人気ブログランキング |

井上靜のblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 237 )

 先日、ボディビルの話題を取り上げたが、この件に絡んで気になることがある。
 かつてボディビル大会のチャンピオンだったアーノルド=シュワルツェネッガーのライバルで「ルー=フェリーグノ」というボディビルダーがいる。二人とも別の映画でそれぞれヘラクレスの役を演じているが、シュワルツェネッガーが『コナン』ならフェリーグノの代表作は『ハルク』で、この当時は「ルー=フェリーノ」と表記されていた。綴りはFerrignoである。
 
 アメリカの作曲家にジョン=コリリアーノ(Corigliano)という人がいる。あまり映画音楽を作ることのない人だったが、『アルタードステーツ』という幻想的というより幻想そのものを題材にした映画の音楽で、映像によく合った音楽を付けてアカデミー賞候補になった。
 この映画の公開当時のポスターでもサントラ盤でも「ジョン=コリグリアーノ』と表記されていたが、これは誤りであったから後に訂正されている。

 だから、ハルクの当時のフェリーノが正しかったのに後から間違えられているのではないか。
 これについて英文の翻訳が専門の人に訊いてみたら、やはりgは発音しないものだそうだ。それに、
フェリーノの方が不自然さが無い。

f0133526_17352998.jpg

 余談だが、彼は後の映画化にもカメオ出演していて、ハルクはCGになっていた。いずれコナンもターミネーターも、すべてが同じことになるかもしれない。
 やはり、指摘があったとおり、スティーブ=マックイーンのように細身で俊敏な動きをするのと違い飾り物の筋肉ではヘラクレスのような役しかできず、それではCGでいいということになってしまうのかもしれない。




ブログランキング・にほんブログ村へ
by ruhiginoue | 2019-06-10 05:35 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 俳優の杉葉子さん死去。
 『青い山脈』ヒロイン役が特に知られている。長身で水着姿が話題になり貼っていたポスターがたくさん盗まれたそうだ。このため、映画が大ヒットのうえ当たり役だったから、後に成瀬巳喜男監督など名匠たちの作品に何度も出ているのに『青い山脈』が代表作のように言われてきた。

 原節子や京マチ子が95歳没など「美人薄命」とは限らないと言う話題を先日とりあげたが、90歳没の杉葉子は長身でかっこよかったけれど美人とは言えなかった。
 それで『青い山脈』の今井正監督は杉葉子に言ったそうだ。「キャサリン=ヘップバーンのような個性の強い女優になりなさい」と。

 また、今井正監督はよく女優たちからダンディなオジサンと言われていたけれど、キザという感じではなかった。これについて杉葉子は、表面的に穏やかだけれど左寄りの信念を秘めているので、そこも尊敬されていたと証言していた。

 今井正監督は研修中に原節子の『新しき土』で助監督をしたそうだが、そのあと監督した作品に何度も原節子が出ている。
 そのなかに『望楼の決死隊』があった。戦時中に戦意高揚の映画しか製作できなくなったからだ。戦争に協力してしまったから恥じていると監督は言っていたが、観た人たちは「これはプロパガンダではなく完全に娯楽の活劇だ」と一様に言う。

 それを言ったら『青い山脈』も、ここでは原節子が進歩的な教師の役で「戦後民主主義」を謳歌してはいてもあくまで学園ドラマ・青春ドラマである。
 そして戦後民主主義を謳う主題歌は大ヒットしたけれど、今井正監督は気に入らないと言い続けていた。演出はアメリカの『ミネソタの女』を手本にし、主題歌は『巴里祭』のような洒落たものにしたかった、と。

 また今井正監督最後の『戦争と青春』は、早乙女勝元原作の東京大空襲の話だが、高齢になったので艶っぽい絵が撮れなくなってきたと言って仕事に積極的でなかったのを、原作者がぜひ今井正監督にと希望した。
 そして自らの発案で一人二役を熱演した工藤夕貴は受賞したりであったが、その今どきの女子高生が、戦争で引き裂かれた男女の話を知ると、この悲劇を学校で同級生たちについロマンチックに語るし、樹木希林のふんする担任教師が「私たちは戦争を知らない世代」と言ったら生徒たちが「えーっ」と疑問の声をあげるので先生が年寄り扱いに反発したりで、こんな場面がむしろ面白いから、やはり『青い山脈』の監督だと観客は実感した。
 
