井上靜の気楽な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも気楽にe-mail:ruhiginoue@excite.co.jpまで


by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 208 )

 1984年の4月にハリウッド映画『ブレインストーム』(内容はSFサスペンス)を新宿プラザ(少し前に閉館した歌舞伎町の大型映画館)で観たのだが、これは同級生が観たいと言ったからで、あまり気が進まなかったというのが正直なところだった。このようなネタはもともと好みではなく、しかしその同級生はこのようなネタをとてもよく好む。

 それで観たところ、『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』『ブレードランナー』の特殊映像を手掛けたり、自ら監督もした『サイレントランニング』もあるダグラストランブルの手法により映像はなかなか見事だったので、時間と入場料の損ということは無かった。
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 しかし物語が半端な感じがして、そうしたら最後に「TO NATALIE」と出て「ナタリーに」と翻訳もあった。
 つまりこれは撮影中に主演のナタリーウッドが急死したためで、おそらく半端な感じがするのは主演者の死で撮影しきれなかったのではないかと考えたのだった。
 こういうことがあるから、よく映画の撮影は最初に最後の場面を撮影しておくことがあるのだろう。

 そんなことを思い出したのは、これが遺作となってしまったナタリーウッドの死について、もう37年も前のことになる水死事故が最近また再捜査となり、地元警察が「重要参考人」として当時夫だった俳優のロバートワグナーへ事情聴取を求めているという報道のためだ。

 スチーブンスピルバーグ監督がリメイクすると言っている『ウエストサイド物語』などで知られるナタリーウッドは、映画『ブレインストーム』の撮影中の1981年11月、ロサンゼルス沖で夫ロバートワグナーらとヨットに乗っていたところで行方不明となり、翌日に入り江で水死しているのが発見された。享年43歳。

 あの当時は事故死とされたが、不審な点があるため殺されたという意見もあり、真相は謎とされている。彼女の身体にはいくつものあざがあり「暴行を受けた可能性がある」という指摘がされた。
 そして新たな情報が寄せられたとして2011年11月にロサンゼルス郡警察の殺人担当部署が再捜査を開始したということだ。
 2012年5月に作成された検視報告書では、遺体には複数の打撲や傷の痕跡があったことを認定し、死因を「事故死」から「水死および不確定要因によるもの」と変更したうえで、警察当局者は「殺人事件とは証明できていない」としながらも、夫だったロバートワグナーに事情聴取を求めたが、拒まれたということだ。

 この報道によって、懐かしい映画を思い出してしまったわけだ。



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by ruhiginoue | 2018-02-03 18:21 | 映画 | Comments(3)

八甲田山の日

 昨日は前から予定が入っていて、出かける時間になったら雪が降ってきて、ついてないかと思ったが、帰宅してから本格的な降りようで交通も混乱したから、ついていたのだった。

 雪といえば、かつて秋田県の親戚の家に行ったとき地元のテレビで『復活の日』を放送していて親戚と一緒に観たら、南極基地に外から帰ってきた隊員の服から雪が軽々しく落ちるから従妹が変だと言って笑った。『南極物語』などの前、日本映画初の南極ロケを売りにしていたがセットで撮影した場面もあることを日本海側で生活している人は見抜いたのだった。
 この1980年公開の映画『復活の日』といえば、南極ロケ隊の船が座礁したことが報じられ、これを逆手にとって宣伝に利用したので、さすが角川と言われていた。

 そして翌日は雪が止んで晴れ、雪が解けて雫の落ちる音と雪かきの音があちこちから聞こえてきたが、この日は「八甲田山の日」である。
 1902年1月23日、八甲田山へ雪中行軍に出かけた兵士210名が遭難した事件があった。
 この事件をもとに映画『八甲田山』が製作され、77年に公開となった。製作は創価学会系のシナノ企画であったが、その前の『人間革命』のような宣伝ではなかった。遭難した司令官が雪の中で「天は我々を見放した」と言う場面がテレビの宣伝に使われて、当時はちょっとした流行語になった。よくパロディにされていて、デビュー当時だった小林よしのりも漫画の中でやっていた。

