井上靜の気楽ゆえ率直な日誌です。気楽にコメントしてください。おたよりも同様にe-mail:ruhig@outlook.jpまで


by ruhiginoue

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 このところ週刊文春がスキャンダルスクープを連発して一人勝ちといわれている。
 これは、社内でもめごとがあって発表できなかったネタが溜まっていたからだといわれている。
 また発行元の文芸春秋社は、所有する不動産の価格が値上がりするとこれを担保にして新しい不動産を購入する土地ころがし的な手法でテナント業をはじめ、それが2000年ころから軌道に乗り、不動産業で社員の給与が払えるような状態だから、広告の圧力などを気にしないでよくなり、それで他の週刊誌では圧力で没にされそうなネタを文春に持って来る人たちがいるようになったからだ、とも指摘されている。

 この一方で、もと文芸春秋の名物編集長だった堤曉や花田紀凱は、『WILL』のような粗悪誌をやっている。原発事故で東電に媚びるなど、まるで総会屋雑誌ではないかと顔をしかめられているが、そのうえあとは相変わらずワンパターンの朝日新聞の悪口である。
 こういう人たちがいない文春は今絶好調ということだ。

 ただ、もともと権力に媚びて弱い者いじめを商売にすることは醜いことだし、自分の記事を売るのではなく、大手新聞社の記事の悪口を内閣の尻馬に乗って喚き散らす記事、なんていう商売は実にみっともないことだった。

 そういうことを文春でやっていた人たちが、社内で不祥事を起こすなどして辞めてから『WILL』を始めたのだから、同じ商売になって当然である。一方で、そんな人たちがいない文春は、大臣を辞めさせるまでの記事をものにしている。
 この落差には笑うしかないが、もう一つ、堤という人は元社員の立花隆から酒癖の悪さを言われていたことがあるなど色々と奇行が目立ち、なぜか他人の学歴をとやかくいいながら自分は東大法卒だと威張ることもある。
 それで「なるほど」だが、東大出て大手新聞社とかテレビ局ではなく雑誌社というのは、学歴と就職という観点から成功しているとは言えない。週刊文春といえばあの「ロス疑惑」でも渦中にあった三浦和義という人が言っていた。その問題の記事を担当した人も堤編集長と同じく東大を出て文春に入った人だったが、その後に転落の道を歩んだと。

 まあ、そういうことだろう。


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by ruhiginoue | 2016-03-11 17:30 | 社会 | Trackback | Comments(5)
 アメリカの大統領選挙で話題のトランプ候補は映画『グレムリン2新種誕生』に登場する実業家クランプ氏のモデルで、映画の描き方は皮肉であった。億万長者がその財力によって世のため人のために活躍するのは『サンダーバード』や『バットマン』のようなSFだけだろう。

 『サンダーバード』といえば、そこに登場する悪役みたないな風貌の百田尚樹という作家が、書いた本『純愛』の中で故人となった歌手の遺族を悪く描き、その遺族から名誉棄損で訴えられている。
 そして法廷に出た百田尚樹は証言のなかで、その遺族に取材しておらず話を聞いていなかったことを認めたと報じられている。つまり勝手に面白おかしく書いていたということになる。

 しかも、自分の側の弁護士に訊かれた時でさえ「自爆証言」といわれる話をするうえ、相手方の弁護士に訊かれたさいは「そんなこと何の関係があるんだ」と声を荒げるなど、かなり印象が悪い態度であったらしい。

 この人のように、もともと暴言を吐いている人が出るところに出たら途端にシッカリしたりシオラシクしたりすることは難しいものだ。そうしようと試みはする者もいて、空々しいほどの見せかけだけ紳士ぶる人もいるが、それでもすぐに本性が露呈するものだ。

 こういう現実は、医療裁判の体験からよく知っている。自分の裁判でも、他人の裁判を傍聴した場合でも、そうだった。
  「医師たるものが患者に暴言を吐くわけがない」などと医師側の弁護士が主張してくれているそばで、被告の医師は不都合なことを問われると乱暴な言動をよくする。百田尚樹と同じように「そんなこと関係ないでしょう」と怒気を含めて言い放つこともある。
 
