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井上靜のblog(網誌)です。下記の著書を購入して支援を頂けたら助かります。下記の他は別人や海賊版なので買わないでください。アマゾンのコメント欄に嘘の書評が書いてあるのは過日倒産した出版社の宣伝です。この種の輩に対抗する意味でも何卒よろしくお願いいたします。品切れのさいはご容赦ください。


by ruhiginoue

カテゴリ:映画( 242 )

 前回の続きで映画『トラ!トラ!トラ!』について。
 アメリカ公開版にはない皇居の場面で東洋的な音楽が流れたが、メインテーマ曲は、多くの日本人が『黒田節』に似ていると感じる。
 これは音楽を担当したハリウッドの作曲家ジェリー=ゴールドスミスが、日本的にするため雅楽の『越天楽』を捩ったような旋律にしたからだ。『黒田節』は黒田藩の侍が『越天楽』に「酒は~飲め~飲め~」という歌詞を付けたと言われている。
 それで、オーケストラに琴が加わり『越天楽』ふうの旋律を奏するから、外国人はオリエンタルでエキゾチックな曲と思うが、日本人は『黒田節』を連想するわけだ。
 このようにオーケストラに琴が入るのは、伊福部昭より十年以上前にゴールドスミスがやっていたことになるが、伊福部昭が作る曲は日本的にするため全て故意のモノフォニックであるのに対し『トラ!トラ!トラ!』のテーマは対位法的で、和風にしようとしているのに西洋的な技巧と感覚で作られている。

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 この曲とともに画面に現れる山本五十六は、名優中の名優といわれる山村聰が扮している。
 他にハリウッド映画で山本五十六に扮したのは『ミッドウェー』での三船敏郎で、彼には日本映画『長官山本五十六』の主演もある。
 また、『人間の証明』の映画化で三船敏郎が演じた国会議員を、その後の連続テレビドラマ化では山村聰が演じている。しかし役柄は家庭の問題を抱える人だから、国会議員という設定だけで、政治家として活躍する場面はない。
 そして、三船敏郎が政治家を演じたのは『人間の証明』くらい(ほかになにかあっただろうか?)で、もともと三船敏郎は政治家役は得意ではない。
 それに対して山村聰は政治家の役は得意で、総理大臣を何度も演じている。ハリウッド映画で大統領といえば名優中の名優ヘンリー=フォンダというのと同じくらいだ。どちらも現実には存在しないほど理想的だからSFが多い。ヘンリー=フォンダの大統領は『未知への飛行』や『メテオ』、山村聰の総理大臣は『世界大戦争』『ノストラダムスの大予言』『ゴジラVSキングギドラ』、テレビ版『日本沈没』という具合に。

 そして山村聰は、若いころに『蟹工船』の映画化で脚本・監督・主演をしているし、さりげなく東大出だ。
 だから山村聰の個性のため『トラ!トラ!トラ!』の山本五十六は、他の劇映画やテレビドラマでの描き方と特に違わないのに、非常に良識的で知性的と感じる。むしろ三船敏郎が主演した『長官山本五十六』の方が、内容的には美化しすぎというくらいだが、それより山村聰の山本五十六のほうがはるかに美化された感じになっている。  
 だから映画を観て真に受けてはいけない。



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by ruhiginoue | 2019-12-14 05:08 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 毎年十二月八日になると真珠湾攻撃の話になる。Twitterでも相変わらずだ。
 そこで戦争や政治に及ぶが、それは皆に任せて、ここでは真珠湾攻撃の超大作映画『トラ!トラ!トラ!』の話をする。

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 この映画のDVDを持っているが、これにはアメリカ公開版が収録されている。かつて流通していたVHSに収録されているのは日本公開版だった。日本公開版にはアメリカ公開版には無い場面がある。
 その一つは、『トラ!トラ!トラ!』ではなく「寅さん」で有名な渥美清のふんする料理人が、軍艦の調理場で司令官の食事を作りながら日付変更線について部下に講釈する場面。
 映画の中で真珠湾攻撃の日について日米で一日違うが、この訳を観客に理解させるためだろう。しかし理解できない部下が「じゃあ、日付変更線を挟んで敵と出くわしたらどうするんだ。昨日の敵に今日の弾が当たるわけないじゃないか」とボケたことを言うオチであった。