 この遭難事件は、そもそも冬の八甲田山では冬の重装備が必要だったのに指導部の無謀さから兵士は軽装のまま行軍を開始し、猛吹雪の中で道を見失い寒さと飢えと疲労のために遭難してしまい、25日になって199名の死亡が確認されたということだ。
 これと同じころ、別の連隊38名は同じルートを逆から踏破に成功していて、なぜなら装備と訓練をきちんとして十分な準備のうえでのことだったからだ。

 この点、映画の描き方は弱かった。また、別の部隊のどちらなのかが見ていてよくわからない。このような問題について黒澤明監督は、見て瞬時に判別できないものは動く方向の基本を決めて統一させておかなければならないと指摘していたが、この映画の監督は黒澤明監督の助監督をつとめていた人なので、なのにどうしちゃったのかと思ったものだ。

 そして、これは一昨年ここで述べた(ツイッターでは動画も)が、八甲田山に行ったら施設に映画のロケ隊の写真が飾られていて、頂上まで行ったら霧が出てきて視界が一メートルもなくなってしまい、ここで道に迷ったら、まず八甲田山で遭難なんてシャレにならないし、天に見放されたのではなくただのバカだから、予定を変更して下山したということだった。

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by ruhiginoue | 2018-01-23 19:23 | 映画 | Comments(7)
 松本清張の小説『鬼畜』がまたテレビドラマ化された。
 この話はフィクションであるが、モデルになった事件は実在したそうだ。

 この原作と映画化では、主人公の印刷会社で火災があったり大手に顧客を奪われたりで商売が傾くことが発端だけれど、2000年のテレビドラマでは、小規模印刷会社の仕事なら誰でもパソコンで簡単にできるようになってしまい経営難に至る設定であった。
 これについて、放送当時、印刷会社で働いている人に聞いたら、どこもそんな感じになっていると言っていた。

 その前に『鬼畜』は、よく松本清張を映画化している野村芳太郎監督で映画になっていたけれど、ここで主人公の妻に扮した岩下志麻の演技が話題だった。夫がひそかに妾に子どもを産ませていたことを知って激怒し、しかも妾から産まず女よばわりの侮辱まで受けたため、妾の子どもにつらくあたるどころか、ほとんど虐待というべき扱いをする。この場面が凄まじい。
 この映画が公開された当時は子供だったし金もなかったから映画館に行けず、のちにテレビで観ていたのだが、その場面で、うちの母親が「赤ん坊がほんとうに泣いている」と言っていた。

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 この演出のため、野村芳太郎監督は、ふだん馴れ合っているいると演技の時につい手加減してしまい迫力が損なわれるから、子役たちと談笑などしてはいけないと厳命し、それに岩下志麻は従ったのだが、子役たちにトラウマとなってないかと心配になり、その子役たちが成人してから事情を説明したと言う。

 やはり岩下志麻が大役で出演したドラマ『独眼竜政宗』では、豊臣秀吉役の勝新太郎の提案で、伊達政宗役の渡辺謙と、最初に挨拶を交わしたあとは政宗と秀吉が対面する場面の撮影まで会わないようにしていたそうだ。
 こうした話は他にもいろいろあり、挙げていたらきりがないほどだ。(仮面ライダーV3で宮内洋は山口暁から「普段から視線を外すよ」と言われた、など)

 このように、俳優が演じるさいも気を遣うのだから、大相撲で貴乃花が、他の相撲部屋の相撲取りと飲み会などしてはいけないと言ったのも、勝負の世界なのだから当然だろうし、マスコミ関係者が政治家と懇親会をして、ごちそうしてもらうのは論外であるし、割り勘だったと言い訳するのだってとんでもないことだ。