 今井正監督は、東京大学も東宝映画も自ら辞めたと言ってた。
 よく、左翼運動に参加したため東大を辞めさせられたとか、レッドパージに遭って東宝を首になったとか、そのように言われるが誤解だそうだ。
 政治的な理由で検挙されたため東大を停学処分とはなったが、サラリーマンになるつもりがなかったので退学届を出したと言い、その受理の通知は保存していて公開もした。
 レッドパージでは一時干されただけで、『青い山脈』が大ヒットして前後編だからとギャラ二本分もらうなど良い待遇だったのに、東宝に辞表を出したそうだ。同じ敗戦国なのに、イタリアのネオリアリズモのような映画が日本は作れないからだった。

 そういうことも考えて『青い山脈』を観ると、また面白い。
 今、動画サイトにある。これだからTSUTAYAなどがどんどん撤退しているのだろう。そんな中で、往年のスターたちが次々と亡くなっている。

f0133526_11493940.jpg





ブログランキング・にほんブログ村へ

by ruhiginoue | 2019-05-24 05:41 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 エメリッヒ監督もペーターゼン監督もハリウッドに進出してアメリカに迎合するとドイツにいたころとは逆になってしまったが、そうした彼らの映画の中でも最低な『エアフォースワン』の主人公を、トランプ大統領は理想の大統領だと言った。
 これに対して主演ハリソンフォードは、あくまで劇映画であり作り話だと指摘した。それにしても、あの大統領は空々しいと観客は言っていた。

f0133526_18090709.jpg


 そうならないように、佐藤浩市は映画で日本の総理大臣を演じるさい人間臭くしたということだ。
 それがなんで安倍総理をからかったことになるのか。劇中、緊張して腹痛を起こす場面があるから、安倍が国会審議を黙って抜け出して便所に駆け込んだことを連想したようだ。しかし安倍総理は腸の持病であり、ただ緊張して腹痛とは違う。

 これは、あの産経新聞のインチキ記者として知られる阿比留というクズが、佐藤のインタビューを曲解してまたまたデタラメ記事を書き、これを真に受けた百田尚樹らが騒いだだけのオソマツだったそうだ。

 このところ低劣な記者が、芸能人の発言を強引に「炎上」させたがることが多いし、炎上でなくてもブログやツイッターを受け売りしてお茶濁しすることが目立っている。
 これは取材の費用も手間もかけないで済ませようとするからだが、炎上狙いで曲解は論外であるし、受け売りするにしても手抜きが酷く、よく芸能人の誰々が「持論」と紹介するだけで、その目の付け所がこうユニークだという評価もない。その程度のことすらできない記者がいて、これは特にスポーツ紙の芸能担当者に多いようだ。

 まったく呆れたものである。




ブログランキング・にほんブログ村へ

by ruhiginoue | 2019-05-20 05:47 | 映画 | Trackback | Comments(1)
 京マチ子が95歳で死去したそうだ。
 原節子も95歳まで生きていた。「美人薄命」とは限らないということだ。それはともかく、京マチ子は『羅生門』『雨月物語』『地獄門』など外国映画祭で受賞した時代劇映画で有名だが、実は『長崎の歌は忘れじ』など対米従属にもよく出ていた。長崎の被爆者の女性が米国人男性の愛によって原爆の恨みを捨てる話である。

 これを反戦映画だと勘違いした人も一部にいたらしいが、昔の批評を読んでも、平和を訴えるというより日米の戦後の友好を象徴した国際恋愛ドラマのような話だと受け取られていたことが判る。
 また、京マチ子の扮する被爆者の女性は長崎の原爆で失明までしているのに傷跡など悲惨な被害が無くて、その美貌にアメリカ人男性が惹かれるから、嘘臭いメロドラマどころかアメリカに媚びて戦争の被害を過少評価したものだという批判もあった。