 つまり、普段から平気で暴言を吐いている人は場所がどこでも同じであり、その本性は隠せない。のだ。

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by ruhiginoue | 2016-03-10 17:30 | 司法 | Trackback | Comments(6)
 テレビ番組に難癖をつけて放送局の電波を全部とめてしまうべきだという政治家の発言は、もちろん言論や報道への弾圧だが、それに対して抗議するテレビの出演者たちの顔ぶれに、この人たちが言っても説得力どころか意味がないと感じる。

 これが、一昔前のように筑紫哲也が混ざっていれば様になっただろうが、そう思わせることすらできない人ばかり出演するようになって久しい。
 そもそも筑紫哲也が朝日新聞から退社してテレビに専属契約で出演する決心をしたのは、その当時すでにテレビが権力の手先になっている人ばかりであることを危惧したからだった。その前からよくテレビに出てはいたが、あくまで片手間だった。

 ところが、この話に対して「でも今抗議している人たちの中に田原総一朗がいるじゃないか」と言った人がいて驚かされた。田原総一朗なんて権力の手先に成り下がって久しいことは常識ではないか。『原子力戦争』なんて書いていたのは大昔の話だ。
 この『原子力戦争』の映画化は、医療被曝の被害に遭ったことで関心をもった人が観て大いに感心していたが、その人は「あんな立派な仕事をしていた人が、どうやったらアホテレビ番組のバカ司会者に成り下がれるのか不思議だ」と言っていた。

 この田原総一朗は、今の悪政の元凶である小選挙区制に賛成してしまったことを反省していた。結果を予想できなかったと言っている。これは山口二郎と同じだ。
 しかし、小選挙区制度の危険は昔から指摘されていたことで、政治に少しでも関心がある人にとっては常識だ。まして政治学者とかマスコミ関係者なら。なのに、反省するだけマシだと言ってしまう人がいるから甘い。もちろん反省しない『ニュースステーション』の久米宏とか福岡政行などがいるけれど、知らなかったはずないことに反省して見せても偽装だとしか思えない。

 また、山口二郎は国会前の抗議行動に参加していると言っているが、よく取り囲まれて罵倒されたり殴られたりしないものだ。そうならないように場所を計算していたからではないか。
 これで思い出すのは、あのいかがわしいことで悪名高い池田香代子が、デモの後で路上の清掃を一人でやっていたという話だ。本来は隠れた善行であることが、なぜか写真入りでことさら強調してネットに流布されていたのだった。 

 こういうことに、なんかおかしいと思う人は少なくないが、無感覚の人も少なくないから困ったものだ。

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by ruhiginoue | 2016-03-09 17:30 | 政治 | Trackback | Comments(0)
 拙書『朝日新聞の逆襲』で、元記者が関与している『週刊金曜日』誌に言及しているが、ここで、同誌の連載をまとめてベストセラーとなった『買ってはいけない』は、もともと三一書房が『買ってはいけない化粧品』など「買ってはいけない○○」というシリーズで発行していた本が先にあったという話を三一書房の人が言っていたことに触れている。
 これらを専門家が読むと、いちおうご尤もなのだが面白おかしく書いてあると言う。これは、商業出版されれた読み物であるからやむを得ないことだ。それでも、消費者を啓発して大企業を告発する反権力の姿勢である。

 ところが、この真似をしているようでいて逆に権力にすり寄っているため、いくら商業出版とはいえただ売りたいとか目立ちたいというだけの姿勢であるものが横行している。
 そして、あくまでも読み物であるのに、それを運動のよりどころにし、まるで中国の文化大革命で紅衛兵が毛沢東語録を掲げるようにしている運動団体や議員までいて、大企業ではなく個人や零細企業を迫害している狂信的な人までいる。