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by ruhiginoue | 2017-12-26 16:15 | 映画 | Comments(2)
 話題の映画『否定と肯定』(Denial)を観た人たちの多くが、「ホロコースト」否定論者の手法が日本の歴史修正主義者やネトウヨと驚くほど同じであるという感想を述べている。被害者を侮辱し、収容所の扉が右側か左側かなど証言のどうでもいいディテールの記憶違いなどで揚げ足をとり、事実をそのものをなかったものにしようとするからだ。

 この手口は、防衛医大の医療裁判でも同じだった。
 例えば、医師の不手際により患者が高熱を出しているのに、その不手際を認めようとしない医師が直ちに適切な処置をしなかった問題について、防衛医大(国)の代理人は、その熱が何度だったか患者が記憶違いをしているとし、それはどちらにしても高熱であり、医師の不手際と不適切の事実はその後の処置の記録から明らかであるのに、患者の記憶が不正確であると法廷でこき下ろした。
 また、医師の言ったことについて、事実かという質問に対して患者はただそのとおりであると答えたが、その質問のさい防衛医大(国)の代理人は、医師の言い方が乱暴なのでヤクザみたいだと自分の感想を付け加えていて、それはあくまで質問する側の印象であるのに、患者がそれに同意したと牽強付会したうえで、医師がヤクザのような口のききかたをするはずがないと根拠もなく言い(実際には医師が暴言を吐いて問題になることがあるというのに)、この患者は嘘をついていると誹謗したうえ、さらに、たったこれだけを根拠として、患者には虚言癖があると断定し、だから他のこともすべて嘘であり、最初から訴えは全部が虚偽であるから不当な訴訟であると主張した。

 あまりにもバカげているし医学的にも荒唐無稽であるから、防衛医大の他の医師たちもひどすぎると指摘し、このおかげもあって裁判官はその防衛医大(国)の代理人の戯言をいっさい採用しなかった。
 この代理人について、話したら実に失礼な人で大嫌いだと明言した自衛隊の元関係者もいる。
 これは、国と自衛隊に良識があったと言えることだが、なのに東京弁護士会は違った。その嫌らしいことをした代理人が同会に弁護士として加盟しているので庇いだてし、批判する患者の側を営業妨害だと言って中傷したのだった。
 つまり、歴史修正主義者と酷似した手口について国と自衛隊はすべてを容認したのではなかったが、東京弁護士会は積極的に擁護したのである。
 この会にはもともと批判が多かったけれど、話に聞いていたより酷いと実感したのだった。そして同会は何かにつけて組織的に狂信的なほど右翼的である。要注意だ。



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by ruhiginoue | 2017-12-11 16:12 | 映画 | Comments(0)
 映画『スターウォーズ』の制作を引き継いだディズニー社が、さらに新作を作って発表するという話に、映画ファンの間から、もううんざりという声が出ている。飽きたということとともに、もう『スターピース』にして欲しいということだ。現実が無邪気ではいられないのに、映画で楽しんでいられるか。いつまでも戦争が続く感覚に浸っていては、ほんとうの世のなかに平和がこない。
 そういうことだ。

 かなり前から、『スターウォーズ』が大ヒットして映画がつまらなくなったと言われている。
 それについて、『スターウォーズ』に大きな影響を与えた黒澤明監督は、どう思うかとインタビューで問われて「『スターウォーズ』は面白かったけど、それが大ヒットした影響で表面的な刺激の映画ばかりになってしまったからだ」と言っていた。
 もともと、『スターウォーズ』が最初に発送された70年代、「アメリカンニューシネマ」の全盛で暗かったり厭世的だったりして、わざとハッピーエンドを避けていたりもした。
 そして『タクシードライバー』などにみられるようにベトナム戦争の影を引きずっていた。