 もう一つは、山村聰ふんする山本五十六が、裕仁天皇に会うため皇居に行く場面。
 よく言われるのと同じように、この映画でも、ヤクザの親分役が得意だった内田朝雄ふんする東条英機と、政治家や官僚の役をよくやっている北村和夫ふんする松岡洋右、彼ら強硬派に新劇の大御所の千田是也ふんする近衛首相が押され、これでは戦争不可避と真珠湾攻撃を決意する山本五十六、という図式で描かれている。
 しかし山本五十六は裕仁天皇の承諾を得て真珠湾攻撃を実施している。これを陸軍は後から知らされた。
 これにより、天皇は開戦の責任を問われたのだが、アメリカ公開版には無い。山本五十六が巨大な菊の紋章の付いた扉の向こう側に入って行く場面には「インペリアル・パレス」と題する東洋的な音楽が流れる。アメリカで音楽が作られ入れられているのだから、後から場面が削除されたと考えられる。だとしたら、なぜか。政治的な意図か、アメリカの観客にとっては関心がないことだからか。



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by ruhiginoue | 2019-12-13 04:59 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 自分の家系を調べたら、親戚の殆どが90歳代後半で死んでいて、100歳以上もザラで、たまに享年88歳くらいの早死にもいたが、1人だけ30代という例外があった。
 この例外は伝染病(結核)で、粗食なのが良くなかったのではないかと考えられている。感染して悪化してから精が付くものをたべるようになったが、遅かったようだ。

 だいたい、健康的に長生きした人は言うものだ。その元気の秘訣は「医者の言うことなんか一切きかないこと」だと。
 ただし、長寿と健康のためには医者がよく言うことを無視するべきだが、タバコは吸ってはいけない。藪医者にはヘヴィースモーカーが多いからだ。

 そして、長寿と健康のため無視すべき医師の戯言の最たるのは、よく医者も漢方も説く「腹八分」である。
 そんなこと不健康の極みである。早死にの原因だ。食べ方で悪いのは内容であって量ではない。そもそも胃腸に「何分」なんて測れない。栄養などの内容に注意しながら、満腹と感じたらそれに二割くらい増した量をさらに食べて「エネルギー充填120%」でいるべきである。

 次は、夏でも冷たい飲み物は身体に悪いと説く嘘。
 そもそも、「冷たい飲み物」なんてものは存在しない。氷点下で液体なら気温より温かいし、人間が一度に飲める量はたかが知れている。だから、それを飲んだくらいで身体が冷えるなんて普通はありえない。
 また、ぬるい水は病原体で危険だと人も本能的に知っていて、なるべく冷たいほうが安心だから、その方が飲んで心地よいものである。もともと身体はエンジンと同じでいつもオーバーヒートしてるから積極的に冷やすべきで、氷点下でなければ冬でも氷を入れて飲むくらいが良いのだ。

 おそらく、痩せすぎて骨と皮とか、内分泌の問題で冷え性だとか、そういう栄養が足りず健康に不安のある人が、温かいのが良くて冷たいと悪いと考えるのだろう。健康であれば、氷が入った飲み物の1リットルくらいは、真夏のトタン屋根に水滴を垂らしたら一瞬でジュッと蒸発するのと同じである。

 あと、コーンフレーク考案者ケロッグ博士をアンソニー=ホプキンスが演じた映画『ケロッグ博士』は、博士が健康指南でトウモロコシを推奨し、食べすぎヤリすぎを戒めていたけど、実は彼こそ食欲不振と不能だっただけというオチだった。
 つまり、自分の不健康に他人を巻き込もうとする医者や漢方の先生がいるから、そんなのに従ってはいけない。
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by ruhiginoue | 2019-08-20 04:43 | 映画 | Trackback | Comments(3)
 多数の犠牲者が出たアニメーション映画製作スタジオ放火事件で、そこと関係のある作品募集に、この犯人と同じ名前の応募があったと報じられている。
 この、だから何なのかという報道をしたのは朝日新聞だったが、この記事では他にも犯人のプライバシーで事件とは関係がないことを大げさに書いていたので、これは既に問題が指摘されていた。
 