 そうした団体や議員に対しては厳しい批判をしていかなければならないが、ここで問題なのは当該の読み物を発行したり書いたりしている人たちの態度である。
 その人たちは「科学的」を三つ葉葵の印籠のように掲げ、持論に反する者は「ニセ科学」とレッテル貼りしたり、事実関係をちゃんと確認しなかったり、学歴を貶めたり、とても科学的とか論理的とか言えず嫌らしい。おそらく一種のコンプレックス商法なのだろう。
 
 そもそも科学とは、他人を見下して悦に入るためにあるものではない。
 いくら売りつけたいのだとしても、これでは学術的にも商業的にも倫理的ではない。ニセ科学を批判しているニセ知識人という滑稽な図式だ。

 しかも、これに関与している人たちの攻撃的な態度は、まるで武術を嗜んだ人が半端な自信をもって喧嘩を吹っかけているも同然である。
 しかも権力にすりよっているから、武道家崩れが暴力団の用心棒になってゴロ撒きしているようなものだ。

 よく言われるように、ほんとうに武道家であれば、身を守ること、名誉を守ること、礼儀を守ること、これらを重んじるものである。それがなければ、ただの暴力である。科学もその他の学問も、同じことである。


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by ruhiginoue | 2016-03-08 17:30 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 例の佐巻健男一派の一人・大石雅寿という人にツイッターでふざけたことを書かれた問題は、すでに説明している。
 それは簡単におさらいすると以下の通りだ。

 どうやら佐巻健男という『子供の科学』を陰険にしたような雑誌を発行している人は錯覚をしたようで、こちらで彼のことをナノ銀除染ができると唱えている人に含めていると思い込むか疑うかして「井上静氏は勝手に妄想しないでください」とツイートした。
 これをそっくり引用しながら大石という人は、「左巻さん」と呼びかける形でナノ銀の件を「ありえませんよね」と否定するのだが、当人としては「左巻さんはそんなこと考えていないはず」という意味のつもりだったのだろうが、「井上静という人が妄想でナノ銀除染を唱えている」という意味にしか受けら取られない文になりネット上で流通してしまった。
 これを指摘して訂正するよう求めても、大石という人は知見は間違ってないと繰り返すばかり。それとは別の意味を発生させているという指摘については無視である。誤解させたことで違法行為になるという指摘が第三者からも寄せられたのだから、普通はわかりそうなものだ。
 おそらく、彼は恍けているのか、本当にわからないのか、それらのどちらかだろう。まさか後者ということはないだろうが、しかし理科は得意だが国語は苦手という人もいる。

 以上のような次第だったが、ここで問題となるのは、この大石という人は文句があったら名誉毀損で裁判に訴えたらいいと開き直っていたことだ。
 そこで訴訟とするなら、相手方がどんな抗弁に出るかをあらかじめ検討しておかなければならない。そうすると、別の意味を発生させて誤解させる言質を流布した事実は争いがないので、あとはその誤解によっても名誉低下をきたすことはないという主張をすることになる。
 
 そう主張するためには、「してもいない間違いをしたことにされてしまった」ということを否定する必要がある。そして「ナノ銀除染を唱えたとしても、それで直ちに間違いを言ったことにならない」ということでなければならない。さらに「『ナノ銀除染はあり得ない』というのはあくまで一部の人たちが説いていることであり、学問上の定説でもなければ社会一般の認識でもないから、言ってもいないのに言ったと思われたとしても非常識とか誤りとかの誹りを受けることはない」ということでなければならない。
 
 このような主張を、訴えられたらするだろうかと考えると、どんな弁護士でもほぼ確実にするだろう。実際にそうだからで、あとは意見の違いや主張の対立ということになるのだから。

 ここで逆の見方をすると、それ故あの日本共産党の松崎いたる板橋区議は訴えられてしまったのだ。ナノ銀除染を否定する人たちに自分も賛同しているというだけならともかく、ナノ銀除染を肯定的に話す者は悪意に決まっていて「犯罪」だと罵ったのだから。