 ところが、77年になり、長らく停止されていた20世紀フォックス社のロゴの音楽(映画音楽の巨匠で同社の音楽部長でもあった作曲家アルフレッドニューマンによるファンファーレ)が復活して威勢よく♪パンパカパーンと鳴り響き、SFなのに「昔、昔、」という説明の字幕とともに映画が始まると、往年の無邪気な勧善懲悪物の活劇は、このとき本格実用化されたドルビーシステムによるサラウンド音響が轟音を蹴立てながら開始されたのだった。

 こうして、SFだからと戦争を堂々と娯楽と化した。例えば爆撃機映画など現実の戦争の悲惨な犠牲者を考えれば絶対に楽しめないということになっていたのだが、娯楽で空想に遊ぶものだからということで、回転式砲座で迎撃機を無邪気にぶっとばすのだ。
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 それから10年経ち、東京国際映画祭で、当時『プラトーン』が大ヒットしていたオリバーストーンが来日し、もう一つの大ヒット映画『トップガン』を戦争美化の軍国主義映画だと批判しながら、『スターウォーズ』もアメリカでは右翼に利用されていると問題にした。
 現実の戦争には政治や経済が絡み、敵にも味方にもそれぞれ言い分があるのに、『スターウォーズ』の銀河帝国とダースベイダーなど、とにかくSFは単純で、絶対悪を倒すのが正義だという図式で、そんなものを観る人々に押し付ける。これが「悪の帝国」を倒すという国策臭さに転じたということだ。

 これだから80年代に入ると映画はダメになったのだと言う指摘があり、そこでウォーレンビューティーは「黒澤明監督の作品のようなものはハリウッド映画には無理になってしまった」と言った。
 これに対しオリバーストーンは、それでも80年代のハリウッド映画は傑作ばかりだと反論していた。80年代の傑作は60年代と70年代の傑作を合わせた数より多いと言う。自分は『プラトーン』を作ったし、ウォーレンビューティーだって『レッズ』を作った。他にも『ブレードランナー』や『ブルーベルベット』などがあった、ということだ。
 そう言われればそうだという映画は色々あった。

 このような経緯なのだから、もう『スターウォーズ』の新作はけっこうである。



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by ruhiginoue | 2017-11-13 16:35 | 映画 | Comments(4)
 アメリカの人気テレビドラマ『トワイライトゾーン』(日本放送では『ミステリーゾーン』後に映画化で『トワイライトゾーン』と原題と同じに)には、幻想的な物語に風刺や社会批判が込められていたが、その中でも特に「暗闇の男」という挿話にはこの傾向が強かった。
 これは翻訳も当時のままで繰り返し放送されている。

 かつて再放送で観たのと同じものが、誰かによって動画サイトに投稿されているので、改めて観た。監督がスチュワート=ローゼンバーグだったとは気づかなかった。
 ただ、一部音声が消えていて、差別的な言葉だったからだろうが、二か所のうち前のほうでは、右翼の青年が街頭でアジ演説して野次られるなどしたあと「あいつらはアカだ」と言っていたはずだ。差別ではないが、政治的だから音声を消したのだろうか。

 ところで、ここでは観た人たちのツッコミがテロップになることは周知のとおりだが、最初、右翼の青年が友達数人と政治結社をつくり街頭演説していて、「国際金融資本が~」と言ったり人種差別発言したり、また今ちょうど百田尚樹が吐いた暴言と同じことまで言っているのだが、ここで「ネトウヨと同じだ」とツッコミがあり、また過激な演説をしても本気で相手にされていないから「まるで外山亘一だ」というテロップ、それが今でいうヘイトスピーチと危機扇動によって次第に支持を集めてくると「石原慎太郎だ」「橋下徹だ」というテロップ、ところが仲間割れになると「維新だ」とツッコミが入るので可笑しい。

 しかし、今にも通じる普遍性のある風刺であるから、観たことが無い人にはお勧めである。





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by ruhiginoue | 2017-11-07 15:24 | 映画 | Comments(0)
 『ブレードランナー』の続編が二時間四十分を超える長編だそうで、これでは鑑賞は不可能だ。