 これとは別に、放火事件と作品応募に何か関わりがあるのか追及が中途半端なことが問題である。
 そんなことを報じると、もしかすると犯人は作品を応募したけれど落選したとか、採用しないでおいて盗用されたとか、そんなことで恨みを抱いたのが犯行の動議なのかと疑ってしまうが、そう考えられる具体的な材料は無い。

 ハリウッドでは、映画製作会社に売り込こもうと脚本を送って来る人がいても、開封せずに倉庫に入れるそうだ。
 そうでないと、後で製作した映画と前に送られてきた脚本が偶然に似たような内容だった場合、脚本を無断で映画化したと訴えられる恐れがある。そうなると面倒なので、知らない人から送られてきた脚本は読まないに限る。その証拠になるよう開封せず倉庫に入れておくのだ。
 
 この手段が通用するのは訴えられた場合の抗弁としてのことで、勝手な思い込みで恨まれて放火などされる危険もあるから、売り込みは受け付けていないと予め表明しておくこともある。
 そもそも、作品それ自体ではなく脚本のような作品の基になるものでは、盗用とかパクりとかの判断が難しい。だから仕方ない対処だ。

 逆に応募する側も警戒をしないといけないだろう。全部の盗作はやりにくいが、中にあるネタをパクるため募集する手口は充分ありうるからだ。
 また、一般公募と称していても「コンペティション」が「出来レース」ということが、よくある。
 
 これらはあくまで一般論だが、よくあることであるのは現実なので、募集と応募どちらの側も覚悟しておくべきだ。


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by ruhiginoue | 2019-08-06 04:41 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 山田洋次が椎名誠の小説をもとにした映画『息子』は、公開当時(1991年)存命だった黒澤明も絶賛していたし、内容的にまったく日本の話だが海外でも好評だった。

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 これはヒューマンドラマとして普遍性があったからだろう。また90年当時の日本国内のことではあっても、同じようなことは外国にもあるという題材が取り上げられていたから、理解されたのだろう。
 例えば、岩手県に住む主人公は、かつて彼が農閑期に出稼ぎ労働者をよくしていたから、成人した息子が働きに出ている東京を訪ねて行くと、新しい建築物を見てあれもこれも建設に参加したと息子の嫁に語る場面があり、こういうことは世界各地に共通している。
 そういう社会性が、もう昔の映画だが古典となっている一因のはずだ。
 この映画を思い出したのは、先日ここで、田舎の人は惰性で生きることを続けたいので社会に無関心ということを述べたことからである。

 まず映画は、主人公の妻の一周忌法要から始まる。東京から駆け付けた次男坊が題名の指す「息子」である。まず子供たちが独立して家を出て、さらに妻を亡くした主人公は独りになった。まだ健康だから農業は続けているけれど、いずれ高齢のため独り暮らしが困難になるかもしれない。
 その問題が集まってきた親族から語られると、それに備えていると長男が言う。次男はまだ独身だが、長男は結婚していて妻と小さい子供と一緒である。東京にある会社に勤務していて、最近マンションを買って越したが、そのさい父親を呼んで同居できるようにした。当時は「バブル」の経済状況で都市部の地価高騰が問題になっていた。部屋数が多いマンションは値段も高くなるので都心から離れた場所になり、それで通勤が大変だけど長男は我慢している。
 このように、ちゃんと考えたうえで出来る限りのことを一生懸命やっているのに、田舎の親戚や御近所たちが勝手なことを口々に言い出す。広い農家に住んでいたのに狭いマンションなんて耐えられないだろうとか、だから東京に行くなではなく東京で一戸建てにしろとか、到底無理なことを軽々しく言い、長男の一生懸命を理解しようともせず「なあ、もうちっと頑張れえ」などとニタニタしながら責める。
 これに長男は、困ったのと腹立たしいのとが混ざった様子で「いまどきサラリーマンに東京近郊で一戸建てなんて」とつぶやく。

 ここで主人公が、自分はまだ大丈夫だからと言って険悪にならないよう話を終了させるのだが、この親戚らの軽々しさによる嫌らしさは、田舎の人たちの生態を見事に暴くような描き方である。
 まず、他人事だからと平気で非現実的なことを言い、また、なぜ非現実的なのか社会で問題になっている背景について考えもしない。これは、いくら交通やマスメディアが発達しても、もともと田舎に住んできた人たちの意識は変わらないということだ。そして最近のようにSNSが当たり前になってさえも同じなのだ。