 この映画のように、戦後アメリカ人の男性に日本人の女性が見初められるドラマは「らしゃめん映画」と呼ばれた。
 もともと、強国や宗主国の男性から見初められる弱小の従属国や植民地の女性、それをもって両国の友好、ということに仕立てハッピーエンドという話は、戦前は中国などを舞台にして製作されていた。逆に日本が宗主国であり、中国人女性には李香蘭こと山口淑子が扮していた。彼女も94歳没だった。やはり「美人薄命」ではない。

 ところで、戦時中にプロパガンダの国策映画を権力に命じられて意に反して作り悔いていた映画人が、戦後は民主や反戦の映画を作ったことは周知のとおりだ。
 その代表的な監督は山本薩夫と今井正である。彼らは左翼運動に関わって弾圧を受けた。しかし映画会社は「芸能界」だから就職できたということが多分にあった。そして両監督とも戦意高揚映画を撮ってウケていた。そこで原節子の出演作を何本も撮っている。

 そして、戦前から戦時中にかけて国策映画によく出ていた原節子は、戦後は黒澤明の『わが青春に悔いなし』、今井正の『青い山脈』に出た。山本薩夫や今井正と違って黒澤明は左翼ではなかったが、画家志望だった時にプロレタリア美術に関心を持ったため警察に後をつけられて逃げ回り「まいた」ことがあると自慢していた。そして戦時中やはり国策映画を撮っていた。
 それが戦後は民主主義を讃える映画を撮る。これらに原節子も出演していた。

 この一方、戦後に対米従属映画で脚本を担当したのは、戦時中に戦意高揚の国策映画の脚本を積極的に書いた沢村勉といった右翼の脚本家だった。権力に命じられて仕方なかったからではなく、もともと積極的だった人もいたわけで、そういう人は敗戦したら対米従属の映画に積極的に関与ということである。
 まるで岸信介だが、そういう人たちはそういうことなんだなと納得である。

 それはともかく、時代劇ではない京マチ子の出演映画で面白かったのは、山本薩夫の『華麗なる一族』である。
 これは公開当時大ヒットしたそうだが、キムタクが出てるテレビ版なんかより面白い。


f0133526_16434634.jpg





ブログランキング・にほんブログ村へ
by ruhiginoue | 2019-05-16 12:21 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 店でコーヒーを飲んでいたら、近くの席にいる女子高生が、宿題か何かで英語の文章を翻訳サイトに入力したうえ出てきた文を日本語として不自然な部分を直す、という作業をしていたから、これを見た人は、こういう道具があると、求められるのは英語力ではなく日本語の補正力だなと感じたそうだ。

 それを言ったら戸田奈津子はどんな訳し方をしているのだろうか。任意で参戦したというセリフを「ボランティア軍」と訳したことは語り草である。
 もちろんカタカナの方が良い場合もあるけれど、「志願兵」とか「義勇軍」とかは普通に言われているし、戦争に「ボランティア」ではピンとこない。それに長い。翻訳のテロップは1秒9文字と決まってる。文字が多いと素早く目で追えないからだ。なのにわざと長くしてしまう。
 かつて戸田奈津子は、「セクハラ」は文字が簡潔で意味も明瞭だから、こういう表現が後から出来て定着してくれたことは翻訳にとって好都合だと言ってたが、カタカナにしたけど長くなったのでは、これに反するだろう。

 あと、戸田奈津子はミリタリー無知でないかと言われ、軍事関連は大体ダメだとよく言われている。しかし、調べないでテキトーに当てはめる手抜きをしなければいいだけの話ではないか。

 ところで、この変な訳は『スターウォーズ』のシリーズでのことだ。先日、東京大空襲とその映画の話題をとりあげたが、空爆は活劇映画だとそれを行う側の俯瞰目線ばかりで地上がどうなるかを想像させない。

 『空爆特攻隊』
 この映画のような爆撃機ものが戦争映画の一分野だった。

 


 しかし、爆撃は地上の悲惨さから見せ物にするのは如何なものか、ということになってきた。
 それでSFならばと『スターウォーズ』は、爆撃ではなく襲撃してくる戦闘機を回転銃座で迎撃するだけにした。

f0133526_15541327.jpg

 それで『スターウォーズ』はセリフが解らなくても困らない内容である。



by ruhiginoue | 2019-03-17 06:11 | 映画 | Trackback | Comments(2)