 ただし長いから退屈とか忍耐とかいう問題ではない。映画の上映時間が長いと感じるのは内容との均衡だ。
 かつて『マルコムX』が公開されたとき存命だった黒澤明は、三時間物なのに長い感じがしないのは内容が詰まっているからだと指摘していて、このことは映画の原作である『マルコムX自伝』を読んでから観た人たちが一様に、省略されすぎていると言ったことから明らかだ。
 だから『ハリーポッター』は、原作を読んだ子供たちが観ることを前提にしているから省略しないで映画化している。このために、長いと耐えられない子供が観るにしてはかなり長尺であり、このほうが子供にウケるのだ。

 そして『ブレードランナー』の続編は、前の作品を観た人たちが、そのあとどうなるかと考えることに対してなるべくきっちり応えようとしているから長くなっていて、だから観客にとっては長ったらしくて退屈とはならないらしい。

 しかし、このところ映画館に行くことが全くない。それは映画館が途中入退場の煩さを気にする観客が多いので指定制にしてくれたのはいいが、途中で気分が悪くなるなどで退場して次の回に観るというわけにはいかなくなったからだ。
 こうなると、上映時間が長い映画はいつも最後まで観ることができない。

 このため、前に東大医学部で教授に相談したことがある。まず自分で医学文献を読んで、だからこういう対策はできないかと訊ねて、しかしそれにはこのような問題があって無理だという答え、という問答の繰り返しとなったことがあり、まったく『ブレードランナー』でロイバッテイとタイレルが問答したような会話だった。

 余談だが、原作の小説では人造人間の寿命が設定されてるのではなく新陳代謝が無いから短命ということになっていて、またロイバッテイはデッカードにあっさりと退治されてしまう。それを映画では死闘にしている。知能はあるが感情は無いというのは、明らかにチャペックの『RURロッスムのユニバーサルロボット』の影響だ。

 そういうことで、体調が悪いから『ブレードランナー』の続編も駄目ということだが、そのため、このところ娯楽の類をまったくしない。
 あと仕事で雑誌の原稿を書いたり取材の電話をかけたりしている間に、ちょうど映画でタイレルが仕事の合間に投資の話をして株だか債権だかを「売れ」とか指示している場面があるが、そんなふうにしていて、このため金はけっこう入ってくるのだが趣味や娯楽に使わないので、また投機に回し、こうなると貯まるばかり。
 しかし、ぜんぜん面白くない。技術の進歩で身体が治るようになった時に期待して、治療費としてため込んでいるのだと思うようしている。


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 原作がうちの書棚にあったのを思い出した。ペーパーバック版である。




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by ruhiginoue | 2017-10-31 13:13 | 映画 | Comments(3)
 脚本家から小説家に転じた豊田有恒が、その著書で、かつて関与していた『宇宙戦艦ヤマト』の製作元締めの西崎義展について色々とほのめかしてることが話題になっている。

 この西崎義展という人には前に告発本が出ていて「狂気」とまで表現されているが、これについては以前から同作品に参加した漫画家の松本零士や脚本家の藤川圭介や作曲家の宮川奏らがさんざん語っていて、それに比べたら豊田有恒の話は控えめである。

 ところで、この西崎義展と豊田有恒の共通点は高校が武蔵であることだ。武蔵は開成と麻布とともに東大進学御三家と昔から呼ばれ、それに加えて関西の灘とか鹿児島のラサールとか一部の地域の猛進学校があるという構造は昔から今まであまり変わっていない。

 まず西崎義展だが、彼は東大を目指して開成を受験して失敗し、これで親と喧嘩になって家出のあと武蔵に入るが、結局は日大芸術学部に入り、エンターテインメントの世界に行く。この当時の日大芸術学部は、勉強しないで趣味ばかりという人が行くところであったと、知り合いの複数の卒業生が言っている。