 よって、大石という人を訴えて勝てるか否かは、ナノ銀除染なんてありえないということが一部の説ではなく普遍的な真理となるか否かにかかっている。そうなるように、左巻一派のみなさんには健闘してもらいたいと願うものである。

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by ruhiginoue | 2016-03-07 17:30 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 拙書『防衛医大・・・』のとおり、この医療裁判で被告側の防衛医大講師は、自分には何の落ち度もないと主張した。他の大学病院はもちろん同じ防衛医大の医師たちからも批判されていたのに。
 この講師であった伊藤嘉恭医師は皮膚科が専門で、防衛医大でも皮膚科の講義をもっていた。ところが形成外科に手を出して不充分な知識に基づいた手術をした。
 だから、防衛医大の医師たちも「こんな手術をしたら裁判沙汰も当然だ」と言った。

 その後、伊藤嘉恭医師は美容診療所の経営を始めた。一時はかなり羽振りが良かった。この当時は美容外科ブームと言われていた。
 その後、千葉県で在宅診療所の経営を始めた。さらに専門分野と大きく違う。インターネットで知った時は不可解に思い、千葉県の保健所から一覧を取り寄せて調べたところ、事実であった。そこの役人によると、千葉県の大網というところで大変な田舎というか辺鄙なところだとのことだった。
 しかし、その当時は在宅医療が儲かる分野だった。後に保険制度が変わってしまい、今では「美味しい」とまでは言えなくなったが。
 そして、その診療所も人の入れ替わりが激しいらしく、保健所からの情報もめまぐるしくて一定していない。前に勤務していた人がもういないということも、しばしば。

 つまり、伊藤嘉恭医師は、その時々の「トレンド」で「ビジネスチャンス」となる分野に触手を伸ばしていたということだろう。

 ちなみに、裁判で被告側は「この部分は切っても障害が発生しない。医学的にあり得ないことを言う原告は嘘つきで、不当な訴訟だ」と主張した。
 しかし東大医学部その他おおくの専門医が「防衛医大ばかだな。それをいうなら『この部分は障害を発生させないように切ることができる』だ。切り方が不適切なら障害が生じて当然だ」と言って呆れた。

 こうした防衛医大の医師のトリックにみられるような、専門的または科学的に明らかというごまかしは、過ちを犯した専門家とか、横から口出す御用学者とかの常套手段であるから、これを踏まえていれば、そんな類の連中の詭弁術は簡単に見破れる。 
 


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by ruhiginoue | 2016-03-06 17:30 | 学術 | Trackback | Comments(4)
 拙書『華麗なる美容外科の恐怖』のなかで「美容ライター」と称する人のことを問題にしたが、まず、この実態は宣伝の請負人であるので信用できないということだった。
 また、その発言の当否を確認することができないという問題もある。医学に関わる話題なのに、その知識が無い。
 これを言ったら医師も同様で、知らない医療機器を使うさい、製造業者の営業担当者から説明を受けているだけでなく、手術のさい立ち会ってもらってセールスマンから商品の使用法について指示を受けながら患者に対して使用している。
 これが普通なのだと、セールスマンをしている人が言っていた。だから、医療事故とか薬害が起きると、医師が弁解するさい業者のせいにするのだろう。

 このように、何もかもわかっているようにしている人たちが、実はよく知らないということがあり、むしろ普通のことだとすらいえる。
 これと同じように、「科学ライター」というのがいて、専門家であるかのように振る舞っているが、どうも変だという発言ばかり目立つものだ。そもそも、学術論文であれば審査を受けて後に引用されているかということから信用性を確認もできるが、それが「科学ライター」には無い。
 また、科学の知識があるかも不明で、博士号をひけらかしている人もいるが、例えば医療裁判では、専門家が唖然とする無知な被告医師が医学博士であったということがざらであるように、知見が狭い専門バカになりがちだから博士はバカセと皮肉られる。そうなると万屋的なライターにとって無意味というか逆に邪魔な肩書である。