アメリカバンザイ

 先日の報道は「日米外相“北の完全な非核化が必要”で一致」とのことであるが、イラク、リビア、シリア、そしてベネズエラ、という現実があるのに核放棄なんてするなら金さんはアホである。アメリカに情報まで操作された日本の無能外交も度し難い。
 また、その後トランプ氏「非核化を進めれば経済発展の可能性」と述べたが、核開発放棄して経済発展したリビアは今どうなったか。NATOに侵略されて政権崩壊と内戦である。経済発展の事実は欧米のマスメディアがフェイクニュースで打消した。これに追従したのが朝日新聞をはじめとする日本のマスコミであることは、拙書『朝日新聞の逆襲』で指摘したとおりだ。

 よく、日本政府を批判する際に中国や北朝鮮と同じだと言う人たちがいる。知りもせずに大手マスメディアから垂れ流されるプロパガンダに浸かっていることを示して愚かであるし、だいたい日本政府と支持者たちは、敵対はしていても人権を蹂躙する部分だけは素晴らしいなんて言って褒めているのだから、そんな皮肉は彼奴等にとって痛くも痒くもない。
 また、日本政府がやっている蹂躙はUSAの傀儡となっていることが原因なのに、それとは真逆の中国や北朝鮮と同じというのも本質を捉えていない薄っぺらい発想だ。

 これはあの社民党から選挙に出て落選した自称「映画監督」(画家のはずなのに)の夫が最たる者だが、彼はSPA!に書いたりしているから、おそらく商売の都合なのだろう。

 こういうことに気付かない日本人の体質は、それだけマスメディアの洗脳が執拗だったということだろう。
 その一つがハリウッド映画だが、トランプ大統領は映画『エアフォースワン』の大統領が理想だと言ったところ、その主演の俳優ハリソン=フォードは、あれはフィクション映画だと指摘した。
 けれど、やはり映画でフィクションの『ペンタゴンペーパーズ』となると、実話に基づいているというだけで真に受ける人がいる。

f0133526_18425658.jpg

 もともと、活劇だとフィクションだと思うけれど、社会派っぽいと劇映画なのにノンフィクションのように受け取ってしまう人がいて情けない。
 それに、あれは情報操作のためのリークだと70年代から指摘されていた。ベトナム戦争で儲けた勢力としては、泥沼化してもうやめたくなったから、ニクソン政権をトカゲのシッポとして切り捨てるため、情報漏洩したということだ。当時、朝日新聞の本多勝一記者らベトナム戦争を取材した大勢のジャーナリストたちが書いていたことだ。
 なのに、あくまでドラマである映画を観て真に受けて、アメリカのジャーナリズムは立派だと思う人たちはオメデタイし、そもそもベトナム戦争に関する本など読んだこともないのだろう。

 つまり、マスメディアの洗脳とかいう以前に、今より少しはマシだった当時の新聞を読んだり、関連する本を読んだり、ということをしてこなかった人たちが、なんと今ではジャーナリストとして通用しているということである。
 ほんとうに恐ろしい社会である。




by ruhiginoue | 2019-03-02 12:39 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 平成も終わるが、昭和の終わり近くに天皇の戦争責任を追及する男を追った記録映画『ゆきゆきて神軍』が87年に公開された。海外の映画祭で受賞したあと、国内では政治的な問題からミニシアターでの単館上映となり、そこから次第に上映館が増えて大いに話題となった。

f0133526_10372364.jpg

 この映画の中に、戦争体験をもつ主人公が、軍隊時代の知人を訪ねる場面がある。病気で手術し入院しているということで見舞いに行くと、寝ている病人に対して主人公は、そのようにつらい思いをしているのは「天罰」だと言う。戦争を知っている者が戦争責任を追及しないから罰が当たったと言うことだ。
 そう言われたほうは怒ったが、言ったほうも後に同じことを他で言われてしまう。この映画とは別の後日談で、映画が話題になって注目されたらスター気取りで戦争責任の追及をしなくなり、それをとがめられると、病気になって身体が思うようでなかったから仕方ないと弁解する。だから、なんで病気になったのかと問い詰められてしまう。