 また豊田有恒は、中学・高校・大学と武蔵を出ていて、武蔵大学とその付属ということであるが、よく私立大学の付属高校には、受験校として有名で生徒のほとんどが他の大学に行くというところがあり、その代表格なのが武蔵であるから、武蔵高校から武蔵大学に進学する人は数年に一人くらいしかおらず、そんな人は武蔵の落ちこぼれと言われる。
 しかし豊田有恒は東大に現役合格していた。ところが当時は東京大学理科3類すなわち医学部が無く「進学振り分け制度」があって、東大に入学したあとで希望する学部の入試があり、これで受からなければ退学だった。だから、知り合いの東大医学部教授だった人は、もしも運よく受かっていなければ医者になっていなかったと言っていた。
 その制度がまだあった時代なので、豊田有恒は、病院を経営する親から家業を継げと言われたため、せっかく受かった東大をあきらめ慶応大の医学部に入らされた。そして嫌々のことだったから成績不振で卒業できなかった。そして武蔵大学の経済学部に入りなおして卒業する、というように、ずいぶんと遠回りでもったいないことをしている。

 このように、エリートコースを目指したが進学で失敗したのでエンターテインメントの世界に行って成功を目指して、成功したらひけらかしてコンプレックスを指摘される、ということなのだろう。




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by ruhiginoue | 2017-10-18 15:49 | 映画 | Comments(3)
 「この前、北朝鮮からミサイルが発射された時に、北海道の上空でゴーッって音が響き渡ったらしい」

 という女性の愚かなツイートを真に受けた人たちがいる一方で、デタラメを言うなという人たちもいた。そんな音はしていないし、冗談にしても、ありえないことだから真に受けるほうもバカだという指摘がされていた。上空のミサイルは音が空気を伝わってくるようなところにない。政府がプロバガンダに利用して危機を煽っているから、もっと低く飛んでいるかのように勘違いさせられたとしても無知すぎる。

 しかし、宇宙空間は空気が無いから音は伝わらないけど、『スターウォーズ』や『宇宙戦艦ヤマト』などのSF映画では宇宙で轟音がしてるから、勘違いする人もいるのかもしれない。宇宙空間が出てくるSF映画で音がしないのは『2001年宇宙の旅』くらいじゃなかった。あれはヘルメットの中で自分の呼吸の音ばかりが響いている描写だった。
 ただ、子供だって宇宙で音がするわけないとわかっているから、実際に音がしているのではなく効果音であると解釈してきたはずだ。非現実の映像を盛り上げるために効果音を入れているのだ。

 これでわかった。なんで最近の映画がつまらないのか。違和感がひどいからだ。CGの進歩でリアルな映像が好きなだけ作れるようになったのだから、音で煽る必要はなく、もう効果音も音楽も無用になったのだ。それなのに、昔と同じ表現をしていて不自然なのだ。
 昔、『キングコング対ゴジラ』で、大タコが出てキングコングと闘う場面があったけど、ここでタコはキングコングとゴジラのように着ぐるみとはいかないから、ほんとうの生きているタコをセットの中に入れるなどして相対的に大きく見せていたが、このためタコのニュルニュルした感じがリアルだった。
 そこへ音楽はタコのニュルニュルした動きに合わせてグリッサンドを多用したものになっていたが、作曲した伊福部昭は、本物のタコを使って撮影すると聞いたときは、なら音楽は無用ではないかと監督に言ったそうだ。怪獣は本物ではないから音楽で煽る必要があるけど、本物なら無用だろうということだ。

 また、セットとか特撮とか作り物の中で俳優が演技していても、どちらも現実ではないと思っているから違和感がないけれど、CGで本物そっくりに映像が作られた中に俳優がいると、無名の俳優なら問題ないが、スターとか有名な俳優が出ていると、そこで嘘だと感じてしまう。
 そうなっているのに、相変わらず効果音や音楽で煽ったりスターが出たりと、時代遅れになった方法で映画が作られている。もう俳優も、ほんらいの在り方である舞台にスターがいるべきだ。舞台なら映画とちがって外国人の役を演じたりしていても、もともと例えばシェークスピア劇に出ているのはローレンスオリビエであってハムレットではないと観客はわかっていて、古代ギリシャからドラマとは別人を演じて人間と物事の本質を理解するものだから、むしろ違うとわかっているものなのだ。だから「役者」というのだ。