 それに、博士だろうと大学教授だろうと、新聞・雑誌やテレビ・ラジオで発言すれば、それはあくまでマスコミの意見である。専門家のふりをしてマスメディアに登場する人はいくらでもいるが、専門家であったとしても、マスコミに請われて述べることは、それに内容を合わせていたり合わせて編集されていたりするもので、専門家として論文を書くなどするのとは性質がまるで違う。

 これは分野の境目がない。例えば法律でも、前にこちらが勝訴した判決について被告が負け惜しみでデタラメを言っているから、その被告が他でも問題を起こして訴えられていたので、そこで負け惜しみのデタラメについて述べたところ、裁判官は、新聞の記事でも判決趣旨を解っていないんじゃないかと思うことがよくあるから、仕方ないと言った。
 たしかに、無知とかデタラメは裁判官にもよくあるが、マスコミに登場する弁護士だの法学者だのがトンデモ発言する姿は、よくみかける。それが政治家になっちゃったりするから困ったものである。それも知事とか市長とか大臣であるから暗たんたるものだ。

 こういうことがまかり通っているし、そのうえ裁判官も弁護士も「文系」だから気づかないだろうと甘く見ているから、医師などが荒唐無稽な戯言を威張って話すのだろうし、マイメディアでは科学雑誌の編集とかライターたちが虚仮脅しの学位を掲げたり、専門用語を花魁が着飾るようにして見せたりするのだ。
 

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by ruhiginoue | 2016-03-05 17:30 | 学術 | Trackback | Comments(0)
 拙書『朝日新聞の逆襲』の中で、従軍慰安婦の記事を書いた植村隆もと記者がデタラメな非難をされたうえ勤務先の大学にまで嫌がらせや脅迫があったという問題について、大学の先生という気楽な商売に転じたことは誤った選択だったのではないかという指摘をした。

 それで思い出したが、本多勝一編集委員は、朝日新聞社を定年退職したので職安に行き、職種は新聞記者、経験有、給与は前より大幅に下がっても良い、という再就職の登録をし、これで読売新聞から誘われるとは思えないが地方紙や機関紙からお呼びがかからないかと期待していたけど全くなくて、来た話は大学の先生にならないかというものばかりだったそうだ。

 そして性に合わないからと大学の先生の話は断ったということだが、著書があって売れているし、趣味の登山で高齢になってからもどこまでできるかということをしているのだから、働けるうちは働くという選択をして当然なのかもしれない。

 そういう人は例外で、森本哲郎もと記者の教授のように大学の先生になれば給料がよく、その割には忙しくなくて体力的には楽である。記者として知られているから学生を集められるということでお呼びがかかり、あくせく論文を書くということもしなくていい。
 そうなると、普通は喜んで大学の先生のほうを選択するのだろう。

 そういえば、大学に通っていた当時、同級生が先生のことを「楽な仕事だよな」と言っていたが、羨みと蔑みの混ざった口調だった。その給料の原資を払わされているとの思いから不快になるのだろう。

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by ruhiginoue | 2016-03-04 17:34 | 社会 | Trackback | Comments(0)
 俳優の渡部篤郎が親密であった中谷美紀と別れてその後にどうしたかという芸能報道があった。

 この二人が共演していた人気ドラマ『ケイゾク』に関する出版で、テレビ局が出版社に抗議してきた「事件」がある。事件ということは裁判沙汰というわけだ。
 これは和解になったから抗議の事実は内密にということだったので、その本に自分も関与していたが何も説明しなかった。しかし、内密にと言っていた出版社のほうからSNSで話題にし公然化したことと、そのさい出版社側に誤解があることも判ったので、こちらからも説明すべきであろう。

 その出版社で同書の担当であった社員と、他の社員とで対立と齟齬があるため誤解が生じたらしいが、この本は企画の段階で社内に反対があり、それを担当の者が押し切る結果だったようだ。
 そうして発行したところ結構な売れ方だったのだが、テレビ局から抗議の文書が内容証明で送られてきた。著作権侵害だということだった。