 その証拠に、自民党の議員は田舎に行くと、若い女が子供をたくさん産めばいいんだと言い放つ。収入や子育ての環境が問題だから、それを何とかするのが政治なのに。しかし、そんなこと田舎の人たちは想像すらできない。だから、だ。
 これは映画と同じだ。

 こんなのは外国にもあるということだろうか。
 だから、地方からの出稼ぎ労働のことと同じで、日本映画の中で日本国内のこととして描かれていても、観た外国人は容易に理解できたということだろうか。




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by ruhiginoue | 2019-07-16 05:37 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 先日、ボディビルの話題を取り上げたが、この件に絡んで気になることがある。
 かつてボディビル大会のチャンピオンだったアーノルド=シュワルツェネッガーのライバルで「ルー=フェリーグノ」というボディビルダーがいる。二人とも別の映画でそれぞれヘラクレスの役を演じているが、シュワルツェネッガーが『コナン』ならフェリーグノの代表作は『ハルク』で、この当時は「ルー=フェリーノ」と表記されていた。綴りはFerrignoである。
 
 アメリカの作曲家にジョン=コリリアーノ(Corigliano)という人がいる。あまり映画音楽を作ることのない人だったが、『アルタードステーツ』という幻想的というより幻想そのものを題材にした映画の音楽で、映像によく合った音楽を付けてアカデミー賞候補になった。
 この映画の公開当時のポスターでもサントラ盤でも「ジョン=コリグリアーノ』と表記されていたが、これは誤りであったから後に訂正されている。

 だから、ハルクの当時のフェリーノが正しかったのに後から間違えられているのではないか。
 これについて英文の翻訳が専門の人に訊いてみたら、やはりgは発音しないものだそうだ。それに、
フェリーノの方が不自然さが無い。

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 余談だが、彼は後の映画化にもカメオ出演していて、ハルクはCGになっていた。いずれコナンもターミネーターも、すべてが同じことになるかもしれない。
 やはり、指摘があったとおり、スティーブ=マックイーンのように細身で俊敏な動きをするのと違い飾り物の筋肉ではヘラクレスのような役しかできず、それではCGでいいということになってしまうのかもしれない。




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by ruhiginoue | 2019-06-10 05:35 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 俳優の杉葉子さん死去。
 『青い山脈』ヒロイン役が特に知られている。長身で水着姿が話題になり貼っていたポスターがたくさん盗まれたそうだ。このため、映画が大ヒットのうえ当たり役だったから、後に成瀬巳喜男監督など名匠たちの作品に何度も出ているのに『青い山脈』が代表作のように言われてきた。

 原節子や京マチ子が95歳没など「美人薄命」とは限らないと言う話題を先日とりあげたが、90歳没の杉葉子は長身でかっこよかったけれど美人とは言えなかった。
 それで『青い山脈』の今井正監督は杉葉子に言ったそうだ。「キャサリン=ヘップバーンのような個性の強い女優になりなさい」と。

 また、今井正監督はよく女優たちからダンディなオジサンと言われていたけれど、キザという感じではなかった。これについて杉葉子は、表面的に穏やかだけれど左寄りの信念を秘めているので、そこも尊敬されていたと証言していた。

 今井正監督は研修中に原節子の『新しき土』で助監督をしたそうだが、そのあと監督した作品に何度も原節子が出ている。
 そのなかに『望楼の決死隊』があった。戦時中に戦意高揚の映画しか製作できなくなったからだ。戦争に協力してしまったから恥じていると監督は言っていたが、観た人たちは「これはプロパガンダではなく完全に娯楽の活劇だ」と一様に言う。

 それを言ったら『青い山脈』も、ここでは原節子が進歩的な教師の役で「戦後民主主義」を謳歌してはいてもあくまで学園ドラマ・青春ドラマである。
 そして戦後民主主義を謳う主題歌は大ヒットしたけれど、今井正監督は気に入らないと言い続けていた。演出はアメリカの『ミネソタの女』を手本にし、主題歌は『巴里祭』のような洒落たものにしたかった、と。

