い、また、なぜ非現実的なのか社会で問題になっている背景について考えもしない。これは、いくら交通やマスメディアが発達しても、もともと田舎に住んできた人たちの意識は変わらないということだ。そして最近のようにSNSが当たり前になってさえも同じなのだ。

 その証拠に、自民党の議員は田舎に行くと、若い女が子供をたくさん産めばいいんだと言い放つ。収入や子育ての環境が問題だから、それを何とかするのが政治なのに。しかし、そんなこと田舎の人たちは想像すらできない。だから、だ。
 これは映画と同じだ。

 こんなのは外国にもあるということだろうか。
 だから、地方からの出稼ぎ労働のことと同じで、日本映画の中で日本国内のこととして描かれていても、観た外国人は容易に理解できたということだろうか。




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by ruhiginoue | 2019-07-16 05:37 | 映画 | Trackback | Comments(0)