 その書面を読むと、ドラマのあらすじを「梗概」の題目で説明している部分が小説の形となっているので、単に説明しているのではなく小説化(ノベライズ)であり、著作権法上の「翻案」に当たるから、これを無断で行ったのは著作権侵害であるということだった。

 これを書いた人が言うには、出版社のほうから依頼があってその通りに書いたもので、それがどんな形で本に載るのか知らなかったから、問題が生じて抗議が来ても出版社の責任だ、とのこと。事実関係はそのとおりだった。
 そして、裁判官も著作権侵害になりうると指摘したので、出版社は利益の一部をテレビ局に支払うことで和解した、という次第だった。

 この本と自分はどう関係があるのかと言うと、一部で使われていた文を書いていて、原稿料も受け取っていた。
 しかし、問題になった部分は別人が書いたものであり、その人さえも出版社に依頼されたとおりに書いただけだと言うのだから、あくまで出版社の責任であり、実際に出版社だけで解決した。

 ところが、その出版社内で担当者とは対立関係にある人から公然と非難されてしまった。外注なのに、それに関与しただけでも悪いというのは非常識だ。おそらく、同僚の仕事の実態を知らなかったのだろう。当時、労使紛争により社内が険悪だったそうだから。

 ということで、いちおう説明しておくべきだということになったのだが、同様の誤解は他の人からもされたことがある。

 同出版社は、前に『センチメンタルグラフティー』(略して『チングラ』)や『新世紀エヴァンゲリヲン』の本も無断で出していて、ヒット作に便乗した商売だという批判を受けていた。批評や解説を複数人に依頼し、それらを集めて本にまとめるという手法だ。
 そして、『チングラ』の関係者が、同出版社を批判することをSNSに書き、そのさい『ケイゾク』のことがあったので、こちらまで混同されていた。それで申し入れしたところ、誤解がないように説明を付け加えてくれた。
 そのさい同氏は『チングラ』は関係者の一人として、『エヴァ』はファンの一人として、その内容に憤っていると述べていた。苦労して製作した甲斐あってヒットしたら、そこに便乗されてしまう。そういうことは良くあるが、それにしてもひどすぎるということだった。

 それぞれの言い分はあるだろうが、こちらとしてはまず事実は正しく踏まえてもらいたい、ということに尽きる。

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by ruhiginoue | 2016-03-03 17:30 | 雑感 | Trackback | Comments(0)

自民党はナチス以下

 「ナチスに学べ」という麻生もと総理の発言が批判されたが、自民党は少しナチスを見習ったほうがいい。ナチスが熱狂的に支持されたのは様々な政治改革により社会の平等を実現したからで、その一方で民族差別などを行っていたのだが、そんな気の利いた悪事を自民党はできない。
 
 ナチスを批判する「白バラ」という団体に関与したショル兄妹が弾圧で殺された史実はドイツで二度にわたり映画となっているが、大学でナチス党政権批判のビラを撒いたショルたちに対し、ナチス党員たちが罵る場面がある。これまでは貧富の差により大学に行ける者と行けない者がいたけれど、ナチス党政権の政治改革により誰でも大学に行けるようになったのに、それを大学で批判するとは非国民だと言う。

 ところが今の日本では、自民党政権の貧富格差拡大政策により、一部の生まれつき恵まれた人しか進学できない傾向が昔に逆戻りというほどひどくなっているが、それでいて大学で国歌斉唱しろと言う。
 うちが貧乏だけど進学できたのは国の政策が良かったからで、だからこの国に生まれて良かったと思い国歌を唄いたくなる、というように出来ないことを大臣が恥じず、大臣であるこの俺様にとって大学の判断は気に入らないから、恥ずかしいことだと罵る。
 こんな大臣のほうがよほど恥ずかしい。
 
 自民党はナチス以下だ。

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by ruhiginoue | 2016-03-02 17:30 | 政治 | Trackback | Comments(8)