 また今井正監督最後の『戦争と青春』は、早乙女勝元原作の東京大空襲の話だが、高齢になったので艶っぽい絵が撮れなくなってきたと言って仕事に積極的でなかったのを、原作者がぜひ今井正監督にと希望した。
 そして自らの発案で一人二役を熱演した工藤夕貴は受賞したりであったが、その今どきの女子高生が、戦争で引き裂かれた男女の話を知ると、この悲劇を学校で同級生たちについロマンチックに語るし、樹木希林のふんする担任教師が「私たちは戦争を知らない世代」と言ったら生徒たちが「えーっ」と疑問の声をあげるので先生が年寄り扱いに反発したりで、こんな場面がむしろ面白いから、やはり『青い山脈』の監督だと観客は実感した。
 
 今井正監督は、東京大学も東宝映画も自ら辞めたと言ってた。
 よく、左翼運動に参加したため東大を辞めさせられたとか、レッドパージに遭って東宝を首になったとか、そのように言われるが誤解だそうだ。
 政治的な理由で検挙されたため東大を停学処分とはなったが、サラリーマンになるつもりがなかったので退学届を出したと言い、その受理の通知は保存していて公開もした。
 レッドパージでは一時干されただけで、『青い山脈』が大ヒットして前後編だからとギャラ二本分もらうなど良い待遇だったのに、東宝に辞表を出したそうだ。同じ敗戦国なのに、イタリアのネオリアリズモのような映画が日本は作れないからだった。

 そういうことも考えて『青い山脈』を観ると、また面白い。
 今、動画サイトにある。これだからTSUTAYAなどがどんどん撤退しているのだろう。そんな中で、往年のスターたちが次々と亡くなっている。

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by ruhiginoue | 2019-05-24 05:41 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 エメリッヒ監督もペーターゼン監督もハリウッドに進出してアメリカに迎合するとドイツにいたころとは逆になってしまったが、そうした彼らの映画の中でも最低な『エアフォースワン』の主人公を、トランプ大統領は理想の大統領だと言った。
 これに対して主演ハリソンフォードは、あくまで劇映画であり作り話だと指摘した。それにしても、あの大統領は空々しいと観客は言っていた。

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 そうならないように、佐藤浩市は映画で日本の総理大臣を演じるさい人間臭くしたということだ。
 それがなんで安倍総理をからかったことになるのか。劇中、緊張して腹痛を起こす場面があるから、安倍が国会審議を黙って抜け出して便所に駆け込んだことを連想したようだ。しかし安倍総理は腸の持病であり、ただ緊張して腹痛とは違う。

 これは、あの産経新聞のインチキ記者として知られる阿比留というクズが、佐藤のインタビューを曲解してまたまたデタラメ記事を書き、これを真に受けた百田尚樹らが騒いだだけのオソマツだったそうだ。

 このところ低劣な記者が、芸能人の発言を強引に「炎上」させたがることが多いし、炎上でなくてもブログやツイッターを受け売りしてお茶濁しすることが目立っている。
 これは取材の費用も手間もかけないで済ませようとするからだが、炎上狙いで曲解は論外であるし、受け売りするにしても手抜きが酷く、よく芸能人の誰々が「持論」と紹介するだけで、その目の付け所がこうユニークだという評価もない。その程度のことすらできない記者がいて、これは特にスポーツ紙の芸能担当者に多いようだ。

 まったく呆れたものである。




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by ruhiginoue | 2019-05-20 05:47 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 京マチ子が95歳で死去したそうだ。
 原節子も95歳まで生きていた。「美人薄命」とは限らないということだ。それはともかく、京マチ子は『羅生門』『雨月物語』『地獄門』など外国映画祭で受賞した時代劇映画で有名だが、実は『長崎の歌は忘れじ』など対米従属にもよく出ていた。長崎の被爆者の女性が米国人男性の愛によって原爆の恨みを捨てる話である。

 これを反戦映画だと勘違いした人も一部にいたらしいが、昔の批評を読んでも、平和を訴えるというより日米の戦後の友好を象徴した国際恋愛ドラマのような話だと受け取られていたことが判る。
 また、京マチ子の扮する被爆者の女性は長崎の原爆で失明までしているのに傷跡など悲惨な被害が無くて、その美貌にアメリカ人男性が惹かれるから、嘘臭いメロドラマどころかアメリカに媚びて戦争の被害を過少評価したものだという批判もあった。