 これは、過酷な体験が元になっていて、それと社会との関わりが問題なので厳しい言葉も出たということだが、そうではなく普段から、病気で苦しむ人に対して「罰が当たった」と言う人がいて、その是非が議論される。
 このうち、宗教の勧誘が目的などの他意がある場合は論外だが、そうではなく病人になった人の言動が良くなかった場合、だから罰が当たって病人になったのだと、言って良いものだろうか。

 やはり、病気で苦しむことは不幸なのだから、そこに追い打ちをかけることは慎むべきだろう。いくらその人は普段からの行いに難があったとしても、だから罰が当たったと言うのはこじつけであるから、どんなに言いたくなっても言ってはいけない。
 また、あきらかに不摂生で病気になったのなら、それは因果関係があるけれど「自業自得」ということであって、これと「罰が当たった」というのは異なる。「罰が当たった」という宗教的な発想の「因果応報」とは、物的な説明ができる原因と結果の「因果関係」ではないからだ。

 なら、「罰が当たった」と言っていい場合は存在するのだろうか。するとしたら、こじつけではない直接的な関連が具体的にあって、それが物的に説明できる原因と結果ではなく、しかも道徳的・倫理的な観点から非がある場合だろう。

 例えば、自分の高校のある同級生は、同じクラスに胃腸の弱い人がいて腹痛や下痢に見舞われやすく悩んでいるのを「うんこ臭い奴だ」などと面と向かって言いながら侮辱と嘲笑をしていたが、そのあと手前がもっと深刻な病気になって下痢が止まらなくなり、入院して食事ができず点滴しながらガリガリに痩せていた。
 こうなると、上記の条件がそろっているから「罰が当たった」と言ってもいいだろう。


 

by ruhiginoue | 2019-02-19 12:21 | 映画 | Trackback | Comments(5)

降雪とスノーマン

 今日は雪の予報だが、雪だるまを作れるほどの積雪ではないようだ。
 しかし昨年知り合いの音大教授が凍結した歩道で足を滑らせ転倒して頭を打ってしまい、その負傷がもとで亡くなったということがあったのだから、積雪が少しでも危険はあるから要注意である。

 ところで、雪だるまといえば『スノーマン』である。
 『風が吹くとき』と同じ作者で、デビッドボウイがナレーションをしていたりする。
 のちの『となりのトトロ』に、そっくりの発想の場面があるのは周知のとおり。
 
 この歌は聴くたびに涙が出てくる。




 『スノーマン』を知らなくても「♪雪だるま作ろう」なら知ってるという人もいるだろう。
 'Do You Want to Build a Snowman' 「♪雪だるま作ろう」という訳詞だけど、Buildなのかと思ったものだ。この辺りのニュアンスはどうなのだろう。大きいからなのか。詳しい人、教えてほしい。





 とにかく、雪だろうと、今宵はどうしても用事があって出かけなければいけないから「♪ Let It Go ~」と気合を入れてはみたが、大した雪ではない。先述したとおり足元に注意ということだ。








by ruhiginoue | 2019-02-09 14:05 | 映画 | Trackback | Comments(4)

嫦娥4号とカプリコン・1

 中国の探査機「嫦娥4号」が月面の裏側を撮影した画像が話題だが、月はどうして地球に同じ方向を向けているのかということを、かつてアイザック=アジモフが解説していて、それと同時に、月に6回も行って何が解ったのかというと調査の結果とうてい住めないということだと述べていた。

 また、住めないうえ、資源が見つかりそうもなく、それで月に行くことが何十年も途絶えていると言われている。ところが、行かなくなったことから、実は月に行ったのは嘘で、フェイク映像を見せられているのだという噂がある。
 しかし、月は空気が無いので風が吹かないから、宇宙飛行士の足跡や月面車の轍が何十年も残っていて、これを無人探査機が撮影したから、いちおう着陸はしたのだろうと言われている。予定の場からズレてはいたが。

 このフェイク説から『カプリコン・1』という映画が作られたのだが、そのため誤解されていて、これはSF映画ではないのだ。背景にNASAの陰謀があるというだけで、話の筋としては、セットで芝居をやらされた宇宙飛行士たちが口封じのため消されそうになって逃げだし、やはり口封じで失踪したスタッフの件を追及していた記者が、宇宙飛行士を見つけて助け、追いかけられて逃げ回るという、まったくB級のサスペンスとアクションの内容である。