 もし機会があったら映画を作ってみたいと思うけど、その場合、スターはもちろん有名な俳優はいっさい出さないし、出来れば姿も声も合成し、アニメ以上に完全な作り物として、非現実的な効果音と音楽は一切入れないだろう。




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by ruhiginoue | 2017-09-18 21:51 | 映画 | Comments(3)
 黒澤明『蝦蟇の油-自伝のようなもの』より

 大正十二年九月一日

 この日は、中学二年の私には、気の重い日だった。
 何故なら、夏休みが終わった翌日で、普通の学生なら、みんな、やれやれまた学校が始まるのかと、うんざりする、二学期の始業式の日だったからだ。
 その始業式を終えて、私は上の姉に頼まれていた洋書を買いに京橋の丸善へ廻った。
 ところが丸善はまだ店を開いていない。
 これには、私はますますうんざりして、午後また出直そうと家へ帰った。
 この丸善の建物は、その二時間後には、無残に崩壊し、その残骸の写真は、関東大震災の恐ろしい一例として世界の注目を集めることになる。
 私は丸善が店を開いていたら、どうなっていたか、と考えざるを得ない。
 二時間の余裕があったのだから、姉に頼まれた洋書を捜すための時間を見込んでも、丸善の建物につぶされていたとは思えないが、東京の中心を焼き尽くした大火にとりまかれ、どうなっていたかわからない。
 後略


 闇と人間

 前略 
 しかし、恐怖すべきは、恐怖にかられた人間の、常軌を逸した行動である。
 下町の火事の火が消え、どの家にも手持ちの蝋燭がなくなり、夜が文字通りの闇の世界になると、その闇に脅えた人たちは、恐ろしいデマゴーグの俘虜となり、まさに暗闇の鉄砲、向こう見ずな行動に出る。
 経験の無い人には、人間にとって真の闇というものが、どれほど恐ろしいものか、想像もつくまいが、その恐怖は人間の正気を奪う。
 どっちを見ても何も見えない頼りなさは、人間を心の底からうろたえさせるのだ。
 文字通り、疑心暗鬼を生ずる状態にさせるのだ。
 関東大震の時に起こった、朝鮮人虐殺事件は、この闇に脅えた人間を巧みに利用したデマゴーグの仕業である。
 私は、髭を生やした男が、あっちだ、いやこっちだと指差して走る後を、大人の集団が血相を変えて、雪崩のように右往左往するのをこの目で見た。
 焼け出された親類を捜しに上野へ行った時、父が、ただ長い髭を生やしているからというだけで、朝鮮人だろうと棒を持った人達に取り囲まれた。
 私はドキドキして一緒だった兄を見た。
 兄はニヤニヤしている。
 その時、
 「馬鹿者!!」
 と、父が大喝一声した。
 そして、取り巻いた連中は、コソコソ散って行った。
 町内の家から一人ずつ夜番が出ることになったが、兄は鼻の先で笑って、出ようとしない。
 仕方ないから、私が木刀を持って出て行ったら、やっと猫が通れるほどの下水の鉄管の傍へ連れていかれて、立たされた。
 ここから朝鮮人が忍び込むかも知れない、と云うのである。
 もっと馬鹿馬鹿しい話がある。
 町内の、ある家の井戸水を飲んではいけないと云うのだ。
 何故なら、その井戸の外の塀に、白墨で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸へ毒を入れたという目印だと云うのである。
 私は惘れ返った。
 何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書きだったからである。
 私は、こういう大人達を見て、人間というものについて、首をひねらないわけにはいかなかった。

 岩波書店 P97~P106



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by ruhiginoue | 2017-09-01 20:51 | 映画 | Comments(0)