 この映画のように、戦後アメリカ人の男性に日本人の女性が見初められるドラマは「らしゃめん映画」と呼ばれた。
 もともと、強国や宗主国の男性から見初められる弱小の従属国や植民地の女性、それをもって両国の友好、ということに仕立てハッピーエンドという話は、戦前は中国などを舞台にして製作されていた。逆に日本が宗主国であり、中国人女性には李香蘭こと山口淑子が扮していた。彼女も94歳没だった。やはり「美人薄命」ではない。

 ところで、戦時中にプロパガンダの国策映画を権力に命じられて意に反して作り悔いていた映画人が、戦後は民主や反戦の映画を作ったことは周知のとおりだ。
 その代表的な監督は山本薩夫と今井正である。彼らは左翼運動に関わって弾圧を受けた。しかし映画会社は「芸能界」だから就職できたということが多分にあった。そして両監督とも戦意高揚映画を撮ってウケていた。そこで原節子の出演作を何本も撮っている。

 そして、戦前から戦時中にかけて国策映画によく出ていた原節子は、戦後は黒澤明の『わが青春に悔いなし』、今井正の『青い山脈』に出た。山本薩夫や今井正と違って黒澤明は左翼ではなかったが、画家志望だった時にプロレタリア美術に関心を持ったため警察に後をつけられて逃げ回り「まいた」ことがあると自慢していた。そして戦時中やはり国策映画を撮っていた。
 それが戦後は民主主義を讃える映画を撮る。これらに原節子も出演していた。

 この一方、戦後に対米従属映画で脚本を担当したのは、戦時中に戦意高揚の国策映画の脚本を積極的に書いた沢村勉といった右翼の脚本家だった。権力に命じられて仕方なかったからではなく、もともと積極的だった人もいたわけで、そういう人は敗戦したら対米従属の映画に積極的に関与ということである。
 まるで岸信介だが、そういう人たちはそういうことなんだなと納得である。

 それはともかく、時代劇ではない京マチ子の出演映画で面白かったのは、山本薩夫の『華麗なる一族』である。
 これは公開当時大ヒットしたそうだが、キムタクが出てるテレビ版なんかより面白い。


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by ruhiginoue | 2019-05-16 12:21 | 映画 | Trackback | Comments(0)
 店でコーヒーを飲んでいたら、近くの席にいる女子高生が、宿題か何かで英語の文章を翻訳サイトに入力したうえ出てきた文を日本語として不自然な部分を直す、という作業をしていたから、これを見た人は、こういう道具があると、求められるのは英語力ではなく日本語の補正力だなと感じたそうだ。

 それを言ったら戸田奈津子はどんな訳し方をしているのだろうか。任意で参戦したというセリフを「ボランティア軍」と訳したことは語り草である。
 もちろんカタカナの方が良い場合もあるけれど、「志願兵」とか「義勇軍」とかは普通に言われているし、戦争に「ボランティア」ではピンとこない。それに長い。翻訳のテロップは1秒9文字と決まってる。文字が多いと素早く目で追えないからだ。なのにわざと長くしてしまう。
 かつて戸田奈津子は、「セクハラ」は文字が簡潔で意味も明瞭だから、こういう表現が後から出来て定着してくれたことは翻訳にとって好都合だと言ってたが、カタカナにしたけど長くなったのでは、これに反するだろう。

 あと、戸田奈津子はミリタリー無知でないかと言われ、軍事関連は大体ダメだとよく言われている。しかし、調べないでテキトーに当てはめる手抜きをしなければいいだけの話ではないか。

 ところで、この変な訳は『スターウォーズ』のシリーズでのことだ。先日、東京大空襲とその映画の話題をとりあげたが、空爆は活劇映画だとそれを行う側の俯瞰目線ばかりで地上がどうなるかを想像させない。

 『空爆特攻隊』
 この映画のような爆撃機ものが戦争映画の一分野だった。

 


 しかし、爆撃は地上の悲惨さから見せ物にするのは如何なものか、ということになってきた。
 それでSFならばと『スターウォーズ』は、爆撃ではなく襲撃してくる戦闘機を回転銃座で迎撃するだけにした。

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 それで『スターウォーズ』はセリフが解らなくても困らない内容である。



by ruhiginoue | 2019-03-17 06:11 | 映画 | Trackback | Comments(2)