 この『カプリコン・1』の脚本・監督ピーター=ハイアムズは、後に『カナディアン・エクスプレス』という映画を、自ら脚本・監督で撮っているが、これは裁判で証言されないように口封じしようと狙う犯罪組織から証人の女性を守って逃げる検察官の話で、背景が違うだけで筋や見せ場は『カプリコン・1』と同じである。
 こちらはB級アクション・サスペンス映画として良く出来ていると公開当時から言われていた。

 ところが『カプリコン・1』はSF映画の大作だと勘違いしている人が、特に日本には多い。
 そのわけは音楽のド迫力のためで、この曲を『川口浩の探検隊』など色々なテレビ番組が場面を煽るために流用していたから、映画を観ていない人も音楽だけ知っている。そしてポスターの図案になっているロケットと宇宙飛行士を合わせた印象から、壮大なSF映画だと思い込んでいる人たちがいるのだ。

f0133526_15541439.jpg

 そして、作曲したジェリー=ゴールドスミスは、映画音楽のコンサートで来日したさい、よく『カプリコン・1』のレコードやCDにサインしてくれとせがまれるので「『カプリコン・1』は日本でポピュラーなのか?」と言ったそうだ。

 とにかく、『カプリコン・1』はSF映画ではないのだ。










by ruhiginoue | 2019-01-13 06:03 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 劇映画『戦場のメリークリスマス』について、かつて監督の大島渚がテレビでこんなことを言っていた。
 「時々、記者などの中に『どうしてデビッド=ボウイを使ったのですか』と質問する者がいるけど、僕は彼の首に縄を付けて引っ張ってきたのではないし、彼の目の前に札束を積み上げたのでもない。だから『使った』なんて失礼な言い方はやめてほしい。彼とは一緒に仕事をしたんだ」
 また、大島渚は別のインタビューで、デビッド=ボウイとの出演交渉のさい、大筋で合意したあと最後に出演料について切り出したところ「お金のことは後でいいじゃないか。一緒に仕事をしようと決めたのだから」と言ってくれたと述べていた。

 これと関連することだが、かつて俳優の山城新伍がテレビて言っていた。
 どこかの企業の宣伝部や広告代理店の重役などが、よく料金の高い店で一杯やりながら人気の芸能人について「あれ、最近売れているけれど、うちの宣伝に使ってやっているんだ」と言って威張っているのを見かけて嫌になることがある、と。
 これはまさに「使った」ということであって、「一緒に仕事した」のではないわけだ。

 この違いだが、大島渚がデビッド=ボウイについて言っていたのは、もちろん、相手は大スターだからそれ相当のギャラを払わないといけないし、そこで製作費とのことがあり気になるところだった、ということがあっただろう。
 しかし、仕事で志が一致したのだから、そこが重要だと認めてくれたということだ。この映画は戦争が題材になっているため、国際間の政治的な問題にも関わる可能性があるから、やはり出資者たちも気になっていたらしい。このため出演者としても気にするところであるが、その意味でもデビッド=ボウイは理解してくれたので、大島渚は感謝しているということだった。

f0133526_16561948.jpg

 これと同じことが言えるのは、あのローラがインスタで辺野古の基地問題について署名を呼びかけたことで、CMに影響しないかという騒ぎになったことだ。
 その出演CMのスポンサーである企業はどこも、関係ないと明言した。

 なのに高須クリニックの経営者は自分ならCMから降ろすと言った。ローラほど売れている芸能人が「イエス高須クリニック」なんて宣伝に出るわけがなく、セレブになったら仮に世話になるとしても技術などの程度が低い日本の美容外科など何処にも行かないし、そんな印象低下のうえ出演料も安い宣伝は引き受けるわけがない。
 そして、一緒に仕事をすることはあっても、使われることはない。
 
 だいたい、どんな仕事でも、使う使われるというのは一流ではなく底流である。




by ruhiginoue | 2019-01-05 00:08 | 映画 | Trackback | Comments(5)